草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

手が震える!

2023-10-20 22:33:23 | 偏屈婆さん

手が震える

 過ごしやすい季節になりましたね。日中はまだ暑かったですが、今夜から冷え込むようですね。皆さま暖かくしてお休みください。

 我が家でも今まで使たことのなかった掛け布団に、新しいシーツを掛けて冬支度をしました。ただサイズを確認しなかったため、蒲団より大きなサイズのシーツを買ってしまいました。

 この布団はたぶん毛布と同じサイズなのでしょう。横幅は同じなのですが縦幅がシーツより10センチ短いのです。そこでシーツの下の部分を縫いこんで、蒲団のサイズに合わせることにしました。

 難しく考える必要はありません。ただシーツの下の縫い目から10センチ上をまっすぐ150センチ縫えばいいだけの話です。昔だったらこんなものすぐにできたのに、どうしたことか時間がかかってしまいました。

 それと申しますのも、裸眼では針の穴が見えないのです。そこで老眼鏡かけて、針穴に糸通そうとしました。ところが糸の太さが針の穴よりも大きくて、通すことができないのです。

 糸は太口サイズの木綿糸なので、無理もありません。木綿の糸はハサミで切ると、切り口が針の穴より太くなってしまいます。このような場合は糸を手で引っ張ってちぎると、ちぎり口が細くなります。細くなった部分を指先で縒(よ)って針穴に通すのです。

 そこで早速糸を引きちぎって針穴に通し、グシグシと縫っていきました。ただ150センチも縫わなければならないので、途中で何度か糸が無くなりました。そのたびに力を込めて糸を引きちぎりました。

 そのせいでしょうか、途中で手が震えてはじめました。稀にお年寄りの方で、手が小刻みに震える方がいらっしゃいますね。あんな感じです。

 子供の頃エンタツ・アチャコという大御所漫才師がいました。エンタツは見たことがなかったのですが、アチャコの方はテレビで見たことがあります。お年寄りの役をして、片方の手をブルブル震わせていました。大げさな震え方で、止めようとするとますます大きく震えて、最後は体中を震わせていました。それがおかしくて大笑いしたのを覚えています。

 昨日の震えは、まさにアチャコ級の震えでした。止めよとして手に力を入れるとますます震えが大きくなり、最後には手だけだはなく腕まで震えてしまいました。

 アチャコの演技は、もしかして本物だったのかも知れませんね。私の場合は少し休むと震えも止まり、無事に150センチ縫うことができました。

 その時木綿糸を引きちぎる方法を教えてくれた、伯母のことを思い出しました。母の姉である伯母は母とは一回り、私とは三回り違う猿年の生まれです。

 伯母は自分の生家である母の実家で暮らしており、昼間は少し離れたところにある酒屋の店番していました。とても元気で店番の他にも畑で野菜を作り、店の周りは掃除も行き届いておりました。

 しかし九七になった年に腰を痛め、しばらく寝たきりになりました。誰もがこれが最後と思いましたが、見事に復活しまた歩き始めました。白寿の祝いをしてもらい、百歳を数か月後に控えたある日大往生しました。

 糸の切り方を教えてくれたのはちょうど腰を痛めて寝ている時でした。その時もやはりシーツの丈を縮めておりました。伯母は糸の切り方を教えてくれただけではなく、裸眼で針に糸も通してくれました。

 私は自分が老眼鏡をかけているのが、恥ずかしくなりました。その上今では、糸を引っ張っただけで手が震えるなんて……。

 今の私を見て伯母はなんと言うでしょうか。


なるようになるさ2

2019-10-24 19:06:25 | 偏屈婆さん
なるようになるさ 2 
 お茶と芋の煮物、頼まれた洗濯物を持って、一人暮らしをする伯母の家に行った。週に二日、日曜日と水曜日には行くようにしているが、この前の日曜日には用事があって、姉に代わってもらった。

 という訳で一週間ぶりの訪問である。「どうだった運動会」会うなり伯母に運動会の話を聞いた。と言うのも、先週の水曜日にはディサービスの運動会に出かけて、伯母に会えず仕舞いだったからだ。九九歳の伯母が、一体どんな競技に出たのか、ずっと気になっていた。
 
 「玉入れ「」と「パン食い競争」に出たと言う。ディサービスの運動会なので、たぶん私の想像する「玉入れ」でも「パン食い競争」でもはないのだろうが、持ち前の負けん気を出して頑張ったのではなかろうか。ニコニコ笑って運動会の話をしていた。
 
 日曜日に姉が行った時、このごろ目が見えなくなったとこぼしていたと言う。白内障ではないかと思い目の中を覗いてみようと思うのだが、笑ってばかりいるので目の中を見ることが出来なかった。
 
 まあいいか。所詮見たとしても素人に分かる訳がない。なるようになるさ。それよりも笑顔を見た方がもっと良い。
 
 それにしても近頃はやる気満々で、一時止めていたクロスワードパズルもまた再開した。目が見えないなんてこぼす割には、小さなマスの中に何やら字を書き込んでいる。

なるようになるさ

2019-10-16 20:22:19 | 偏屈婆さん
なるようになるさ
 
 毎週水曜日と日曜日は一人暮らしをしている伯母の所に通っている。今日も訪ねていくと、家に鍵がかかっている。近くに住む生家の甥に尋ねると、ディサービスの運動会に行ったと言う。

 いつもは火曜と金曜日に行くのだが、今日は特別なのだとか。それにしても運動会とは、応援だろうかそれとも選手で出るのだろうか。

 伯母はこの秋で満九十九歳になった。先日の誕生日には、甥に白寿のお祝いをしてもらったばかりである。ずっと元気で人には頼らず、なんでも自分でやって来た。それが昨年の五月に腰を痛め、今では寝ていることの方が多くなった。

 ディサービスには昨年の八月から通い始めた。最初は行くのをすごく嫌がったが、すぐに馴染んで、この頃ではディサービスの話ばかりをしている。

 留守なら帰ろうかと思ったが、せっかく来たのだから掃除だけでもしようと、合鍵を使って家の入った。見慣れた伯母の家が、いつもと違って見える。主のいないベッドがなんだが寂しい。いつかはこんな日が来るだろ。その時私は泣くのだろうか、笑うのだろうか……。

 いかん、いかん、勝手に想像力を働かせては。運動会を楽しんでいる伯母に失礼だ。当の本人は「これ以上生きたいとも、もう死にたいとも思わない。なるようになるだけだ」と言っているのに、私がいらん事を考えてどうする。秋風に吹かれながら、ケセラセラと口ずさんだ。


草むしりの「桃の井戸」

2019-06-17 12:50:50 | 偏屈婆さん
どっちだろうか 
 
 昨年の秋口だっただろうか。「気がつくともうこんな歳になってしまった。けれど気持ちの方は子どもの頃のままだ」と伯母が言ったことある。まあ、皆思っていることなのだが、九十九歳になる伯母の口から聞こうとは思わなかった。
 
 伯母の話と言えば、子供の頃のことや若い頃に行っていた満州のことくらいだと思っていたのに。もっとゆっくり話を聞いてみたい気がするのだが、頼まれた用事が終わるとすぐの帰ってしまう。
 
 今日は朝から雨が降っている。ゆっくり話を聞いてみようか。できれば伯母が喋った通りに、そのまま書き留めておくのもいいのではないか。シーツの交換や箪笥の中の整理をしながら、ぼつぼつと伯母の話に耳を傾けた。
 
 生家の甥の家の田植えの話や、十人いた姉弟の話。姉弟の中で一番長生きした長女の伯母に似て来たね。等と話はつきない。
 
 しばらくして足のふくろはぎに出来た痣を摩りながら、近ごろ痣やシミの上の皮がペロリとむける。と言って、小指の爪ほどの大きさの皮を剥いで見せてくれた。
 
 何度か皮がむけると、下からきれいな皮膚が出て来る。体中の皮がむけて赤ちゃんみたいにきれいな肌になったら、お迎えが来るのだろう。というようなことを言った。
 
 なるほど良いことゆうものだ。早速家に帰ると、パソコンのワードを開いた。
 
 この頃、こうしち皮がむくる。これはアレのあとで、むけた後はきれいなナニがでてくる。あそらくナニだ、ナニが全部むけて、アレにになったら、あそこからお迎えが来るだろう。
 
 うーん喋ったことをそのまま書き留めておくには、ちょっと無理だった。やはり愛情のある注訳が必要だろう。
 
 それにしても果たして伯母は、あそこに行きたいのだろうか、行きたくないのだろうか。
 

台風接近中一時偏屈婆さん

2018-07-01 22:39:59 | 偏屈婆さん

 台風が接近中、風がどんどん強くなる。畑を見回り、軒下の物干し竿やプランターを仕舞う。準備万端整えて台風を待っていると必ず逸れる。一種のおまじないのようなものだ。まさかそのせいではないのだが、ここ10年以上も台風の進路が微妙に逸れて、大きな被害に見舞われたことがない。ほんのひと山超えた先が大雨に見舞われているのに、ここは無事なのだ。この先いつまでもラッキーなことは続かないだろうが、今度もおまじないをきちんとして、台風に備えよう。

 亡くなった母の姉にあたる伯母は母とはひと回り、私とは三回り違う申年生まれで、秋のお彼岸がくる頃には九八歳になる。ずっと昔、私が二四歳の時だった。この年は何百年に一度の申年にあたり、申年の娘が母親に赤いパンツを買ってあげると、元気で長生きするといういわれがあった。おかげで母親にパンツを買わされ、ついでに子供のいない伯母の分も強制的に買わされた。
 その時のパンツが効いたのか、伯母は未だに元気で酒屋の店番の傍ら畑仕事をしている。お金の計算は五つ玉のそろばんでパチパチと済ませ、畑には草が一本も無い。歯も一本も無いが代わりに歯ぐきで物を噛み、塩サバに塩をかけて食べるという強者である。たまに風邪をひいても昼間は蒲団で寝ずに、座椅子に座って俯いて病を克服するという、医者知らずの元気ものだ。
 そんな伯母が「腰が痛い」と言い出したのは二月前だった。さすがに痛かったのだろう、初めて医者に行った。お尻を出して座薬を入れるのや、汚れた洗濯物。近くの生家には義妹や甥夫婦もいるのだが、「こんなこと頼めるのはアンタしかいない」と初めて私にSOSが来た。
 腰の方はすぐに治ったが、今度は座骨神経痛が出て座っていられなくなり、ついに蒲団に寝るようになった。それでも痛い足をかばうように、トイレには這っていく。ちょうど赤ちゃんが歩きだす前にする高這いと同じ格好で、お尻を高く上げて四つん這いなって這うのだ。初めて子供がハイハイをした時にはとても嬉しかったが、伯母の這う姿を見た時にはなんだか切なかった。
 それから二月あまり経つが、足はちっともよくならない。あまりに高齢で医者も打つ手がないのだという。それでも彼女はめげない。いつものように這うのだが、だんだんとスピードアップしている。酒屋にお客さんが来ると、這って出て商売をする。その上この頃では偏屈なことを言うようになった。
 私がホウ酸で作ったゴキブリ団子を家のあちこちに置いた所、しばらくしてゴキブリの死骸があちこちで見られるようになった。それを見た伯母は、ゴキブリは見つけ次第踏み殺し、出てきそうな引き出しは全部日に当てて日光消毒していたと、さも迷惑そうに言うのだ。ゴキブリ団子が効いたのだから、素直に喜べばいいのに。  
 母もよく私が何かしたり買ってあげたりすると、いつも迷惑そうに偏屈な事ばかり言っていた。たぶん私に無駄使いをさせまいとして言っていたのだろうが、そう言われると腹が立ちよくケンカになっていた。伯母のそんな所が母にそっくりだと思った瞬間「母ちゃん、またそんな偏屈なこと言う」と思わず口走ってしまった。子供のいない伯母は母ちゃんなんて言われたことないだろうし、私も伯母に母ちゃんなんて言ったことない。二人で目をパチクリさせていた。
 この頃では伯母の這うスピードはますます速くなり、偏屈も激しくなった。この分ならもうじき立って歩けるようになるかも知れない。百歳まであと二年、イケルかも知れない。