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本能寺の変の真相

2022年02月08日 19時16分08秒 | 学術・教育
『本能寺の変』とは、どんな事件だったのか?
それは、織田家臣明智光秀が主君織田信長を裏切って殺害した謀反だった。
・・・「なんだ、ただの釣りか?」「炎上商法に引っかかった!」そんな不満と怒りが聞こえる(笑)。
ちょっと待ってほしい。御歳64歳を迎える筆者が約半世紀に渡って研究した本能寺の変の真実をここに発表する。

まずは本能寺の変が発生した天正十年の時代背景を考えてみよう。この頃の一番大きな出来事は甲斐の武田氏の滅亡だ。信長が一番恐れた大名が武田晴信(信玄)だった。敵対関係にならないよう贈り物を何度と贈り、偶発的にも戦闘とならないように松平元康(徳川家康)と同盟して領土が接しないように配慮しつつ盾に利用した。信玄が病死後も武田二十四将と呼ばれた戦国最強の家臣団の騎馬軍団は健在だった。その武田家を織田・徳川連合軍は長篠の戦いで打ち破り、ついには武田勝頼を自刃させて武田家は滅亡する。東には、まだ上杉・北条などの強敵は残っていたが、信長にとって東で一番気を付けなければならない勢力、それは徳川家だったろう。
徳川の強さは浅井・朝倉や武田との戦いで身に染みてわかっている。武田亡きあと、その徳川家は武田の遺領を一部併合し、また信長が恐れた武田家臣団の武将たちを召し抱えている。元々、信長は同盟者とはいえ家康の力を恐れていた部分があり、家康の正室・築山殿や嫡男・信康を家康に殺すように命じたりして徳川家が必要以上に力をつけることを防いでいる。

ところで、天下統一のしかたには二種類ある。ひとつは日本全土を自分の領土とすること。もうひとつは日本全土を自分の領土か自分に服従した者の領土とすること。豊臣秀吉や徳川家康が達成した天下統一は後者だ。では信長もそうした天下統一を目指していたのか?否、彼は天下布武(武力で天下を治めること)を公言して領土拡大を実行している。浅井長政・松永久秀・荒木村重など信長を裏切った武将は降伏もさせずに攻め滅ぼしている(松永久秀は一度は許された)。また、信長との戦いに敗れて降伏してきた相手を何度も無下に惨殺している。日本全土を自分の領土にする天下統一など不可能と考えるのは凡人の歴史学者の発想で、凡人には想像もできないスケールの信長は考えられない計画を実現しようとしていた。

閑話休題。武田家が滅亡した状況で武田への盾とした徳川家の役割は終わった。むしろ家康に力をつけられて第二の武田家に成られるのはまずい。そこで信長が考えたのは徳川家康暗殺。武田氏との勝利を祝すという名目で家康を安土城へ招き、饗応役を命じた明智光秀に毒殺させる。これが信長のシナリオだった。
徳川家康も信長を100%信用していたわけではない。裏切りが日常茶飯事の戦国時代、いつ自分が裏切られて殺害されるやもしれぬと、常日頃から考えていたろう。武田という強敵が亡くなってすぐの信長からの招きに、暗殺計画かもしれない危惧を当然抱いたはずだ。かといって招きを断れば謀反の疑いとの口実で大軍で攻められることも考えられる。行かない訳にはいかなかった。しかし安全に大軍で出向けば、また謀反の疑いと言われかねない。家康は生命を賭けた博打に応じるしかなかった。
家康毒殺を命じられた光秀は着々と準備を進めていた。そして信長・家康・光秀が顔を揃えた饗宴の席で、家康の家臣が騒ぎ出す。「この魚から異臭がする」と。そのままでは「殿(家康)が食する前に某がお毒見奉る」などと言い出しかねない。それで毒見した家臣が毒死すれば、信長の家康毒殺計画が露見してしまう。咄嗟に信長が機転を働かせる。饗応役の光秀を「徳川殿に腐った魚をお出しするとはなんたるうつけもの!」と殴る蹴るの暴行。光秀も信長の芝居と瞬時に察して抵抗しない。憤慨した振りをした信長は宴は中止と言い放って引っ込む。これでなんとか毒殺未遂は露見を免れる。因みに光秀ほどの武将が毒殺しようとして異臭に気付かないはずがない。この騒ぎは毒殺を恐れた家康が毒見を合理化するために仕組んだものだろう。

しかしこれで信長が家康暗殺を諦めたわけではない。家康に「安土まで来たついでに堺を見物して行ってはどうか?」と持ち掛ける。それで「自分も中国攻めをしている羽柴秀吉の陣中視察に出かける」と伝える。ここで信長が数万の兵を率いて中国へ向かうと言えば、当然家康は堺見物など警戒して承諾するはずがない。自分は数十名の親衛隊と出立して京で茶会など開き信忠率いる本体を待って合流する予定であると言って家康の警戒を解く。実は家康暗殺の実行部隊は、丹波亀山を出た明智光秀率いる数万の大軍だった。

ここまでは、信長と家康の立場で歴史を見てきた。ここからは明智光秀の立場で見て行こう。光秀は信長を100%信用していたのか?否、光秀も信長を完全には信用していなかった。用済みとなった家臣が何名も粛清されるのを目の当たりにしている。佐久間信盛の追放がこの時期に近いので挙げる人が多いが、長年信長に仕えた林秀貞(通勝と記してある書物が多いが誤り)などは信長が機内統一を果たす頃になって、尾張統治を争っていた頃に自分でなく弟の信行に味方した罪を問われて処分されている。光秀もいつ信長から不要として処分されないとは限らない。そして、それは役立たずとして処分されるよりむしろ家康のように「自分にとって脅威の存在」とされた挙句に処分されかねない。例えば、信長から皆殺しにしろと命じられた丹波平定で降伏した波多野氏の助命を嘆願したり、四国平定に置いて長曾我部氏の降伏を認めるよう信長に進言したり、あとから難癖を付けようと思えば付けられるような行動を光秀はいくつかしている。そんな自分にとって最も脅威的な存在である織田信長が僅かな供回りだけで京に投宿している。しかも秀吉の援軍ではなく「家康を討て!」は他ならぬ信長の命令だ。光秀の大軍が中国ではなく東に進んでいる情報が仮に信長の耳に入ったところで何の疑いも持つはずがない。
光秀にとっては千載一遇の好機だった。それは巷で言われるような「自身の天下取りへの好機」ではなく、将来の不安の元凶を葬り去る好機だった。信長暗殺後の光秀のもたもたした行動がそれを物語っている。秀吉の中国大返しが当時としては奇跡的な進行速度だったとしても、天下取りが目的の謀反ならばもっと足場を固める時間はあった。

つまり本能寺の変とは信長の描いたシナリオ通りに織田信長も明智光秀も行動していたが、最後の最後で将来の不安を払拭するために光秀が信長を討った事件である。

最後に、筆者は明智光秀が南光坊天海になったとする説には必ずしも賛同はしないが、歴史にロマンをお持ちの方々にリップサービスするならば、本能寺の変の真相を光秀から聞かされた家康が命の恩人である彼を参謀として取り立てたという話はどうだろうか(笑)?


「STAP細胞」論文 理研、論文の取り下げを視野に検討

2014年03月12日 10時10分00秒 | 学術・教育
「STAP細胞」論文 理研、論文の取り下げを視野に検討

理化学研究所の小保方 晴子さんが発表した「STAP細胞」の論文について、11日、理研は、調査を開始したと発表した。
一方、共同研究者である山梨大学の若山照彦教授も、11日午後、あらためて記者会見を行った。
若山教授は午後5時すぎ、「(小保方さんからメールの返信はあった?)小保方さんは、(今後)どうするかということではなくて、とにかく前向きの、そういう感じのメールでした」と話した。
生物学の歴史を覆す、新たな万能細胞として、世界的な科学雑誌「ネイチャー」に掲載されたSTAP細胞の論文。
小保方さんは1月、「もしかしたら、夢の若返りも目指していけるのではないかと考えております」と述べている。
論文を発表した理化学研究所の小保方 晴子さんらは、STAP細胞の特徴は、筋肉や内臓など、体のどんな細胞にも変化できる万能細胞で、ごく簡単な方法で、短期間に作成できると説明している。
しかし、論文発表後、不適切な画像の使い回しや加工、別の論文からの無断引用などの疑いが指摘されたほか、論文の情報だけでは実験で再現できないとする報告が相次ぎ、理化学研究所は、3月5日、STAP細胞のくわしい作成手順をウェブサイトなどで公開していた。
そうした中、論文で、STAP細胞の万能性を示す根拠として掲載されていた写真が、小保方さんが、2011年に書いた博士論文で、別の現象の写真として掲載されたものと同じという指摘を受けて、小保方さんの共同研究者で、山梨大学の若山照彦教授が10日、会見を開いた。
若山教授は10日、「それまでは、信じようと努力していたが、これではもう、ちゃんとした説明を受けないかぎり、僕自身が信じられなくなってくるし」と話した。
若山教授は、小保方さんや共同研究者らに、論文を一度、取り下げるよう呼びかけ、提供を受けたSTAP幹細胞について、第3者の研究機関に調査を依頼することを明らかにした。
今回の件について、下村文部科学相は「客観的な研究・調査をしてですね、再度、論文を出すように期待をしたい」と述べた。
文部科学省で行われた理化学研究所の記者会見では、信頼性、研究倫理の観点から、論文の取り下げを視野に入れて検討していると発表した。
理化学研究所の加賀屋 悟広報室長は「きょう会見を行うということは、本人(小保方さん)もご存じだと思っています。一方で、今回、どう思っているかにつきましては、特に(本人と)確認していないという状況」と述べた。
理化学研究所は、14日午後に会見を開く予定。
今回の問題について、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、論文の共著者であるハーバード大学のチャールズ・バカンティ教授が、「いくつかのミスがあったが、結論に影響するものではない。論文を取り下げる理由はない」と語ったと報じている。
そして、午後5時、若山教授が、あらためて報道陣の取材に応じた。
若山教授は「(論文の)信頼を取り戻すために、いっぺん取り下げて、本当にいい論文に仕上げて、再投稿するのが、今、僕の考えでは、一番正しい方法かなと思います」と話した。


もう30年ほど前になるだろうか?
任天堂がファミリーコンピュータ、通称ファミコンを発売すると、またたく間にテレビゲームブームが巻き起こった。
人気ソフト発売日には、前日から徹夜の行列ができるほどの過熱ぶりだった。
このブームは出版界にも及び、多くの出版社がゲーム雑誌を創刊した。
今ではゲーム攻略については、雑誌や書籍よりもインターネットの攻略サイトのほうが早くて解り易く、しかも無料だから、これらの雑誌は相次いで廃刊されてしまったが、ネットが普及する以前はゲーム雑誌の攻略記事がゲーマーの一番の情報源となっていた。
ほとんどの雑誌に、読者からの「ウラワザ投稿コーナー」が設けられていた。読者が発見したウラワザを紹介するコーナーだ。
実はウラワザには二種類ある。ひとつは製作者が予め意図して仕込んでおいたものだ。「上・上・下・下……」とボタン操作すれば主人公が無敵になる……などのウラワザがこのタイプだ。こうした情報が話題になればゲームの売り上げが伸びるだろうなんて企てでプログラミングされている。
もうひとつは製作者が全く予想しなかったところで起きるウラワザで、ほとんどはプログラムの不具合、いわゆるバグが原因だ。もちろんゲーム発売前には入念なテストプレイを行いバグを除去する。しかしどんな入念な作業をしても残念ながら出てしまうことがある。
出版社に話を戻そう。読者から寄せられたウラワザを掲載するに当たっては、もちろん編集部でそれが事実かどうか検証する。晴れて情報と同じことが起きれば掲載となる。ところが前述のように、ゲーム製作会社が厳重に検査した隙間をすり抜けて起きてしまったバグだ。そう易々とは起きない。簡単に起こせるならゲーム会社で発見できたはずだ(笑)。
時には編集部以外の社員や外部のフリーライター等まで総動員してゲーム漬けの日々が始まる。
そこまで努力しても、ついに情報を再現できない時は泣く泣く没となる。そこまでやってもできないウラワザでは載せたところで誰もできないだろうから……。
「ネイチャー」と「ファミコン通信」では権威が全然ちがうだろう(笑)。
でも、「たかがゲーム」でも、ここまでしているのだ。

いじめに気付かぬ教師

2012年07月25日 12時11分20秒 | 学術・教育
いじめ問題で頻繁に聞く、学校や教育委員会の釈明で、「いじめに気付かなかった」がある。
中には、本当は気付いていたにも関わらず手をこまぬいていた事の言い訳もあるだろうが、本当に気付かなかったのも相当数ありそうだ。
それは自分の学生時代を振り返れば、納得できる。
悪友たちと学校の片隅で良からぬ行為をしている。
と、遠くに教師の姿を発見。
「やべっ、センコー」と、すぐさま行為を中断し、教師が通り過ぎるのを待つ。
教師の目の前で堂々と悪さを継続するのは、よほどのノータリンか札付きのワルか、どちらかだ。
しかし昔の教師はカンがするどく、「お前ら、今なにしてた?」と感付かれたものだ。
いや、特にカンが優れていなくても、よからぬ事をしている輩の様子はどこか違和感があって当たり前なのかもしれない。
ならば、なぜ、昔の教師は簡単に気付いた事に、今の教師は見過ごしてしまうのだろうか?

東京電力福島第一原発事故の政府事故調の畑村洋太郎委員長は、原発で災害対策を怠った原因について「(人間は)見たくないものは見えない。聞きたくないことは聞こえない。自分たちが困ることは考えないための理由をたくさん並べて結局、考えない」と鋭く指摘した。
学校や教師にとって、いじめは起きてほしくない物、学校にないほうが良い物に違いない。
そうした「いじめなんかなければいいなあ」という心理が「見たくないものは見えない」として「いじめに気付かなかった」の原因となっているように思えてならない。

ついでに言うと、単身高齢者の孤独死とか、父親・母親の我が子虐待などにも、人々が気付かないのは、やはり「見たくないものは見えない」からではないかな?

セクハラ被害相談担当教授が性行為強要――宮崎大

2012年04月27日 02時57分30秒 | 学術・教育
セクハラ被害相談担当教授が性行為強要――宮崎大
 宮崎大は26日、3月に退職した50代の元男性教授が、2010年にセクハラ被害の相談に来た女子学生に性的関係を強要したとして、退職手当を支給しないと決めたと発表した。元教授は当時、ハラスメント相談員を務めていた。
 同大によると、元教授は10年8~9月、別のセクハラ被害や進路の相談に来た女子学生をドライブに誘った上、数回にわたり性的関係を強要し、実際に関係を持ったという。


例えたら警察官が泥棒するような物だね。被害者を守るべき立場の人間が犯行に及ぶんだから被害者は逃れようない。この教授が処分されるのは当然としても、それを任命した人間にも責任があると思うぞ。



京大入試問題を試験中にYahoo!知恵袋で質問

2011年03月03日 09時23分27秒 | 学術・教育
入試ネット投稿――仙台の予備校生関与か? 逮捕状請求へ

複数犯説が有力だ。
いくらなんでも試験中に受験生がYahoo!知恵袋に書き込むのは不可能だろうというのが根拠だ。
受験生は問題を写メに撮って外部の協力者に送り、協力者がそれを文章に直してYahoo!知恵袋に書き込んだという見方だ。
実は、ここにこの犯罪を完璧にする「コロンブスの卵」が隠されている。
事件はYahoo!知恵袋に書き込んだために明るみになってしまった。さらにログ解析で容疑者が特定された。
どうせ協力者を求めるならば、Yahoo!知恵袋なんか使わず、協力者自身が問題を解いて、受験生に送り返せば良い。そうすれば事件が発覚することはなかった。
というか替え玉受験なんて、なべやかんまでしたような有り触れた不正ですよね。
ひょっとすると、前述のように証拠を残さずにこっそり成功させてるケースがこれまでに多数あったとしても、何の不思議もない。

情けは人のためならず

2010年06月21日 08時30分00秒 | 学術・教育
「情けは人のためならず」という言葉が誤った意味で使わていれるとしばしば話題になる。
本来の意味は「他人に情けをかけておけば、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い」という意味だが、これを「他人に情けをかけるのは当人のためにならない」――簡単に言うと「甘やかせば人は駄目になる」という意味に誤解されているというはなし。
文化庁あたりが調べたところ、正しい意味よりも誤った意味で理解していた人数のほうが多かったそうだ。

だが、それも仕方ないと思う。
誰が考えた言葉(今では”諺”らしいが)か知らないが、そもそもこの言葉は良くない。ハッキリ言って、悪い(笑)。
どこが悪いかと言うと、大切な部分を言わずに、どうでも良い部分だけを言っているからである。
簡単な読解力テスト。
「イルカは魚ではない。イルカはほ乳類だ」
上の文章で筆者が述べたいことは何か?
それは「イルカは魚ではない」ではない。「イルカはほ乳類だ」の部分である。
イルカは魚ではないは単なる前フリであって、読者に伝えたいことはイルカはほ乳類だということ。

これと同じ事を「情けは人のためならず」の正しい意味で考えてみる。
すると、伝えるべきことは「情けは人のためならず」の部分ではない。その後に省略されている「他人への情けはやがて自分のためになる」という部分だ。
ならば最初から「他人への情けはやがて自分のためになる」と言ってしまえば良い。
これならば誤った意味に捉える人間は出ない。

つまり、そもそも「情けは人のためならず」なんて言葉は、諺の失敗作みたいなものだから、誤解されて意味が変わろうと、消えてしまおうと、どうでもいい。
一部には「他人への情けはやがて自分のためになる」なんてハッキリ言い切ってしまわずに、「情けは人のためならず」みたいに曖昧に伝えるところが「日本人の美徳」なんて考える方がおいでかもしれない。
でも、その結果、正しく伝わらなければ、何にもならない。
ハッキリ伝えないと、伝わらない鈍感くんも世の中には意外と多いらしい(笑)。

日本が妙に明るい件

2010年06月16日 02時36分22秒 | 学術・教育
珍しく世間が明るい。
ひとつはサッカーW杯で日本がカメルーンに勝ったため。
もうひとつは小惑星探査機「はやぶさ」が奇跡的に地球に帰還したかららしい。
殺人とか汚職とか薬物汚染とか谷出馬とか、ロクな話題がない昨今、明るいニュースが続くのは珍しいからか。

はやぶさのトラブルを聞くと、本当に帰ってきたのが奇跡っぽい。
でも無人機だから感動的に語れるんだけど。もしも有人機だったらとんでもない事態でアポロ13なんて比じゃない。
それと話をより感動的に仕立てるためか、やたらとはやぶさを擬人化して報道してるマスコミがやや気がかり。
「ようやく帰って来た故郷・地球の写真を送ったあと、大気圏で燃え尽きました」
「でもはやぶさは燃えて無くなったわけじゃない。地球とひとつになったんだ」
なんだ、それ?

『鉄腕アトム』を思い出す。太陽が異常な活動を始め、このままでは地球が滅びてしまうため、アトムは地球を救うために太陽を制御する爆弾を抱えて太陽に飛び込んで消える。かなりショッキングな最終回だった。このような特攻オチはその後のロボットアニメ等でもよく見かける。
アトムは可哀想だった……。そうか?
ならばアトムの代わりに、宇宙ロケットに爆弾を積んで太陽に打ち込んで問題を解決してたらどうなっただろう。
「ロケット、かわいそう」とか「爆弾、かわいそう」ってなったか(笑)?
ならんだろうなあ。でもアトムもロケットも爆弾も、人間が作り出したメカって点じゃ一緒なんだよな。
確かにアトムは人間の形をしていて言葉を話し、さらには感情も有していたようだけど、でも生き物じゃない。それに今はロケットだって爆弾だってコンピュータが搭載されているから、言葉を話さないだけで人工知能を有してるところはアトムと同じといっていいほど。
はやぶさにケチをつける気は毛頭ないが、擬人化してセンチメンタルなストーリー仕立てにするのはちょっと行き過ぎのように思えるが、どうなんでしょうか?

最も重い元素『コペルニシウム』と命名

2010年02月21日 00時03分00秒 | 学術・教育
「最も重い元素『コペルニシウム』と命名」
 化学者の世界組織「国際純正・応用化学連合(IUPAC)」は20日、現在認められている最も重い112番目の元素を、天文学者のコペルニクスにちなんで「コペルニシウム」と名付け、元素記号を「Cn」に決めたと発表した。
 この元素を発見した独・重イオン研究センターの提案を認めた。1473年2月19日にポーランドで生まれたコペルニクスの誕生日に合わせて公表した。
 コペルニクスは、太陽を中心に惑星が回る「地動説」を提唱。IUPACは、命名に際し、「天動説」を覆す大発見の功績だけでなく、地動説が、原子核の周りを電子が回る「原子模型」にも応用されたことも考慮したという。


普通の受験生なら「コペルニクス」って名前くらいは知ってるだろうから、覚え易い命名で良かったんじゃないかな。そもそも日本じゃ「Hydrogen」に水素、「Oxygen」に酸素なんて独自の名前を付けていたが、考えるのが面倒になったのか、あるいは国際化したのか、新たに発見された元素は「マイトネリウム」、「ダームスタチウム」、「レントゲニウム」みたいにそのまま日本語表記されている。「コペルニシウム」の日本語名もそのままだろう。ちなみにポケモンの水タイプ強力技の「ハイドロポンプ」とか、ゴジラを葬った武器「オキシジェン・デストロイヤー」なんかの命名も、こういうのを知ってると納得できて楽しい。

元素の日本語表記と言えば、『時評親爺』さんが、「Bronze medalを、なぜ『銅メダル』という? 青銅メダルと言うべき」と言っておられた。確かに、金はGold、銀はSilverだから、Gold medalは金メダル、Silver medalは銀メダルで文句ないが、銅はCopperだ。日本語訳がおかしいのか。或いはアチャラさんのそもそもの命名がおかしいのか?(つまりBronze medalではなくCopper medalと言うべきってこと)。

と思ったら、全く同じ疑問を持ってお調べになられた方がいらした。
「銅メダルはブロンズ?」
「オリンピック憲章を見ると、金メダルと銀メダルについては、大きさや純度の規定が書かれているが、銅メダルについては特に何も触れられていない」
なるほど、金メダルと銀メダルは規定されてるが、銅メダルはドウでもいいってことか……。
いけないいけない、どうも親爺殿のブログに触れると影響されちまう(笑)。


オリオン座のベテルギウス、謎の縮小

2009年06月12日 03時11分00秒 | 学術・教育
オリオン座のベテルギウス、謎の縮小。
 巨大恒星として有名なオリオン座のベテルギウスが急速に縮小しているらしい。だが、天文学者たちはその理由を解明できていないという。ベテルギウスは地球から600光年の距離にある赤色巨星で、地球からはオリオンの左肩を飾る赤い点として肉眼ではっきりと確認できる。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンとともに「冬の大三角」を形作る一等星としてもおなじみだ。

「15年前と比べると15%小さくなっていることがわかった」とか「3年前にベテルギウスの表面に通常とは異なる大きな赤い点があるのを観測している」とか書いてるけど、「600光年の距離」にあるんでしょ?
てことは実際にゃ「615年前」や「603年前」ってことだよな?
「爆発時にはその様子を地球からはっきりと観測できるはずだ」と書いてるけど、地球で観測されるのは600年後だろ?
へたすり爆発して今はもうなくなってるのかもしれない。
たまたま599年前に爆発してたら、運良く来年、観測されるだろうけどさ……。

(※光よりも速いタキオンの存在が実証されたというのは誤報らしく、光よりも速い物は現時点では見つかっていないそうです出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


利口な子の親は読書好き、お馬鹿な子の親は…

2009年05月27日 13時45分45秒 | 学術・教育
利口な子の親は読書、お馬鹿な子の親はワイドショー好き

ワイドショーが大好きな筆者には耳が痛い調査結果だが、「孟母三遷」の故事もある。親の教養が子供にある程度、反映されることはあろう。簡単に言うと、このブログを読んだヨイコが親に「ねぇ、『孟母三遷』ってなあに?」と尋ねた時に、即座に答えてあげられるか、あげられないかで子供の知識量が変わる。その積み重ねで成長した子供の知識量に大きく差が開く。でも上の数値が13.7で下の数値が-10.6。サンプル数から見てもそれほど顕著な差とは感じられない統計で、うまくこじつけている部分が感じられるが(笑)。
最後の<しかし、成績下位の子の親が子どもの学習に無関心というわけではない。「ほとんど毎日、子どもに『勉強しなさい』という」という答えは56.9%と、最上位層より5.7ポイント高かった。調査チームは、子どもの成績が思わしくないために小言を言いがちになるのでは、とみている>には異論があるね。
頭が良くない親ほど、子供に「勉強しろ」という。頭が良くないから、そういう漠然とした叱責しかできないんだね(笑)。頭が良い親は、もっと冷静に分析して子供を把握するから、より細かく的確な指導を子供にできる。「勉強しろ」なんて曖昧な言葉を言わずに、成績を伸ばす術を編み出せる。

「勉強しろ」という親に利口な親があまりいないのは事実だろう。


マスクをかける日本人はマジメか?

2009年05月21日 03時01分00秒 | 学術・教育
新型インフルエンザが流行していても、アメリカやカナダではマスクをかけてる人はほとんどいないと伝えられる。
テレビでニューヨークやナイアガラの滝からの中継レポートを見たが、確かにマスクをしている人間は皆無だった。
それに対して、この一両日に大阪や神戸からの中継を見ると、八割以上の人間がマスクをかけていた。恐らく今日以降は東京でもマスク姿の人間が増えるだろう。

「日本人はマジメだから」という。確かに日本人はマジメな国民性があると感じる。だが、それ以上に大きいのは、この20年ほど、日本人ほどマスクをつけるのに慣れた国民はいないのではないか?と、思う。
そう。花粉症だ。
筆者の子供の頃は花粉症に悩む人など周囲にいなかった。春先にマスクをしている人など見かけなかった。
春先にマスクをしている人間が増えたのは、せいぜいこの20年くらいの事だろう。

花粉症に悩む人間が増えたのは、自然林を伐採して次から次へと杉を植えた林野行政が原因だ。世界各国を調べたわけではないが、これほど花粉症に苦しめられている国民を知らない。テレビの天気予報で花粉の飛散予報を流している国などないらしい。中国では黄砂情報があるらしいが(笑)。
となると、森林を伐採して国土を砂漠化させて大量の黄砂を飛散させている中国並みの環境汚染と言えるか?

今、インフルエンザ対策で国民が一斉にマスクをしている日本人は、確かにマジメで世界に誇れるかもしれないが、別の一面では決して世界に自慢できない林野行政、環境行政の失敗も大いに影響している気がする。
マスク姿をただ自慢する気には、どうしてもならない。


新型インフル・部活バレー試合で拡大か?

2009年05月17日 05時45分00秒 | 学術・教育
新型インフル--部活バレー試合で拡大か?

昔と違って現在は短期ホームスティとか、学校間国際交流とかって幅広く行われているから、一人が持ち込んじゃうと、こういう風に一気に拡大しちゃうよねぇ。
感染者はもちろん被害者だが、感染源特定がまるで加害者探しのように見られるのは気の毒。
学校名公表には異論もあるようだが、感染防止には仕方ないだろう。
学校名を公表することで、近所の住民が異常が出れば、発熱相談等への意識が高まる。
今のところはバレーだけだが、他の部活にも広がる可能性が十分に考えられる。
となると、発生地が兵庫県っていうのが大いに気になるね。
「唾液の飛散による感染拡大を防げ! ジェット風船中止に」なんて動きも出ている。仮に野球部の試合で感染拡大が確認されれば、最悪の事態としては甲子園の高校野球大会中止っていうことまで起こり得る。そうなれば前代未聞の事態だろう。


同じ教室で男女着替え 大村の市立中に批判の声

2009年04月28日 13時23分59秒 | 学術・教育
同じ教室で男女着替え――大村の市立中に批判の声

筆者が義務教育を受けてたのは、もう何十年も前の話だが、そんな太古の時代でも、小学校の高学年から着替えは別々だった。「指導するまでもない常識」や「有り得ない」といった教委の反応は当然だろう。長崎ということで、離島の小さな学校で教室不足が原因かとも考えたが、生徒数770人といえば決して小さな学校ではなさそうだ。原因は教職員の無神経さか?

ただ自分のブログで取り上げという言うのもおこがましいが、こういうことは「そっと改善」されないものかね。新聞などで報道されて、この中学校が好奇の目で見られたら、思春期の生徒たちは、もっと傷つくように思う。
ていうか推測だが、批判は以前から有ったが一向に改善されなかったんだろうね。そして、今回マスコミに取り上げられたことで、恐らく直ちに改められるはずだ。

大事にならないと腰を上げない組織にも困ったものだと思う。


オウンゴールでわざと負けろー教頭活動停止

2009年04月10日 08時13分00秒 | 学術・教育
「オウンゴールでわざと負けろ」教頭の指示で大敗…新潟

教育上好ましくない……と、また怒り心頭に発する方々がたくさんいそうだ。
以前にも似たような事件があった。

しかし、こういう事が有る度に思うのだが、なんでこんな下手で見え透いた方法をするんでしょうね。
「試合は、同校が6連続で自らのゴールにシュートを入れる異常な展開となり、審判が注意」ってさあ……σ(^_^;)アセアセ
こんなことしたら問題になるに決まってんじゃん。

出場選手を補欠の(中でも特に下手な)選手にするとか、もっと上手い方法が有りそうな物だと思うが……。
「シュートを外せ」、「パスミスして相手にボールを渡せ」、「相手のシュートはゴールさせろ」くらいで十分に負けるだろうし、協会や審判も選手のミスなら指摘できないだろ?

やった事ではなく、やり方のまずさで、この教頭は指導者失格だな(笑)。


【追記】
トラックバック頂いた『時評親爺』(下欄)さんのエントリー、及びコメント欄を読むと「敗戦を指示」ではなく「大敗を指示」とあるのは得失点差の関係で単に負けるだけでは2位にならなかったのでは?という見解が記されていた。
なるほど。深読みしてますなあ、相変わらず。
となると消極的に勝ちを逃すのでは駄目で、このように積極的に負ける試合運びをするしかなかったのか。
それにしても、同校は目論見通りに2位になったものの、次の決勝トーナメントの最初に敗れてしまい、代表を逃してしまったそうな。
故意の敗戦で選手のモチベーションが下がってしまったのかも。

そう言えば、先のWBCでやたらと日本対韓国戦が有ったのは、米国が決勝戦までキューバと当たらないように細工したという噂を聞く。結局、目論見通り米国はキューバと当たらなかった訳だが……(笑)。
下手な小細工を弄するよりも全力で当たった方が好結果を生むということか。

ところで、こうしたクラブ活動で生徒(選手)は優勝を目指して必死に頑張っているのだと思うが、周囲には違う計算が働いているように思えてならない。
高校野球の特待生問題などの際にも触れたが、甲子園大会などは生徒集めの為のPRに利用されている面が否めない。
これから少子化が進めば、こうした生徒集めはますます加熱していきそうな予感がする。
若い汗は純粋かもしれないが、その陰に黒い野望が秘められていることを忘れてはならない。


「言わさせてください」は誤用

2009年02月27日 11時14分00秒 | 学術・教育
「言わさせてください」は誤用


賛否両論あるだろうが、個人的に「ら」抜き言葉が一般化すれば、日本語がもっと簡単で使いやすくなる気がしている。それは敬語が簡単になるからだ。
「~る」を「~られる」と変えるタイプの敬語がある。「来る」で「来られる」、「見る」で「見られる」、「食べる」で「食べられる」……。
しかし社会人はこのタイプの敬語を使うのは御法度が常識。なぜならば「~できる」の言い回しと全く同じになってしまうからだ。
仮にこちらが敬語のつもりで「こちらに来られるなら……」と言ったとしても、相手が「~できる」という意味で「来ることができるなら」と取れば、敬語ではなくなる。
そのため、
来る→いらっしゃる、見る→ご覧になる、食べる→召し上がる……という敬語を使うべきとされる。しかしこの変化は全く規則性がない。「来」、「見」、「食」という主なる部分が跡形も無く消え去ってしまっている(笑)。「敬語は難しくて覚えにくい」という不満は、この規則性の欠如が大きいと感じる。

もしも「ら」抜き言葉が定着して、「~できる」が「~られる」ではなく「~れる」になったとする。
来る→来れる
見る→見れる
食べる→食べれる
そうすれば、「来られる」、「見られる」、「食べられる」は可能を表わす普通の言葉ではなく、敬語オンリーとなる。「~る」を「~られる」に変えるだけで良いのだから、こんなに簡単で規則的な変化はない。外国人でも1日で敬語が覚えられる(覚えれる)だろうwww

日本語の乱れと今更ながら言われているが、すでにこうした変化は定着している物もある。
「聞く」の「聞くことができる」という言い回しは「聞ける」だよね? 一方、「~られる」タイプの敬語に直せば「聞かれる」。二つは全く異なっている。
「kikeru」と「kikareru」。抜けているのはaとr。即ち「聞ける」は「聞かれる」の「ら」抜き言葉と言って良い(笑)。
色んなルールがあるんだけどね、でも文字や言葉ってコミュニケーション・ツールだと思うから、簡単で解り易くなってったほうが便利じゃない(笑)?