草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

正しい傘のさし方

2024-03-30 12:14:44 | 日記

正しい傘のさし方

 昨日は強風の中、歯医者に行きました。こんな日は不要不急の外出は避けた方がいいのでしょうが、二ヶ月も前からの予約でしたので行ってきました。

 それにしてもすごい風でしたね。さしていた傘が風にあおられて、お猪口になってしまいました。当地では傘がお猪口になることを、ハッタケになると言います。ひっくり返った傘の形が、はっ茸という茸に似ているからです。 

 傘がハッタケになったなんて、何年ぶりでしょうか。子どもの頃には傘を振りまわして、わざとひっくり返して遊んだ思い出もあります。しかし子どもならとにかく、大人はそんなことで喜んではいけませんね。

 ひっくり返った傘を元に戻すと、吹き飛ばされないように斜めにさして歩きました。駅前の通りは人通りが多くて、飛ばされた傘が近くの人に当たってしまっては大変ですからね。

 さてやっと駅前を通り過ぎ、今度は横断歩道を渡りました。ここも多くの人がすれ違うので、より注意しなければいけません。傘を力いっぱい握り締めて歩いていくと、向こう側から高齢者と付き添いの女性が歩いてきました。

 二人とも小柄でとても細身です。でもよく見ると、二人とも笠をささずに手に持って歩いています。なるほど、こんな強風の中で傘をさしても、濡れるものは濡れるのです。返ってささない方が安全ですね。

 そこで私も傘を閉じて手に握って、足早に横断歩道を渡り歯医者に行きました。雨には思ったほど濡れてはいませんでした。また歯医者では、歯の磨き方がとても良いと誉められました。

 昨日は強風の中での正しい傘のさし方を学ぶことができ、歯の磨き方を誉められました。強風の中のでの外出ではありましたが、とてもいい日になりました。


あと一輪たりず

2024-03-29 08:59:20 | 日記

「あと一輪たりず」

  桜の花の開花発表の基準は「5~6輪以上の花が咲いた状態」だそうですね。昨日(3月28日)の靖国神社の境内にある桜の標準木には、4輪しか咲いていませんでした。お待ちかねの開花宣言は、29日以降に持ち越されましたね。

 果たして今日は開花宣言があるのでしょうか?咲いたからって日常生活が大きく変わるわけはないのですが、それでも待ち遠しいですね。それにつけても「5~6輪以上咲いた状態」なんて条件が付いているのは知りませんでした。

 さて開花宣言の待たれる中、一昨日(3月27日)になりますが、私は末娘母娘と上野動物園に行ってきました。この日は久しぶりに晴れましたね。暖かくなるのかと思ったら、意外に寒くて風が冷たかったです。いったん外に出たのですが、引返して上着を羽織って出直して正解でした。

「桜はまだだし、平日なので少しは空いているかも」なんてことはまったくありませんでした。さすが上野公園ですね。いつ来ても人がいっぱいですね。とりわけ海外からの観光客が多かったですね。

 ただ本来ならば桜が満開のはずなのに、今年はまだまだです。桜の時期に合わせてやって来る人も、多くいるのではないでしょうか?なんだか気の毒になりました。

「どこかに一輪でも咲いていないかしら?」

 そこで私は一本の木の下で、咲いている花を探してみました。すると咲いていました。太い幹の真ん中あたりから出た爪楊枝くらいの細い枝に一輪。また幹から直接出ている蕾の中にも一輪。よく見れば春はもう来ていたのですね。

 娘は道に迷ったとかで、約束の時間になってなかなか現れませんでした。その間ずっとその桜の木の下で待っていました。多くの観光客が残念そうに通り過ぎ、何語かは分からないいろんな言葉が聞こえてきます。

 そこに観光客らしい女性が苦笑をしながら、私の立っている桜の木にスマホをむけました。きっと満開の桜の花を写したかったのでしょうね。私は邪魔にならないように横によけて「どうか桜の花に気づきますように」と願っていました。でも気づかずに行ってしまいました。

 ああ、残念!どうして声をかけなかったのでしょうか……。何でもいいじゃないですか、知っている言葉を並べて桜の花を指させば、分ってもらえたのかも知れません。それなのに私は恥ずかしくて声なんかかけられなかったのです。こうゆう性格なのですね私は……。

 以前家族でニューヨークに行ったことがあります。その時もそうでした。朝食後ホテルのロビーでエレベーターを待っていた時でした。同じホテルの宿泊客に話かけられました。

「こんちわ、ありがとう、はじめまして……」

 彼は知っている限りの日本語で、楽しそうに話かけて来ました。それに対して私は何と言って答えていいのか分からす、困ったように微笑むだけでした。でも彼の方はそんな私にお構いなく、どんどん話しかけてきます。やがてエレベーターのドアが開きました。

「はば、ないすでぃ!」

 私はそれだけやっと言えて、エレベーターに飛び込むと手を振りました。すると彼は正確には彼一家は、手を振って答えてくれました。あの時は嬉しかったです。

「ああ、今私はニューヨークにいるのだって」思いました。今思えば、一番の思い出かも知れません。だから一昨日も思い切って話かけてみればよかったですね。

「ヘイ マダム! ルック ルック!サクラフラワー」なんてね。身振り手振りを添えてね。

 できたらよかったのですが、あと一輪分勇気が足りませんでした。残念!


「見てて」の意味

2024-03-26 15:03:35 | 草むしりの子守歌

「見てて」の意味

 もうすぐ三月も終わりますね。月の中旬に末娘一家が里帰りして来たので、この月はなにかと忙しかったです。

 一家は昨年の九月にも帰省していたので、一歳半になる孫娘は生家のことを覚えておりました。とりわけ猫のハナコのことはよく覚えておりました。

 以前は怖がって触ることができなかったのに、今回はハナコの頭を撫でたり尻尾を触ったりすることができました。また姿が見えないと家中を捜し回ったりしていました。

 一方ハナコもほうも孫のとこをよく覚えており、さっそくお出迎えしてくれました。ただ三月に入っての寒さが堪えたのか元気がなく、申し訳程度に出てくるとすぐに姉の部屋に引きこもってしまいました。

 年のせいでしょうか?今年の冬は何度か姉の部屋で粗相をしたそうです。食欲もなく、それでなくても痩せているのに、ますます痩せ細ってしまいました。

 このまま虹の橋を渡ってしまうのではないかと心配をして、動物病院に連れていきましたが、特に悪い所は無いとのこと。ただこれ以上は痩せさせないようにと言われました。

 ちょうど肛門絞りの時期だったので、そのついでに絞ってもらいました。するとみるみる元気になり、食欲も出てきてしきりにご飯の催促をするようになり、孫のお相手もしてくれるようになりました。

 やれやれと安心したのですが、今度は元気が良すぎて困ったこともしてくれました。

 テーブルの上に飛び乗り、皿の上の料理に口をつけようとするのです。今までそんなこと一度もなかったのですが、ずいぶん行儀が悪くなったものです。孫がいるのではしゃいでしまったのかも知れませんね。

 その上孫は孫でテーブルの上の皿を引っ張り下ろそうとしたりて、冷や汗ものでした。それでなくても総勢六人に食事の用意は大変です。孫はママが、ハナコは夫が見ることになりました。

 夫は気安くその役目を引き受けて、ハナコと炬燵に入れると、スマホを見はじめました。案の定ハナコはすぐに炬燵から出てきて、テーブル上に飛び乗りました。そのたびに夫を呼んで連れていってもらっていたのですが、さすがに三度目にキレました。

「祖父ちゃん、ちゃんとハナ見てよ」

「あれ、また出たのか。おいでハナコ炬燵に入ろう」

「だから炬燵に入れたけじゃすぐ出てくるの。スマホなんか見てないで、ちゃんとハナ見ててよ!」

「そうかい?」

 やっとスマホを見るのをやめました。ところが今度はただハナコを見ているだけです。テーブル上に上がろうとするハナコを見ているだけで、止めよともしません。

「祖父ちゃん『見てて』って言うのはね、ただ見ていればいいのではないのよ!悪さしないように見張っていてね。ていうことなのよ!」

「そうかい?」

 夫は私の言うことなど、はじめから聞いていないのでしょう。今度は孫と一緒に炬燵に入ってご機嫌です。娘は大笑いしながら二人にスマホを向けています。

 おかげで炬燵に入った祖父ちゃんと孫が、ニッコリと笑っているツーショットが撮れました。私はそんな写真一枚もありません。まったく夫ときたら、おいしい所だけ持って行ってしまうのですから……。

 ハナコですか?気がつくとどこにかに行ってしまっていました。きっと呆れたのでしょうね。

 


ゴミは分別して集積所に!

2024-03-25 09:55:50 | 日記

ゴミは分別して集積所に

 NHK大河ドラマ「光る君へ」を毎回楽しみに見ています。「平安時代」「紫式部」と聞いて正直な話、今年は期待できないと思っておりました。ところが見事にその良くない期待を裏切ってくれて、初回からハマってしまいました。

 昨夜は「庚申待の夜」が出てきましたね。六十日に一度やってくる庚申の夜に眠ると、腹の中にいる三戸(さんし)の虫が天に上り、天帝にその人の罪を告げる」と言われていました。そこで寝ずに夜を明かして、三戸の虫が天帝のところに報告にいかないようにするのだとか。

 古くからある行事で江戸時代に入ってからは民間にも広まったそうです。当地区でも私が高校生くらいのころまでは、この「庚申待」をやっておりました。

 二十数件ある小さな地区の中で同じ姓を名乗る家が十四・五軒あり、当番の家に手肴を持って集まり、酒盛りをしていました。また○○組と同じ姓の家同士で自分たちのことを名乗り、地区の共同墓地の近くに庚申塔を建立しておりました。

 庚申塔は庚申さまと呼ばれ、今でも○○組の有志でお世話をしています。姉もその中の一人で、墓参の後には必ず寄って掃除をしていきます。いつもきれいにしてもらって庚申さまも嬉しそうです。ただあの変なものさえなかったら……。

 さて何が変なのかと申しますと、この庚申さまの足元に「毛沢東」の置物が置かれているのです。毛沢東は椅子に腰かけ本を読んでいます。誰が何のために、また何時の頃に置いたのか分かりません。気がつくとそこにあったそうです。

 たぶん誰かが中国旅行のお土産に買って帰り、処分に困って置いたのではないか推測されますが、それも定かではありません。一度不燃ごみに出そうかという話になったそうですが、神さまの近くにあるものを勝手に処分するのも躊躇われて、そのままになっています。

 正直な話、そんなもの置いて行かれても困ります。私たち同じ姓を名乗る○○組(組を名乗るからって決して反社会的勢力ではありません)が、そうゆう思想の持主だと思われかねませんから。

 今さらこんなことを言っても手遅れなのですが「誰とは言えない誰かさん。ゴミは分別して集積所に持ってくれませんかね!」


郷に入っては郷に従え

2024-03-22 09:24:14 | 日記

郷に入っては郷に従え

「春は名のみの風の寒さや」という歌詞の唱歌ありますが、昨日はまた寒くなりましたね。生家のある地域では一昨日の朝、雨の中に霰(あられ)のような白い塊が混じっていました。暖かな日の後には寒い日が戻ってきたり、行ったり来たりしながら春がやってくるのでしょうね。

 三月は日の光が部屋の中に差し込まなくなるので、家の中の方が外よりも寒いですね。その上古民家は断熱材が入っていないので、とても寒かったです。三月の中旬に十日間帰省していた末娘一家ですが、果たしてこの寒さをどう思ったのでしょうか?

 とりわけ寒がりの娘は婿殿のために用意しておいた半纏まで着込んで、まん丸になっておりました。一方婿殿の方は半纏を取られても文句も言わず、息子の高校時代の服を嫌がりもせずに重ね着して、娘の部屋でリモートワークをしておりました。

 遠く離れたところでも仕事ができるなんて、これもコロナのおかげですね。おかげで楽しい日々を過ごすとこができました。

 また週末には県内の観光名所や全国に4万社あまりある八幡社の総本宮にも行ってきました。この神社は生家からは車で一時間くらい行った所にあります。

 約1300年の歴史があり、境内には国宝の本殿のほか多くの神社が点在しています。その割に初詣の時期以外は空いていて、私的には観光名所の穴場みたいなところだと思っていました。

 ところが久しぶり訪れてみると、参拝客が意外に多くて驚きました。しかも大半は海外からの観光客でした。今まで何度も訪れているのですが、こんなことは初めてです。

 しかしもっと驚いたのは皆さん実にお行儀がよく、日本の神社の参拝の作法を守っていることでした。きっと前もって勉強して来たのでしょうね。

 手水社のお清めはもとより、神殿の前での二礼・四拍手・一礼(通常の神社とは異なるが、当神宮では古義より現在に至るまで行われてきた)も、ちゃんとできていました。

 また中には鳥居前で一礼をしている方もおりました。正直言うと私は鳥居の下を通るときに一礼するなんて、日本人の癖に知りませんでした。なんだか恥ずかしくなって、私たちも真似して一礼しました。その後帰り際に神さまに、マナーの悪さをお詫びしました。

「郷に入っては郷に従え」ですね。もし私も今後海外旅行をする機会があれば、そこの国の文化や風習を前もって調べて行きたいと思いました。

 さてその日は天気も良くて、暑いくらいでした。さすがに寒がりの娘も上着を脱いでおりました。境内のアイスクリーム屋さんには行列ができ、観光客に混じって私たちも冷たいアイスに舌鼓を打ちました。

 翌日「楽しい思い出ができました」と言って、一家は東京に戻って行きました。四月から孫娘は保育園に通い、娘も職場に復帰します。その前に少し息抜きができたのなら、よかったです。