草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

上には上がいる

2023-06-09 10:03:14 | 平成

上には上がいる

 天皇皇后両陛下ご結婚されたから三十年になりますね。ちょうど三十年前の六月九日でしたね。私は別に皇室追っかけのおばちゃんではないのですが、その日のことはよく覚えています。

 その翌日が自分の誕生日だったということもあるのですが、そんなことよりもその日が雨だったからです。その日は祝日になったので、夫は雨の中ゴルフに出かけました。

 でも夫がゴルフにいった日を三十年経っても覚えているなんてこと、普通は絶対ありませんよね。でも覚えているのです。それは雨が降っていたからです。そして夫は自他もとに認める「晴れ男」だったからです。

 ですからその日にゴルフに行くことを数日前に伝えられた時も、いやな顔はしないで是非行ってくれと言いました。その日が雨になるのは早くから分かっていたので、こうなれば夫の神通力に頼るしかないと思ったからです。

 その日のこと皆さん覚えていますか?朝か降っていた雨が、午後からのパレードが始まる前にぴたりと止みましたね。あれは今でも夫の「晴れ男」効果だと私は思っています。

 満面の笑みをたたえ沿道の人々に手を振るお二人。白いドレスの雅子さま頭上にはティアラが輝いていましたね。今日ばかりは家族を顧みずゴルフに行った夫を、誉めてあげようと思っていた時でした。

「私も雅子さんの結婚式に行きたい」

 と一緒テレビを見ていた末娘が言い出したのです。

「でも結婚式の舞踏会には招待状が無いと行けないよ。招待状もらった?」

「来てないけど、大丈夫だよ。私は雅子さまテレビで見て知っているから、雅子さまもきっと私のこと知っているよ」

 等と言い出しました。

 きっと幼い娘の目には、幸せそうなお二人が王子様とお姫様に見えたのでしょうね。

 そんなこんなで三十年前の六月九日のことを私はよく覚えております。

 また余談になりますが、当時夫の職場には「雨男」と自他ともに認める人物がいて、ゴルフに行くと必ず雨になるといわれていたそうです。さすがの夫もその人と一緒だと、大雨に降られるのだとか。

 上には上がいるものですね。

 


草むしりの「箭竹」

2019-02-22 16:21:04 | 平成
草むしりの「箭竹」
 
 山本周五郎の「日本婦道記」の主人公の女性たちは、多くを語ることなく日々の暮らしぶりが、周囲の人間を感動させる。とりわけ配偶者である夫には、大きな感動を与えている。その中にあって「箭竹」のみよの生き方は、彼女を取り巻く多くの人たちに、そして将軍にまでも感動を与えている。
 
 みよが息子の安之介を背負い、照り返しの河原を歩いて消えていく情景が目に浮かぶ。下僕の六兵衛の目には、ゆらゆらと揺れるかげろうの中にみよがみえたであろう。しかし私には熱く燃え立つようなかげろうが、みよの決心の象徴のように思えた。
 
 さて2011年の大学生の就職内定率は68,8パーセントと過去最低のものだった。そんな中でからくも内定を勝ち取った息子であったが……。意気揚々と帰省すると思っていたら、まるで人生が終わった人のように私の前に現れた。厳しい現実との闘いだったようだ。

 「これからが、本当の勝負ですよ」とみよを気取った私の言葉に、彼は素直に「はい」と答えた。今から八年ほど前の思い出である。

2011年2月文章講座

いろはかるた

2019-01-03 12:36:23 | 平成
いろはかるた

 お正月の遊びというと、次女が幼稚園に上がる年のかるた取りが思い出される。

 裏面が若竹を連想させるような緑色で、それがそのまま表の縁取りになっていた。描かれている絵は、江戸時代からタイムスリップしてきたように見えた。「犬も歩けば棒にあたる」で始まる、いろはかるたである。

 当初その絵に違和感を覚えたのは子供たちだけではなく、購入した私自身もそうだった。それでも一度試しにとってみると、面白くて何度も繰り返し取ったのを思い出す。そして最初の印象とは違って、平成のバブルの時代に媚を売らないその絵が、新鮮に見えて来た。

 しかし絵以上に惹かれたのが、面白いことわざの数々だった。興味を持ったことを楽しく遊びながら覚えるのに、大人の知識や子供の頭の柔らかさは関係ないようだ。家族全員で楽しく覚えてしまい、絵を見ただけでそのことわざを言えるようになった。

 とりわけ次女は強い興味を示した。三人姉弟の末っ子の特権を行使して休日の父親の膝の上に座り、何度も繰り返しかるたを取っていた。嬉しそうな娘と何度も読まされて疲れ切った夫の顔を、懐かしく思い出す。


忘れられない言葉

2018-12-13 14:38:08 | 平成
忘れられない言葉
 
 日光東照宮の「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿を見た時には、正直がっかりしてしまった。もちろん三猿自体は素晴らしいものだが、問題はそれが神厩舎の長押上に施されていることだ。ここでも猿は馬と一緒にいる。         

 子供の頃には優等生の姉に劣等感いっぱいで育った。結婚してからは三人の子供の子育てに追われる日々だった。申年生まれの私と、午生まれの姉と夫。「昔から猿は馬の病気を治すと言われている」と説明されているのだが……。「猿は馬の付け足し」と言われているようで、背中で眠っている次女がやけに重く感じられた。

「猿は馬の病気を治すだけではないンだよ」その時一緒に行った父が言った言葉が忘れられない。「河童は馬を水の中に引きずりこんでしまうのだが、猿が怖い。だから猿が馬の傍にいると、河童は馬に手出しができないのだよ」と言うのだ。「そうか猿は馬を守っているのか」と思うと、なんだか晴れやかな気持になった。

 六十数年間、申の私の傍にはいつも午がいる。申の私が守っていると思っていたが、本当は二匹の午に守られているのだろう。



時間旅行

2018-11-27 13:56:57 | 平成
 時間旅行
 
 二十数年前に、滋賀県の近江八幡市に二年ほど住んでいた。今考えても残念なのは京都の近くだったのに、ほとんど行ったことがなかったことだ。たぶんいつ行っても混んでいるのが、当時はとても嫌だったのだろう。
 
 八幡に越してすぐの頃は琵琶湖が珍しく、子供たちと一緒に自転車で探索をした。ある時湖岸の道路を行き当りばったりで走っていたら、安土城跡に出たことがあった。
 
 田んぼの中の小高い山が、教科書に出て来る有名な場所とはとても思えなかった。当時の面影を残すのは石段と、聞いたことのある武将の住居跡に立っている看板だけだった。
 
 ハイキング気分で石段を登っていくと、森蘭丸の住居跡があった。信長の住まう天守閣のすぐ近くであり、天下に名を轟かせた武将たちよりも最も近いところにあった。いつも信長の傍近くにいたことが伺われる。
 
 今風に言えばイケメン。その人となりに思いを巡らしている時だった。不意に風が吹き抜けた。「蘭丸がいた」風が私の頬を撫ぜた瞬間、蘭丸の息づかいを感じた…。

 遠い過去に一足飛びに、時間旅行をした。 壮大な天守閣や、賑やかな城下の街並みが、木々の向こうに一瞬見えた。