草むしりしながら

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タイミング

2023-11-06 12:00:52 | コロナ禍

 タイミング

 やっと涼しくなったと思ったら、また夏日に逆戻りしましたね。明日までは夏日が続くそうですが、明後日からは次第に平年並みになるとか。インフルエンザの感染者も増加していますね。新型コロナもまだまだ健在していますね。

 感染拡大を防ぐためには、今まで行って来た感染対策をできる範囲内で継続してしかないとか。インフルエンザにしても新型コロナにしても、この世から永遠に無くなるものではないので、感染対策も永遠にしなければならないのでしょうね。

 手洗いの習慣や外出時のマスクの着用などは、ほとんど生活の習慣の一部になっていますので苦にはなりません。しかしワクチンの接種は苦になりますね。

 ただインフルエンザの予防接種はそれほど嫌ではないのですが、新型コロナのワクチン接種は気が進みません。やはり年に二度だからでしょうか。最初に打った時の発熱や腕の腫れが今も忘れなれません。できれば打ちたくないと思っています。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」

 ワクチンをやっと打てるようになった時のことは、もう忘れてしまいました。不安もありましたが大きな安心感もありました。真っ暗闇の中に一筋の光が射したようでした。あれほど感謝したのに……。まったく現金なものですね。

 さてこのワクチン。インフルエンザにしても新型コロナウィルスにしても、感染症の重症化の予防が目的だそうですね。感染症自体の予防ではないのですね。勘違いしちゃいそうですね。事実私もインフルエンザに感染しましたが、それほど重症化は致しませんでした。

 私の場合は長女の子どもの看病に行った次の日の夜に、喉に違和感を覚えました。その翌々日には二人の孫たちがインフルエンザだったと報告があり、私もすぐに医者にいきました。検査の結果インフルエンザの診断を受けて、タミフルを処方してもらいました。

 この時点で私はインフルエンザの予防接種を一週間前に受けており、孫たちも接種は済ませておりました。そのおかげなのでしょうか。孫のほうもインフルエンザの症状としては軽い方でした。

 私の方もただの風邪だろうと、マスクなどもかけないまま何度も熱を測り、手や足を握って、愛情いっぱいの看病をしました。熱も解熱剤を使用するような高熱ではなかったので、その時点ではインフルエンザなどと思ってもいませんでした。

 まったくあれだけニュースでインフルエンザの感染症が増加していると、言っているのに。何をやっていたのか。極楽とんぼですね。

 ただ孫を看病していて思ったことは、いつのも風邪とは少し違うなと思いました。どこがどうと言おうか、祖母ちゃんの感ってやつですね。自分の場合もそうで、いつもなら市販の薬を飲むとすぐに眠くなるのに、中々眠れなかったりしました。

 これはひょっとしてなんて思っていると、娘から連絡があり、私もすぐに病院に行きした。ただ土曜日だったので、緊急外来で長く待たされました。それでも処方されたタミフルは驚くほどよく効き、おかげで元気になりました。

 心配していた二人の孫も処方された薬のおかげで、すぐにすぐに元気になり今日から保育園に行きました。ただ私が看病していた上の孫に関しては、もう少し早く医者に連れていけばよかったと反省をしています。

 孫たちがインフルエンザと診断された翌日には娘も症状が出たので、早めに病院に行ったところ、インフルエンザもコロナも陰性だったそうです。対処療法の薬しか出してもらえず、非常にきつい思いをしているようすです。

 こっちの場合は少し早く行き過ぎたのかも知れませんね。何事もたタイミングが必要ですね。でもその見極め時が難しいようですね。


現実はドラマよりも

2023-03-30 10:29:00 | コロナ禍

現実はドラマより……

 別に俳優や脚本家に不満があってのことではないが、朝ドラを見なくなって久しい。 

 ところがひょんなことから「舞い上がれ」を、最終回が目前にせまった、昨日になってから見るようになった。

 ドラマの中ではコロナ禍のため、主人公舞ちゃんの旦那さんの貴司君がフランスに行ったきり、日本に戻れなくなっている。ロックダウンなんて少し前までは毎日聞いていた言葉も登場した。

 さて最終回まであと二話になった今日は、貴司君が帰ってきて舞ちゃんを抱き合しめたところからはじまった……。ほんの数秒のシーンであり、ドラマの主題とはかけ離れた、いわば伏線として描かれたシーンだが、思わず眼がしらが熱くなった。そして我が家の場合を思い出していた。

 息子一家の場合は長男、次男、そして最後に妻を息子が抱きしめた。

 息子一家が駐在員としてインドネシアに渡ったのが、2020年の2月の初旬だった。すでにコロナウィルスの感染症が世界各国に広まりつつあった。この時点ではまだインドネシアでの感染症は伝えられてはいなかったが、それも時間の問題だろうと思われていた。

 何はともあれ早く収まってくれればと願いつつ一家を送り出した。その時嫁が第二子を妊娠中であっため、何かの役にたてばと私も一緒にインドネシアに渡った。

 嫁はまったく勇気のある人で、現地の病院での出産を予定していた。私のほうもその時点ではまだコロナよりも嫁の出産の方を心配していた。それからひと月が経ち私が帰国するころには、パンデミックという言葉が使われ、あれよあれよという間の世界中にコロナが広まった。

 インドネシアもいつ武漢のようになるかもわからない。何度も一緒に日本に帰ろうと誘うたのだが、嫁はまだ残るといってきかなかった。危ないと思たらすぐに帰ってくることを約束して私は日本に帰った。

 二ヶ月後の嫁が長男を連れて帰国し、嬉しいことに我が家での出産することになった。周りは私と嫁との仲を心配しましたが、私たちはお互いに仲良くしようねと言ってやってきた。

 それから息子が、嫁と二人の子供の迎えにのため一時帰国したのが、一年二カ月後だった。抱きしめる順番は前もって二人で決めていたという。

 その日は黙っていても母親の嬉しさが、幼い息子たちに伝わっていた。どうしても昼寝をしないのだ。長男の方はまだしも、次男の方はまだ十ヵ月だ。少し寝かせた方がよかろうと、私はベランダで次男を寝かしつけていた。

 すると風に揺れる洗濯物を目で追いながら次男が、パッパッパッと言い始めた。それまでなんとなく言ってはいたが、こんなにはっきり言ったのは初めてだった。この子はわかっているのだ。もう寝かしつけるのをやめようと思い、部屋の中に入っていった。

 しばらくすると玄関のドアが威勢よくあき、息子が入ってきた。長男は歓声をあげ手を叩きながら父親である息子の方に走っていった。

 スマホの中にいるとばかり思っていたパパが、目の前に現れたのだ……。

 今でも思い出すと胸がじいんとなる思い出である。ドラマよりも現実はもっと感動するものだった。だがこんな感動は二度と息子一家にさせたくはない。