GOKURAKU-YAさん

2007-03-31 16:07:07 | 音楽
昨夜はGOKURAKU-YAさん(元アメパイ)に、イカさんたちとお邪魔してまいりました。到着は十時頃、先に行って呑んでいたイカさんや津野さんたちと合流するなり「サックス持ってきなヨ」と言われ、杯を乾かす間もなく演奏してまいりました。

GOKURAKU-YAマスターさんとは、去年のあるパーティーでお会いしていて、自分のことも憶えていてくださいました。なにしろドラムの叩けるお店は素晴らしい。そのパーティーでもパンクバンドが格好いい演奏をしていました。

マスターありがとうございました。また、ぜひ顔を出させていただきます。

泰兵衛さんライブ!!

2007-03-29 23:05:09 | 音楽
昨夜は泰兵衛さんのライブに行ってまいりました。仕事手間取って、出発が遅れたので一瞬どうしようかと迷ったのですが、出掛けてよかったです。楽しかったです。ありがとうございました。

イカさんと酒を酌み交わし、みなさんと挨拶。思いがけずバンド・ダイナマイトのライブに来てくださった方もいらして、驚きました。今さんのライブは惜しくも間に合いませんでしたが、たまきちさんのアブ・ジェネに参加させていただきました。ひさびさの演奏でしたが、大丈夫だった?でしょうか。

さて、相棒のサックスをいたわりつつ掃除しながら、ともすれば、仕事なら仕事へ、音楽なら音楽へ、のめり込みがちになる我が性分について、ぼんやりと思いを馳せておりました。凝り性なんです、ひとことで言えば。ところで、そうじゃなくて、バランスなんだなあ、しみじみと思った次第でございます。

華、薫る

2007-03-27 23:51:42 | 雑事
寒暖の差がはげしいです。桜は開花へ向けて、歩みを早めたり緩めたり。季節の変わり目は身体に負担がかかります。ずいぶん頑張ってきた疲れが出る年頃でもあります。無理はせずに、どうぞ、ご不調のある方、早めに受診してくださいね。やっぱり心配です。

さて、営業先の大学では、先週でだいたい卒業式も一段落したようです。呑んではしゃいでいたり、涙にくれていたり、とても眩しかったです。来月になれば入学式。若人のみなさんは変化の時期なのですね。

大人になっても、出会いと別れはつきません。会社を辞めざるをえぬ者、起業する者、バンドを解散する者、結成する者ら、音楽を始めようと楽器を買う者、新たに家族をつくる者たち、大往生を遂げる者、いや志半ばに弊れる者、いっぽう世界に生を授くる者、笑顔で迎えられて。旅立ちは始まりです。

華薫る季節、清新な風を胸一杯に吸い込んで。それから。すべての人々にエールを。

夢は時間を裏切らない、騒動

2007-03-26 23:39:27 | 音楽
芸能界著作権シリーズ、第二弾は槙原敬之と松本零士の盗作騒動です。「夢は時間を裏切らない、時間も夢を決して裏切らない」こちらは槇原敬之作曲、ケミストリーが唄う『約束の場所』のサビの歌詞です。で「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」これが松本零士作『銀河鉄道999』での星野鉄郎のセリフです。

しかし分かりにくい言葉ですね。「時間は夢を裏切らない、夢も時間を裏切ってはならない」時間は夢を裏切らない、これはまあ、夢を持ち続けていれば時間はいつか報いてくれるという風に解釈できないこともないですね。その主客が転倒する後半部分は、だから夢は持ち続けなければならない、諦めてはならないという意味なのでしょうか。

ほんとは『999』読んで『約束の場所』聴かなければならないところでしょう。しかしそこは端折って、全体的に同じといえば同じな印象です。去年、松本がこれを盗作だと騒ぎ「詫びをいれろ」と、槙原に詰め寄りました。いっぽう、槙原は自分の言葉だと真っ向から対立する主張をし、つい最近「著作権侵害不存在確認等請求」の訴えを地裁に起こしました。これは、盗作であると言うならその証拠を出せ、出せないなら損害賠償をしろとの訴えです。

この場合、どちらに分があると考えられるでしょうか。ちょっと判断がつかないので、ネットで調べてみたところ、弁護士の山口貴士さんの言説に説得力がありました。つまるところこれは、どちらが先に言ったのか、あるいは槙原が松本の言葉を知ることができたのか、という証拠探し以前の問題だという主張です。

”アイデア”は著作権の保護範囲ではありません。たとえば、小説のあらすじが発表されたとして、そのあらすじから実際に小説を組み立てても著作権侵害とはなりません。ある程度の連なりを持つ連続された言葉が著作物と見なされるわけで、今回の事案の場合、盗作とされた言葉はとても短いものでした。また、完全なコピーという訳でもないのです。

となると、そもそも著作権侵害を成立させる要件として不充分ではないかというのが山口さんの主張です。要するに、槙原は松本のアイデアによって作詞をしたが、表現は別物なので侵害とはあたらない、という判決が出る可能性があるとのことです(もちろん私権訴訟の常として判決が出るまでは白黒はつきません。むしろ、これによって短いフレーズに対する有効な判例が出るかもしれません)。

私見です。ネットにも書かれていましたが、だったら松本の「銀河鉄道」という言葉も宮沢賢治のパクリではないかと思ってしまうわけです。そしてむしろ、過去の作品を参照する、それこそが創作活動を行ううえで通常なことだ、と筆者は思っているわけです。パクリのないところに創造はあり得ない、なのに自分のことは棚に上げ、権利にしがみついて詫びろだのなんだのは傲慢なように思えます。

週末の出来事

2007-03-25 23:59:01 | 雑事
本日はお葬式でした。地元の隣、足利市で音楽ほか様々なシーンを盛り上げてくれた方です。四十歳、とても早い死です。始めはとても怖かったのですが、最近かわいがってもらえるようになっておりました。無念です。心よりお悔やみと感謝申し上げます。

昨日は大学の研究会に出席、五十~六十年代の象徴天皇制がテーマ。先生方と少し話して退座、宮内家に参上、原口純子さんのライブを聴いてきました。良かったです、とてもかっこ良かったです。またぜひ聴きに行きたいです。

明日から、また仕事です。しかし人の死に直面すると、なんだか思いに耽りがちになってしまいます。お顔拝見いたしました。数日前まで元気だった方が、今はこうしている。人間はなんだかもろいです。

明日も研究会

2007-03-23 23:57:55 | 雑事
明日も大学で行われる研究会(甲)に出席です。先々週の(乙)とはまた違う集まりです。甲は比較的若手の多い研究会、乙のほうは、これはもう中堅から上の方々が集まります。だいたいこの二つにレギュラー参加しています。

明日の研究会は筆者と同世代の研究者もたくさんいて、親睦会という名の呑み会もけっこう面白いです。しかしながら、ポストドクター問題と言われる大学院を修了し博士号を得たものの、決まった大学に入れず任期付きの研究員=不安定な立場の者が多く、これは文科省がやたらと大学院の定員を増やしたせいでもあるのですけれど、まあ一般社会における契約社員の増加に対応するような事態が、アカデミズムでも起きているわけなんです。

どこの世界でもわれらが世代は、いやあな時代に生まれてしまったもんだと嘆きたくなりますが、嘆いたところで何かが解消される訳でもありません。学問をめぐる状況はしかし、過酷さを増していますね。先日も八王子のある大学の文学部教授が、大学経費/科学研究費を不正に使用していたということで、辞職しました。

もちろん、いかんことではあるのですが、不正に申請した金は研究のために使ったとのこと。文科省の方針として成果主義が導入され、集まるところには集まるが集まらないところには全く来ない研究予算は、プロジェクトを組むような器用さはないが、実直に地道に研究を行うタイプの研究者にはまったくもって不幸な事態であると思います。

特に文系の研究は数年、数十年の長いスパンで見ないと豊かな実りは得られない気がします。どいつもこいつもせっかちで、嫌になるなほんとにもう(四半期決算の外資系取引先に煽られ、うんざりしている筆者でした)。

『スローカーブを、もう一球』

2007-03-22 23:39:02 | 書籍
明日からセンバツ開幕だそうですね。だからという訳でもないのですが、山際淳司の名作を読んでいました。昭和60年、角川文庫、短編ノンフィクション集です。

本作に収録の「江夏の21球」はとても有名ですね。一九七九年の日本シリーズ最終戦において、江夏豊が広島の守護神としてマウンドに立った最終回を、非常に乾いた文体で記録したスポーツ・ノンフィクションの金字塔です。江夏やバックネット裏で試合を記録していた野村克也が、紋切り型な根性論とは無縁だったせいもあるのでしょう。終始お涙頂戴とは一線を画す冷静な視線で叙述されています。

ほかの短編も、登場人物はバッティング・ピッチャーのような裏方だったり、あるいは天才と謳われるボクサーだったりしますが、彼らは一様に「あしたのジョー」や「巨人の星」といった根性ものの風潮を明確に意識しながら、どこかそういったものへのアンチを自覚しています。

表題作「スローカーブを、もう一球」では進学校であった高崎高校が、あれよというまにセンバツ出場を果たすまでのいきさつを描いています。エース川端俊介はフォームは変則、コーナーを丹念につく投球とスローカーブが持ち味の技巧派ピッチャーです。

「まず第一に、走ることが嫌いで」あり、体格に恵まれず、まるっこい体つきの彼は、一般的な怪物エースピッチャーのイメージを容易に裏切ります。タカタカ(高崎高校)も秋の県大会に出場したチーム遠征費の工面に追われ、勝つごとに校長や監督が頭を抱える始末。

いかにもな、汗と涙と根性の高校野球では決してないのですが、それもまたスポーツの有り様なのでしょう。作中、ヘミングウェイの言葉が引用されます。孫引きですが。「スポーツは公明正大に勝つことを教えてくれるし、またスポーツは威厳をもって負けることも教えてくれるのだ。要するに…スポーツはすべてのことを、つまり、人生ってやつを教えてくれるんだ」

スポーツも、また人生も、作られたイメージでは括りきれないのかもしれません。

『アメリカの夜』

2007-03-21 23:39:46 | 書籍
阿部和重、2001年、講談社文庫。作者の阿部は一九六八年生まれ、筆者と四つ違いですが、ほぼ同世代と言っていいと思います。映画学校卒業後、演出助手をするなど映画と深く関わってきた作家です。

その彼が九七年に発表した『インディヴィジュアル・プロジェクション』は、刊行されてすぐ読んだのですが、とても面白かったです。ハードな『トレイン・スポッティング』(九三年)と、ポップな『池袋ウェストゲートパーク』(九八年)の中間的な世界というか、そんな感じの物語でした。

今回取り上げる『アメリカの夜』は、その阿部のデビュー作だそうです。どこか内向的な主人公、そのモノローグ的な世界が前半続きます。映画に憧れ、アートな世界にかぶれ、周囲もそんな仲間ばかリ。たぶん、当時の作者の立場にとても近い主人公なのでしょう。

おおきな起伏のない物語ですが、そのかわり小説や映画への引用/オマージュが続きます。ついに主人公の友人が映画の撮影を始め、主人公が(頼まれもしないのに)出演を承諾することから、小説は結末へ向かってスピードを上げます。

十年ほど前、”J文学”などという今考えれば安易極まる名称で、ひと括りにされる作家たちがいまして、阿部和重はその代表選手のように言われるようになっていました。その後、同時代の日本文学から関心が離れていたのですが、気づいたら『蛇にピアス』や『蹴りたい背中』が作者二十歳ぐらいで芥川賞受賞していて、あれれと思ってしまいました。

”J文学”と同様、芥川賞最年少同時受賞もまあ、シニカルに言ってしまえば、出版社の売らんがための方策なのでしょう。そうしなければ喰えないのでしょうから、仕方ないと言われればそうなのでしょうけど。どこか釈然としないのは、筆者が文学や音楽に青臭いロマンを求め過ぎているせいなのかもしれません。

カセットテープを聴いている

2007-03-20 22:49:02 | 音楽
バンド(甲)のほうの必要にせまられて、バンド(乙)のリーダーからもらった音源テープを聴き続けています。五十年代から六十年代のロックンロール、ロカビリー、ドゥワップ、ブルースといった感じなのかな。MiraclesのYou Really Got A Hold On Me見つけましたよ、甲のそがーくん。

これらのテープ、ここ何年も親しんだ楽曲なのですが、実は誰の何という曲なのかが全く分かりません、テープには曲名も演奏者も書かれていないからなので、上記の曲もBeatlesがカバーしているから分かったという次第。DJもやる乙のリーダー、独身だった十年ぐらい前に知り合えていれば、部屋に入り浸ってレコードジャケット眺めながらいろいろ覚えられたのにね。

カセットテープを漁っていたら、フリッパーズ・ギターのライブアルバムが出てきて懐かしいぃと思いました(これは自分のものです)。フリッパーズは十年前ぐらい大好きで、アルバム全部持っていました。聴きたくてさがすと、あれ一枚もない。ああそうだ、友だちが全部持って行っちまったんだ。あのやろうめ。

気ままに音楽聴くほうなので、揃いで持っていたのはフリッパーズ・ギターとVelvet Undergroundぐらいだったのです。仕方ないからフリッパーズまた集めようかな。

それにしても昔のアナログ音源をコンピューターに落として纏めてCDにってやってると、今のCDとの音圧の差は歴然ですね。オリジナル音源制作されている方のCD聴いててすごいなと思うことのひとつは、一般流通CDに負けない音圧が出ていること。

ずいぶん前に(と言っても数年前な気もしますが)CubaseVSTで音源作ってた頃、どうしても音圧出なくてトータルコンプの定番WAVESのL1を考えたんですが、VSTエフェクトで数万の値段に諦めました。みなさんどうしているのでしょう。

そのころは”音圧競争の是非”なんてサンレコでずいぶん言われていましたが、今はどうなっているのかな。B‘zの音源取り込むと、波形じゃなくて真っ黒な棒になるなんて。プロモーションやラジオで流したときに音量をなるべく大きくしようというのが発端らしく、まあコマーシャルな現象なんですよね。リスナーからすれば音が小さければボリューム上げれば済むことなのに。

なんだかテープを聴きながら、徒然なるまま書き散らした本日のブログでした。

サックス練習

2007-03-18 22:45:13 | 音楽
昨夜はバンド、ニガーのミーティングで前橋に行っていました。十二時頃まで。その後館林に帰りさらっと一杯ひっかけてから床につきました。今日は午前中に所用を済まし、午後は実家でサックスの練習。それから埼玉に戻ってきました。

サックスには一週間に一回触れればいいところですねえ。では、そのトレーニング方法を大公開。ここ数年続けているのが、アルペジオの練習。コードCM7ならC-E-G-B,E-G-B-C,G-B-C-E,B-C-E-G…と最低音から最高音まで上昇していきます。これがパターン1。C-E-G-B-C-B-G-E,G-B-C-E-G-E-C-B…これがパターン2。C-G-E-B-C-B-G-E,G-C-B-E-G-E-C-B…これがパターン3。

この3パターンをC7ならCEGB♭、 Cm7ならCE♭GB♭と3つのコードに当て嵌め吹いて、これでCの段は終わり。さらにCからC♯、D、D#…と12個の段(キー)で行っています。これはいい練習になります。だいたいギターと違ってサックスは構造上、ドレミファソラシドとスケールで動きやすいのですが、あえての一つとばしの運指はとてもいい訓練になると思います。なんとなくマイナーなどのコード感も身に付きますし。

音色も均一性を意識しながら、低域ではサブトーンに、高域ではフラジオまで含めて。アタックの付け方もツツターとかターツツとかツターツとかやっています。ほんとはM7,7,m7のほかにm7(♭5)とかdimにまで拡張できればいいのですけど。それとキーC♯,D♯,G♯,A♯(実音B,C♯,F♯,G♯)が、どうしても苦手で。ここも課題ですね。

メカニカルな訓練はその三十分ぐらいで終わるでしょうか。後は、バンドでいつもやっている曲を音源に合わせて吹いたり、ランダムに流れる曲に即興でキー探って合わせて吹いたりしています。アコギな人たちと演奏しているうちに、ダイナミクスの幅が広がって、ピアニッシモのほうも随分コントロールできるようになったのですが、それでも音がでかい。

アパートでやったら間違いなく苦情の嵐、叩き出されるでしょう。ここが大きな問題なのです。実家に行けないときは、河原に行くか、スタジオ借りて個人練するか。考えているジャズスクールはそこらへんの解決策でもある訳なのです。

『子供たちの午後』

2007-03-15 23:27:48 | 書籍
以前にも紹介したR・A・ラファティ。井上央訳、2006年、青心社。短編集です。その冒頭の一編「アダムには三人の兄弟がいた」。

その街ではさまざまな人種が生活している。そのなかでも特に変わっているのが、レック(”はみだし者”)と呼ばれるレクェセン人だ。彼らはまったくもってユニークだった。それもそのはず、実は彼らはアダムの子孫ではない。アダムの三人の兄弟のうち、一番下の弟(その名もレック)の末裔なのだ。

彼らは全然働かずに生きていける輝かしい才能を持っている。”改作ヴァージニアシティ”、”お祖母さんと青い帽子”、”銀の裏打ち”、”眠たげな河”、”樽の底”、”犬小屋”、”二重犬小屋”といった、名前だけは分かるがどんなものかは一切説明されないイカサマを使って、アダムの子孫たちから金をまきあげるのだった。

彼らは詐欺師の一族だったのである。その華麗な一族の中でも特に賢い娘がキャシィ。彼女が、やはり天才詐欺師であるマズマという男と出会うことから、レック一族に今まで起きたことのなかった、たった一度の例外が起こってしまうのであった。

とても深い意味がありそうで、でも実は全然そんなものないのかもしれず、すっとぼけているようで、でもきっと大真面目にふざけているんだろうなという、そんな作風が楽しい作家です。二〇〇二年に亡くなってしまいましたが、長編十八作、短編は百五十作以上も残したそうです。

なかなか出版されませんが、大好きなラファティの短編がもっと刊行されたらとても嬉しいことです。

音楽の話

2007-03-13 23:59:13 | 音楽
いつも音楽のこと書いているので、あえて”音楽の話”もないのですが、昨夜はすんなり寝つけず、退屈まぎれに音楽について考えていました。

パンクとジャズが好きなのです。でも、どうしてこの二つなのかが、我がことながら謎だったのです。いっぽうは単純なコード進行と繰り返し命、いきおい重視の過激なパフォーマンスで成り立ち、もういっぽうはテンションまみれのコードを使って、超絶技巧でしのぎを削るように張り合う演奏で成り立っています。

しかし昨日うっかり共通点に気づいたというわけなんです。それは、どちらも打ち込みではぜったいに成立しないということでした。まあ、がんばればパンクっぽいものジャズっぽいものは出来上がるでしょうけど、パンク/ジャズの本質とはまるで異なるものと言えるでしょう。本来的な意味では音源に残したりするのも違うのかなと思ったりしました。

小さなハコ、小規模バンド/コンボ、本当にそれが好きな客、その場の全体がパンク/ジャズであり、演奏する側から言えばそれぞれの演奏者の抜き差しならぬ駆け引き絡み合い憎しみ愛から生まれでるその場かぎりの何かがパンク/ジャズという気がします。

それはまったく身体と結びついた行為だということで、機械的な打ち込みのつけいる余地は全くなく、格闘技か性行為に酷似してくることでしょう。そこでは波のようにテンポは揺れつつもグシャリとせず、ノイズや絶叫も穏やかに不協和として調和します。生活からも音楽理論からも異形なものが生まれ出ずるかもしれません。

実はブルーノートでさえも音楽理論では明確に捉えられないそうです。♭3rdは♯9thというテンションとして(無理矢理)意味付けられたりしているそうですが、長短調を混在させてなお整合性を保持するブルースは明らかに異形のものでしょう。だいたい、譜割りにとらわれないブルースも余裕で存在してますし。

曲作りという整合性に縛られた行為にあまり興味が持てなくなっているのは、そんなところにあるのでしょう。打ち込みを多用した曲作りはおそらくもうしません。ライブにおける、その場限りの緊張感と、メロディにおいてときたま何かが舞い降りるかのような、召還されるかのような感覚は強烈なものです。

と、そんなことを考えていたら昨夜は目が冴えてしまい、よく眠れませんでした。あほでございましょう。

「おふくろさん」騒動

2007-03-12 23:21:51 | 音楽
例の「おふくろさん」をめぐる、森進一と、作詞家の川内康範の騒動です。時事ネタはほとんど眼中にないのですが、この一件だけは、著作権を巡る問題でもありますので、少々興味を惹かれています。JASRACが、のこのこ出てきているところにも興味をそそられています。

作詞家の川内は「おふくろさん」の著作者です。作ったものを勝手に改変されない権利は、”同一性保持権”として著作権のなかでも最も強力な、著作者人格権に含まれる権利です。いっぽう、森は演奏者としての立場にとどまり「おふくろさん」の著作権は持っていません。

しかしながら、それでは森の意思に関係なく川内の承諾を得るだけで、森の唄う「おふくろさん」を流通させることが可能になってしまうので、”著者隣接権”という財産権を中心とした権利を森が持つことになります。著作権として保護されるのは、音楽の場合、作詞家と作曲家だけであり、演奏家/アレンジャー/レコーディングエンジニアなどは含まれないというのが、著作権法のミソです。

今回の事例、杓子定規に著作権法へ照らしてみれば、著作者である川内に分があるようにも思えます。しかしながら、前回レビューした岡本薫の解説書でも分かるように、著作権はあくまで民対民の私権関係です。最終的な判断は司法に委ねるしかないのです。

特に、何十年にも渉って「おふくろさん」を唄い、ファンにも愛され、橋幸夫が言うように「歌は作曲家、編曲家、作詞家、演奏家、歌手、そして多くのスタッフがいて初めて成り立」っている状況の場合、森の言い分にも充分説得力があるように思います。司法も、民事の場合は通例/社会状況というものを考慮しますから、判決がどう転ぶかそれは裁判をしてみなければ分からないといったところではないでしょうか。

でJASRACです。大御所の川内にねじ込まれ、同一性保持権の侵害と認定し、イントロの歌詞をつけたバージョンを放送やコンサートに使用するべからずと放送局などに通達したとのこと。ええと、あなた方にそんなことをする権利はないのではと思うのですが。司法の場で違法と判断されたのならともかく、財産権のみを委託され集金を業務とする協会さんですよね?

なんだかマスコミも、師匠対弟子の内輪もめみたいな報道ばかりで釈然としません。まあ、そのほうが朝のワイドショーで流すには面白いのでしょうが。ただ不文律にとらわれ、なあなあと済ませてきた音楽業界へ(出版業界も同じで、筒井康隆はなんどもエッセイの中で権利関係のあやふやさに激怒していますね)警鐘を鳴らすいい機会だとも思うのですが。

日常些事

2007-03-11 23:13:23 | 雑事
二日酔いの痛む頭を抱えて、アパートで掃除と洗濯をしておりました。明日も東京で仕事、地元群馬には帰れずです。お知り合いがライブをやるって話もあったのですが、行けずに申し訳ありません。

昨日はある大学での研究会に出席してきました。テーマは近現代の諜報/暗号解読史でした。ロシアとの外交史がゆるやかな主題で、マスコミを騒がせた日本のラスプーチンと呼ばれた元外務官僚の方のお話も聞けました。面白かったです。

夜は東浦和の宮内家さんにお邪魔して、音楽とお酒を満喫してまいりました。たいへんお世話になりました。また、よろしくお願いいたします。んー、週末も終わり。明日からまたがんばりましょう。

禁断症状

2007-03-09 23:22:01 | 音楽
出ています、禁断症状。お酒ではありません(やめられません)、煙草でもありません(やめようかな、とは思ってます)、もちろんほにゃららでもありません(とっくにやめました)。

音楽です。気になってブログ見直してみました。今年になって、人前でのライブと言えるのは都合四回。ひっきりなしだった去年十一月は、一週間ぐらいでこなしていた回数ではないでしょうか。ぜーんぜんやってないですね。

手の震え、冷や汗、イライラ感、強迫観念、幻聴、フラッシュバック、などなど。そんな症状は、もちろん出ないのですけれど。しかしながらどんどんと元気がなくなっていきます。疲れ易くなります。心がすぐに折れます。きっとテクニックや音感もなくなっていることでしょう。なにしろ楽器触ってないですから。

明日は、お世話になっている教授の研究会に出席。夕方には終わるはずです。サックスかついで宮内家さんに行ってみようかな、なんて思っています。リハビリのような状態にてたいへん恐縮なのですが、よろしくお願いいたします。