THE ENDLESS TALKING。細野晴臣、北中正和編、平凡社ライブラリー、2005年。細野晴臣、もちろんご存知の方はご存知だと思います。まずは大瀧詠一、松本隆らと、はっぴぃえんどを結成。フォーク畑のなか、日本語とアメリカ的なロック音楽の融合を試みます。この頃の細野の発言として興味深いのは、リズム・アンド・ブルースへの執着でしょうか。狭山のアメリカ村で作られたアルバムの、ファンクへの接近など、黒人音楽が彼の出発点にあったことが窺えます。
その後のソロ活動では、ロック、ニューオリンズ、アジア歌謡、沖縄、ラテン、などの要素を詰め込んだごった煮的で豊穣なアルバムを制作。いっぽうでテクノポリス東京に生きる者の感覚も注ぎ込まれます。それが助走になったのでしょうか、坂本龍一、高橋幸宏とYMOを結成。海外での大きな反響、影響力を獲得し、日本でもポップスターとしての地位を揺るぎないものにします。ところで、多分そうなんだろうなと思っていましたが、先走る人気、ファンの狂騒、マスコミの熱狂にいつしか疲れ果て、皮肉にYMOを演じつつもやがて散開。
解散といわずに散開としたのも、会社サイド、マネジメント側との関係が絡んでいるようです。ソロ活動再開後、イーノのようなアンビエント音楽に傾倒したり、アラブの音楽に没頭したり、いっぽうではっぴぃえんどで日本語の実験をしていた頃のような日本へのこだわり、日本伝統音階への回帰がみられたりと、多彩で多面的な音楽を生み出しています。江差追分という民謡から、三味線、能、などへと言及が進んでいく終章は筆者の関心領域とも重なりとても興味を惹かれました。
音楽マニアとしての細野晴臣は、まったく常人の追随を許しません。音楽のことをまったく知らずに音楽をすることは可能でしょう。歴史についても、世界についても、理論についても。しかし少なくとも自分がどこに立っているのかは、知る必要があるように思います。羅針盤も持たない航海は闇雲で健気ですが、冒険にはなりえません。筆者にとって耳そば立てられるような音楽は、苦しくも着実な新しい一歩を感じさせてくれる音楽です。そのような意味で細野は、現代日本においてとても突出した傑物です。