草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

夢の中で私は

2019-05-18 07:30:21 | 日記
夢の中で私は

夢の中で私は歌をうたっておりました。

ボクのポケットには幸せが詰まっている。
たくさん、たくさん、たくさん詰まっている。
たくさんの幸せを、今年生まれたキミと、もうじき生まれるキミに。
そして嫁いでいくあなたにあげよう。
たくさんの幸せをみんなあげよう。
みんな、みんな、みんなあげよう。

調子外れの歌を
夢の中で私は、何度も何度もうたっておりました。 
 
  
 

たまがる

2019-05-17 12:22:07 | 草むしりの得意料理
たまがる
  
 「たまがる」とは当地の方言で「驚く」という意味です。若い女性なら赤面してしまうようなこの方言、この頃ではあまり聞かれなくなりました。私などは若くもないのに、「驚いた」「びっくりした」などと日ごろは言っておりますが、本当に驚いた時などは「ああ、たまがった」などと口走ってしまいます。子どもの頃に馴染んだ言葉はそう簡単には抜けません。

 さてこの「たまがる」は、わらびのあく抜方法を説明するときにも使われます。あく抜きの方法は、蕨に灰を振りかけ、たっぷりの熱湯を注いで一晩置くのですが、蕨に熱湯をかけることを「たまがらかす」と言うのです。しかしこちらの「たまがらかす」も、近頃ではめったに聞かなくなりました。そればかりか、蕨など山に採りにも行かないし、食卓に上ることさえなくなってしまいました。
 
 ところが先日、立派な棒蕨を一握り頂く機会がありました。ちょっと面倒くさいなどと内心思いながら、喜んでいただきました。
 
 蕨は煮れば煮るほど固くなるといいます。たまがらかした蕨を濃い目の煮汁でさっと煮て、しばらく置いておきます。けっきょく食べたのはその翌日になってしまいましたが、シャキシャキの後にヌルっと来る食感が、たまりませんでした。

 「私のたまがらせ方が、たまがるほど上手なのよ」と変な自慢を家族にしてしまいました。しかしこんなに美味しいのなら、来年は山に蕨を採りに行こうかとも思いました。
 
  
 
 

草むしりの幼年時代⑲

2019-05-15 13:15:57 | 草むしりの幼年時代
 曾祖母
 子供の頃に、父方の祖母の家に遊びに行ったことがあった。家には古いお婆さんがいて、私の曾祖母だと教えられた。曾祖母は草履作りの名人で、「シットクデ」と呼ばれる未熟な七島井で私にかわいい草履を編んでくれた。
 
 喜んで履いてみたのだか、新しい草履は固くて足の裏が痛くなった。でもせっかく編んでくれたのに悪いと思い、我慢して履いて遊んでいた。
 
 そのうち皆で河原に遊びに行こうということになり、草履をはいたまま私もついて行った。固い草履をはいて河原の石を踏んで歩くのだが、石も固ければ草履も固い。踏むたびに足の裏に激痛は走った。とうとう我慢できなくなって、そこの家のお姉さんの履き古した草履と取り取り替えてもらったことがある。

 ちょうど足裏マッサージのサンダルを履いた時のような感じだろうか。ただしマッサージ用のイボイボは先端が丸いが、それが尖がっていると想像してもらえれば、痛さが連想できると思う。
 
 残念ながら曾祖母の思い出は、固い草履のことしかない。しかし足裏マッサージ用のサンダルを見ると、曾祖母を思い出す。それと同時にあの痛さも重い出し、未だに足裏マッサージ用のサンダルは履いたことがない。


草むしり作 「鹿と網」

2019-05-14 14:21:57 | 草むしりの「ジャングル=ブック」
鹿と網
 お百姓さんが田んぼの周りに網を張りました。広い田んぼの周りにグルリと張りました。田んぼの稲は穂が出たばかりで、青い籾はまだ空っぽで、上を向いています。
 網は小さく折り畳まれ袋に詰められ、お店の棚の上で夢を見ておりました。夢の中では漁師さんの船に乗って、魚をたくさん捕っておりました。お百姓さんが網を袋から出しました。
 目の覚めた網は、自分が漁師さんではなくお百姓さんに買われたので、がっかりしました。あれほど海に出て漁をする夢ばかり見ていたのに、現実は田んぼに張られるのかと思うと、やりきれなくなりました。
 お百姓さんが網を丁寧に広げて、田んぼの畔に突き刺した杭に結びつけていきました。まっすぐにピンと張られた網は、お日さまの光を浴び心地の良い風に吹かれました。
 すっかり気持ちの良くなった網は、大きな背伸びを一つしました。その拍子にピンと張られていた網は少したわんで下に垂れてしまいました。すると何やら小さな声が聞こえてきました。網はその声を聞こうとして、体をもっと下に傾けました。おかげでますます網はたわんできました。網はそんなことにはお構いなく、聞き耳を立てました。
 それはまだ出て来たばかりの稲穂たちの声でした。青い小さな稲穂たちはてんでにお日さまに向かって叫んでいます。
「お日さまどうか私に、光をいっぱい当てて下さい」
 我先にお日さまの光に当たろうと、一斉に背伸びをして空に向かって稲穂を揺らしています。
 たわんだ網と青い稲穂の上を風が渡っていきます。秋の気配を含んだ、涼しい風でした。
 お百姓さんは毎日やって来て、網のたわみを直しました。それから網を切ってしまわないように気をつけながら、畔の草刈りをしました。そして田んぼには毎日たっぷりと水をあてました。
 おかげで網は倒れることなくピンと張られたままで、稲はぐんぐん大きくなりました。そして稲穂の籾も実が詰まってきて重くなり、稲はだんだんと下を向くようになりました。
 ある満月の夜でした。網は月の光に照らされていました。清らかで優しい光は、ずっと田んぼ周りに張られて疲れてしまった網を、優しく癒してくれました。
「なんて気持ちがいいのだろう」
 網は思い切り背伸びをしました。その時隣の山の中から、親子の鹿が出てきました。春に生まれた子鹿は随分と大きくなりました。母鹿は網に気づいて、田んぼに入ろうとする子鹿をひき止めました。それからゆっくりと歩いてきて、網に話しかけました。
「お前、こんなところに立ってばかりいて、辛くないかい」
網は知らん顔していまし。
「少し地面に寝そべってごらん。楽になるよ」
 風が吹いてきて網を揺らしました。網はそれが答えでもあるかのように、ますます背筋をピンと伸ばしました。
「お願いだよ、中に入れておくれ。坊やがお腹をすかせているのだよ。その柔らかな稲を少し食べさせてやりたいのだよ。少しでいいから」
 網は黙ったままでした。田んぼの中の稲たちも黙ったまま俯いています。
 母鹿は諦めきれない様子で田んぼの周りを歩き回っています。そのうち子鹿が、お腹がすいたと言って泣きだしました。母鹿は田んぼの周りの草を食べさせました。
「固いからよく噛んで、ゆっくり食べるのだよ」
 子どもは母親の言いつけを守って、ゆっくりと食べていました。月は親子の鹿を優しく照らしました。
 次の朝お百姓さんが鹿の足跡を見つけました。網にたるみが無いか確認して帰って行きました。それから昼過ぎになって見たことのない男の人がやって来て、鉄の檻の罠を仕掛けていきました。罠の入り口の餌を少し撒いて、罠の中には美味しそうな餌をたくさん置きました。網はドキドキしながらその様子を見ていました。
 やがて夜になりました。昨夜の鹿の親子がまたやって来ました。子鹿は餌を見つけると罠の方に飛んでいこうとしました。母鹿はものすごい勢いで首を振って、子鹿の体にぶつけました。子鹿は母鹿がいきなりそんなことをしたので、驚いて泣き出してしまいました。
 母鹿は罠の恐ろしさを子供に話して聞かせました。子どもは怖くなって泣き止むと、母親の後ろに隠れました。その日は罠の周りに撒かれた餌だけ食べて、山に帰って行きました。
 そばで見ていた網はなんだかホッとしました。子どもが罠にかかるのではないかと、ハラハラしていたからです。頭を垂れてようすを窺っていた稲たちもホッとしたのでしょう。口々に何かささやいています。網は稲たちの頭が昨日よりももっと下を向いてきたと思いました。
 鹿の親子は毎晩田んぼにやって来ました。お百姓さんも毎朝田んぼにやって来ては、網のたるみを直していきます。餌の置かれた罠はそのままになっています。
 やがて朝晩がとても寒くなり、山の木々の緑も少し赤みがかってきました。我先にお日さまに向かって背伸びしていた青い稲たちも、いつの間にか黄色く色づき、頭を深く垂れています。稲穂の籾はどれもプックリト膨らんでいます。
 お天気のいい朝でした。お百姓さんが網を外しました。昼頃になって大きな機械がやってきて、稲は見る間に刈り取られました。夕方お百姓さんは網をきれいに畳んで紐で縛ると、納屋の中に仕舞いました。
「また来年も頼むよ」
 お百姓さんは網に言いました。
 鹿の親子はその夜田んぼにやってきて、藁の中に落ちていた稲穂を見つけておいしそうに食べました。
 お百姓さんのお米はトラックに乗って、都会に運ばれました。太郎のお母さんはそのお米でご飯を炊きました。ご飯の炊ける甘い香りが、台所に広がりました。
「ゆっくり、よく噛んで食べるのよ」
 いっぱい遊んでお腹の空いた太郎に、お母さんが言いました。
おわり

えんどう飯が炊けるまで

2019-05-13 12:24:21 | 草むしりの得意料理
えんどう飯が炊けるまで

 今年もえんどうが実る季節になった。いつもの年なら周りを網でぐるりと囲まないと、鳥に実を食べられてしまうのだが、今年は網を張らなくても食べられなかった。
 
 山に食べ物がたくさんあるのだろうか。そういえば畑の脇に生えている野イチゴもたくさん実をつけていたが、気がつくと一粒残らず鳥に食べられていた。熟れたら食べようと思っていたのに残念だ。それでもおかげでえんどうの実を食べられずに済んだのだから、これでよしとしなければ。

 夕方近く、日よけ帽の中にエンドウを摘み取り家に帰った。パンパンに膨らんだ鞘の中から、行儀よく並んだ緑色の豆がボールの中に落ちていく。今夜はエンドウ飯にしよう。 

 お米を研ぎながら、ふいに亡くなった母のことを思い出した。母は生前えんどうの実を剥きながら、昔はえんどう飯を炊く暇も無かった。とよく言っていた。

 えんどうの実るこの時期は、農家は麦の刈り取りや田植えの準備で、とても忙しかった。今でこそ大型の機械を使って終わらせる仕事も、昔は何もかも手作業だった。
 
 その上仕事は、麦の刈り入れや田植えの準備だけでは無い。油を搾る菜種の刈り入れや、七島井(しっとうい)と言われる畳表にする井草の植え付けをするのもこの頃だった。
 
 我が家は兼業農家だったので、これらの仕事は全て母の肩に掛かっていた。せっかく実ったえんどうを、ご飯に炊き込む暇さえなかったのだろう。モンペ姿で忙しく働く母の姿を思い出す。

 炊飯器から湯気が上がり、えんどうの炊ける美味しそうな香りがしてきた。えんどう飯の炊ける間、忙しかった母のことを思い出していた。

 よく働いたね。母ちゃん。今年もエンドウ飯を炊いたよ。