『世紀末の隣人』

2007-10-09 23:28:53 | 書籍
今日も本を紹介します。重松清著、講談社文庫、2003年。著者は、出版編集者を経た後、フリーライターとして活躍。雑誌記者、ゴーストライターなど、裏方的な仕事を多数こなします。やがて、少年たちの闇の世界を描いた小説『エイジ』で文学賞を受賞。現代社会にコミットメントする作家です。

このルポルタージュ集、書き手はみずからを”読み物作家”と位置づけ、第一線を走るルポライターとしてではなく、世紀末に起こった事件の現場に、それこそ騒ぎが静まった頃に訪れ<蛇足><寄り道>を付け加えたと、まえがきで述べています。

しかし、その<蛇足>のつけ方がふるっています。池袋の繁華街、包丁とハンマーで十人を襲い二人を殺害した通り魔青年に引きつけて語られるのは、中上健次の『十九歳の地図』。テレビ中継が衝撃だったバスジャック事件の犯人の少年には、大江健三郎の『セヴンティーン』。そして、新潟の少女監禁事件に対応するのは坂口安吾『桜の森の満開の下』ときた。

一九六四年生まれのブッキッシュな著者の、しかし世紀末の日本を見つめる目はイロニーに満ちています。犯人の内面に生起したことは、不可避的に犯人自身にしか分からない。裁くことを職業とする裁判官にも、想像力を職業とする作家にも、伺い知ることができないのが、犯人の心であり、他者の心です。かろうじて注釈を付け足すのが関の山でしょう。

同じ世紀末の少年犯罪、山口の母子殺害事件が思い出されます。最近のまるでナンセンスな精神分析とサブカルチャーをごった煮にしたような犯人の弁明は、弁護団の入れ知恵なのか否かは別にして、あきれかえるばかりです。あえて言うなら筆者のくだらん小説よりもさらに数倍低俗です。

少年の更生の可能性、あるいは精神鑑定による責任能力の有無、これらは人を裁くうえで考慮に含められるべきことなのでしょうか。いや、そもそもはたしてそれらを見極めること自体が他者に可能なのでしょうか。筆者は懐疑的です。ですから、行われたことに対しては冷徹な処罰を求めます。

Look if you like, but you will have to leap.

2007-10-08 21:28:48 | 雑事
さて、金土とあたふたあっちへこっちへ東へ西へ移動ざんまいだった分、日曜は煙草を買いにふらっと歩いた以外は、部屋にこもっておりました。今週末のライブに向けての、フレーズもほぼ暗記して、シンセサックスのセッティングや二本吹きの練習などてろてろしておりました。

あとは人智を尽くして天命を待つ、ですな。このところ、いろいろ考えていた点についても、まあ、自分のなかで落としどころが見つかりそうな気配です。ちょっとは思い悩みましたが、いたしかたないところ。

って、あれ?、なんだか心がからっぽな気分です。でもね、まだまだスケジュールは詰まってます。自分に何ができるか、至らなくともベストは常に尽くしたいと思っています。

山あいの神々とアンダーグラウンド・ヘブン

2007-10-07 22:30:54 | 音楽
昨日、昼間は栃木の登ったほうで、屋外音楽イベントでした。四方を山に囲まれたステージ、出番は陽が落ちてからでした。最小限の照明に照らされたステージ。リハもない出番。舞台にあがり、試しに一声啼いてみると、音がまわります。??、近場のマイクのスイッチが入っているのかと、かりかり触ってみますが、切れている様子。マイクからリヴァーブに行っている訳ではなさそうです。

演奏が始まり、ソロの順がまわってきてサックス持ち上げ気味に大きくブロウ。舞台や客席の遥か上、遠くの暗闇に目が行きました。気づきました。周囲の山々に反響しているのです。木霊が返ってきているのです。サックスがいななけば、山の精霊たちもいなないてくれるのでした。すごい。これはすごい。メンバーの音も、もちろん聞いていましたが、いっときステージにいることも忘れて、山の声に聞き入ってしまったのも事実です。

国などというものが存在する遥か以前、集落での音楽はきっと同じような、自然との交信の方法だったのかもしれません。テレビや本で喧伝される大安売り薄利多売のスピリチュアルなぞくそくらえ。なんだか、こっそり独りでまたあそこに行って、サックス吹きたい気分です。貴重な体験をさせてくださったマスターや皆さんありがとうございました。

さて、その夜。足利の地下の天国で、イベントの打ち上げ兼セッション大会がありました。ソプラノサックスで本当に素晴らしい方々と演奏。これまた、とても楽しい時間でした。前日からの打ち合わせ、練習、お酒、語りと、夢中にすごした二日間だけに最後はなかば落ちていましたが、とても楽しかったです。

『幻獣辞典』

2007-10-04 22:51:48 | 書籍
ひさびさに書評です。いつのまにか、このブログのカテゴリー”音楽”が”本”を大きく突き放してしまっています。ぼちぼちと読み続けてはいたのですが、現代文学ばかりでとても要約できるような内容ではないし、で、サボっておりました。しかしながら、読書の秋。気分一新。本を紹介します。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス/マルガリータ・ゲレロ著、柳瀬尚紀訳、晶文社、1998年(原著1967年)。南米はアルゼンチンの前衛作家、J.L.ボルヘスのアンソロジー/エッセイです。しかも翻訳は、人類史上最大の奇書J.ジョイス『フィネガンズ・ウェイク』を奇想天外な手法で、それ故まさに正統的とも言える方法にて訳出した、柳瀬尚紀による仕事です。

古今東西、あらゆる地域、あらゆる時代の書物に登場する架空の生き物たちを、国立図書館長でもあるボルヘスが迷路のような図書館内を猟歩し、中世ラテン語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語などから訳して、まとめたものです。

登場する幻獣は、ヨーロッパから中東、中国、アメリカ、日本の八岐大蛇まで多種多様。時代も、古代文明より語り継がれた由緒正しきものから、二十世紀を生きたカフカの物語から抜粋したものまで。いかに人類の想像力が、あらゆる地域で、いかに長きにわたり飛翔し続けたかが分かります。

「それは一見、平たい星形の糸巻きのようにみえ、そして実際、糸が巻きついているようなのだ」「これは屋根裏部屋、階段、廊下、玄関などにかわるがわる潜んでいる」「部屋を出ると、ちょうど下の階段の手すりに寄りかかっていることもよくあって、そんなときには話しかけてやりたくなる」「ーやあ、なんていう名?ときいてみる。ーオドラデク、と彼が答える。ーで、どこに住んでるの?ー決まったところなんてないさ」   ーフランツ・カフカ「家長の心配」

カフカの世界はグロテスクとされたり、批評理論や哲学にまみれてクソ真面目に語られたりしますが、ほんとうは吉田戦車のお花畑に例えられるような、そんな世界ではなかろうかと思ったりするのですが、いかがでしょうか。

あこない

2007-10-02 23:19:10 | 音楽
日曜日は足利にて恒例のあこないでした。らふてぃーずさんにソプラノサックスで参加。BEGINなどの沖縄系の音楽をやるのですが、楽しかったな。特にラスト、テンポの良い楽曲に沖縄音階で挑みました。レラ抜きで演奏しながら、なぜか筆者の頭のなかにはニューオリンズジャズも流れていました。

民族系の音楽は、どこかで繋がります。それは太古の昔から人の心に宿る何か、なのでしょうか。音楽は不思議です。らふてぃいーずさん、またぜひよろしくお願いいたします。いかさんとの演奏もありました。テナーでぶりぶりと、ピアニカで素朴に、演奏しました。のびのびとやらせていただき、本当にありがとうございました。

金曜日のバンド練習に向け、明日かあさってあたり荒川に行ってサックス吹いてこようかな。週末以来触っていないし、拾った音で実際に吹いてみたい気もします。さすがにアパートで吹いたら、てきめん追い出されますので。

蚊はもういないでしょうか。サックス買ってすぐの頃は、メシも食わず連日利根川に行って吹いていたのですが、もう足を刺されまくって大変でした。ろくに吹けもしないのにバンドに入ってしまったもんですから。必死でした。でも良い記憶だな。

あれこれやれやれ

2007-10-01 23:51:41 | 雑事
バンド二つの耳コピ、いちおう片付きました(写真)。音さえ取れれば、このメモを見ながら対応できます。一番の問題は、これを憶えなければならないこと。ロックだからステージに譜面立て持ち込むわけにいきませんもんね。もちろん、AだのBだのでは憶えられませんから、ヘビーローテで耳と、集中しながらサックス吹いて身体に、染み込ませるわけです。

やっと涼しくなったなあ、なんて思っていたら、突然寒いです。冗談じゃないです。暖房入れちゃいました。年々、気象の異常さが激しさを増すようです。年々、暑さ寒さがこたえる身体に、こちらもなってるわけですから、体感は自乗レベルです。

何度かここでも取り上げているサックス二本吹き、人前での披露はしばらく自重することにいたしました。不慣れから勝手に出やがる不協和音は、ちょっと我慢がなりません。もちろん、狙い澄ました不協和は望むところなのですが。こつこつ独りサックス二本、コントロールの修練に励む所存であります。

年末年度末の予算消化に向けて、お仕事も忙しくなってまいりました。なんど通い詰めても、冷たくあしらわれていたところから「今年は買えそうです。パンフ送ってください」と突然声をかけられたりして、これは嬉しい。向こうも向こうで、来てもらっても予算上どうにもならなくて、常々申し訳なく思っていたようです。いえい。

昨夜は埼玉のアパートへ行かねばならぬため、ライブ中も禁酒でした。アパートに辿り着き、缶ビール開けたのですが、呑み終わらぬうちにコトリと寝入りました。さて、今朝の調子の良いこと。筆者の疲労のおよそ八割はアルコール分によって構成されているはずだと、確信するに至った次第です。いつのまにか我が肝臓へのいたわりも、なしくずしになっている現状は、よろしくないです。