鈴木清剛、河出文庫、2000年。著者は一九七〇年生まれ。ずいぶん前、ここで紹介した一九六八年生まれの阿部和重とともに、筆者と同世代の作家と言えると思います。二十一歳の主人公カズキは、特にやりたいことも見つからないまま単調な工場の仕事に馴染んで三年、すこしエキセントリックな女の子と付き合いながら、それでも大きな変化のない、たゆたうような日常に満足しています。
そこに、小学校のときに転校し去っていったサキヤが現れます。当時二件隣りに住んでいた金持ちで我の強かったサキヤを、主人公は実は嫌っていました。そのサキヤの突然の登場、さらに彼は一週間だけカズキのアパートに住まわせてくれと頼み込みます。面食らい嫌だと思いながらも、なんとなく承諾してしてしまうカズキは、そのとき小学生時代の力関係のなかに連れ戻されたのかもしれません。
二人の気まずい共同生活。しかしカズキの彼女はなぜかサキヤに親切で、奇妙な三人組はぎくしゃくしながらも、かけがいないような一週間を過ごすことになるのでした。どこか子どもの頃の感情を捨て切れない主人公、十年ぶりのサキヤは意地の悪いかつてのサキヤから変わったのでしょうか。そんなサキヤはサキヤでどこに行くのかも内緒のまま、毎日どこかへ出掛けます。
一週間が経ち、サキヤは主人公のアパートを出ます。カズキの疑問に答えは出たのでしょうか。二十一歳の登場人物が生きる世界は、筆者の生きた二十一歳の世界に酷似しています。あまり物を持たず、携帯なんてもちろんなく、社会はなんとなく停滞していて、しかし残念ながら自分は若い。思うのですが、あらゆる世代においてそれぞれ”われらの時代”を描く作家が必要なのではないでしょうか。懐古趣味ではなく、しかし、たしかに生きたという記録係は居ていいように思います。
そこに、小学校のときに転校し去っていったサキヤが現れます。当時二件隣りに住んでいた金持ちで我の強かったサキヤを、主人公は実は嫌っていました。そのサキヤの突然の登場、さらに彼は一週間だけカズキのアパートに住まわせてくれと頼み込みます。面食らい嫌だと思いながらも、なんとなく承諾してしてしまうカズキは、そのとき小学生時代の力関係のなかに連れ戻されたのかもしれません。
二人の気まずい共同生活。しかしカズキの彼女はなぜかサキヤに親切で、奇妙な三人組はぎくしゃくしながらも、かけがいないような一週間を過ごすことになるのでした。どこか子どもの頃の感情を捨て切れない主人公、十年ぶりのサキヤは意地の悪いかつてのサキヤから変わったのでしょうか。そんなサキヤはサキヤでどこに行くのかも内緒のまま、毎日どこかへ出掛けます。
一週間が経ち、サキヤは主人公のアパートを出ます。カズキの疑問に答えは出たのでしょうか。二十一歳の登場人物が生きる世界は、筆者の生きた二十一歳の世界に酷似しています。あまり物を持たず、携帯なんてもちろんなく、社会はなんとなく停滞していて、しかし残念ながら自分は若い。思うのですが、あらゆる世代においてそれぞれ”われらの時代”を描く作家が必要なのではないでしょうか。懐古趣味ではなく、しかし、たしかに生きたという記録係は居ていいように思います。