草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

祖父について 浴衣

2023-06-29 05:44:14 | 草むしりの幼年時代

 祖父について (浴衣)

 ある年私は自分だけ特別に、浴衣を新調してもらったことがあった。いつもは姉のおさがりばかりだったので、なんだか不思議な気がしたことを今でも覚えている。

 ところが最近になって、祖父が私のためにわざわざ生地を買ってきたのだということを知った。しかしなぜ祖父は私にだけそのようなことをしてくれたのだろうか?ますます謎は深まるばかりである。

 

 それは私が幼稚園の時だった。敬老の日に祖父母を招いての参観日があった。

 私の祖父は若い頃肋膜を患ったせいであろうか、いつもたんの絡んだような咳をしていた。家族にうつしてはいけないと思っていたのだろうか。それともただ折り合いが悪かっただけなのだろうか。祖父は隠居と呼ばれる離れに一人で暮らし、私たち家族とは接することは少なかった。

 だからその日も祖父は来ないと思っていた。だから部屋の後ろいる大勢のお年寄りたちは見ないようにしていた。

 お遊戯や歌が一通り終わると、前もって描いた絵を渡す番になった。みんなは手に絵を持って祖父母のもとに走っていったが、私はその場に立ったままじっと下を見ていた。

 するとどこかで私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。私は顔をあげて声の方を見ると、そこには祖父がいた。絶対来ないだろうと思っていたのに、一張羅の黒い国民服を着た祖父が立っていた。

 絶対に来ないと思っていたものだからどうしていいのか分からずに、私は泣きながら祖父に手に持っていた絵を差し出した。輪ゴムで止められた画用紙をひろげると、黒い国民服を着た祖父の絵が書いてあった。二人で黙ってその絵を見ていた。

 甘えることを知らない孫と甘やかすことを知らない祖父は、黙って絵を見るしかなかったのだろうか。

 今でも思い出すと泣きだしてしまう思い出があるのだが、それ以外は祖父のことはほとんど覚えていない。

 浴衣の生地を買って来たのは、そんなことがあった後のことだろうか。浴衣を着て踊っている私を祖父は見たのだろうか。私は祖父に浴衣のお礼を言ったのだろうか……。まったく覚えていないのだ。


着る物のうらみ

2023-06-27 09:02:25 | 草むしりの幼年時代

着る物のうらみ

 昨日は気温が30度まで上がり湿度も高くなっていましたが、それほど暑くは感じませんでした。そこで午前中の涼しい時間帯に、もうじきインドネシアから帰って来る孫たちの甚平を買いに行きました。

 普段は親の好みもあるので服などは買ったことがありません。でも湯上りに甚平を着せてやりたいので、今回西松屋に初めて行ってきました。

 ベビー・キッズ・マタニティ用品の専門店だけあって、品そろえも豊富でかなりリーズナブルな値段になっておりました。見ているうちに色々と欲しくなり、けっきょく上の男の子二人にそれぞれ甚平とパジャマを買いました。  

 今も昔も服なんて物は、下の子は上の子のおさがりを着ていればいいのでしょうが、今日はあえて二人に平等に買いました。このところ何度か自分の幼い頃の思い出話を書いてみて、異様なほど姉妹の間で嫉妬していたのを認識したからです。主にそれは食べ物に関してですが、姉にはもう一つ着る物に関してもあるようです。

 

 いくつの時だったかは覚えていませんが、ある夏私は浴衣を新調してもらったことがあります。楽しみしていた盆踊りの当日に、仕立て下ろしの浴衣を着せてもらって嬉しかったと同時に、なぜ私だけなのか?という疑問も感じていました。

 赤い折り鶴の模様の白いサッカー生地だったのを今でも覚えています。でもサッカ-のでこぼこした布地や折り鶴の模様がどうも幼稚でちょっと残念でもありました。もちろん文句などは言いませんでした。

 ところがいざ着てみると、袖が振袖みたいに長くて踊るとふわふわ揺れて、すぐにその浴衣が好きになりました。その浴衣は祖母が縫ったと聞きましたが、なぜ私にだけが縫ってもらえたのかは分かりませんでした。

 その理由が分かったのはつい最近のことでした。なんと祖父がわざわざ生地を買ってきて、私に縫ってやれと母に渡したところを、姉は見ていたそうです。

「なにあの爺さん。あんたばかり可愛がって」それ以来姉は祖父が大嫌いになったと憎々しげに言いました。

「衣食足りて礼節を知る」とか「食い物の恨みを恐ろしい」とかいうことわざがありますね。でも「着る物の恨み」もなかなか根が深いものですね。

 ですから今回は二人の孫には、平等に甚平を買いました。喜ぶかな……?


ひがみ

2023-06-24 14:40:41 | 草むしりの幼年時代

ひがみ

 風邪のためしばらくブログをお休みしておりました。歳のせいか治りが遅く、唇がガサガサに荒れててしまいました。いやはや風邪などひくものではないですね。皆さまお気を付け下さい。

 まだ風邪が治りきらないうちに書いたからでしょうか、前回のブログにはやけに恨みがましいことを書いてしまいました。姉が熱を出すと桃缶を食べさせてもらえたが、私が熱を出してた時は買ってくれなかったと。

 これはひがみですね。恥ずかしながら私は、どちらかというとこの手のひがみが人一強い方です。しかし熱が下がって冷静になって考えてみると、両親や祖父母が私だけにしてくれたことも多少はあります。多少はなんてやはりひがみ根性は抜けていませんね……。

 子どもの頃から丈夫だけが取り柄の私でしたが、一つだけ弱点がありました。それは冬になると唇がガサガサに荒れてしまい、やがて真っ赤に腫れてしまうのです。そんな唇で笑おうものならさあ大変。ぷっくりと腫れた唇の皮が破れて、血が噴き出してしまうことがたびたびありました。たぶんしもやけ体質だったのでしょう。同様に冬場の手のしもやけも悩みの種でしたから。

 そうなると父は決まって蜂蜜を買ってきて、私の唇に塗ってくれました。「舐めてはダメだよ」と言われていたのに、我慢できずにすぐに舐めてしまいました。それでも何度か塗っているうちに、唇はきれいに治っておりました。

 以前その思い出話が新聞に載ったことがありました。それを読んだ姉は「あんただけが蜂蜜を買ってもらっていた」と言いだしました。まるで私だけが親にかわいがられていたような姉のひがんだ言い方に、ちょっと苦笑しました。

「でも唇が腫れて血が出たことないでしょう」

「ない」

「私はね、毎年腫れていたんだよ!声を出して笑うと腫れたところが切れてね、血がバーッと出て唇が血だらけになるんだよ。だからね、小学生の子どもがね。笑う時には口を窄めてね、大口開けて笑わないようにしていたんだよ。そんなことに、なったことある?」

「ない」

 唇を窄めて河童のような顔をして笑って見せる私に、姉は答えました。

 私には私の。姉には姉の。幼年時代の思い出があるようです。

 


食べ物の恨み

2023-06-19 15:42:10 | 草むしりの幼年時代

食べ物の恨み

 ここ数日風邪で寝込んでいた。丈夫だけが取り柄だったのに「鬼のかく乱」である。

 しばらくは市販の薬を飲んでいたのだが、いっこうに治る気配がしない。それどころ口唇の周りにヘルペスができてしまった。ヘルペスなんて一個ポチっとできただけで痛いのに、私の場合は大人の人差し指の爪くらいの大きさの中に、びっしりと赤いポツポツが……。もうこうなると痛いのを通り越して怖くなり、さすがに病院にいった。

 医師には喉が真っ赤だといわれ、何種類かの薬を処方してもらい、おかげでだいぶ楽になった。もっと早くに医者に行けばよかったのか、今回の風邪が強烈だったのか、それとも歳をとったせいなのか……。

 

 子どもの頃熱を出すと父が、桃の缶詰を食べさせてくれた。もっとも食べさせてもらっていたのは姉の方で、私はまたに食べ過ぎでお腹を壊すほかはいたって元気だったので、それを傍で見ていただけだったのだが。たぶん姉のおこぼれくらいは頂戴したのだろうが、その辺のところはまったく覚えていない。

 ただある時熱が出て、ついに缶詰を買ってもらえると喜んだことがあった。だが「そんなものを食べさせるから子供がご飯を食べなくなるのだ」という母のひと言で、桃の缶詰は買ってはもらえなくなった。以来子供が病気の時に、桃缶を買うこと自体がなくなってしまった。

 今思えば母の言うことはもっともなことであっが、やっと私の順番になった時にそんなことを言わなくていいじゃないかと、母を恨んだりした。   

 その時幾つだったのかは覚えていないが、その時のことははっきりと覚えている。食べ物の恨みは実に恐ろしいものだと思う。

「たかが桃缶、されど桃缶」

 やれやれ本当に体調が悪いようだ。すっかり忘れていたことをふいに思い出してしまうのだから。そろそろ薬が効いてきたようなので、今日はこれまで。

 


上には上がいる

2023-06-09 10:03:14 | 平成

上には上がいる

 天皇皇后両陛下ご結婚されたから三十年になりますね。ちょうど三十年前の六月九日でしたね。私は別に皇室追っかけのおばちゃんではないのですが、その日のことはよく覚えています。

 その翌日が自分の誕生日だったということもあるのですが、そんなことよりもその日が雨だったからです。その日は祝日になったので、夫は雨の中ゴルフに出かけました。

 でも夫がゴルフにいった日を三十年経っても覚えているなんてこと、普通は絶対ありませんよね。でも覚えているのです。それは雨が降っていたからです。そして夫は自他もとに認める「晴れ男」だったからです。

 ですからその日にゴルフに行くことを数日前に伝えられた時も、いやな顔はしないで是非行ってくれと言いました。その日が雨になるのは早くから分かっていたので、こうなれば夫の神通力に頼るしかないと思ったからです。

 その日のこと皆さん覚えていますか?朝か降っていた雨が、午後からのパレードが始まる前にぴたりと止みましたね。あれは今でも夫の「晴れ男」効果だと私は思っています。

 満面の笑みをたたえ沿道の人々に手を振るお二人。白いドレスの雅子さま頭上にはティアラが輝いていましたね。今日ばかりは家族を顧みずゴルフに行った夫を、誉めてあげようと思っていた時でした。

「私も雅子さんの結婚式に行きたい」

 と一緒テレビを見ていた末娘が言い出したのです。

「でも結婚式の舞踏会には招待状が無いと行けないよ。招待状もらった?」

「来てないけど、大丈夫だよ。私は雅子さまテレビで見て知っているから、雅子さまもきっと私のこと知っているよ」

 等と言い出しました。

 きっと幼い娘の目には、幸せそうなお二人が王子様とお姫様に見えたのでしょうね。

 そんなこんなで三十年前の六月九日のことを私はよく覚えております。

 また余談になりますが、当時夫の職場には「雨男」と自他ともに認める人物がいて、ゴルフに行くと必ず雨になるといわれていたそうです。さすがの夫もその人と一緒だと、大雨に降られるのだとか。

 上には上がいるものですね。