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ガソリン暫定税率継続の是非をめぐって政局と化した国会議論において、自民党はガソリン税の温暖化対策への貢献を思いついたかのように、振りかざしはじめました。出てきました、環境問題。現代社会のキングオブ正論、誰しも温暖化を防ぐという大義名分の前には跪かざるを得ないという意味で、まさにコーランにしてカノン、大日本帝国における大東亜共栄圏八紘一宇の思想ですな。
もちろん、本来的な意味においてはそのとおりだと思います。地球が住めなくなるのは困るし、文字どおり是非もなく是なわけで。でも、でもね、あらゆる反論をあらかじめ封殺するかのような、判断停止に持ち込むようなロジックはとても嫌な感じがします。権力はいくらでもロジックを横滑りさせますから、伝家の宝刀のような思想はまったく危険な気がします。環境問題は、思想であり宗教だと思いますよ。
狂信的エコロジスト集団の反捕鯨活動など、どう考えても常軌を逸しています。あの日本船に乗り込んできた武装集団はどうなったのでしょう。まったく欧米人のやることは訳が分かりません。さんざんぱら鯨油としてクジラを狩ってきたのにね。筒井康隆が言うように、まずは白鯨モビィ・ディックの物語でも発禁にしたほうが良いのではないでしょうか。
企業ステータスとしてのエコロジー。製紙会社の度重なる再生紙偽装は悪質である以上になんだか滑稽です。品質がとても良いモノを、再生紙と偽って売らざるを得ない現況。これ、紙さえろくに買えない国の人々はどう見るんでしょう。なんだかんだ言って、日本は裕福で、ただ単に環境問題に貢献しているという満足感が欲しいだけ、という気もしないでもありません。
クリスマスシーズン。新型LEDは従来型照明よりも電力を九○パーセント抑えられます。いや、だからさ、べつに生きるのに必須ではないのだから、そんな無駄な照明しなければ百パーセント削減でしょうが。なんだか絡んでいるみたいですよね。もちろん、華やかな無駄が人間に必要なのは心より認めます。でもアリバイ作りのようにそんなことを言って、エコロジーに配慮していますよ、というポーズがなんだか気持ち悪いんです。
一方で、京都議定書による排出権取引、金融証券化は環境問題を欲望の対象に置き換えます。CO2排出を抑えればそれを金に換えることができます。逆に、CO2をがつがつと排出したい国(企業)は、金を払えばそれが可能になります。しかもそれが相場のなかで売り買いされるしくみ。マイ買い物袋、マイ箸の地道な作業に比べれば、なんだか言語道断な制度のように思えますが、結局マイ~ブームが企業の仕掛けたキャンペーンに過ぎないとしたら、欲望の経済原則にそれを投げ入れる協定はよく考えられている気もします。
いずれにしろ洞爺湖サミットが近づくにつれ、環境問題はかまびすしく喧伝されるでしょう。正論と操作の二枚舌に踊らされぬよう、注意が必要かもしれません。