台風が接近中、風がどんどん強くなる。畑を見回り、軒下の物干し竿やプランターを仕舞う。準備万端整えて台風を待っていると必ず逸れる。一種のおまじないのようなものだ。まさかそのせいではないのだが、ここ10年以上も台風の進路が微妙に逸れて、大きな被害に見舞われたことがない。ほんのひと山超えた先が大雨に見舞われているのに、ここは無事なのだ。この先いつまでもラッキーなことは続かないだろうが、今度もおまじないをきちんとして、台風に備えよう。
亡くなった母の姉にあたる伯母は母とはひと回り、私とは三回り違う申年生まれで、秋のお彼岸がくる頃には九八歳になる。ずっと昔、私が二四歳の時だった。この年は何百年に一度の申年にあたり、申年の娘が母親に赤いパンツを買ってあげると、元気で長生きするといういわれがあった。おかげで母親にパンツを買わされ、ついでに子供のいない伯母の分も強制的に買わされた。
その時のパンツが効いたのか、伯母は未だに元気で酒屋の店番の傍ら畑仕事をしている。お金の計算は五つ玉のそろばんでパチパチと済ませ、畑には草が一本も無い。歯も一本も無いが代わりに歯ぐきで物を噛み、塩サバに塩をかけて食べるという強者である。たまに風邪をひいても昼間は蒲団で寝ずに、座椅子に座って俯いて病を克服するという、医者知らずの元気ものだ。
そんな伯母が「腰が痛い」と言い出したのは二月前だった。さすがに痛かったのだろう、初めて医者に行った。お尻を出して座薬を入れるのや、汚れた洗濯物。近くの生家には義妹や甥夫婦もいるのだが、「こんなこと頼めるのはアンタしかいない」と初めて私にSOSが来た。
腰の方はすぐに治ったが、今度は座骨神経痛が出て座っていられなくなり、ついに蒲団に寝るようになった。それでも痛い足をかばうように、トイレには這っていく。ちょうど赤ちゃんが歩きだす前にする高這いと同じ格好で、お尻を高く上げて四つん這いなって這うのだ。初めて子供がハイハイをした時にはとても嬉しかったが、伯母の這う姿を見た時にはなんだか切なかった。
それから二月あまり経つが、足はちっともよくならない。あまりに高齢で医者も打つ手がないのだという。それでも彼女はめげない。いつものように這うのだが、だんだんとスピードアップしている。酒屋にお客さんが来ると、這って出て商売をする。その上この頃では偏屈なことを言うようになった。
私がホウ酸で作ったゴキブリ団子を家のあちこちに置いた所、しばらくしてゴキブリの死骸があちこちで見られるようになった。それを見た伯母は、ゴキブリは見つけ次第踏み殺し、出てきそうな引き出しは全部日に当てて日光消毒していたと、さも迷惑そうに言うのだ。ゴキブリ団子が効いたのだから、素直に喜べばいいのに。
母もよく私が何かしたり買ってあげたりすると、いつも迷惑そうに偏屈な事ばかり言っていた。たぶん私に無駄使いをさせまいとして言っていたのだろうが、そう言われると腹が立ちよくケンカになっていた。伯母のそんな所が母にそっくりだと思った瞬間「母ちゃん、またそんな偏屈なこと言う」と思わず口走ってしまった。子供のいない伯母は母ちゃんなんて言われたことないだろうし、私も伯母に母ちゃんなんて言ったことない。二人で目をパチクリさせていた。
この頃では伯母の這うスピードはますます速くなり、偏屈も激しくなった。この分ならもうじき立って歩けるようになるかも知れない。百歳まであと二年、イケルかも知れない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます