草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

この秋は

2023-04-26 20:50:13 | 日記

この秋は

 一ヵ月ぶりに生家に帰ってきました。畑や庭の野菜や花は、たいして大きくなっていませんが、草は驚くほど大きくなっていました。まずは家に掃除機をかけ、孫の鯉のぼりを出してから、草むしりに没頭しておりました。いい加減疲れたと思っていたら、昨日は一日雨だったので骨休めができました。

 それにしても昨日は寒かったですね。炬燵やストーブは仕舞ってしまったので、電気毛布を膝にかけて、箪笥の中の冬物を引っ張り出して着ていました。暑かったり寒かったり、忙しいですね。

 今日は晴れたのですが、やはり寒かったです。おまけに昨日の雨で地面が湿っていたので、庭の草むしりがはかどりました。

 薔薇はまだ咲いてはいませんが、二月に剪定した茎から新芽が伸びてきて、蕾をつけています。よく見ると蕾の数が少ないです。考えたら筍も少ししか生えていません。今年はこんな年なのでしょうか。今年のお米は大丈夫なのだろうかと、ふと思ってしまいました。

 しかしまだ田植えも始まっていないのに、秋の収穫を心配しても仕方ないですね。とりあえず目の前の草をむしることに専念しました。

この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日の勤めの 田草取るなり

                        二宮尊徳


おせったい

2023-04-24 22:47:53 | 草むしりの幼年時代

おせったい

 当地には「おせったい」という風習があります。弘法大師(空海)の入寂した日を縁日とし、その偉業をたたえ、平和と繁栄を願うおまつりのことです。

 早い話がその日赤い旗の上った家にいき、縁側に安置された弘法大師像にお参りをすると、お菓子などがふるまわれるのです。

 今ではほとんどスナック菓子の小袋ですが、昔は「おせったい菓子」と呼ばれる吹き寄せ菓子やポン菓子でした。草むしりの時代はポン菓子の中に吹き寄せ菓子が気持ち程度でしたが、それでもお菓子がもらえるので、普段は行ったことのない地区まで歩いて行っていました。

 ある時姉に連れられて近所の子供たちと一緒に、隣の地区まで行ったことがありました。たぶん姉と姉の友達が一番年かさだったのではないでしょうか。私より一つ上の女の子や男の子もいた気がします。このメンバーは遠足の時もお弁当を食べたりする仲良しメンバーでした。

 ただその日はおむつが取れたばかりの小さな女の子がついてきました。いったい誰が連れてきたんだなどと言いながら、それでも知っている子なので仕方なく連れていきました。

 ところが困ったことにその子が途中で「おしっこ」と言い出しました。まだ小さくて大人に抱えてもらわないと、自分では座ってできないようです。しかし誰も抱えてさせたことなんてありませんでした。

「いいかい、こうやるんだよ」

 などと言いながらかがんでするおしっこの仕方を教えてはみるのですが、できそうにありません。どうしたものかと困っていると、姉の友達の女の子が、自分がやってみようと言い出しました。

 姉の友達は中腰になってその子を抱えて「シーシー」と口笛を吹きました。大成功でした。なんだか姉の友達が、とても大人に見えました。

 それが姉と一緒に行った最後の「おせったい」だったような気がします。どんなお菓子を貰ったとか全然覚えてないのですが、姉の友達が小さな子を抱えて、おしっこをさせたことしか覚えていません。

 今年の「おせったい」は四月二十三日でした。


釈迦に説法?

2023-04-22 22:24:41 | 健康管理

釈迦に説法?

 コレステロールの薬を飲むようになって一年半ほどになる。

 実は健康診断で高脂血症を指定されたのは、四十代になってすぐのことだった。私の場合、俗にいう悪玉コレステロールのみが異常に高くて、後はすべて基準値内だった。

 食事に気を付けているし身体も動かす方なので、そのまま放置していた。それが二十年近く続いていたのだ。

 そこに起こったのがコロナ禍だった。なんと自粛期間中10キロも太ってしまったのだ。さすがにこれはまずいと思い医者の門をたたいた次第だ。

 それが一年半ほど前のことで、コレステロールの薬を毎朝一錠飲むようになった。すると300近くあったLDLコレステロールが、僅か一か月ほどで基準値内に下がり、今でも続いている。

 こんな嬉しいことはなかった。きれいに基準値内に収まった検査値を見ながら、医者に心から感謝した。

 今では2ヶ月に一度の通院で、血液検査も半年に一度になった。一昨日は病院で出してもらった処方箋をもって、薬局に行った。そこで気になることを聞かれた。

 今飲んでいる薬はコレステロールの数値が下がっても、しばらくするとまた上がってくるのだが、そういうことはないかというのだ。その薬剤師も同じ薬を飲んでいて、一旦さがったのだが、この頃また上がってきたというのだ。

「それは食事ですよ。食事!食事に気を付けていたら、そんなことないですよ」

 それを聞いた私は、つい言ってしまった。日ごろ思っていたことを、こともあろうに薬剤師に言ってしまった。でもその方は薬を飲むだけで、食事は気を付けてはいなと言って、妙に納得していた。

 やっぱりこういうのを「釈迦に説法」っていうのだろうか?


瀧羽麻子「松ノ内家の居候」

2023-04-19 16:00:14 | 読書記録

「松ノ内家の居候」(草むしり家の家宝)

 久しぶりの読書だった。ここしばらくあらすじを書くのが目的の読書だったので、純粋に本を読むだけという読書は新鮮だった。

 「松ノ内家の居候」瀧羽 麻子著

 松ノ内家は昔、一人の小説家が居候をしていたことがあった。小説家はその後大家とよばれるになり、著書の中には中学校の教科書に載ったり、ノーベル賞の候補になったりもした。その年は生誕百年になり、亡くなってから十年の節目にあたる。

 ある日小説家の孫と名乗る青年がやってきて、松ノ内家に小説家の未発表原稿が隠されていると告げた。原稿には一億の価値があり、権利は松ノ内家ある。そこで原稿探しがはじまったのだが……。

 以外にもすぐに原稿は出てきた。しかも結末が異なったものが二部出てきたのだ。さてどちらを小説家の作品とするか……。またそれを世に出していいものかどうか……。松ノ内家で話し合いがもたれたのだ……。

 テレビの刑事ドラマみたいな殺人や不倫もなかった。最後はすがすがしい気持ちになって本を閉じた。

 ちょっと気になるのは居候の話。実は我が家は昔、居候ではないが、偉い人を匿っていた。という話を聞いたことがあった。その話は父だけではなく、二人の叔父達からも聞かされていたので、どうも本当の話のようだ。

 以前我が家は母屋だけではなく薪小屋や味噌部屋もあったと記したが、戦前その偉い人は警察の目を逃れて、味噌部屋の中に隠れていたという。その偉い人は思想犯だったのだ。時代的には父はまだ子供だったので、父の祖父か父親がかくまったのだろう。

 さてその味噌部屋は母屋とは別棟の風呂の裏にあり、味噌のにおいがする狭くて寒い部屋だった。こんな所にどうやって隠れていたのだろうかと、子供心に思っていた。

 味噌部屋は私が中学生の時に、風呂を壊して建て替えたついでに壊した。やがて偉い人の話も次第に口にのぼることもなくなった。

 それから長い月日が経ち、祖父が住んでいた隠居と呼ばれる、これも母屋とは別棟の家を壊した時のことだった。二階の部屋の畳の下一面に、何か難しい計算をした紙が敷き詰めてあった。母はすぐにそれが例の偉い人が書いたもとを分かったようだ。昔父からその紙のことは聞いていたのだ。

 それにしてもすごい量だ。あの偉い人は味噌部屋でこんな勉強をしていたのだ。警察の目を逃れての味噌部屋生活はつらく苦しいものだったのではと思っていたが、案外あの人にとっては好きな勉強ができる楽しい時間だったのかもしれない。

 母は畳の下から出てきたその紙を、ある場所にしまった。そして私にだけそのことを言い置いた。父から母に、母から娘に、草むしりン家(ち)の宝物のありかはこうして言い伝えられた。

 


国宝級

2023-04-17 07:57:05 | 草むしりの「ジャングル=ブック」

国宝級

 それは夢であったのだが、ひどく不気味な夢だった。だが冷静に考えてみると、その夢がひどく幸運な夢であることに気づき、とても幸せになったことがある。

 田舎の家はどこもそうなのだが、母屋が一軒だけポツンと建っているわけではない。大概その横に厩ないし納屋があり、少し離れたところには倉があるものだ。我が家はその上に味噌小屋や薪小屋なども別にあった。

 私が夢を見たのは薪小屋だった。薪小屋は内所と呼ばれる台所の横で、西側の一番隅に建っていた。家のすぐ横が山になっているので、一日のうち数時間しか日が当たらず、小屋の周りはいつもジメジメしていた。

 今では瓦も葺き替え周囲もコンクリートを張ったので、それほどではないが、雨の日などはやはり湿気ている。

 ある日私は、薪小屋に蛇の住処がある夢を見たのだ。いるいる。大きな蛇から小さな蛇まで、親子だろうか。自分たちは代々ここに住み着いていていると大きな蛇がいうのだ。

「では薪小屋は昔から、白蛇の住処だったっていうのか」

 そこで私は目が覚めた。

「縁起でもない、今日か明日には初孫が生まれるというのに、あんな白蛇がたくさん夢に出てくるなんて……。こんな不吉な夢、見なかったことにしよう。……うん。……まてよ、白蛇……。なんだって白蛇がたくさんだって!」

 やっと目が覚めた。その日の午後生まれた初孫の手は開いていたが、はなぜかしら片方の手の親指と人差し指で丸を作っていた。

👌(オッケー)にも見えるし、お釈迦様の手のポーズにもこんな形あったな?いやいやお金のジェスチャーか……。「パパ、じいちゃんしっかり稼いでね」って意味か?

 余談だがその朝嫁は、お黄金のうんちから赤ん坊が生まれた夢を見たという。

 白蛇に黄金のうんち。なんと縁起のいいことか。嫁姑そろって国宝級の夢を見るなんて。  

 さても皆さま方には、母ばか婆ばかの戯言として、軽く聞き流していただきたいと、節にお願い申し上げます。