「松ノ内家の居候」(草むしり家の家宝)
久しぶりの読書だった。ここしばらくあらすじを書くのが目的の読書だったので、純粋に本を読むだけという読書は新鮮だった。
「松ノ内家の居候」瀧羽 麻子著
松ノ内家は昔、一人の小説家が居候をしていたことがあった。小説家はその後大家とよばれるになり、著書の中には中学校の教科書に載ったり、ノーベル賞の候補になったりもした。その年は生誕百年になり、亡くなってから十年の節目にあたる。
ある日小説家の孫と名乗る青年がやってきて、松ノ内家に小説家の未発表原稿が隠されていると告げた。原稿には一億の価値があり、権利は松ノ内家ある。そこで原稿探しがはじまったのだが……。
以外にもすぐに原稿は出てきた。しかも結末が異なったものが二部出てきたのだ。さてどちらを小説家の作品とするか……。またそれを世に出していいものかどうか……。松ノ内家で話し合いがもたれたのだ……。
テレビの刑事ドラマみたいな殺人や不倫もなかった。最後はすがすがしい気持ちになって本を閉じた。
ちょっと気になるのは居候の話。実は我が家は昔、居候ではないが、偉い人を匿っていた。という話を聞いたことがあった。その話は父だけではなく、二人の叔父達からも聞かされていたので、どうも本当の話のようだ。
以前我が家は母屋だけではなく薪小屋や味噌部屋もあったと記したが、戦前その偉い人は警察の目を逃れて、味噌部屋の中に隠れていたという。その偉い人は思想犯だったのだ。時代的には父はまだ子供だったので、父の祖父か父親がかくまったのだろう。
さてその味噌部屋は母屋とは別棟の風呂の裏にあり、味噌のにおいがする狭くて寒い部屋だった。こんな所にどうやって隠れていたのだろうかと、子供心に思っていた。
味噌部屋は私が中学生の時に、風呂を壊して建て替えたついでに壊した。やがて偉い人の話も次第に口にのぼることもなくなった。
それから長い月日が経ち、祖父が住んでいた隠居と呼ばれる、これも母屋とは別棟の家を壊した時のことだった。二階の部屋の畳の下一面に、何か難しい計算をした紙が敷き詰めてあった。母はすぐにそれが例の偉い人が書いたもとを分かったようだ。昔父からその紙のことは聞いていたのだ。
それにしてもすごい量だ。あの偉い人は味噌部屋でこんな勉強をしていたのだ。警察の目を逃れての味噌部屋生活はつらく苦しいものだったのではと思っていたが、案外あの人にとっては好きな勉強ができる楽しい時間だったのかもしれない。
母は畳の下から出てきたその紙を、ある場所にしまった。そして私にだけそのことを言い置いた。父から母に、母から娘に、草むしりン家(ち)の宝物のありかはこうして言い伝えられた。