草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

べらぼう第十一回「富本仁義の馬面」見ました

2025-03-16 20:01:54 | 最近見たドラマ

べらぼう第11回「富本 仁義の馬面」

「ただなら喜んで貰うが自分で金を出すとなるとね」

 鶴屋が言った通りに、蔦重渾身の「青楼美人合わせ鏡」は一向に売れる気配はなく借金だけが残ってしまった。蔦重、腐っていましたね。でも一部の愛好家には絶大の支持を受けてましたね。自信作が受けないなんて。ちょっと子供の頃見た「太陽の王子 ホルスの大冒険」というアニメ映画を思い出しました。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」は1968年7月に「東映まんがまつり」の一本として上映されました。制作のトップに立ったのは高畑勲氏。彼にとっては初めての監督作品で、その後の中編、長編アニメに進出する足がかりになった作品です。でも興行的には成功しなかったようですね。

 この辺の所は広瀬すず主演のNHKの朝ドラ「なつぞら」でもやっておりました。映画を見に来た子供たちは飽きてしまって、映画館の中を走り回っているシーンがありました。内容が小さな子供向けでは無かったようですね。私もこの年の「漫画まつり」につれて行って貰ったのでしょうね。「太陽の王子 ホルスの大冒険」の事はよく覚えています。

 封切りの年から逆算すると「漫画まつり」に行くような年齢ではなかったのでしょう。小さな子供たちがウロチョロする中、一人だけ感動して画面に食らいついていました。主役の女の子の声が市原悦子さんで、ちょっと暗い感じがしました。でも見ているうちにどんどんと引き込まれて、最後は大感激しました。

「太陽の王子 ホルスの大冒険」私的には今でもナンバーワンのアニメ作品です。どうしてこんないい作品が話題にならなかったのか、不思議に思っていましたが「なつぞら」を見てその謎が解けました。

 さてその謎が解ける二十数年前のことです。まだレンタルビデオ屋さんの時代でした。ふとアニメのコーナーを覗くと有るではないですか「太陽の王子 ホルスの大冒険」が、早速喜んで借りてきました。ずっと子ども達に見せてあげたいと思っていたのです。

 ところがテレビに写し出された画面を見て、子供たちからは大ブーイングがおこりました。とりわけこだわりの強い長男は「こんなの漫画じゃない」怒りまくっていました。確かに「ドラゴンボール」や「スラムダンク」に比べれば、絵なんかちっとも動きませんからね。無理もありません。

 ところが長女の方は面白さが分かったようです。「面白から見てご覧よ」と長男を説得しています。長男の方も嫌なら見なきゃいいのに、怒りながらも見ていました。見ているうちに引き込まれていったのでしょう。最後はテレビの前に正座して見ていました。

 見終わったあと「良かった!」と言って立ち上がった長男。皆様の想像の通りでした。今でも時々その話をします。それが高畑勲の作品だと知ったのは「なつぞら」を見てからのことです。

 さて蔦重の「青楼美人合わせ鏡」結局売れずに、吉原のご贔屓さんに配られたみたいですね。ご贔屓さん達大喜びだったでしょうね。次回はどんな手で視聴者を楽しませてくれるのでしょうか。日曜日が待ち遠しいですね。


べらぼう第10回「『青楼美人』の見る夢は」見ました

2025-03-12 16:21:09 | 最近見たドラマ

べらぼう第10回「『青楼美人』の見る夢は」見ました

  何かを企んだような田沼意次。将棋を指す姐さんたちや本を読んでいる瀬川。通りで遊ぶ禿たち。出禁になったはずの西村屋が吉原に。見所はたくさんあったんですが、やっぱり今回は瀬川でしたね。とりわけ最後の花魁道中は圧巻でした。息を吞むほどに美しい瀬川。私たち視聴者を夢の国に連れて行ってくれました。いい物を見せていただきました。NHKさんありがとう。

 この瀬川を演じた小柴風花さん。とてもいい女優さんになりましたね。最近は民放のドラマの主役を何本もこなされていたようですね。麦茶のコマーシャルが好きでした。とても綺麗な人なのに親しみやすい。フリージアやチューリップみたいに誰にでも愛される。私的にはそんな感じでした。だから今回の花魁役はちょと意外だったのですが……。

 ところが良い意味で期待を裏切ってくれました。見事な大輪の牡丹の花を咲かせましたね。「おさらばぇ」大門を出ていく瀬川に幸あれ。と結びたいのですが、何かを感じ取ったような鳥山検校の表情が気になりますね。

 史実はどうであれ「べらぼう」の中の瀬川には幸せになってほしいものです。次回が気になります。気になると言えば「青楼美人」を見た鶴屋の「この本は売れない」発言も気になりますね。「青楼美人」は売れるのか売れないのか。次回が楽しみですね。

 

 


草むしり作「苦うりと狐」

2025-03-06 08:51:31 | 草むしりの「ジャングル=ブック」

 goo bulog アクセス分析。毎回どんな記事が読まれているか、楽しみに見ています。今日は「童話書きましたが」アクセスされていました。これは子供の頃の思い出を童話にしたものです。手前味噌になるのですが、とてもよく書けていて感動しました。一度読んで見て下さい。

 当時は新美南吉の「ごん狐」に心酔していた時期だったので、なんとなくそれっぽく書いてしまいました。

草むしり作「苦うりと狐」
 

 これはお婆ちゃんが子どもの時のお話です。

 山の中の小さな村にお椀を伏せたような丸い形の山がありました。女の子の家はこの山の麓にありました。お父さんとお母さん、お祖父さんや三人の姉さんたち。女の子は大勢の家族と毎日賑やかに暮らしていました。  

 一方山の中腹のブナの木の下には、狐の巣穴がありました。巣穴には子狐のギンが、お母さん狐と一緒に棲んでいました。一緒に遊ぶ友達や姉弟もいないギンは、時々女の子の家にやって来てはいたずらをしました。
 

 カゴの中の甘柿を渋柿とすり替えたり、後で食べようと思って残しておいた卵焼きを食べてしまったり。いたずらと言っても他愛の無いものでした。でもそのいたずらの被害にあうのは決まって女の子でした。女の子はギンを懲らしめるいい手立ては無いものかと、いつも思っていました。
 

 今日も学校から帰ると、庭で飼っている雄鶏に追いかけられました。きっとギンが雄鶏をけしかけたのに違いありません。でもこんな時に限って家には誰も居ません。

 畑の中を逃げ回りもう少しで突かれそうになった時、お祖父さんが帰って来て助けてくれました。お祖父さんは泣いている女の子に、ビスケットをそっと渡してくれました。女の子は嬉しくなってすぐに泣き止みました。
  

 女の子がビスケットを食べていると、田んぼからお母さんが帰って来ました。お母さんは畑でキュウリの種を撒き直しています。女の子が畑の中を逃げている時に、出たばかりのキュウリの芽を踏んでしまったのです。  
 

 女の子はお母さんのお手伝いをしようと思ったのですが、食べかけのビスケットが気になります。そのまま残しておくと、ギンにまた食べられてしまうかもしれません。そこで大急ぎで残りのビスケットを食べてしまうと、畑に走って行きました。
 

 女の子がキュウリの種を畑に蒔こうとしたら、急にしゃっくりが出てきました。しゃっくりがどうしても止まらず困っている女の子に、お母さんが笑いながら言いました。

「慌てて物を食べたりするからよ。井戸に行って水を飲んでごらん」
 水を飲むと本当にしゃっくりが止りました。

「良かった、苦うりの芽が無事で」
 畑の隅で苦うりの芽を見つけたお母さんが、嬉しそうに言いました。苦うりとはその名の通り苦い味のするうりのことです。女の子はこの苦うりが嫌いだったので、そっちの芽の方を踏めばよかったと思ました。
 
 梅雨明け間近の夕暮れ時でした。
「明日は『おらんだ』にしよう」
 お母さんが初なりの苦うりを見て言いました。女の子はおらんだが嫌いだったので、「嫌だなぁ」と思いました。おらんだとは苦うりとナスとで作る料理のことで、女の子の住んでいる地方では、夏になるとどこの家庭でも食べます。 

 作り方は簡単で、苦うりとナスを油で炒めて味噌で味をつけます。その上に水で溶いた小麦粉でとろみをつけて出来上がりです。苦うりを入れるからなすまで苦くなってしまいます。お母さんは苦い所が美味しいと言うのですが、女の子は苦いから嫌いでした。

「苦うりなんか植えなければいいのに」
 畑の苦うりを見て、女の子は思いました。でもその時鶏小屋の陰で、黄色い尻尾がチラリと揺れたのが見えました。女の子はいいことを思いつきました。

「明日はおらんだだ。嬉しいなぁ」
 女の子は苦うりを見ながら大声で言うと、スキップをして家に帰りました。
 

 次の朝早く女の子は畑に行ってみました。畑には狐の歯型の付いた苦うりが転がっていました。苦うりをひと口噛んだギンが、あまりの苦さに驚いて逃げて行ったのでしょう。小さな狐の足跡が無数に残っていました。
 
 あれから長い月日が経ちました。女の子もとんと年を取り、お婆ちゃんになりした。あれほど嫌いだったおらんだも、いつの間にか大好物になっていました。

 苦うりは今ではゴーヤと呼ばれるようになりました。沖縄料理のゴーヤチャンプルーはすっかり有名になりましたが、おらんだの方はあまり有名になりませんでした。けれども女の子の住む地域では相変わらず食べられています。そして大人は大好きですなのですが、子供は皆嫌がります。
 

 それに比べ世の中は大きく変わってしまいました。近頃では鹿や猪が田畑を荒し、狐はまったく見かけなくなりました。若い人たちは町で暮らし、子供たちの姿もみかけなくなりました。子供がいなくては狐もいたずらができなくて、寂しいのではないでしょうか。
 

 雨上がりの畑では苦うりの実が大きく育っていました。お婆ちゃんは不意にギンのこと思い出しました。ギンも年を取って苦うりが好きになったことでしょう。その時です、倉庫の陰で黄色い尻尾がチラリと揺れたのが見えました。

「明日はおらんだ、うれいな」

 お婆ちゃんは嬉しそうに言うと、家に帰っていきました。

 


べらぼう第9回「玉菊燈籠恋の悲劇」見ました

2025-03-03 09:58:05 | 最近見たドラマ

べらぼう第9回「玉菊燈籠恋の悲劇」見ました。

 「なんて女心が分からない奴なんだ。このトンチキが」と前回、テレビの前の視聴者を激怒させた蔦重。でも二十年来の自分の気持ちにやっと気づいた、なんて泣かせますね。しかし気づいた所で身請など出来ない相談です。それでも年期開けには請け出すと言われ、うれし涙が瀬川の頬を伝いました。

 しかし年期明けまで瀬川の体が保つのだろうか。こうなれば足抜けしかない。と決心した矢先、新之介とうつせみの二人が先に足抜けしてしまいましたね。しかしすぐに追っ手に捕まり、折檻されるうつせみ。

 「だた幸せになりたかった」と言ううつせみに「追われる身になってこの先どう生きていくのか。男は博打女は夜鷹に、なれの果てなんてそんなもんさ。それが幸せか」と松葉屋の女将の容赦ない折檻が続きます。

 花魁にとって金のない男の懸想など、幸せになる邪魔立てでしかないのか。新之介の言葉が刺さりますね。結局瀬川も足抜けを諦め、身請話を受けることのなりました。

「ここは不幸な所だけど、人生を変えるようなことが起きないわけじゃい。そいうゆ背中を女郎にみせる勤めが瀬川はある。瀬川の名を背負うってのはそういうことさ」松葉屋女将の言葉には、説得力がありましたね。でもこの女将ただ者ではありませんね。千両の身請金がいつの間にか千四百両にはね上ってましたから。瀬川に幸あれ……。

 しかし年期明けまで勤め上げて幸せになった花魁はいないのでしょうか。私は一人知っていますよ。落語「幾代餅」の幾代太夫がいるではないですか。たぶんこの話を元にしたでしょう。我がgoo blogでおなじみの「くるねこ大和」さんの「やつがれお夏」という作品もあります。

 やつがれは尻尾の先が黒と白大きな雄猫でがざいます。竹藪の外れの茅葺屋に小猫のチビ太と暮らしておりました。チビ太はやつがれが拾った子猫でございまして、甘えん坊の泣き虫でこざいました。

 ある日チビ太がやつがれの様子がおかしいと針のセンセを呼びにきました。大慌てでセンセが駆けつけると、やつがれは寝込んでご飯も喉を通らないとか。死んじゃうのと泣き出すチビ太を寝かしつけ、何があったのかと尋ねるセンセ。

 理由を聞いてセンセ大笑い。なんと今をトキメク花魁「甘夏太夫」の錦絵を一目見て、恋い焦がれてしまったのです。太夫に会えるのなら三年かけて貯めた金四両と少々、一晩で使っても惜しくない。と言うのでございます。そこまで言うのなら尾張の酒問屋の若旦那と幇間医者というふれ込みで、太夫に逢いにでかけたのでございます。やつがれの袖の中はチビ太もいます。

 さて楽しい夜も明け別れの時間がやってきました。「今度はいつ来てくんなますの」と聞く太夫に「一生懸命に働いて今度来るのは三年後」と貧しい身の上を正直に打ち明けたやつがれ。「わちきは今年の八月、年期が明ける」という太夫に「ここで会えないならおいらの家においでよ」とチビ太が誘います。「名案ざます」と答える太夫。

 朔日の朝太夫は本当にやって来るのでしょうか?チビ太がかわいくてやつがれが大きくて優しくて、ゴロゴロと猫の喉を鳴らす音が聞こえて来そうな作品でした。こんな話。べらぼうの中も登場してほしいですね。

 


今度の土産は

2025-02-27 06:36:01 | 草ながめの得意料理

今度の土産は

 長い間書きかけている文章。なかなか進みません。それでも一週間に2、3行程度は増えていくのだから、全く進んでいない訳ではないですね。

 今書いているのは料理のシーンで、一人暮らしの90歳のお婆さんがトマトソースを作っているところです。畑のトマトをめぐってのカラスとの攻防戦や、トマトをグツグツと煮込む所など面白く書けたのですが、その後の瓶詰めの作業がどうもうまく書けないのです。

 瓶詰めの場面は話の本筋ではないので、でできれば1、2行で片付けたいところです。ところがそれがうまく書けずに困っています。出来上がったソースの風味をそこなわず長期に保存ができるようにするのは、瓶の煮沸消毒と脱気が大切な作業になります。その作業自体が、ほんの1、2行で済まされるものでは無いからです。

 まず鍋にたっぷりの水にガラス瓶と蓋を入れて火に掛る。沸騰したら火を少し弱め10分ほど煮て、トングや菜箸などで取り出す。ざるの上に蓋と瓶を逆さにしてそのまま冷まし、食材がまだ熱いうちに瓶に詰める。とここまでが瓶詰めの作業で、後は脱気が控えています。

 食材は瓶の蓋がしまる部分から1㎝ほどの所まで入れ、蓋を軽く締しめる。鍋に湯を沸かし、沸騰したら鍋底に布巾を敷いて保存瓶を並べ、蓋にお湯がかぶらないような火加減で15分加熱し取り出す。布巾や鍋つかみ、軍手等を使って熱いうちに蓋をギュッと締め直し、そのまま放置して自然に冷ます。

 以上がその作業ですが、面倒くさそうですね。90歳のお婆さんにそんな作業をができるだろうかと、考えてしまったわけです。第一熱湯を使うので、火傷なんかしたら大変じゃないですか。そう思ったら、もう書けなくなってしまいました。実はトマトソースを作る場面のお婆さんは、私の姉をモデルにしているからです。

 もちろん姉はまだ90歳ではないので、熱湯を使っての消毒や脱気などむしろ楽しげにやっています。ただこれから先のことを考えればやはり心配です。実際トングで熱い空き瓶を掴むは難しいし危ないとは思いませんか。何かもっと安全な方法は無いもかと考えていたら、子供たちが哺乳瓶を電子レンジで消毒していたのを思い出しました。

 電子レンジで消毒?どうやってと思うかもしれませんが、専用の哺乳瓶消毒ケースがあるのです。このケースに中に哺乳瓶と水を入れて、電子レンジで5分加熱するとスチームで消毒ができる仕組みになっています。しかしこれは哺乳瓶専用なので、耐熱でもないガラス瓶はちょっと不安ですね。でもその他にも滑り止めのついた哺乳瓶専用のトングや、スタンドに哺乳瓶を被せて自然乾燥させる哺乳瓶専用の水切りラックもあります。

 このトングとラックがあれば作業がかなり安全で楽になるのではと、閃いてしまいました。早速「赤ちゃん本補」に行ってみなければ。三月になったらまた二週間ほど生家に帰ります。今度のお土産は哺乳瓶消毒セットします。姉は果たして喜ぶのでしょうか、それとも呆れるでしょうか。気になるところですね。

 さて気になると言えばもう一つ、畑の野菜も気になります。前回11月に帰った時にはタマネギを植えたのですが、それが今どうなっていることやら。自称「草むしり」の私に比べ、姉の方は「草ながめ」なのです。どんなに草が生えていようが頓着無し。無理に草むしりなどしようものなら倒れてしまいそうなので、私の方も彼女には草むしりなどするな。と言っております。

 そこでなるたけ草を生やさないように、マルチを張って野菜を栽培しています。ところが今回はタマネギにはマルチを張るなとの「草ながめ」の命令が下りました。。草ながめ曰く「草など生えていてもタマネギは育つ」というのです。言い出したら私の言うことなど聞かない人なので、黙って命令に従ったのですが、果たしてどうだか?草ボウボウの畑が思い浮かばれます。

 姉はこんな風だから野菜には全く興味が無いのかと言えば、そうでもありません。収穫した野菜の加工にかけては「草ながめ」に適う人はいません。出来上がったトマトソースを使ったピザやパスタは絶品です。ブルーベリージャムやバジルソースは婿殿達や親戚、隣近所いたるまで皆が楽しみにしています。

 長らく草むしりの得意料理を書いてきましたが、これからは「草ながめの得意料理」も書いて見ようと思っております。それにつけても物語の中の煮沸消毒と脱気作業、さらっと流すべきか詳しく書くべきか迷うところです。