草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

母の白和え 2

2024-10-18 08:37:11 | 草むしりの得意料理

母の白和え 2

 昨日の続です……。

 さて当ブログに度々登場いたします、生家の古民家。昭和四年まれの父がまだ幼い頃、父の祖父に当たる人が建てました。頭が良くてとても力持ちで,、その上働き者だったと聞いております。まずこの家を建てる前に隠居と呼んでいた離れを建て、その後母屋と呼んでいる今の古民家を建てたそうです。所有する山の木の伐採から製材まで一人で行ったと、今でも語り継がれております。

 祖父の話を自慢げにする、生前の父を思い出します。家を建てた時のことはおぼろげに覚えていると申しておりました。父が今生きていれば九十五歳になります。その年から四、五歳差し引いて築九十年前後といった所でしょう。「たった九十年で、古民家だと。十年早い!」と怒られてしまいそうですね。

 しかし、たかが九十年、されど九十年です。九十年の間何も手を入れなければ、きっとおんぼろ屋敷になっていたでしょう。でも我が家の古民家は、おんぼろではありません。むしろ見た目は私が子どもの時よりも、新しく見えます。

 これは古民が脱皮を繰り返しているのではありません。すべて父と母のおかげです。私が子どもの頃から二人が家の修復や改築を、繰り返し行ってきた賜です。屋根の瓦も二度吹き替えましたし、縁側の板戸をガラス戸にしてその後アルミサッシにしました。二階の窓など木製のガラス製から白いアルミサッシに、その後茶色のサッシにと都合三度も付け替えております。

 また台所も二度リホームしております。最初のリホームは私が小学校の中学年のときでした。北側の二間をひとつにして、今で言うダイニングキッチンにしたのです。ピカピカの流しや調理台、ガスコンロが備え付けられ、床も板張りになりテーブルが置かれました。

 テレビのドラマに出てくるようなおしゃれなキッチンになったので、これからはテレビに出てくるようなご馳走が食べられるのだと期待しておりました。忘れもしません。その記念すべき第一日目の夕食に出てきたのが「白和え」だったのです。

「なんだ白和えか」とは申しませんでした。子ども心に現実を直視し、黙っていただきました。いつもの「白和え」よりちょっと複雑な味がしたのは、私だけだったのでしょうか。みんな黙って食べていました。

 やはり我が家にとって「白和え」は、特別な日に食べる料理だったのですね。

 

 

 


母の白和え

2024-10-14 09:35:39 | 草むしりの得意料理

白和え 1

「goo ブローカー今日のひとこと」には時折ポツリと呟いております。先日のテーマは「時別な日に食べたい料理」でした。そこで早速「母の白和え」と呟きました。

 しかし特別な日に、白和えとは………。ずいぶん質素ですね。でも昔といっては私の幼い頃には、白和えはごちそうの部類だったのですよ。あまり詳しくは覚えておりませんが、毎日の食卓に肉や魚などが上がることはめったに無かったし、豆腐も時々しか買わなかったような気がします。

 ですから味噌汁に豆腐を入れるようになったのも、私がかなり大きくなってからでした。記憶違いならごめんなさいお母さん……。

 そんなたまにしか買わない豆腐?冬場は主に「けんちゃん」と呼ばれる具だくさん汁にしておりました。多分「けんちゃん」は「けんちん汁」が訛ったのでしょう。大根と豆腐と煮干しを油で炒めた汁物で、当地では冬場の定番料理でした。けれどもだし用の煮干しが丸ごと入っていて、煮干しを残すと怒られるので嫌いでした。

 また夏場は冷や奴で食べていました。その日は父が「ご馳走だ」と喜んで、普段はしない晩酌をしておりました。ただ豆腐に醤油をたくさんかけると怒られるので、冷や奴もあまり好きではありませんでした。今になって思うのですが、子どもの時の好き嫌いは、怒られるということにも原因があったように思います。ちなみに今は奴には、醤油はかけません。それだけでも十分おいしいですね。

 さてそんな豆腐嫌いだった私が、唯一好きだった料理が「白和え」です。当地では高菜の白和えが一般的です。湯がいて細かく切った高菜とコンニャクを油で炒めて薄く味をつけ、水気を切った豆腐をすり鉢ですり合わせた和え衣にまぶします。和え衣の味付けは砂糖と塩、隠し味に味噌少々でした。

 母は普段の料理には砂糖をあまり使わない人でしたので、子ども心に母の料理は塩っぱいと感じておりました。ところがこの白和えだけは砂糖をふんだんに使っていたのでしょう。とても甘くて隠し味の味噌が口の中で自己主張しておりました。家で一番大きなすり鉢にいっぱい作ってくれました。

 それからこれを食べていて怒られたことがないのも、好きな理由のひとつかもしれません。ただ白和えに関しては忘れられない思い出もありますが、何分にも長くなりました。次回はその思い出話を書くこととして、今日はこれまで………。

 


う しし

2024-07-25 08:39:26 | 草むしりの得意料理

う しし

 毎日暑い日が続いていますね。皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 昨日は土用丑の日のでしたね。鰻を頂いた方も多いのではないでしょうか。我が家でもおいしく頂きました。

 かなり以前になりますが、この日には(う)のつく物を食べると夏バテしないと聞いたことがあります。でも(う)のつく食べ物って、きゅうり・うどん・そうめん・とうふ・なっとうくらいしか思いつきませんね。他に何かあますか?

 いえいえ、まだまだありますよ。

 トマうト・うワカメ・うナス・ニガうリ・うオクラ・オオうバ・ピうマン・卵う焼き・ジャガう芋・うご飯。無理やりではありますが、いっぱいありましたね。これならたくさん食べられそうですね。

 でも「過ぎたるは及ばざるがごとし」良いからって食べ過ぎはよくありませんね。少しずつ鰻と一緒にいただきました。大変おいしゅ(う)ございました。(う)しし……。

 夏はこれからが本番です。ご自愛ください。


名前のない料理

2024-04-21 20:48:43 | 草むしりの得意料理

名前の無い料理

 どちらかというと我が家は大食い一家です。でも例外として約3名ほど、食の細い小食人がいます。我が家ではこの3人を称して「三大面倒くさい子」と呼んでいます。

 第一の「面倒くさい子」は猫のハナコです。フードには好みがあり、決またメーカーの決まった種類しか食べません。その上皿の中に出したままにしている湿気たフードが嫌いで、袋から出したばかりのカリカリしたものを欲しがります。

 ところがせっかく出してもらったカリカリのフードも、ほんの一口二口食べて終わりということが多々あります。そんな時には手の平にフード乗せて食べさせてやるのですが、これほど「面倒くさい猫」はいないと思います。

 さて第二の「面倒くさい子」は長女の家の二歳半になる女の子です。先日も熱が出て保育園を休みました。そこで私が看病に行きました。この子がまた食の細いくて、うるさいことをいう子です。

 今回は熱が中々下がらず心配したのですが、3日目の夕方やっと熱がさがり元気になりました。食欲も出たようで、夕飯を私の隣で食べると言い出しました。嬉しい限りですが、すでに私の横にはお兄ちゃんがいます。そして嬉しいことにこの子も私の横で食べると言って聞きませんでした。

 そこで少しだけ詰めて下の子の椅子を私の右隣に持ってきて、ご飯とおかずの皿テーブルの上に並べました。たころがいつも敷いているテーブルマットが無いと文句を言い出しました。しかたなくテーブルの上の食器を一旦端によせてマットを敷き、食器をきれいに並べ直しました。

 本人もこれで満足したのでしょう。素直にいただきますをして食べはじめたのですが、二口か三口食べただけで、もうご馳走さまです。あんな大騒ぎしてしたのに……。

 そいう言えばこの子は赤ちゃんの時も、ミルクは必ずひと目盛り分飲み残していました。もったいないからとひと目盛り分少なく調乳しても、やっぱりひと目盛り分残すのです。よく分かるものだと感心していました。まったく「面倒くさい子」ですね。

 さてラストを飾るの第三「面倒くさい子」は私の次女です。キングオブ「面倒くさい子」です。数えきれないほどのエピソードがあるのですが、一番困ったのは「今晩は何?」と毎日毎朝夕食の献立を聞いてくることです。「面倒くさい子」でしょう?

 そして夕食の献立が聞いたものと違っていたら「今朝言ったものと違う」と烈火のごとく怒りはじめるのです。まったく「面倒くさい子」でしょう?

 それがもう高校生になっても続いていたのですから、ほとほと困っておりました。そこで出来るだけ献立名は言わないようしました。すると「どうしてこの頃名前を言わないのだと」怒りだす始末です。

「そんなこと言っても、家には名前のない料理だってあるんだよ」とある日言ったら、それほど怒らなくなりました。でも問題はそんなことではないのです。あんなにしつこく献立を毎朝毎日聞く癖に、ほんの少ししか食べないのです。さすがキングオブ「面倒くさい子」でしょう?

 この子も母親になって、この頃では人並みに食べるようになりました。

 


泡ぶくたった

2023-12-04 09:11:56 | 草むしりの得意料理
泡ぶくたった

 昨日は姉と二人で味噌を仕込みました。前の晩水に浸しておいた大豆4キロを、三つの鍋に分けて煮ました。一番大きな鍋に2キロ入れて残りは大鍋と中鍋に分けて、七輪に練炭を熾して煮ました。
 
 家には練炭専用の七輪が一つしかないので、後は練炭を鋸で半分に切って、普通の七輪に入れて使いました。練炭は不完全燃焼すると危ないので外でカンカンに熾してから、台所に運んで行って鍋をかけました。
 
 台所に七輪が三つ並びました「隙間だらけの家なので一酸化炭素中毒なんて絶対にならない」と、普段は豪語しているのですが、さすがに怖くなって換気扇を回した上に窓を開けました。そのため部屋の中は練炭三つが燃えている割には、寒かったです。
 
 練炭は木炭よりも長持ちしますので、豆など長時間煮るときには重宝しますね。でも煮上がるのに時間がかかりますね。朝に鍋を火にかけ煮上がったのは昼間の四時でした。その間ずっと付ききりで、泡をすくったり水を足したりしていました。
 
 泡ぶく立った 煮え立った 煮えたかどうだか食べてみよ まだ煮えぬ……
 
 こんな歌がありましね 子どもの頃何気なく歌っていたのですが、あれはきっと味噌豆を煮ていたのでようね。沸騰すると白い泡がブクブクと出てきました。  
 
 もう煮えたのではないかと食べてみたのですが、中々煮えません。歌と同じですね。「まだ煮えぬ」「まだ煮えぬ」を何度も繰り返して、煮えた時はお腹いっぱいになっていました。
 
 それから味噌を仕込みました。こちらは姉と二人なので、意外と早く出来ました。まだ豆と麹が残っているので、明日もう一度豆を煮て仕込みます。
 
 食べられるのは一年後です。隙間風の吹く家で飲む、熱々の味噌汁はおいしいですよ。