時代のウェブログ

イマを見つめて
提言します

愛猫の遺骨を埋葬しました

2015年02月26日 20時00分00秒 | その他
前回のエントリーで書いたように、部屋に安置していた愛猫の遺骨にかける言葉が、
「(助けてやれずに)ごめんね」
から、
「(今まで色々と)ありがとう」
へと変わったことから、そろそろ潮時かなと思い、愛猫の遺骨をお寺で供養してもらうことにしました。
遺骨がなくなり、猫の気配がすっかりなくなった部屋にいると、なんだか長いお祭りが終わったような気持ちになりました。
約二十年という歳月は人間の一生にとっても決して短くない時間です。
平均寿命で約四分の一、もっと若くして死ぬ人間もいるからそれだと三分の一やそれ以下になります。
そんな長い月日をうたかたの祭りに例えるのは不適当かもしれませんが、そんな気がしてならないのです。
愛猫が死んだ直後は「なぜ猫の寿命が人間より短いのか? 同じくらい生きられたら良かったのに…」と考えていましたが、誕生から死亡までの一生を見届けてやれるから感じられることや、体験できることがあるのかもしれません。
あらためて本当に感謝します。

愛猫の四十九日を終えて

2015年02月24日 04時00分00秒 | その他
2月21日が我が愛猫の四十九日でした。
此の世に留まっていた魂が彼の世へ旅立つ日らしいです。
そういう宗教的な意味はともかく、四十九日というのは世俗から生まれた心理学的なスケジュールかもしれないと感じました。
愛猫死亡から約五十日が経過して、ようやく様々な事を冷静に見つめて考えることができるようになった気がします。
人によってはもっと早く立ち直る方もいるでしょうし、反対にもっと時間が掛かる方もいるでしょう。
多分、多くの人たちが一般的に気持ちを区切れる期間が約五十日なのではないでしょうか?
愛猫が死ぬ直前まで自分は「なんとか助かるのではないか?」と希望を持っていました。
その理由は過去にも何度か死ぬのではないかと心配したことがありましたが、なんとか回復してまた健康になってくれたからです。
しかし死後五十日が経過して冷静に振り返ると、これまでと今回は全く違っていました。
過去に一週間ほど食事を摂らないことがありましたが、その時でもトイレには自力で行ってましたし、体を起こして(背中を上に腹を下にした姿勢)休んでいました。
トイレに行く力もなくなり紙オムツをつけたのは今回が最初でしたし、病院へ連れて行っても体を横にしたまま寝ていたのも今回だけでした。
診察や注射を警戒して弱い腹の部分は下に隠して背中を医師に向ける姿勢を取るのが普通だと思うので、そのように体を動かす体力すら無くなっていたのでしょう。
体重の減り方も顕著でした。約2か月で2.7kgから1.7kgまで痩せてしまいました。獣医からは「2キロを切ったら危ない」と言われていたので、よく1.7kgまで辛抱して生き続けてくれたと思います。
愛猫が死んだあと、後悔やお詫び、愚痴、様々な気持ちを書いてきましたが、それらにも一応区切りがついた気がします。
私が十九年半、一緒に暮らして、楽しませ、癒してくれた愛猫に言うべき言葉は、たったひとつだけだと気づきました。

ありがとう
今まで 本当に ありがとう

探偵の殺人は占い師も予知不能なり

2015年02月17日 14時00分00秒 | 社会・経済
なんだかの東川篤哉あたりが書きそうなミステリーのタイトルっぽいですが……(笑)。
占い師とは皇月ハニーさんです。
この数日間、民法全局のワイドショーで映し出された人物と思われます。
ネットの反応もすごいです。
『経堂駅付近の世田谷火事ニュースのオバサンがキャラ濃すぎて話題が集中』
この火災は2月15日の午後1時半ごろに東京都世田谷区の小田急線の経堂駅付近のマンションで発生。日曜日だったことから最初に放送したのはフジの『Mr.サンデー』だったでしょうか。しかし翌月曜日は『とくダネ!』だけでなく他局のワイドショーでも一斉に報道されました
各局揃って「たまたま現場に居合わせた番組スタッフが撮影した」と説明しています。
揃いも揃って全てのワイドショーが「たまたま居合わせる」とは凄い偶然ですね。
まあ、カンが良い方はもう解ってますよね。
変死の女性 同居の男を逮捕 - BIGLOBEニュース
殺人の疑いで逮捕されたのは世田谷区の探偵業・曳地雄太容疑者(25)で、14日午前7時ごろ、小田急線・経堂駅前にある自宅兼探偵事務所で、同居する交際相手の山口裕美子さん(24)を殺害した疑いが持たれています。
バレンタインデーに恋人を殺害というワイドショーが飛びつきそうな事件。15日は全民法クルーが経堂へ取材へ行ったのでしょう。
そして、たまたま火災に遭遇した。皇月ハニーさんはとばっちりですね。火災現場の映像さえ撮影されていなければわざわざ報道されるほどの大災害でもなかったのに。
そもそも占い師のくせに自宅が火災に遭うことや近所で殺人事件が起きてマスコミが殺到することを占えなかったのか?……と、普段ならば毒吐いて締めくくるところですが、「私は死んでもいいから犬を助けて」って猫キチ筆者には痛いくらいに解る心情です。
ていうか、もしも自宅に愛猫が取り残されて火災が起きたら恐らく同じような行動をしていたような気がします(笑)。

月命日で吹っ切るつもりでしたが

2015年02月07日 07時00分00秒 | その他
2月3日の月命日を機会にこれまでのブログに戻そうと時事ネタを書いてみましたが、やっぱりダメですね。
続きません。胸に支えが残るうちは無理なのでしょうか?
そこで今回は死んだ1月3日の出来事について書きます。
その日のブログにも夜6時過ぎに死んだと書きましたが、この日は朝からの出来事があります。
愛猫が寝た切りになってからの日課は、毎朝7時は8時頃にオムツの交換でした。夜の間におしっこをしているので。
ところがこの日はかなりの量の便が出ていました。ほとんど食事は摂らない(栄養点滴と流動栄養食のみ)ので、なんでこんなに便が出たんだろうというくらい出てました。ある人は「その時点で死が間近だったんだよ。絞首刑になった死刑囚は糞尿を垂れ流す」と言いました。死刑囚の話は聞いたことがありますが、この手の話は都市伝説も多いので真偽は解りません。依って猫の死期についても不明です。とにかく大便をしていたのでオムツ交換と時に肛門周りをウェットティッシュで拭いてやりましたが、かなりの部分が周囲の毛にこびりついてしまっていました。
オムツ交換後は炬燵の中で寝かせていましたが、汚れてるのが可愛そうになってきました。そこでお風呂場に連れて行きシャワーで洗ってやりました。
そして、その夜に死亡します。
そのシャワーの仕方を後悔しています。洗い場に横にしてシャワーで下半身を流してやったのですが、その間じゅうずっと愛猫は不安な顔をしていました。なぜ抱きながらシャワーしてやらなかったのか。もちろん大便で汚れていて汚いと思ったからです。でもあの日がお別れになると解っていたなら最後はやさしく抱いて、優しく洗い流してあげればよかった。あるいは洗い場に無造作に横にしてシャワーをかけたのが、いくらかの猫のストレスになって寿命を縮めてしまった可能性がなかったのか?
本当に後悔が尽きません。

湯川遥菜さんを弁護する

2015年02月05日 02時00分00秒 | 社会・経済
ISILによって日本人人質二名の生命が奪われたが、世間の反応が大きく違って感じる。後藤健二さんについては同情的な発言が多いのに対して、湯川遥菜さんには批判的な発言が多く感じられる。中には「危ない目に遭っていながら何度もシリアへ行って馬鹿じゃないの?」と嘲りすらある。
原因は後藤さんと湯川さんの出会いのきっかけ報道にありそうだ。
湯川遥菜さんのブログによると、2014年4月、民間軍事会社をしていた湯川さんがシリアに渡航して反政府派武装組織「自由シリア軍」に拘束されたとき、後藤さんは現地司令部の幹部の通訳を頼まれ、湯川さんと初めて会った。湯川さんの解放後、後藤さんはイラクなどで一緒に行動していた。その後、再びシリアに旅立った湯川さんを、後藤さんは「とめられなかった」と悔やんでいた。(後藤健二さん、「イスラム国」拘束から解放交渉までの経緯【まとめ】より http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/31/goto-kenji-how-has-he-treated_n_6586996.html)
自由シリア軍に拘束されたことがあるのに、なんでその後ものこのことシリアへ行くの?ということだろう。
だが、この意見を言う人の多数は、シリア情勢をあまり理解していない方が多いようだ。自由シリア軍とISIL(いわゆるイスラム国)を似たようなものと混同している。自由シリア軍が「反政府派武装組織」なんておどろおどろしい肩書で称されるからテロリストと混同しても仕方ないかもしれないが。
現在のシリア政府はアサド政権という(もう全土を掌握してないが)。ところが欧米は、この政権を好ましく見ていない。かつてのイラクのフセイン政権を敵視していたのと同様だ。そこでアサド政権に反抗する勢力に援助している。それが自由シリア軍やクルド人部隊だ。アメリカは最新式の武器を無償供与したり軍事訓練を指導したりしている。自由シリア軍にとってアメリカは大切なスポンサーでありアメリカの同盟国である日本も友好的国家なのだ。まちがっても日本人を拘束して殺したりすることはない。ではなぜ湯川遥菜さんが捕まったかといえば、紛争地域に似つかわしくない人物がうろついていたから。自称日本人といっているがアラビア語はともかく英語すら満足に話せない。スパイかもしれないと自由シリア軍はむしろ困っていた。そこで既知の日本人である後藤さんに真相を聞き出すように頼んだ。そういういきさつだから、自由シリア軍に拘束されてからも湯川遥菜さんは生命の危険など一度も感じたことはなかったはずだ。むしろ後藤さんの「通訳」によって自由シリア軍兵士と意志疎通できてからは友好的関係が築かれたのだろう。前述のように自由シリア軍にとって大切なスポンサーであるアメリカの同盟国である日本人なのだから。いっぽう民間軍事会社をしていた湯川遥菜さんにとって自由シリア軍は紛争地域でバリバリに戦闘しているプロだ。こんな大切なコネはなかっただろう。後藤さんの後悔と責任感は、湯川さんに自由シリア軍を「紹介」してしまったことによるものだろう。以上のことから湯川遥菜さんにとって「一度あぶない目に遭いながらも、またのこのことシリアへ行って捕まった……」という批判は当てはまらないように思う。ただしISILの恐ろしさを十分に認識していなかった不勉強さは残念と思うが……。

果たしてISILは馬鹿なのか?

2015年02月04日 22時15分00秒 | 社会・経済
ISILの蛮行が物議を醸している。
日本人人質二名やヨルダン国パイロットの殺害等についての事件経過は誰もが周知と思うので記事引用を含めて触れない。
筆者なりの考えを述べたい。

ワイドショー等で「イスラム国の対応はおかしい」とか「内部分裂がある」などと言う「識者」がいる。
日本人人質と引き換えに大金を要求し、断られると一名殺害ののち死刑囚との交換を要求……という「表面的事象」を見た感想らしい。
冷静に考えてみよう。ISILは「日本人人質」と「ヨルダン国パイロット」という交渉材料を持っていた。このふたつを効果的に使うには、
①日本人人質と身代金の交換
②ヨルダン国パイロットと死刑囚の交換
が最も妥当。そして、このふたつは恐らく実行されたであろう。しかしそれは1月20日ではない。後藤さんの家族にそれ以前に身代金要求があった事は報道されている。日本政府にもあったのが確実だ。そして交渉が決裂して1月20日の動画公開になった。
ヨルダン政府にもISILからの要求があった。そして同じく決裂した。それは日本との交渉よりも前だろう。
では1月20日以降のISILの行動は何だったのか?残酷な表現になるがISILにとってのセレモニーであった。水面下の交渉で決裂した。決裂したときは人質を殺害すると通告していた。それを実行して公開したのだ。
考えてもみてほしい。これから交渉するときに要求動画を一般公開するだろうか?百害あって一利もない。「動画公開で人質救出の国内世論を盛り上げて要求を飲ませる狙い」との意見もあるが冗談じゃない。日本やヨルダンにとって世論よりも怖いアメリカが「テロリストと交渉するな」と圧力を掛けてくるに決まっている。そうなれば交渉成立はありえない。日本やヨルダンと交渉したのは動画公開前。決裂したために見せしめの一連の動画公開となった。フランスやスペインなど助かった人質の交渉過程を見てもわかるだろう。ISILは平和ボケ日本のマスゴミほどの馬鹿ではないww

愛猫の月命日に贈る名言

2015年02月03日 19時30分00秒 | その他
私は生まれてこのかた人を傷つけたいと思ったことは一度もないと本心から信じているが、だれかを傷つけないで長い人生を過ごすことは不可能に近い。その場合、傷つく相手はたいてい深く愛している人だろう。 『回想録』/テネシー・ウィリアムズ

愛猫が死んでから初めて愛猫が出てくる夢を見ました。
もったいなくて二度寝しました。
さすが月命日ですね(笑)。

明日は月命日

2015年02月02日 05時15分00秒 | その他
早いもので愛猫が逝ってから一月になります。明日3日は月命日です。
もうそんなに時間が経ったんですかね。つい2~3日前まで生きてたような気がするのですが……。
愛猫が生きていた時には「こいつが居なくなってしまったら1週間も生きていられなくなるかもしれない」などと想像していましたが、1月間生きられてます(笑)。
いつまでもブログに猫の話なんか書いてるから忘れられないと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、どうせ書かなくても猫のことを考えてボーッとしているので同じでしょう。
むしろ書いて読むことで色々と気持ちの整理ができる気がします。
死亡直後から感じていた「後悔」は病気を治してやれずに殺してしまったことの後悔と思っていましたが、色々と過去の思い出を書いているうちに、もっと以前の猫とのつきあいから原因があるのを自分で書いて読み直して気付きました。
そういうのはネット上ではなく閉鎖空間で日記帳にでも書けばいいのでしょうが、愛猫死亡直後にネットサーフィンして愛猫に死なれた方々の様々な思いを読むことで救われた部分があり、こんな話でも将来ペットロスで苦しむ方々に僅かでもお役に立てばと思います。
本当に辛いですよね。

愛猫はどれだけ許してくれただろう

2015年02月01日 00時30分00秒 | その他
1月30日の続きになります。猫と暮らし始め、一日毎に愛しさが増して行き、何かして喜ばせてやりたいと思うようになった。
「なあお前。なにしてほしい?」
でも、もし猫が言葉を話せたとすれば、答えはひとつしか考えられなかった。
「きちんと子供を育てたい」
19年半の愛猫の一生で、ただひとつ大切な宝物として扱ったものが自分の子供たちだった。本当に自分自身よりも大切に扱っていた。それ以外に大事にした物は何もなかった。
それだけに自分の都合で仔猫を粗末に扱った罪の意識はどんどん深く、重く伸し掛かった。
どんなことをしても罪滅ぼしになるとは思えないが、猫と暮らしていた毎日は、どこかで懺悔の気持ちを持ち続けていた。
私が猫を溺愛する様子を見て「まるで夫婦みたいだ」と言った友人がいる。ある意味において、それは的を射た例えだったかもしれない。「お前のことは何にもまして大切にして幸福にするから」。猫が子育てを終えて部屋に戻ってきた日から、ずっとそんな気持ちでいた。
19歳6ケ月の生命は猫の一生としては十分な長さであり、よくそこまで長生きさせたと慰められても、まだ死なせた後悔が消えないのは、そんな決心をしていたからだろう。
もしもあの時、今ほど猫を愛していたら、家を引越して子供たちを飼っていただろう。実際に、いつまでも隠しておいては猫にストレスが溜まるだろうと思い、資金が貯まるとペット可物件に引っ越した。猫は日向ぼっこが好きだったので、新居に移ると誰はばかることなくベランダで大の字になっていた。
傍から見ると飼猫を溺愛している猫キチに映ったに違いない。毎日、閉店間際のスーパーに駈け込んでは半額に値引きされた弁当や総菜類を食べている人間が、いっぽうでは1回数千円掛かる動物病院へ1日毎に連れて行くのだから、常識では考えられないアンバランスな生活に見えたろう。
それは愛する猫を失いたくない気持ちだったが、さらになんとかしてあの出来事を許してほしい後悔と謝罪だった。
結果としてなんとか19年半生き延びさせてやることができた。
100パーセント許されるとは思えないが、少しは許してくれるだろうか?
でもやっぱり私は天国ではなく地獄へ行くんだろうな。天国にいるに決まってる愛猫にまた会いたいのだが……。