草むしり「幸せ」を考える
梅雨の晴れ間?今年は戻り梅雨の晴れ間をぬってと、いったほうが正しいだろう……。末娘がもうじき生まれてくる赤ん坊の肌着を干している。
風が吹いてきた。娘のマタニティの裾が膨らみ、小さなハンガーにかけた小さな肌着も風に揺れている。まるで親子で会話しているようだ。
麻の葉の柄の小さなメリヤスの肌着は、長男の赤ん坊が生まれたときに、姉に当たる長女が贈ったものだという。それからどの子もそれを着て、末娘である次女の赤ん坊で五人目になる。まだまだ出番がありそうだ。使い終わったら大事にしまっておかなければ……。
「幸せってこいゆうものだろうな」
風にゆれる洗濯物を見ながら、そんなことを考えていたのだが、どうもに洗濯物を干す娘の手つきが気になる。なんともおぼつかない手つきだ。
「そんなンで、ちゃんと子育てできるのか?」
なんて思ってしまう。たぶん次女が一番下の子だからだろう。この子はいつまでたって子どもに見えてしまう。
「子どもが子どもを育てる」そんな感じだ。
だからといって出しゃばったりはしないようにしよう……。なるたけそうしよう。肝に銘じてそうしよう。いやもう五番目の孫ともなると、婆ちゃんのほうがくたびれて、出しゃばる体力がないのが本音ってところだ。
さて、ここにきてコロナの感染者が急増してきた。「ああ、またか」落胆してしまう。
ただ、今の婆ちゃんに出きることは、感染しないように努力することだけ。それが生まれてくる赤ん坊にしてあげられる、唯一の愛情だと思うから。