土曜日のライブ無事終えました。昨日は会社の同僚らと飲んでいました。今日はバンドリーダーと河原で管の練習をしていました。気が抜けているのか、なんだかくたびれています。歯も痛さを増していて、不条理感が増していて、なによりとても眠いのです。
今日はロックバンドでライブ。ボウリングシャツで演奏です。楽しみ楽しみ。これが終われば、しばらくライブ予定はなし。サックスをメンテナンスに出そうかと。かてて加えて、自分の歯もメンテナンスが必要になりました。
虫歯だらけなのです。奥歯はともかく、前歯が数日前からずきずき痛みだし、演奏にも差し障りが出そうです。いかんです。管楽器奏者として、こんなことでは、いかんです。
虫歯だらけなのです。奥歯はともかく、前歯が数日前からずきずき痛みだし、演奏にも差し障りが出そうです。いかんです。管楽器奏者として、こんなことでは、いかんです。
居酒屋さんでのライブ終了。とってもお久しぶりな場所だったので、懐かしい方々と懐かしいお話をしてまいりました。音楽面、評判は上々でしたが、PAさんになかなか意図が伝わらず、思惑たくらみは不完全燃焼でした。ま、そんなものなのですがね。リハもなく、打ち合わせの時間もなかったわけですから。
どうもお疲れさまでした。呑んでの酔い酔い戯れ事のようなセッションから始まって、もう完全なバンドになっていて、あと二三回も人前で演奏すれば、完璧かと思われます。まだまだアイデアを詰め込みたい気もしています。どうぞ、よろしくお願いしますね。
演奏終わって、さあ呑むぞう、はじけるぞう、と思っていたですが、ハードワークがたたって、だらしなく眠り込んでしまいました。申し訳ない。
どうもお疲れさまでした。呑んでの酔い酔い戯れ事のようなセッションから始まって、もう完全なバンドになっていて、あと二三回も人前で演奏すれば、完璧かと思われます。まだまだアイデアを詰め込みたい気もしています。どうぞ、よろしくお願いしますね。
演奏終わって、さあ呑むぞう、はじけるぞう、と思っていたですが、ハードワークがたたって、だらしなく眠り込んでしまいました。申し訳ない。
四月に入って時間が経ちましたが、なお忙しい。おかしい。例年と違う。照会に見積依頼、商談打ち合わせ。山手線でぐるぐる、高速飛ばして多摩八王子。
もちろん、それは良いことではあるのでしょうが、机に未処理の書類が山と溜まります。来月の休日もどこかで出社して片づけないと追っつかなそうです。まいりましたね。
もちろん、それは良いことではあるのでしょうが、机に未処理の書類が山と溜まります。来月の休日もどこかで出社して片づけないと追っつかなそうです。まいりましたね。
風邪かなり抜けました。木曜日に嫌になるほど寝たのが良かったようです。以前は大酒呑んで暖かくして寝れば風邪なんてすぐに直ったのに。そういう荒療治は効かなくなってしまったようで。とにかく休息。なんだか何もせず何も考えずでゆっくり寝たのはずいぶん久しぶりだった気がします。
そんなこんなで音楽週間突入。今日は、パチンコ屋さんのイベントでチンドンをしてきました。一時間ちょっとの練り歩き、三十分の休憩、そして、一時間ちょっとの練り歩き。田舎節=マイナーペンタや、都節、ジャズの影響を受けた昭和歌謡など音楽面はもとよりも、歩きながらの演奏においては、基礎的な”サックスを吹く”という行為が鍛えられそうです。勉強になります。
水曜日はアコギと歌、ベース、カホンとアコースティックなセットで居酒屋さんにて演奏の予定。クラリネットも本格的にお披露目予定。ほかに、ピアニカをフューチャーしながら、サックスも吹いてきます。アコーディオン/バンドネオン風なピアニカ、室内楽的でありながらニューオリンズ風でもあるクラ、サックスはせっかくなので実験的挑発的な方向で演りたいのですが、さてどうなることか。楽しみです。よろしくお願いします。
土曜日はどうやらタトゥの会のイベントらしいですが、ロックバンドでライブです。こちらはテナー一本で力攻めですな。五年も六年も演奏してきた曲だ余裕だ、などと侮ると、本番に落とし穴があるのが、音楽の怖いところ。ロカ、スカ、歌謡にマイムマイム、すべてにビートを効かせ楽しんできます。
(メモ:酔いVer.2)
そんなこんなで音楽週間突入。今日は、パチンコ屋さんのイベントでチンドンをしてきました。一時間ちょっとの練り歩き、三十分の休憩、そして、一時間ちょっとの練り歩き。田舎節=マイナーペンタや、都節、ジャズの影響を受けた昭和歌謡など音楽面はもとよりも、歩きながらの演奏においては、基礎的な”サックスを吹く”という行為が鍛えられそうです。勉強になります。
水曜日はアコギと歌、ベース、カホンとアコースティックなセットで居酒屋さんにて演奏の予定。クラリネットも本格的にお披露目予定。ほかに、ピアニカをフューチャーしながら、サックスも吹いてきます。アコーディオン/バンドネオン風なピアニカ、室内楽的でありながらニューオリンズ風でもあるクラ、サックスはせっかくなので実験的挑発的な方向で演りたいのですが、さてどうなることか。楽しみです。よろしくお願いします。
土曜日はどうやらタトゥの会のイベントらしいですが、ロックバンドでライブです。こちらはテナー一本で力攻めですな。五年も六年も演奏してきた曲だ余裕だ、などと侮ると、本番に落とし穴があるのが、音楽の怖いところ。ロカ、スカ、歌謡にマイムマイム、すべてにビートを効かせ楽しんできます。
(メモ:酔いVer.2)
先週、クラリネットのマウスピースとリガチャー、それからリードも買ってきまして、三点でクラリネット本体を超える額になってしまったわけですが、高音低音のピッチは見違えるほどに良くなりました。さっそく金曜日に実戦で試してみましたが、運指に戸惑いあえなく撃沈。この難しさ、なんと表現したら良いものか。
サックスでは二オクターブが収まっているところに、クラリネットでは三オクターブ近く押し込まれています。まさに複雑怪奇。イメージの音と、出る音の違いに慌てふためく結果に陥ってしまいます。週末、眠い目をこすりながら、とりあえず必要なF#m(実音Em)の音階だけは練習しました。
サックスでは二オクターブが収まっているところに、クラリネットでは三オクターブ近く押し込まれています。まさに複雑怪奇。イメージの音と、出る音の違いに慌てふためく結果に陥ってしまいます。週末、眠い目をこすりながら、とりあえず必要なF#m(実音Em)の音階だけは練習しました。
買ってみました、クラリネット。一万数千円だったので衝動買いです。安物ゆえのピッチの悪さ、音の出にくさ、なんのその。プラスティック管でも、その独特の音色はとても楽しいです。ニューオリンズジャズ、クレズマー、ラテンと引っ張りだこ。もちろんチンドンでも花形です。その大正ロマンな立ち居振る舞いは、まさにキング・オブ・オールドファッションド。
サックスと同じシングルリード楽器ではありますが、まったくの別種とも言えます。クラリネットは”閉管楽器”に分類されるのです(サックスは”開管楽器”)。べつに穴が塞がっているわけではなく、吹き口から管の先まで太さがほぼ同じ楽器をこう呼びます。ベルに近づくにつれ管が拡がるサックスは複雑な倍音成分を含みますが、クラリネットはその形状から矩形波に近い音色が特徴です。
矩形波、シンセサイザーを操る人なら分かるかとも思いますが、抽象的ながら非常に柔らかいサウンドです。よくクラリネットの音を「木の音」と表現する人がいますが、むしろ閉管であるが故の音色と言えるわけなのです。さらに、この管の特徴から音域も非常に広く取ることができますが、ところでいっぽう、音域によって指使いがまったく異なるという特徴も備えていまして、これがクラリネットが難しいといわれる所以でもあります。
サックスで低いDを吹いて、オクターブキーを押せば当然のごとくオクターブ上のDが出ます。ところがクラリネットで低いDを吹いて同じ動作をすると、オクターブ上のAが出てしまいます。ありゃりゃ。おかげでシャリュモー音域と呼ばれる低い音域では、サックスの運指がまったく役に立たないのです。しかしながら、それを補って余りある音色の魅力。ピアニカと同じように、独自の世界観を表現するには最適でしょう。とりあえず好みのマウスピースとリードを探して、習得に努めようと思っております。
サックスと同じシングルリード楽器ではありますが、まったくの別種とも言えます。クラリネットは”閉管楽器”に分類されるのです(サックスは”開管楽器”)。べつに穴が塞がっているわけではなく、吹き口から管の先まで太さがほぼ同じ楽器をこう呼びます。ベルに近づくにつれ管が拡がるサックスは複雑な倍音成分を含みますが、クラリネットはその形状から矩形波に近い音色が特徴です。
矩形波、シンセサイザーを操る人なら分かるかとも思いますが、抽象的ながら非常に柔らかいサウンドです。よくクラリネットの音を「木の音」と表現する人がいますが、むしろ閉管であるが故の音色と言えるわけなのです。さらに、この管の特徴から音域も非常に広く取ることができますが、ところでいっぽう、音域によって指使いがまったく異なるという特徴も備えていまして、これがクラリネットが難しいといわれる所以でもあります。
サックスで低いDを吹いて、オクターブキーを押せば当然のごとくオクターブ上のDが出ます。ところがクラリネットで低いDを吹いて同じ動作をすると、オクターブ上のAが出てしまいます。ありゃりゃ。おかげでシャリュモー音域と呼ばれる低い音域では、サックスの運指がまったく役に立たないのです。しかしながら、それを補って余りある音色の魅力。ピアニカと同じように、独自の世界観を表現するには最適でしょう。とりあえず好みのマウスピースとリードを探して、習得に努めようと思っております。
行ってきました富山。チンドンに入る前から、富山での全国コンクールの噂は伝え聞いていて、ぜひ一度行ってみたいと思っていたところ。本懐を遂げました。あいにく土曜開催のコンクールでの賞は逃しましたが、翌日曜のたぶんニキロぐらいは歩いたのではないでしょうか、四車線道路を通行止めにし、両側に観客の方々がずらりと並ばれての、練り歩き、賑やかしは、まったく気持ちがよかったです。
温泉にも入ったし、美味しいもの食べ美味しいお酒も呑んだし、もちろん本家本元本場の本物本気のチンドンも聴けましたし、言うことなしでした。というわけで、またもや脱力気分なのですが、今月三周目には、チンドン、弾き語り、ロックバンドと、一週間に三本も演奏をすることになりまして、ひと息つく間もないわけなのでした。
でもね、そろそろ部屋に籠って、ここのところ増えている楽器の習得や、いまや付箋だらけの小泉文夫『日本伝統音楽の研究』の読み込み、あるいはジャズ理論を本格的に勉強したいと思ってもいるのです。エレクトロな楽器も復活させましたし、ここまでやってきたことを実験的に打ち込み宅録して形にしてみたいと、そんな思いにも駆られてます。
温泉にも入ったし、美味しいもの食べ美味しいお酒も呑んだし、もちろん本家本元本場の本物本気のチンドンも聴けましたし、言うことなしでした。というわけで、またもや脱力気分なのですが、今月三周目には、チンドン、弾き語り、ロックバンドと、一週間に三本も演奏をすることになりまして、ひと息つく間もないわけなのでした。
でもね、そろそろ部屋に籠って、ここのところ増えている楽器の習得や、いまや付箋だらけの小泉文夫『日本伝統音楽の研究』の読み込み、あるいはジャズ理論を本格的に勉強したいと思ってもいるのです。エレクトロな楽器も復活させましたし、ここまでやってきたことを実験的に打ち込み宅録して形にしてみたいと、そんな思いにも駆られてます。
やっとこさっとこ、仕事落ち着いてきました。ほっとしています。一方、人前での演奏の予定も増えてきて、お誘いも多いです。ありがたいです。
しかしながら、音楽すること演奏するということの壁にぶつかっているようなのです、どうやら筆者は。突き抜けられるような、そんな答えを探していますが、いまだ見つからず。うん、困りました。
しかしながら、音楽すること演奏するということの壁にぶつかっているようなのです、どうやら筆者は。突き抜けられるような、そんな答えを探していますが、いまだ見つからず。うん、困りました。
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最近、音楽とは何か、に思いを馳せています。音楽構造の主要な三つとは、メロディ、ハーモニー、リズムと言われます。現代音楽を除くいわゆるポピュラーミュージックでは、ハーモニーとメロディのシステムはヨーロッパ生まれの十二音平均律、リズムシステムは極めて均一にビートを刻むアフリカ起源、が基本となっています。
数学的に積み重なるハーモニー、一部の狂いもないリズム、でも思うんですが、そうなると理想はコンピューターによる音楽ではないかと。実際、テレビからもラジオからも流れる音楽は、叩きものも弾きものも吹きものも、歌さえも機械仕掛けです。機械仕掛けのバラたち。それらはしかし、音高も時間も分かりやすく均一に分割し、現代社会システムの如くに組織化されつづけるサイボーグな音楽の当然の帰結であるのかもしれません。
なぜ、トニックで終わる”べき”なのか。十二個に分割された音それ以外は”間違い”なのか。伸び縮みするテンポは”不正解”なのか。感覚に依拠するべき美しさに、正解や間違いはないのでは、と思うわけです。ヨーロッパでもアフリカでも、ましてやアメリカでもない日本には、序破急のうつろうテンポ、能などにある五線譜に書き記せないピッチの揺らぎに基づくフレーズ、教会音楽的ではない自由なハーモニーの感覚が存在したことがありました。
ヨーロッパ起源の音楽(クラシック)の権威化、保守化。それに対する、カウンターとしての黒人音楽(ブルース、ジャズ)の、やがての権威化、保守化。それらにさえも対するカウンターについて思いを馳せています。正式に楽理を学んだわけでもなく、実践に身を置いてきただけですが、ですがぶち壊しを企てたいのです。
でも考えすぎると手が動かなくなります。音楽とはなにか、あるいは文章とはなにか。
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最近、音楽とは何か、に思いを馳せています。音楽構造の主要な三つとは、メロディ、ハーモニー、リズムと言われます。現代音楽を除くいわゆるポピュラーミュージックでは、ハーモニーとメロディのシステムはヨーロッパ生まれの十二音平均律、リズムシステムは極めて均一にビートを刻むアフリカ起源、が基本となっています。
数学的に積み重なるハーモニー、一部の狂いもないリズム、でも思うんですが、そうなると理想はコンピューターによる音楽ではないかと。実際、テレビからもラジオからも流れる音楽は、叩きものも弾きものも吹きものも、歌さえも機械仕掛けです。機械仕掛けのバラたち。それらはしかし、音高も時間も分かりやすく均一に分割し、現代社会システムの如くに組織化されつづけるサイボーグな音楽の当然の帰結であるのかもしれません。
なぜ、トニックで終わる”べき”なのか。十二個に分割された音それ以外は”間違い”なのか。伸び縮みするテンポは”不正解”なのか。感覚に依拠するべき美しさに、正解や間違いはないのでは、と思うわけです。ヨーロッパでもアフリカでも、ましてやアメリカでもない日本には、序破急のうつろうテンポ、能などにある五線譜に書き記せないピッチの揺らぎに基づくフレーズ、教会音楽的ではない自由なハーモニーの感覚が存在したことがありました。
ヨーロッパ起源の音楽(クラシック)の権威化、保守化。それに対する、カウンターとしての黒人音楽(ブルース、ジャズ)の、やがての権威化、保守化。それらにさえも対するカウンターについて思いを馳せています。正式に楽理を学んだわけでもなく、実践に身を置いてきただけですが、ですがぶち壊しを企てたいのです。
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