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菅原文太さん死去、81歳

2014年12月01日 20時00分00秒 | 音楽・芸能
「激しく、熱い波動」=菅原文太さん訃報に悼む声
時事通信 12月1日(月)18時19分配信

東映やくざ映画の一時代を支え、最後まで多彩な活動を続けた菅原文太さん。突然の訃報に、共演者らから追悼のコメントが寄せられた。
「妖怪大戦争」で子役時代に祖父と孫の役で共演した神木隆之介さんは「とても良くしてくださり、本当の祖父のようでした」と優しかった現場での菅原さんをしのんだ。
「仁義なき戦い 広島死闘篇」などで共演した北大路欣也さんは「激しく、熱い、文太さんの波動が忘れられません」と短い言葉で悼んだ。
市川崑監督の「映画女優」で共演した吉永小百合さんは「密度の濃い日々でした。溝口(健二)監督と田中絹代さんに扮(ふん)しての芝居でしたが、緊張感の中で胸が躍りました。近年の社会的なご発言も、私の心に強く響いております」とコメントした。
晩年は有機農業や脱原発、そして反戦のメッセージを発信し続けた菅原さん。妻の文子さんは「小さな種をまいて去りました。一つは無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわぬよう、共に声を上げることでした」と思いを伝えた。
 

高倉健さん、菅原文太さんと東映の看板スターが相次いで世を去った。
共に東映の人気シリーズを支えた名優であったがスタートは大きな差があり、東映ニューフェイスでデビュー当時から大スターだった高倉さんに対して、菅原さんは大部屋から叩き上がりで主役を取った苦労人だった。プロ野球に例えるならば、高倉さんはドラフト1位指名で開幕一軍スタートだったのに対して、菅原さんはドラフト外入団の二軍スタートという感じだ。
映画会社にはそれぞれのカラーがあって、東宝は森繁さんの社長シリーズや植木さんの無責任シリーズといったコメディ主流だったのに対して、高倉さんや菅原さんの東映は任侠物や時代劇がメインだった。当時まだ少年だった筆者は、従って東映作品で見るのはこども祭り(まんが祭り)くらいで、ほとんどは東宝封切館ばかりに行っていた。ゴジラもあったしねw
東映作品を見たのは大学生になって以後、名画座で4本立て1.000円なんていう時代かな。
菅原さんのトラック野郎シリーズは、とかくドロドロしがちな東映作品にあってはコメディを前面に押し出した作品だった。しかし東宝の軽妙なコミカルさと異なり、どちらかといえば松竹の男はつらいよ(寅さんシリーズ)のような人情コメディだった。毎回、地方ロケを行い、一番星桃次郎(文太)とやもめのジョナサン(愛川欣也)の他に、ご当地のトラック野郎を出演させたことなども寅さんシリーズを監督が意識したのかもしれない。
それにしても最近は訃報が続く。毎年、年末になると『今年他界した著名人』みたいな特集があるが、11月や12月をを多く目にする。これは年末によく死ぬということではなく、寒さが厳しくなっていって…が原因ではないか。暖かい時期ならちょっとした体調不良でも冬になると肺炎等を引き起こし…という原因が考えられる。ご高齢の方々はご自愛くださいねw