この手の話はどこまで信用して良いか疑問ではあるが、割と広く知れ渡っている話で、「アメリカでは揉め事が起きても、絶対に先に”I’m sorry”と言ってはいけない」という。曰く「アメリカは訴訟大国だから、先に非を認めると負ける」からだとか。★参照・トラベル英会話(All About )
朝青龍が謝罪した。ついでに亀田大毅も謝罪したww
大毅謝罪は朝青龍に合わせたんだろう。同じ日なら明日のスポーツ紙の一面には載らないから。
それにしても、最近は毎日のように「すみませんでした」と聞いている。前事務次官やらマクドナルドやら崎陽軒etc.……。謝罪大流行だ。
国民の税金で私腹を肥やしていた官僚や、インチキ商品を販売していた業者が、国民や消費者に謝罪するのは当然だ。だが、気になったのは、「朝青龍はきちんと謝罪するべき」などという意見が平然と飛び出す風潮。
確かに厳密に言えば全く筋違いとは言えない。日本相撲協会は公益法人であり、横綱の給料は協会から出ている。けれども、そこまで考えて言っているのかな? 亀田まで来ると全く国民なぞ関係ない。
芸能人が不祥事を起こしてファンに謝罪するのは珍しくない。彼らの生活はファンがCDを買ったり、劇場に足を運んだり、さらには「好感度」のおかげでCM出演したり……そういう金の流れで支えられている。ファンが離れないように謝罪するのは、ひとつの営業戦略である。しかし、ファン側が「謝罪しろ」という根拠はどこにある?刑事事件等は別次元だが、私的なことで、たとえば恋人と密会してるところを写真誌に撮られたとか、離婚したとか、舞台挨拶がふてぶてしい態度だったとか、そんな事で謝罪しなければならない根拠はどこにもない。
気に入らなければファンを辞めれば良い――ただ、それだけの話である。
日本人が割と簡単に謝るのは、揉め事を好まない国民性が根強いのかな?と思う。個人的には嫌いではない。
しかし最近の風潮を見ていると「詫びる」と「詫びろ」を勘違いしている人間が多くなっている感じを受ける。メーカーに対する、いわゆる「クレーマー」も年々、増加しつづけているという。
「詫びる」の氾濫は気にならないが、「詫びろ」の横行は不快である。官僚の汚職と有名人のごたごたとの区別も付かない人間が増えているとすれば、これは問題であろう。
朝青龍が謝罪した。ついでに亀田大毅も謝罪したww
大毅謝罪は朝青龍に合わせたんだろう。同じ日なら明日のスポーツ紙の一面には載らないから。
それにしても、最近は毎日のように「すみませんでした」と聞いている。前事務次官やらマクドナルドやら崎陽軒etc.……。謝罪大流行だ。
国民の税金で私腹を肥やしていた官僚や、インチキ商品を販売していた業者が、国民や消費者に謝罪するのは当然だ。だが、気になったのは、「朝青龍はきちんと謝罪するべき」などという意見が平然と飛び出す風潮。
確かに厳密に言えば全く筋違いとは言えない。日本相撲協会は公益法人であり、横綱の給料は協会から出ている。けれども、そこまで考えて言っているのかな? 亀田まで来ると全く国民なぞ関係ない。
芸能人が不祥事を起こしてファンに謝罪するのは珍しくない。彼らの生活はファンがCDを買ったり、劇場に足を運んだり、さらには「好感度」のおかげでCM出演したり……そういう金の流れで支えられている。ファンが離れないように謝罪するのは、ひとつの営業戦略である。しかし、ファン側が「謝罪しろ」という根拠はどこにある?刑事事件等は別次元だが、私的なことで、たとえば恋人と密会してるところを写真誌に撮られたとか、離婚したとか、舞台挨拶がふてぶてしい態度だったとか、そんな事で謝罪しなければならない根拠はどこにもない。
気に入らなければファンを辞めれば良い――ただ、それだけの話である。
日本人が割と簡単に謝るのは、揉め事を好まない国民性が根強いのかな?と思う。個人的には嫌いではない。
しかし最近の風潮を見ていると「詫びる」と「詫びろ」を勘違いしている人間が多くなっている感じを受ける。メーカーに対する、いわゆる「クレーマー」も年々、増加しつづけているという。
「詫びる」の氾濫は気にならないが、「詫びろ」の横行は不快である。官僚の汚職と有名人のごたごたとの区別も付かない人間が増えているとすれば、これは問題であろう。