音楽月間、六分の五、六分の六

2008-02-28 23:24:08 | 音楽
土曜日は群馬でダイナマイトのライブ。ロカビリーをしてきます。とはいえ、あまりジャンルにこだわらないのが、このバンドの良いところ。ロックンロール、ジャズ、歌謡曲、スカといろんな音楽を演奏します。こういうところが、長続きする秘訣でしょうか。あ、みんな酒好きだというのも、重要ですね。もうバンドに入って、六年ぐらいになるのかな。なかなか忙しく、練習もままなりませんが、長く続けたいです。

日曜日は浦和に戻り、アコギ弾きの人たちとライブです。先週に引き続きMUSEさん、それからボサノバも演奏してきます。ボサノバ、好きなのですよ。あらためてジョビン、ジルベルト聴いていますが、格好いい。最近ますます好きになりつつあります。踊れるサンバ、踊れるタンゴ、踊れるジャズから脱却し、時に先鋭的に実験的に洗練自律させたのが、ジョビンやジルベルトであり、ピアソラであり、パーカーやパウエルなのだと思います。革命家と呼ぶに相応しく、誠に良いです。

しかしながら、土曜日の朝は仕事で神奈川藤沢へ、日曜日の夜は友だちのライブを聴きに東京荻窪へ。過酷な強行軍です。これが済んだら、また少し穏やかな週末を過ごそうかな。本を読んで、篠笛やピアニカの練習をしたい。それよりなにより惰眠をむさぼりたいのです。

『音楽からみた日本人』

2008-02-24 23:24:00 | 書籍
昨日のライブ、MUSEさんありがとうございました。とっても楽しかったです。ソプラノサックス、初お披露目だったのですが、「へえどうして黒いの、うるし?」いやいや、ラッカーです、塗料です。「この管の彫り物は、龍?昇り龍?」いやいや、ちがいますよ。いったいどんなイメージなんすか!と言いながら、実は、そんなサックスとってもいいなあ。どこかに売ってないかなあと、思った次第です。

そんなイメージ、期待を裏切らぬよう、日本伝統音階の文献を読みはじめているわけですが、NHK人間大学の教材『音楽からみた日本人』、小島美子、日本放送協会、1994年、読了しました。薄手で読みやすい本でしたが、入門用には最適でした。日本古代からのフエ、タイコ、コトといった伝統楽器の変遷についても詳しく述べられていますが、なんといっても興味深かったのは音階に関する話です。

日本の音階は、律音階、呂音階、都節音階、民謡音階、それから沖縄音階、アイヌ音階に大別されます。アイヌ音階に関しては、これからの課題と著者は述べていますので、これは筆者自身でも調べなければと思ったのですが、それ以外の音階はいずれも五音からなるペンタトニックです。

雅楽などの宮廷音楽で用いられるのが律音階(通常のメジャーペンタをソから始めた形。ソラドレミ=ドレファソラ)。そこから派生したのが呂音階(いわゆるメジャーペンタ=ドレミソラ)。さらに律音階に哀愁味が出るよう江戸の人々が一部半音下げに変容させたのが都節音階(ソラ♭ドレミ♭=ミファラシド=ドレ♭ファソラ♭)。一方、まったく別の系統を持つのが民謡音階(いわゆるマイナーペンタ=ラドレミソ=ドミ♭ファソシ♭)で、その名のとおり民謡で多用されます。本土とは違う非常に特徴的な沖縄音階はドミファソシです。

手近に楽器のある方は、上記のスケールを上昇下降してみてください。それだけで、おお、雅楽であり、民謡であり、沖縄ではないですか、驚きますよ(ちなみに酔っぱらいに馴染み深い、呂律(ろれつ)がまわらないという言い回しは、上記の呂音階から来ています。こういったことばの保存能力もまたすごいです)。さて、チンドンを始めてからのスケールの問題、上記の各音階を敷衍してみたところ、無事解決いたしました。

課題曲は「竹に雀(タケス)」、譜面上ではキー指定の半音の表示はありませんから、キーCです。しかしながら、ソの音が全く現れません。ここから以前筆者は、キーDでのミシ半音下げのブルーススケール(あるいはドリアンスケール)?と推測したわけですが、まだ甘かったです。もう一点、気になりながらどうにも分からなかったのが、四、八~小節目の一応終止と思われる音が、ミであったことです。

ミで終止?再度、上記の音階を見てみると、そう都節のミファラシドです!。ソももちろん出てきません。都節には含まれないレの音ですが、あらためて譜面をよく見てみると、たしかにレの音の頻度は少ないのです。つまり「タケス」は都節音階の曲なのでした。江戸で華開く歌舞伎の、その下座音楽である「タケス」の出自にも良くマッチした解釈と言えると思います。

一件落着良かった良かった、というところですが、そこで問題。これにコードを付けるとなると、いったいどうすれば良いのでしょう。日本伝統音階各種は、ド始まりではなくソやファから音階が開始されています。西洋音階に慣れた者として便宜上=でドから始まる音階も書きましたが、どうも和音階の演奏者はドで終止するというような感覚は持っていないようなのです。

音楽の裾野は広く、知れば知るほど決まり事が決まり事でないのだと気づきます。むむ、まだまだ考えねばなりません。

音楽月間、六分の四

2008-02-22 23:31:17 | 音楽
明日は川口のショッピングセンターで演奏です。二週続けてしまむらさんにお世話になるわけですね。MUSEさんとの共演はお初、よろしくお願いします。演奏曲のオリジナルワルツは聴いたことがないので「マイ・フェイバリット・シングス」や「天然の美」を聴いていますが、役に立つのかならんのか。ほとんどぶっつけ、がんばります。

来週日曜は、ボサノバ/サンバユニットの人たちと「イパネマの娘」をやることになりまして、譜面が見当たらないので取り急ぎ耳コピしました。「イパネマ」まさにボサノバの代表曲、憶えておくべきでしょう。その前日の土曜はロカビリーバンドのライブが入っています。普通の呑み屋さんでやるらしく、ウケを狙っての「マイムマイム」の要請が入りました。この曲、調べたらイスラエル民謡なのですね。

ユダヤの曲には、実はとても興味が湧いてきたところなのです。クレズマー、という音楽は、ほとんど知られていないかもしれませんが、ユダヤの人々とくにイディッシュと呼ばれる東欧系の人々に伝わった民謡の流れを汲む音楽スタイルです。ロマ(ジプシー)音楽に近いです。ジョン・ゾーンを通じてなんとなく知ってはいたのですが、このまえクレズマティックスを聴いて、しびれてしまいました。さらに一層トラディショナルなクレズマーは、チンドンとの共通性も多くあるらしく、これはぜひ探してみたいです。

なんだかずいぶん世界中の人々の音楽にはまっていますが、ここ十年弱も演奏しているロカビリーも、そもそもはカントリー/ブルーグラスに近いヒルビリーが母体となっていまして、アイリッシュ/スコッチ民謡の影響を色濃く残していました。時は下りパンクロック以降、ロカビリーの多くがネオロカやサイコビリーといった具合にロック色を強める一方、その揺り返しのように、バンジョーやアコーディオン、フィドルといったアコースティック楽器を取り込んだらラスティックと呼ばれる演奏もロカのなかに現れます。

なんだかこう考えるとすべての音楽は同じだという気もしてきます。ぜんぶおんなじ、あるのは、ただ、”音楽”、だけ。


『コトバの謎解き ソシュール入門』

2008-02-20 23:50:06 | 書籍
町田健、光文社新書、2003年。スイスの言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールは、言語学にラング/パロール、共時性/通時性、能記/所記といった座標軸を持ち込むことによって、ことばの持つ本質、線形性や恣意性といった特徴を浮き彫りにし、現代言語学の方法論を確立した学者です。

大学で言語学の教鞭をとる著者が、ソシュールの時代の花形であった比較言語学から彼がいかに決別し、言語学に留まらず”構造”概念をもって、文化人類学、精神分析、文学、哲学に影響を及ぼすに至ったか、あるいはその学説の現代においても褪せない射程を論じます。

かつて日本にあったらしいニューアカなるブームの折りに盛んにもてはやされたのがソシュールです。それにさえ遅れてしまった筆者にとっては、文学への関心からミシェル・フーコーやロラン・バルトの著作や解説を読むなかでの出会いでした。ソシュールの後継者を任じる者たちは、かなり牽強付会に”構造”を振りかざしているきらいがあります。

しかしながら、ことばとはなにか、の問いを非常に切実に今も感じ続けている筆者にとって、あるいは世界はことばによって記号化され続けることで知覚されうるのかもしれない、見聞き手に触れる世界は、しかしことばであり記号にしかすぎないのかもしれない、その認識の出発点となるソシュールは著者の言うように今も不滅です。

『知覚の扉』の世界観である、ありのままの「もの」の世界(ジャンキーと精神分裂病者の世界)は、ことばの網の目がほつれ破れてしまった世界かもしれません。あるいは、さきの知里真志保にとっては、文化や社会を含む世界を完膚なきまでに叩きのめす兵器であり、西欧世界から持ち込まれる病原菌のようにひとつの歴史を抹殺するのが、ことばであるのかもしれません。

まともなことば、正論、政治家の演説、体制の発表、良識。ありきたりの安っぽいことば、商業主義な文章、宣伝文句、紋切り型。読む者聴く者におもねったことば、お涙頂戴の惹句、あまりにあまりにあまりに浅い詩。あれこれあれこれ。それらをずらし、ことばをもってことばに挑むのが文学であり、ひとあし飛びにことばを乗り越えようと指向するのが音楽であるかと、そのように思う次第です。

ハーモニカ、ピアニカ、篠笛、ムックリ、サックス

2008-02-18 11:56:21 | 音楽
暇があれば楽器屋をぶらぶらするのが好きです。これ古本屋を漁るのに似ていると思うんです。いっぽう、CD/レコード屋もよく行きますが、こちらは新品でも中古でも新刊書店を歩く風情です。完全に受容な気分というか。へえ、こんなんあるんだみたいな気分。どこかの書評でちらと見た作者のもの買ってみたり、気まぐれにジャケで買ったり。

楽器と同じように、古本にも何かしら想像力を刺激する部分があるのでしょうか。どちらも、どこか、断片にすぎなくて、紡ぎ合わさなければという気になります。そんな生活のなか、楽器屋で入手した笛たち、想像力の断片が写真です。いずれも高くとも数千円ですが、思い入れがあります。

鍵盤の上に見えるのはハーモニカ。とっても良くご存知のことと思います。これはこれで実に驚くほどに深い楽器です。ブルースやフォークでは必須のアイテム。通常ひとつの楽器でひとつのキーに対応するように設計されていますが、特にブルースでは独特のブルーノートと呼ばれる半音低いを出すために、息を吸い込む強さと角度を調節し、規格外の音を出すような奏法も多用されます。前は出来たけど、最近やってないな、またチャレンジしてみよっと。

鍵盤は、言わずと知れたピアニカ。ちなみにピアニカはYAMAHAの商標で、鈴木楽器が作ったものはメロディオンと呼ばれ、通常は鍵盤ハーモニカと呼ばれるべきでしょう。アコーディオンやバンドネオン(さらにハーモニカ)と同じ発音原理で、独特の音色があります。ハーモニカと違い各キーへ移調が可能ですが、ベンドができません。しかしオルガンでは不可能な吐息の強弱による劇的なダイナミクスで、音色に彩りを添えることが可能です。タンゴや、あるいはとてもゆるいオーセンティックスカのような曲にマッチします。

鍵盤の下には、篠笛。お囃子で有名なぴーひゃらら。基本的な発音方法はフルートとほぼ同じで、すぐに吹けました。しかし独特の調子があって、ギターやピアノといった西洋音階楽器と共演するには工夫が必要。それに特化した篠笛もあるらしく、どこかで探してこようかと思っています。フルートやサックスで用いられるフラッタータンギングなどもろもろの特殊奏法も応用できますが、伝統的な奏法ではどうやら通常のタンギングは用いられないようです。”打ち”はね”といった方法で音を切るわけですが、これ良く聴くとバンドネオンの奏法とよく似ています、深いです。

最後に、鍵盤に乗っているのは、ムックリ。アイヌの伝統楽器です。あんまり馴染みはないかもしれませんが、同原理の口琴という名称ではアジア地域を中心に広く見られる楽器です。これは笛とは呼べないかもしれません。竹に結わえられたひもを引くことで、楽器本体のリードを振動させ、それを口に添えることで反響させるとともに、口のひらき方や吐息で音程音色を変化させます。いや、難しいんですよ、これ。なかなかうまくきれいな音が出ません。

えーとこれにサックス(と今は売り払ってしまったフルート)を加えれば、筆者の笛コレクションは完了です。サックスも言ってみれば笛の一種です。ラッパと呼ばれる一群は、トランペットやトロンボーン、ホルンなど金管楽器を指します。しかしサックス、フルート、クラリネットといったところは材質に関わらず、リード(とエア・リード)と呼ばれる振動体をふるわすことが音の元になります。いかにも笛な、リコーダーと発音原理は全く同じなわけです。

音楽月間、六分の三

2008-02-16 23:56:56 | 音楽
ようやく明日は音楽月間の折り返し地点。太田ショッピングセンターのホールで演奏してきます。寒風吹きすさぶなかではありますが、沖縄っぽい雰囲気を出せたらいいな、なんて思っています。先ほどまで、練習してました。

先週、先々週は初顔合わせでしたが、今回のらふてぃ-ずさんとの演奏は、もう五六回目かな。そういった意味では安心ですが、でも油断が落とし穴になりかねませぬ。しゃんと気を締めやろうかね。「紺地(くんじ)染(す)みわらん、浅地(あさじ)染(す)みわらん、人(ひとぅ)ぬままどぅやゆる、海や白地(しるじ)」(ファムレウタ/パーシャクラブより)。

『恋するために生まれた』

2008-02-14 11:59:58 | 書籍
江國香織、辻仁成、幻冬社、2001年。一転、恋愛ものです。しかし、小説ではなく往復書簡集。江國香織は小説やエッセイのたおやかな文体で多くの女性の支持を得る女流作家。辻仁成は以前に紹介したことがあります。元エコーズのボーカリストで「zoo」などをヒットさせ、その後作家に転身。女優南果歩と一緒になりますが、やがて離婚、中山美穂と再婚します。この本は、辻が南と別れてすぐに書かれたらしく、辻の発言は少し泣き言めいています。

江國と辻は、この本の前に『冷静と情熱のあいだ』という恋愛小説を共同執筆しています。そのまあ、後日譚というか、恋と愛にまつわる二人の考えが、ときに同調しときに反発しながら、語られます。男である筆者にとってやはり興味深いのは、江國の考え方かな。「仕事をする、掃除をすることさえも、「あの人の女だ」という自覚があると、何でもきちんとやりたいって思うんです」「男の人たちに言いたい。好きな人がいることで生まれる「誰かの女だという自覚」で、しっかりしたり、きちんとやろうと思ったり、きれいでいたいって思ったりする女性は多い」

あの人の男だから、きちんと仕事しよう、という考え方、あまり男はしないように思います。辻も「すごい!」などと言っていますが、いっぽう辻の話は男から見ればなんだかいやらしく感じる部分も多くあって、だいたい音楽やってて小説も書いてなどという男は、自己顕示欲にあふれながら自意識過剰でもあり、とても嫌なやつだと思うのですが、なぜそう思うのかと言えば、まさに筆者がそうであって、まだ辻は食えているからいいけど、金にもならないくせにそんなものに身をやつす男は、これはもう救いがないと思ったりもするのですが、それはさておき。

しかし先日の結婚式、血を分けた兄弟の式であったこともあって、なんだか家族や親戚といったものも良いなと思ったりしたのでした。無頼だパンクだダダだ、というのも良いですが、なかなか独り歩み続けるのもつらいものです。泣き言めいても甘えながらもぬるま湯めいていてもさえ、好きな人と手を繋ぐことは素晴らしい。人は「恋するために生まれ」ているのかもしれません。バレンタインデーぽいレビューでしたね。

『知里真志保の生涯』

2008-02-12 11:59:17 | 書籍
藤本英夫、新潮選書、1982年。先週末はけっこう移動時間があったので、たくさん本を読めました。まずは、アイヌの英才、知里真志保の民族と時代に翻弄された人生です。再勉強と思い『知里真志保著作集』(全六巻、平凡社)を読みはじめていますが、そちらは考えながらなので、もう少し時間がかかりそうです。そこで『生涯』。再読ですが、若い頃の読みとは違った感想を抱きました。

アイヌは明治初期まで、和人(シャモ)と抗争交流を重ねながら、しかし北海道=アイヌモシリで独立した社会と文化を保持していました。が、明治維新以降の北海道への移民の増加、さらにロシアとの緊張が高まるにつれ領土政策上北海道を重視した日本政府の思惑から、アイヌ民族は日本人であるとの方針を日本は取るようになります。遅れた文化を持つアイヌ民族の水準を引き上げ保護するという名目で旧土人保護法を発布、アイヌの土地を奪い、文化を抹殺し、農業や日本語を押し付ける同化政策を推進します。

真志保は同化政策が押し進められる最中の明治四ニ年に生まれます。宣教師バチラーの教えを受けキリスト者であった母と、才に長け和人と同等に渡り合い和風な暮らしを好んだ父、そしてアイヌ最大の叙事詩人(ユーカラクル)と呼ばれた祖母モナシノウクとその才能を継ぐ叔母金成マツに育てられた姉、幸恵。家族のなかに異なる文化が同居するなか真志保は非凡な才能を開花させます。

こんな出自は、マイルス・デイヴィスを彷彿とさせます。マイルスも貧困に喘ぐ黒人が多数を占めるなか、父は歯科医、母は音楽教師という例外的に裕福な家庭に育ちました。今だからの感想というのはここらへんです。ブルース、さらにジャズのプレイヤーには差別への強力な抵抗と、そしてとても高い黒人意識を持っている人がたくさんいます。ジョン・コルトレーンやローランド・カーク、もちろんマイルスも裕福な出自と黒人であることの狭間で引き裂かれながら最高の音楽を目指したのでしょう。

真志保も和人からのひどい差別に苦しみ抜きます。一方で、その才能に惚れた金田一京助や渋沢敬三の協力を得て、一高から東京帝国大学へと進学。やがて教師から研究生活に入り、樺太でアイヌ文化の比較研究に励み、またアイヌ伝承の収集や音声映像の記録、さらにライフワークとも言えるアイヌ語辞典を次々上梓します。

と同時に、同僚アイヌ研究者へほとんど怒りに狂った反論の文章をしたためたり、恩師である金田一へ手加減のない攻撃を加えたり、その研究の背景には差別への強力な怨嗟が存在しているようにも思えます。それは突然演奏をストップし客である白人に長々と説教を始めるジャズプレイヤーに似ます。三人の和人を妻にめとり「シャモの女を征服するんだ」と話す真志保は、またチャーリー・パーカーにも重なります。

筆者は日本人です。シャモです。おそらく人種的な被差別の感覚は味わえないでしょう。嘲りのなかで育ち、これからも生きていかなければならない者の気持ちは本当には分かりません。その日本人が黒人に出自を持つ音楽を演奏し、またアイヌの物語を読む。そのことにどのような意味があるのでしょうか。

ブルース、カッコいい、演奏する。構わないですが、ブライアン・ジョーンズはおそらく、その意味を真剣に悩んだような気がします。

九州にて

2008-02-10 23:40:52 | 雑事
はい、酔い酔いです。昨日の演奏、ピアノの方の譜面が風で飛ばされたりとアクシデントはありましたが、なんとか無事に終えました。とっても楽しかったです。

ここ三日、博多、湯布院、別府とひたすら呑みまくりです。呑み疲れております。では、また。

音楽月間、六分の二

2008-02-08 16:50:22 | 音楽
明日は、ピアノの人と結婚式でジャズを演奏します。実はピアノと共演するのは初なのです。なんだか、わくわくします。いちおうテーマは身体に叩き込みましたが、さてどうなることか。今日このあと、ピアノ弾きの方と初顔あわせ、そして練習です。

あんまりストレートで王道なジャズは好きではありません。ビル・エヴァンスのピアノもすごいなあとは思いますが、すぐに眠くなってしまいます。ロック育ちで、その後もジャケーやカークばかり聴いているせいでしょう。

でも、パーカーのやたら激しい初期ビ・バップや、ボサノバやワルツみたいな変わったジャズは格好いいなあと思います。マイ・フェイバリット・シングス良いですね。興味のある曲は少しずつでも覚えて、レパートリーを増やしたいと思います。

さて、お気づきかもしれませんが、音楽月間の分母が増えました。もうこれで、予定の入り込む余地は全くありません。蟻の入り込む隙もないです。二月三週目は川口でアコギの方と、ワルツなどやる予定です。

いままでになく忙しいうえ、やたらプレッシャーかかると思ったら、六本のライブすべて初めての場所、知らない人の前での演奏でした。しかも半分の三本は、共演の方も初めてです。アレンジから考えなければならない曲も多く、こりゃ忙しいわけだ。

街中の活字

2008-02-06 23:00:18 | 雑事
ある地下鉄駅で見かけた、お知らせ(写真参照)。「エレベーターエスカレーター 1月の点検日のお知らせ 1月10日(木)エスカレーターエレベーター 1月14日(月)さちこバースデー 1月30日(水)エスカレーターエレベーター 点検中、ご不便をおかけしておりますことをお詫びいたします」。あ、おめでとうございます。

「不発弾処理のお知らせ 避難区域内の皆さんへ 不発弾の処理が決定したことから、避難区域内にお住まいの皆さんは、当日午前8時30分から作業終了までの間、区域外に避難していただくことになります。なお、不発弾処理作業の当日(処理中)は、現場から半径約300mの区域内に人及び車両が一切立入・通行禁止となります。 市の職員が避難区域内の世帯を訪問します 避難所を設置します」

こんなチラシがポストに入っていました。へえ、前の大戦の爪痕でしょうか。区域には、筆者の自宅はもちろん、消防署、警察署、さらに国道も含まれております。全面通行止めにするのかな。せっかくだから避難所にも行ってみたかったのですが、当日はライブでした。残念。


チンドン体験記

2008-02-04 11:58:40 | 音楽
日曜日、某百貨店の物産展でチンドン興行に加わってまいりました。さて、謎につつまれたチンドン、その実態とは。通常、チンドン興行はその楽器編成において、次の三種に大別できます。

「チンドン太鼓」は鉦と太鼓の組み合わされた言ってみれば携帯用ドラムセット(スネア+シンバルか)。チキチンという鉦とドンという太鼓の音が、”チンドン”の語源だとされています。カサなどの装飾、宣伝文句や屋号の書かれた札が掲げられるなど、文字どおりチンドン太鼓はチンドン屋の花形と言えます。リズムは非常に細かく、楽士の奏でる曲に、合の手的なリズムが加えられたり、かなり即興的な演奏を繰り広げます。

「ゴロス」とは大太鼓、バスドラの役目を果たします。一定のリズムを刻み、通常ベースがいないチンドンでは、ボトムを支える役目をひとり担っていると思われます。二本のスティックで叩くわけですが、左右違うものを用いていました。右手はティンパニを叩くようなバチ、左手は通常のドラムスティック、左右を叩き分けることででリズムを作り出していると思われます。

「楽士」通常、クラリネット、サックス、トランペットなどで構成され、メロディーを担います。筆者はサックスですので、これですね。膨大なレパートリーを演奏するため、楽器には譜面挟みが取り付けられ、それを参照しながら演奏します。数人楽士がいる場合でも、ユニゾンで演奏されることが多いようです。しかしながら演奏の自由度は高く、即興的なハモリ、コール・アンド・レスポンスが元の曲調を失わない範囲で展開されます。

最低限、以上三種のパートを担う奏者がいれば、チンドンが成立するわけですが、状況により人数は増えます。先日の演奏では、チンドン数名、楽士も座長のソプラノサックスとテナーサックスが二本という編成でした。また、口上を述べるクラウン(ピエロ)も隊列に加わり、賑やかな興行となりました。

実際の演奏ですが、今回は外が大雪ということもあって(朝起床した筆者は、まるで吉良邸討ち入りの浪士か、ニ・ニ六事件に挑む青年将校のような気持ちになりました。閑話休題)、百貨店内のみでの演奏に限られました。隊列を組み、開店時には入り口で演奏、そこから演奏を続けながら物産展会場へ。しばし立ち止まり曲を披露することもありますが、基本練り歩いておりました。一回の興行は三十分から一時間弱といったところでしょうか。

演奏曲は、昭和歌謡以降、現代までのアニメソング/ヒット曲と幅広く網羅しています。が、最も興味深いのは歌舞伎下座音楽発祥の「竹に雀(タケス)」や「四丁目」、さらに「千鳥」「天然の美」、群馬ならではの「八木節」といった伝統曲でしょう。各曲のスケールについても考えてみましたが、これどのように解釈したらよいのでしょう。(サックスで)キーC、しかしGの音が除外されています。ソが除かれるスケールは考えにくいので、実はキーDで、ミとシがフラットされたブルーノートスケールと考えるべきなのでしょうか。情報求めます。

伝説のロックバンドじゃがたらのサックス吹き篠田昌己が夢中になったのも、なんとなく分かります。純音楽的な楽理な側面、古典芸能から派生した扮装など、まだまだ興味は尽きません。これは、関連文献を漁らねばなりませぬ。


音楽月間、五分の一

2008-02-02 18:15:38 | 音楽
さて、いよいよ明日チンドン本番です。楽器屋で、サックスに取り付ける楽譜挟みも入手し(取り寄せ二週間もかかりました)、いざセットしようとしたら、うまく嵌らず金ヤスリで削ってと、なんだかとても苦労しました。

今日はこれから練習。なにはともあれ、バンドでライブや、アコギ弾きとセッションとは、また違った演奏方法を求められそう。扮装も楽しみです。がんばります。