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ALWAYS~続・三丁目の夕日

2008年05月30日 23時14分00秒 | 音楽・芸能
ようやく『ALWAYS~続・三丁目の夕日』のDVDをレンタルして観ることができた。
この先はネタバレのオンパレードですから「これから楽しみに観る予定」という方は読むのをお控えください。

いきなり『ゴジラ』から始まって「どうなることやら?」とハラハラさせるオープニング。茶川のパクリ構想とネタばらしで爆笑。『ALWAYS~三丁目の夕日』でも「この作品は寅さんシリーズの笑いを取り入れている」と書いたが、これも「冒頭の夢」みたい(笑)。なんてったって<ミツオ>の吉岡秀隆ですから。前作では上野駅に到着するC62に鉄キチの血が騒いだが、今回は181系こだまときた。ツボを心得てますねえ。羽田空港に出て来る飛行機も航空マニアをくすぐってるんだろうね。
吉岡・堤をはじめ、登場する役者がみんな良い味を出していると書いたが、今回は更にうまい役者が加わった。親戚の娘・鈴木美加役を演じる小池彩夢(こいけあやめ)。かつて「子役は大成しない?」で「今バツグンにウマいのは福田麻由子」と書いたが、どうしてどうして、彼女も劣らず上手い役者だと感心した。
実家が事業に失敗して没落した成城のご令嬢――って設定からして「ネラってるベタな感じ」だが、最初は「このスキヤキ、牛肉じゃないの」、「この家、油くさい」と庶民の食事や家屋にブーたれといて、最後は「大きくなったらお嫁さんになってあげる」って……。典型的ツンデレですなあ(笑)。そういう「大人目線で見た少女」を演じるって「本当の少女」には逆に難しいと思うんだけど、ひとつひとつのシーンで監督の「シーンに込めた狙い」をキチンと理解して演技している。
たとえば「知らない人間と風呂に入るのは絶対にイヤ」と銭湯行きを頑なに拒むシーン。一平に「汗くさい」と言われると、サッと先頭に立って銭湯に向かう。この切り替えの速さが「思春期の少女の心の機微」を表現するポイントと思うのだが、ベストタイミングで態度を一変させる。お見事だ。
また日本橋で薬師丸に気を遣って一平を誘うシーン。この年頃は女子のほうが男子よりもずっと精神年齢が高いもんだが、それをとてもうまく演じた印象。
他にも働いている子供達を見て(自分はお嬢様育ちだから働いたことがないのを恥じて)薬師丸のお手伝いをするシーンとか、ワンピースを縫ってもらって喜ぶシーンとか、全てうまい。薬師丸に「母親」を見る少女の心情がしっかりと伝わってくる。
そして「小憎らしいガキ」から「可愛い少女」へと変貌して行くさまが完璧に描かれている。ツボにハマってしまった連中はかなり多そう(笑)。

それにしても前作でも感じたが、ディテールの細かさ・当時の雰囲気の再現が非常に緻密に作られた映画だと感心する。これでヒットしないわけがない――という感じ。
本当に昭和って懐かしいよなあ……(浸りきってます)。


やさしい日本人

2008年05月30日 07時37分59秒 | 政治
中国・四川大地震の救援物資輸送に自衛隊の輸送機を使う計画が、一転して民間チャーター機を利用することに変更された。

一見すると、また日本の弱腰外交、救援してもらうにも関わらず我儘で強気な中国政府――と映るが、筆者の見方はちょっと違う。
福田康夫という政治家、首相としては不適格だと思っているが、外交は結構うまい。外務大臣としては有能と感じる。
今回の自衛隊機派遣が明らかになると、インターネットを中心に議論が沸騰したという。「救援だろうと日本軍を再び領土に入れるな!」という反対論が数多かったが、中には「前回は侵略に来たが、今回は救援に来てくれるのだから歓迎するべき」という賛成論も出たという。
自衛隊機を派遣するといえば、中国国内でこうした議論が起きるのは事前に予想できることだ。弱腰外交で中国に気を遣うならば、最初から自衛隊機使用などと言わずに民間機を利用するべき。にも関わらず「自衛隊機で輸送」と最初に発表するところが福田のしたたかな外交戦術と見る。そして中国国内から反対論が上がると、それに配慮した格好で民間機に変える。いかにも日本が中国に遠慮したイメージを与える。
「今回は受け入れるべき」と主張していた賛成派の中国人には「救援に来てくれるのに、さらに中国に配慮してくれる日本」が好印象に映ったことだろう。
そもそも反日感情が強いのは中国でも南部のほう。サッカーのアジアカップで重慶での凄まじい反日行為は記憶に生々しい。第二次世界大戦でも激戦地となったのは、そっちの地方だからね。うまい具合にといえば被災民には悪いが、今回、こちらの地方に「やさしい日本人」のイメージを強く植え付けられれば、今後の日中外交にとって大きなプラスになる。
政治家というのは、どんな非常時でもそういう計算を働かせなければならない。もしもキムタクが総理として失敗すれば「根は良い人」だろうし、成功したら「腹黒な人間」ということになろう(笑)。
ともかく「自衛隊機から民間機への変更」は、右翼思想を持った日本人にすれば「情け無い弱腰」と映るかもしれないが、国内では四面楚歌の福田康夫も、なかなかどうして外交ではやり手だと評価する。


川田亜子さん自殺

2008年05月26日 14時19分00秒 | 音楽・芸能
衝撃的なニュースが伝わってきた。
元TBS所属で現在はフリーアナウンサーの川田亜子さんが自殺したという。

彼女の仕事で今でも強く印象に残っているのは『爆笑問題のバク天』の「太田光の一度はやって欲しかった」のコーナー。「ルパン?世の峰不二子のように、女の武器はどこまで通用するか?」の実験。まずはゲームセンターでUFOキャッチャー。何度も失敗する彼女に近寄ってきた店員に「あのぬいぐるみが、どうしても欲しいの」とオネダリ。すると店員は中からぬいぐるみを取り出して彼女にプレゼントしてしまう。次は商店街の福引。1枚だけ福引券を渡した彼女は惜しくも外れる。すると未練がましい様子で「今のは練習だから、もう一度ひきたい」と駄々をこねる。すると係員はもう一度引かせてしまう。しかも今度は当たり(笑)。笑いの神が舞い降りたと思った。「本当に男って、どうしようもねえなあ……」と、苦笑しながら見た記憶がある。裏返せば彼女がそれだけ魅力的な女性だったのだろうが。

今でこそ、ゆうこりんとか小林姉みたいなバラエティーで活躍する女子アナも見かけるが、かつては「民放のNHK」と呼ばれるお堅いイメージがあった。そんな中で川田アナは異彩の才を持ってバラエティーで活躍した。

彼女の最近のブログには体調や仕事についての悩みが多く書かれている。病んでる印象を強く受ける。心の病を抱えていたのかもしれない。
芸能界は華やかな世界だけに、裏の闇も普通の世界よりも暗い。そんな中に飲み込まれてしまった印象を受ける。惜しい人材を亡くしたと感じる。
謹んでご冥福をお祈りします。


【追記】
同じテレビ番組に出演していても、テレビ局のアナウンサーとタレントでは全く立場が異なる。終身雇用・年功序列は崩れてきているとはいえ、テレビ局のアナウンサーはまだまだサラリーマンである。余程のことがなければ会社をクビになることはないし、年齢がいけば出世もできる。いっぽうタレントは芸能プロダクションに所属していても究極は個人事業主と同じ。売れっ子はサラリーマンとは比較できない高収入を得られるが、需要がなければ簡単に解雇される。
たとえれば同じ野球選手でも、プロ野球選手と社会人野球選手のようなものだ。プロ野球選手は数億円の年棒を手に出来るが、成績が悪ければクビである。いっぽう社会人野球の選手は同僚と同じ給料だが、たとえ怪我をして野球ができなくなっても会社を辞める必要はない。
売れっ子の局アナが「独立しないの?」などと番組中にタレントからからかわれるシーンを見かけるが、どちらも一長一短だ。
川田さんのブログでは「うまくしゃべれない」などの悩みが書かれていたようだが、もちろん局アナであってもそれは悩みだろうが、フリーアナウンサーという立場ゆえに切迫した悩みとして圧し掛かってしまったのかもしれない。
さらに恋愛関係の悩みがあったと一部の報道もされている。ブログ中にも重大な事態を推測されるような記述があった。
そうした諸々の事情が重なってしまった結果、このような悲劇が起きてしまったのか。返す返すも残念でならない。
ただひとつ言えることは、追い込まれてしまった人間は周囲が見えなくなってしまう。現在の苦境から逃れられなく見えてしまう。しかし、実際にはそんなことはない。人生にはもっとたくさんの選択肢がある。
いま「死にたい」と思っている人にアドバイス。死ぬことは止めない。でも騙されたと思って、死ぬのを1年だけ延期してみてくれ。1年経っても、やはり「死ぬ」こと以外の道が無いと思ったら、その時は仕方ないと思う。それ以上は止められない。でも、ほとんどの場合(全てといっても良いが)は、その間に別の解決法が見つかるように思う。これは経験談でもある。


洪水はもう起きはじめている

2008年05月21日 16時02分00秒 | 社会・経済
ノアの方舟を洪水から人々を救った心温まる話などと勘違いしている人もいるが、とんでもない。洪水を引き起こして大量の生物を死滅させたのは神自身であって、神を信じる善良な一部の民だけを選んで生き延びさせるという、とんでもない「選民思想」の物語である。キリスト教の嫌らしい部分が如実に表われたエピソードのひとつだと感じる。別に今回はキリスト教批判のエントリーではないのでこれ以上深くは言及しないが。
日本社会で、今まさにノアの方舟が起きようとしている。後期高齢者医療制度などに見られる高齢者排除の動きだ。政府は躍起になって否定するが、いま日本列島の至る所から「お荷物の年寄りは早く死んでください」という声が聞こえる。
少子高齢化が進むのは厳然たる事実だ。どんなに楽観的な見通しを立てようと最低でも約20年間は今よりも更に進行する。どんどん社会が負担しなければならない高齢者保障は重くなる。それを防ぐには、もう年寄りになるべく早く死んでもらう以外に方法はない。
野党は「税金の無駄遣い」を無くせば増税しなくても平気と耳当たりが良い事を言う。確かに税金の無駄遣いが無いとは言わない。たくさんある。しかし、それを無くしても、元々あるパイの面積が広がる訳ではない。パイの大きさが変わらないのに食べる人間がどんどん増え続ければ、遅かれ早かれいずれは破綻する。
この問題を現在の年寄り、あるいは筆者のような「まもなく年寄り」となる人間に聞いても答えは決まっている。「若い頃は賢明に働かせておいて、働けなくなったらポイ捨ては余りにも酷すぎる」というに決まっている。
今こそ日本のあるべき姿は次代を担う30歳代・20歳代、そしてもっと負担増となる社会の中心となる10歳代の若者にこそ問うべきだろう。
すなわち「老後のために十分に準備ができなかった脱落者はリタイアしたら諦めて死ぬ世の中」が良いか、あるいは「就労世代の負担がどんどん重くなっても一生涯の生存の保障が守られる世の中」が良いか、どちらかを選ばなくてはならない。
「冗談じゃない!!」高度経済成長期を支えて今日の日本の繁栄を築いた「今後の年寄り」たちは憤慨しそうだ。「オレたちは捨て駒か!!」と。
確かにお気の毒である(←他人事のように聞こえるかもしれないが、筆者も「お気の毒」の集合に入る)。
しかし今日の事態に全く責任が無いとは言えないだろう。かつて「独身貴族」とか「DINKS(Double Income No Kids/共働き収入で子供なしの意)」などと言われた個人主義を謳歌した結果がこれである。目先が利く人間なら当然どうなるか見通せた筈だ。イソップ寓話の『アリとキリギリス』(原題はアリとセミ)でキリギリスな生き方を選択してしまったのだから仕方ない(最後に見殺しにするのは残酷だからとアリがキリギリスに食べ物を分け与えるのは後の修正。原作では飢え死ぬ)。
もう奇麗ごとではどうにもならない。今こそキリスト教なみの残酷な選択をしなければならない分岐点にある。


パンダ不要と慎太郎怪気炎

2008年05月20日 08時38分01秒 | 社会・経済
石原慎太郎が会見でパンダ不要論を熱弁した。
背景には新聞社の世論調査などもあるようだ。
反対理由は「希少動物を政治的に利用するのに反対」や「約1億円と言われる高額な貸与費用に税金を使うのは反対」など。
慎太郎は上記の「政治的理由」ぶっちゃけ言えば「反中」でしょうな。
筆者も上野動物園にパンダは不要と思う。理由はパンダの立場で考えて、異国に1つがいで送られるよりは、中国の保護センターで仲間達と過ごす方が幸福なのではないか?と思う。希少動物を目玉にする動物園経営は過去の物ではないか?旭山動物園のように知恵を使えば、ペンギンやアザラシのような動物でも十分に楽しいし、客を呼べる。
和歌山のほうでは5~6頭も飼育されているようだし、パンダを見たければあちらへ行けば良い。
「パンダに貴重な都税を使うことはない」という慎太郎さん。大変にご立派な意見です。しかし同じくオリンピック招致も税金の無駄遣いだと思うのですが、そちらはどうなのでしょうか?


おバカブーム

2008年05月18日 19時55分00秒 | 音楽・芸能
何年振りかに『平成教育委員会』を見た。
いつもこの時間は『さんまのスーパーからくりテレビ』を見ている(今日はバレー中継で休止)。
つまらない。というか、むしろ不愉快。
磯野貴理が不正解になった答えとほぼ同様の回答をした某女優が正解の判定(わずかな違いで)。
昔のクイズ番組では、よくこういう「配慮」があった。アイドルや俳優の事務所から「全然、正解できないとイメージが悪くなるので宜しくお願いします」みたいなことを言われ、制作者側が下駄をはかせる。
まだ、そんな演出してるのか。古い。

芸能人が「日本の省庁」とか「日本にある世界遺産」などをほとんど知らなくてもまったく恥ではない。生活のほとんどを歌唱や演技の鍛錬に費やしていれば、そのぶん他が疎かになって当然だ。例えば大学教授みたいな人物がクイズ番組に出て、まったく常識的な問題に答えられないことは珍しくない。

これを現代的にうまく逆手に取ったクイズ番組が『クイズヘキサゴン2』だろう。Pabo(里田・木下・スザンヌ)や羞恥心(つるの・上地・野久保)などの「無知な回答者」をスターに仕立て上げた。これまで「アイドルや俳優は無知だとイメージが下がる」という常識を覆した。彼らは「素直な無知さ」によって好感度が大幅に上がった。
いわゆる「おバカブーム」だ。
ただし彼らは決して「バカ」ではない。無知なだけだ。司会の島田紳助とのやりとりを聞いていても、彼らは頭の回転が速い。ただ学生時代、そしてその後に勉強をしなかっただけだろう。前述のように歌唱や演技などに時間を費やせば、そのぶん犠牲になる物が出てきて仕方ない。
芸能人なんだから、そのぐらいの開き直りがあってよい。下手に無知を隠そうとして、それが垣間見えてしまうほうが、よほど恥ずかしい。


ウラのウラのウラ

2008年05月18日 10時32分00秒 | 政治
四川大地震の中国政府会見で非常に興味深いシーンが放送された。色々な番組で取り上げられているので目にした方も多いかもしれない。
それは中国マスコミの記者が、会見する政府役人に、
「倒壊した小学校は多数あるが、政府の建物が倒壊したとは聞いていない。どうなっているの?」と質問するシーン。

「あの中国で!?」と驚いた方も多いかも。
ただ「あの中国」だから深読みしてみる。
このシーンが海外(日本等)で見られるのは何故か?
中国政府が見せたくないシーンであれば、恐らく見られなかっただろう。災害の混乱で情報規制もままならないという見方もあるだろうが、そんな甘い国とは思えない。
あれは「あえて見せた」のではないだろうか?
外国では「中国には言論の自由がない」などと批判しているが、このようにマスコミは政府を追及しているし、健全に機能してますよ――と。
しかもチベット問題等と異なり、原因は地震だ。不可抗力の面が大きい。
あのシーンだけを見て「中国のマスコミも意外とやる」とは決して言えない。

しかし、さらに深く考える。
ソ連が崩壊したのは決して市民革命ではない。ゴルバチョフが実行したペレストロイカの結果だ。ゴルバチェフがこのような政策を実行したのは、そうでもしないと立ち行かなくなってしまったからだ。
結局、権力側が追い込まれて体制崩壊に繋がった。

そう考えると、今はまだ中国マスコミの政府追及もある意味では「ヤラセ」かもしれない。しかし、そんな「ヤラセ」を流さなければならないほど、中国が国際社会から追い込まれていると見ることもできる。
「瓢箪から駒が出る」の諺の如く、こういう部分から本当の言論の自由が徐々に生まれてくるかもしれない。そんな一縷の望みを持ちたい。


スペシャル乱発はテレビマンの手抜き

2008年05月13日 13時21分00秒 | 音楽・芸能
エンピツ12本で1ダースというように、特殊な物の数え方の単位がある。
ではテレビ番組の単位はご存知だろうか?
1クールといい、13本(13回放送)を1とする単位だ。期間でいうと3ヵ月になる。ドラマなどは1クール(全13話)も珍しくないが、バラエティー番組などは豪華なスタジオセットなどを製作してたった13回だけの使用では勿体無いので通常は最低2クール(半年間)放送する予定だ(ただしあまりに低視聴率だと1クールで打ち切りとなる)。
このため、毎年4月と10月が大きな番組改編期となり、さらに7月と1月が小さな改編期となる。
番組改編期には特大スペシャルが多く放送される。最初の景気付けだ。まずは豪華さで視聴者の気を引き、固定客を獲得しようという目論見。4月改編は3月末から始まり、ゴールデンウイークあたりで終わる。
ところが改編期も過ぎたのに、まだ特番をちらほら見かける。具体的に言うと、月曜日の7時から8時は番組A、8時から9時は番組Bが放送される予定だったとする。しかしある週は7時から9時で番組A2時間スペシャル、翌週は7時から9時に番組B2時間スペシャルという具合だ。
面白ければ別に構わない。しかし面白くない。放送時間が倍になったのだから通常より2倍おもしろくなければいけない。しかし、そうならない。むしろ構成がだらだらと間延びして1時間の時よりつまらなくなってしまう番組すらある。途中でチャンネルを変えてしまうことも珍しくない。
なぜスペシャルがこんなに多くなってきたのか?
これはテレビマンの手抜きだね。
放送時間を倍にしても制作の労力は倍にならない。1本の番組を作る手間は1時間でも2時間でも大して変わらない。むしろ編集は楽だったりする。
例として挙げたような編成をすれば2本制作しなければならない所を1本制作するだけで済む。
テレビマンよ、手抜きはやめろ!
そんな楽をしていると、そのうち視聴者から番組だけでなく局全体が見放されるぞ!


ついついたまっていくものランキング

2008年05月11日 15時26分21秒 | 生活・娯楽
gooランキングで「ついついたまっていくものランキング」なるものを発表している。

1位はポイントカードだそうな。
確かに普及してるね。
筆者の場合は頻繁に使う店のカードは常に携帯している。例えば家電量販店やスーパー・コンビニなど。最近はTカード(ツタヤ)と提携してる店(ファミマやガストなど)も多いね。余談だが数ヶ月前にヤマダ電機のスロットで1000ポイントが当たり、かなりハッピーな気分になった。数万円の家電を買って千円さらに値引きなんてよくあるけど、何も買わないで1000円当たるほうがずっと得した気分になる。あれ、うまいねえ(笑)。

スーパーの袋は、近所のスーパーは袋不要で割引ってのが一般的なんで、今はマイバッグ持参でもらっていない。でも全くなくなると、いざという時に意外と不便なんだよな(笑)。たとえばピーナッツや枝豆なんかを食った時のカラなどの処理。ああいう時はポリ袋あると便利なんで、たまにマイバッグ不持参で買い物して2~3枚はストックするようにしている。

ワサビや唐辛子なんかはたまるね。取ってても古くなると使えないから要らないのは思い切って捨てる。しょうゆやソースなんかは自分で料理する時に先に使う。
ところで牛丼屋の紅生姜でひとつ思い出した。吉野家の朝定の納豆には刻んだ葱が添えられてくるが、松屋の朝定の納豆には付いていない。そこで松屋で朝定を食べる時には納豆に紅生姜の小さな切れ端を4~5切れ入れてごらん。葱の代わりにピリッとした薬味になる。大きい切れ端や量が多過ぎると紅生姜の味が強くなっちゃうから、あくまでも何だか解らない程度の分量を入れるのがコツ。一度、お試しあれ。

実に庶民的なブログだなあ……(苦笑)。


モッタイナイと使い回し

2008年05月08日 23時33分22秒 | 社会・経済
船場吉兆の使い回し事件をあれこれ考えるにつけ、色々な過去の思い出が甦る。

大学時代、仲間たちと焼き鳥屋に飲みに行った。
食べ終えた焼き鳥の串を何気なしにポキポキ二つ折りにしていると、店主が血相を変えてやってきた。
「これは洗ってまた使うのだから止めろ!」と怒鳴られた。
てっきり捨てる物と思っていたので意外だった。
食べ終えた串を爪楊枝代わりに歯に挟まった食べかすをほじる輩などもいるのを考えると、いくら洗うとはいえ再利用は気持ち悪い気がするのだろうが、世間はどうなのか?
コップや皿などは洗って何度も使うものだから、串も構わないという意見もあるのかもしれない。
船場吉兆のあしらいの再利用も同じ感性か?

やはり大学時代の飲み会の思い出(←お前は飲んだ思い出しかないのか?)。
結構人気のあるカワイイ女の子がいた。飲み会では誰かが必ず彼女を誘った。彼女もコンパ好きらしく、よく参加した。しかし筆者は彼女が苦手だった。理由は、とにかく料理を頼みまくるのだ。いつも飲み会が終わる時には大量の食べ残しが残されていた。彼女が頼んだ物だ。
ある時、注文の際に彼女に忠告したことがある。「いつも食べられないんだから、少し考えて頼めば?」
すると彼女は不満そうにこう言った。
「何も食べる物が無くなってるのって寂しいじゃない。そんなに高い物じゃないんだから、別に残ってたって良いじゃない」
価値観のズレを感じた。彼女の方も筆者が飲み代をケチってそんな嫌味(飲み代は男連中の割勘が常だったので)を言ったと思ったらしく、それ以来嫌われたようで、飲み会で同席する機会はめっきり減った。

料理の使い回しなど言語道断の所業であるのは間違いない。
しかし別の問題は、料理に箸も付けず、そのまま下げられて残飯として廃棄されることに全く何も感じず、それが当然と思っている人間の方にも有るような気がしている。
飽食日本と言われて久しい。
反面、食料自給率はたった39パーセントである。
最近は小麦が値上げとかバターが品薄とか、食品危機の話もきく。
どうせならば、もっともっと事態が深刻になり、まともに三食摂ることすら困難な状況になってしまえば面白いと、やや自虐的に思う。そこまで落ちれば、少しは食い(悔い)改めるかもしれないwww


ラミレス疑惑の二塁打

2008年05月08日 13時52分27秒 | スポーツ
7日行われたプロ野球、巨人―阪神戦で2点をリードされた巨人ラミレス選手が打った大飛球が左翼席のファンの手に当たり二塁打と判定された。巨人は1点差で阪神に連敗を喫した。

試合を中継していた日本テレビは、巨人・原監督が抗議する間、この映像を何度も流した。ナベツネは「判定にビデオを導入しろ」と今朝のスポーツ紙で発言していた。
判定にビデオを導入するのは賛成だ。しかし今回の判定に限っていえば、ビデオでは信憑性が低い。確かに日本テレビの中継映像を見ると、打球がスタンドまで達していたように見える。
かつてTBS系列で放送されていた『Gメン'75』というドラマがあった。エンディングでGメンたちが一列になって滑走路のような所を歩くシーンがあったが、このシーンには映像トリックがあった。他の俳優よりも背が低い丹波哲郎が小さく見えないよう、彼だけ他の俳優よりも一歩前を歩いていた。しかし望遠レンズで撮れば、一列に歩いているように見える。望遠撮影は遠近感がハッキリしないのだ。

今回の様なトラブルを正しく判定するにはビデオ判定以上に効果的な方法がある。それはレフトとライトの線審を復活することだ。今回の打球はレフトに線審がいれば正しく判定できたろう(もちろん二塁打かもしれないので誤審と決めつけてはいないので)。
プロ野球もアノ手コノ手でファンサービスを行っている。しかし一番のサービスは正しい判定とスムーズな試合進行だろう。他の部分に費用を使うなら、たった二人の審判の人件費ぐらいケチるなと言いたい。


モッタイナイと使い回し

2008年05月08日 06時40分19秒 | 社会・経済
船場吉兆の使い回し事件をあれこれ考えるにつけ、色々な過去の思い出が甦る。

大学時代、仲間たちと焼き鳥屋に飲みに行った。
食べ終えた焼き鳥の串を何気なしにポキポキ二つ折りにしていると、店主が血相を変えてやってきた。
「これは洗ってまた使うのだから止めろ!」と怒鳴られた。
てっきり捨てる物と思っていたので意外だった。
食べ終えた串を爪楊枝代わりに歯に挟まった食べかすをほじる輩などもいるのを考えると、いくら洗うとはいえ再利用は気持ち悪い気がするのだろうが、世間はどうなのか?
コップや皿などは洗って何度も使うものだから、串も構わないという意見もあるのかもしれない。
船場吉兆のあしらいの再利用も同じ感性か?

やはり大学時代の飲み会の思い出(←お前は飲んだ思い出しかないのか?)。
結構人気のあるカワイイ女の子がいた。飲み会では誰かが必ず彼女を誘った。彼女もコンパ好きらしく、よく参加した。しかし筆者は彼女が苦手だった。理由は、とにかく料理を頼みまくるのだ。いつも飲み会が終わる時には大量の食べ残しが残されていた。彼女が頼んだ物だ。
ある時、注文の際に彼女に忠告したことがある。「いつも食べられないんだから、少し考えて頼めば?」
すると彼女は不満そうにこう言った。
「何も食べる物が無くなってるのって寂しいじゃない。そんなに高い物じゃないんだから、別に残ってたって良いじゃない」
価値観のズレを感じた。彼女の方も筆者が飲み代をケチってそんな嫌味(飲み代は男連中の割勘が常だったので)を言ったと思ったらしく、それ以来嫌われたようで、飲み会で同席する機会はめっきり減った。

料理の使い回しなど言語道断の所業であるのは間違いない。
しかし別の問題は、料理に箸も付けず、そのまま下げられて残飯として廃棄されることに全く何も感じず、それが当然と思っている人間の方にも有るような気がしている。
飽食日本と言われて久しい。
反面、食料自給率はたった39パーセントである。
最近は小麦が値上げとかバターが品薄とか、食品危機の話もきく。
どうせならば、もっともっと事態が深刻になり、まともに三食摂ることすら困難な状況になってしまえば面白いと、やや自虐的に思う。そこまで落ちれば、少しは食い(悔い)改めるかもしれないwww

船場吉兆、食べ残し料理使い回し

2008年05月07日 21時54分23秒 | 社会・経済
船場吉兆、食べ残し料理使い回し

舞台が、アノ”船場吉兆”だから「どこまでモラルが低下した会社なんだ」ってあきれる事件だけど……。
鮎の塩焼きなども使い回せたってことは、前の客が一口も箸を付けずに戻ってきたってことだよな。
「アジアやアフリカの貧しい子供は……」なんて比喩を持ち出すつもりはないけど、なんともモッタイナイ話だよな。ああいう場所を利用する客ってのは、そういうのが当然なのかな?
どうせ食べないなら、別に使い回しでも良いんじゃない?
むしろ地球に優しいかも……ww


胡錦濤来日

2008年05月06日 13時54分00秒 | 政治
胡錦濤中国国家主席が来日して福田首相と10年ぶりの日中首脳会談が行われる。会談の重要議題は先ごろ他界したパンダの後釜をどうするからしい(笑)。

それにしても絶妙のタイミングでパンダが死んでしまったものだ。上野動物園の飼育員によれば前日までは異常がなく、最初は「眠っているのかと思った」そうだ。あるいは某国のスパイが上野動物園に侵入して暗殺したとか?→いつもの妄想ですから本気にしないでwww

チベット問題やガス田問題などを深く追及したくないのは胡錦濤よりもむしろ福田だったりして。胡錦濤にとって福田内閣が末永く付き合わなければならない政権ならば、多少の譲歩もするかもしれない。しかしいつ倒れるか解らない政権には譲歩などしなくてよい。さらに次に民主党が政権を取れば、福田へのサービスはむしろマイナスだ。チベット問題もガス田問題もゼロ回答が目に見えている。国内に抱えきれないほどの問題が山積していて、これに外交問題まで加われば内憂外患、にっちもさっちもいかなくなる。

パンダよりも先に命が尽きていたのは、実は福田政権のほうだったり?


後期高齢者医療制度でひとこと

2008年05月06日 13時05分33秒 | 政治
後期高齢者医療制度の是非が議論されている。
制度の是非はともかく、このような制度を導入したのは画期的な政治転換と見る。

かつて若者と老人のどちらが政治的に優遇されていたかと言えば、明らかに老人であった。
30歳代会社員と60歳代無職老人を比較してみる。30歳代会社員といえば妻子を養い、住宅ローンを返済し、多額の所得税・住民税・保険料を支払いアップアップの切り詰めた生活をしている人間も少なくない。いっぽう老人と言えばローン返済済みの持ち家に住み、医療費や公共交通機関(電車・バス)は無料で、消費税が導入される前は税金もゼロという人間が珍しくない。こうした状況から、たとえば子供の初節句や新入学の際には、節句人形や学習机・一張羅の服は「おじいちゃん、おばあちゃんに買ってもらいなさい」なんて家庭も少なくなかった。対物価比で言えば年金も今より価値が高く、生活にもゆとりがあった。
なぜこのように老人が優遇されていたか?
それは若者は選挙に行かず、老人は選挙に行っていたからだ。
政治家が大切にするのは選挙で投票してくれる有権者。投票に行かない世代は切り捨て、投票に行く世代を優遇するのは当然だ。
今回の後期高齢者医療制度を導入したのは小泉純一郎。彼の画期的な政治改革は若者を投票に向かわせた「小泉劇場」と称される政治手法。若者を投票に向かわせ、圧倒的な風を受けて磐石の世論支持を背景に政権運営を行った。そう考えると、これまでの自民党では考えられなかった老人軽視の政策を実行したのも頷ける。
少子高齢化は避けられない。老人が増えれば社会負担が増える。それをどのように配分するか、今後は世代間のジェネレーション・バトルが激しくなる。高齢層は全世代で負担するべきだと主張するだろうし、若年層はそんな高負担を押し付けられたらやってけないとなる。余談だが、高齢層が後期高齢者医療制度に反対しているのは当然だが、20歳代・30歳代の人間の中にも反対している人間がいるのは意外だ。本当に「イイ人」なのか(笑)?

ともかく、政治家は投票に足を運ぶ人間を見て政策を実行する。選挙に行けば自分達に快適な政策が実行されるし、行かなければ冷遇される。少なくとも選挙に行かない人間は「税金が高い」などと文句を言う権利は無い。