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愛猫が死んで4週間

2015年01月30日 19時00分00秒 | その他
長年ブログを書き続けてきたり、あるいは他人のブログやSNSを閲覧したり、さらにはネットトラブルの話題を何度も取り上げたりしていると「こういう内容を書けば炎上したりトラブルが起きる」というのが解るようになり、従ってそういう記事を極力書かないようにしてきた。そして今回の一連の愛猫死亡のエントリーに関しても、そのガイドラインを守ってきた。
でも生命を私に預けてくれるほど信頼してくれた愛猫に対して、そうやって身を守り続けながら思いを語ることが誠実なのかという罪の意識が消えない。
自分も心から全てを曝け出して初めて愛猫への思いを100パーセント語れるのではないか?
これから書く内容は、猫嫌い(とりわけ野良猫嫌い)の方々からも、逆にペットは責任を持って飼うべきだという愛護家の方々からも反発を買う内容になる要素を含んでいる。
しかし最悪は当ブログを閉鎖せざるを得ない結果になってしまっても、ありのままに全てを書きたい。

まず我が愛猫は近所で生まれた野良猫○世(少なくとも母親が野良)だった。
その子と出会った頃、ちょうど私は仕事が順調でなく、暇を持て余していた。時間はあるが金がない。遊びに行くこともできず、家でゲームやネットをして暮らしている人生落伍者生活をしていた。そんな私を見かねて、時折、友人が差し入れの食料を持って訪問してくれた。豚肉の寄せ鍋をした冬のある日から数日後のことだった。冷蔵庫を見たら豚肉が残っていた。しかし賞味期限が切れていた。もったいないが食べるわけにいかない(腹を壊せば余計に出費)と悔やんでいると、いつも通る道筋に野良猫が住み着いているのを思い出した。猫ならば賞味期限など切れてても平気だろう。飢えよりも古い肉でも食べられるほうが幸福だろうと野良猫へ与えた。
おいしそうに肉を食う姿を見て癒された。もともと動物が好きだったし、とりわけ猫が好きだった。
仕事がなく金もないと言っても百円の猫缶を買う金まで無い訳ではなかったw 賃貸家賃も光熱通信費も滞ることなく払っていたし、質素な食事も毎日きちんと食べていた。家でゲームやネットばかりでいくら好きでもうんざりしはじめていた時に、わずか百円程度で猫と遊べる時間は格好の暇潰しになった。それから半年間、その牝猫に食事を与えていた。
冬に出会った野良猫が夏になって妊娠した。半年間、餌付けをしたせいで私を信頼したのだろう。仔猫が食事を摂るようになると「この子たちにもちょうだい」という感じで連れてきた。半年たって仕事が僅かだが好転していたので仔猫たちの食事も面倒を見た。全部で4匹だった。やがて最初に餌付けした母猫の姿が消えた。死んだのかもしれないが縄張りを変えたのかもしれない。猫は生後1年も経たずに出産可能になるため、親は子供たちが独りで生きられるように育つと自分の縄張りから追い出すらしい。近親交配を避けるためと聞いた。しかし親猫が老いて衰えると逆に娘に縄張りを奪われて追い出されるとか。そんな下剋上が起きたのかもしれない。
最初に餌付けした牝猫は消えたが、まるで「子供たちをよろしく」とでも言われた気分だったので、引き続きそいつらにも食事を与えた。親猫は野良で成猫になっていたのでいくら食事を与えても懐かなかったが、仔猫たちは生後まもなくから食事を与え続けていたのですぐに懐いた。最初は私の足に顔や身体をこすりつけてくる程度だったが、そのうち地べたに胡坐をかくと、その上に乗ってきて眠るほどになった。
しかし、やがて3匹の姿が見えなくなった。のちに噂で、このあたりでは定期的に民間業者が依託されて猫狩りをしていると聞いた。野良はすばしっこく逃げるようだが、私が餌付けしてた仔猫たちは「人間とは優しい生き物」と警戒心がなくなってしまい簡単に捕獲されてしまったのかもしれない。そう思うと自分のせいで短い生命を断たれてしまったように思えて心が痛んだ。ただ1匹だけ難を逃れて残っていた。そういえば一番最後まで私に懐かなかったやつだった。警戒心が一番強かったから唯一助かったのかもしれなかった。
冬になって、この猫が風邪をひいた。鼻だけでなく目からも鼻水みたいな液体が垂れていた。放っておけば僅か生後半年のその猫はおそらく死んでしまいそうだった。兄弟3匹が私のせいで殺されてしまったのではないかという負い目もあった。こいつだけは救ってやろうと思った。動物病院へ連れて行った。治療後、獣医が「外へ出かけさせてますか?」と聞いてきた。「野良です」と答えるのは躊躇した。動物病院は人生初経験なので「野良猫です」などと言えばいい加減な治療をされるかもと心配になったからだ。のちになって動物病院に野良が持ち込まれるのは珍しくないこと、中には手負いの野良を見つけたら連れて帰って治療してる獣医までいることを知った。
ともかく、その時は「はい」と答えると「風邪が治るまでは外へ出さないように」と言われた。
家へ連れて帰ったが大問題に直面する。そもそもペットなど飼う気は全然なかったため、我が家はペット可物件ではなかったww
でも「1週間もして治れば、また外へ返せば良いだろう」と考えた。
懐いてはいたが本来は野良猫である。部屋へ閉じ込められてすぐには不安で鳴き続けていたが、風邪で体力がなかったのか、あるいは私を信用していてくれたのか、しばらくするとベッドの下で眠ってしまった。その日から汚れたタオル類などをベッドの下に敷き、そこが野良の寝床になった。風邪をひいてはいたが食欲はあり、さらに病院の注射も効いたのか、鼻水や目やには翌日になると止まり、だんだん体力が回復してきた。病院へは初診の3日後と1週間後に連れて行った。1週間後の診察時に「もう外へ出して平気でしょうか?」と聞いたら「大丈夫です」と言われた。実はこの猫は初日こそ表へ出たがっていたが、2日・3日と部屋にいるうちに、だんだんと出たがらなくなっていた。寒い屋外よりも暖かい室内が気に入ったのかもしれない。しかしペット可の部屋ではない。バレたら追い出される。そう思ったので、その日の夜、元暮らしていた場所へ猫を連れて行き、置いてきた。
家へ戻り、ぼんやりしていたら、無性に寂しくなった。昨日まで猫の寝床だったベッド下のタオルが主を失いガランとしていた。トレーに砂を敷いただけのトイレが目に入った。教えたわけでもないのに、最初からそこで用を済ませた。賢い子だった。それを、風邪が治ったばかりのそんなカワイイ猫を自分は寒空の下へ捨ててきてしまった。たまらなくなった。すぐに部屋を飛び出して猫を置いた場所へ引き返した。名前を呼ぶとすぐに出てきた。迎えにきてもらったと思ったのか、あるいは餌を持ってきてもらえたと思ったのか? 尻尾を左右に振る仕草が喜んでいるように見えた。犬じゃないのにww
抱き上げられても全然逃げようとしない。抱いて部屋へ帰った。バレたらバレた時だ。管理人は昼間しかいない。昼間は部屋に入れとけばバレないかもしれない。この猫を飼う決心を固めた。
飼うと決めても、どこかに「元は野良猫」という意識があったのだろう。また経済的にまだまだ余裕がないのも理由だった。猫にはワクチン接種も不妊手術もすることなく、ただエサを与えることしかしなかった。元気になると外へ出たがったので、日が落ちたあとドアチェーンを掛けて隙間を開け、出入りできるようにした。出ていってもちゃんと毎日帰ってきていた。楽(ラク)で楽しい同居生活だった。ところが夏になって妊娠した。腹がどんどん大きくなった。そして、よりによって部屋で出産した。しかも目の前で。衝撃だった。困惑だった。どうしよう。
牝猫は子供が生まれると本当に健気だ。普段の猫はこんなにぐうたらかと思うような生活をしている。しかし子育て中の母猫は人が変わった…いや猫が変わったように働き者になる。自分のことなど疎かにしても子供の世話をする。授乳は1時間置きくらいに眠るまで、その間に全部の子の身体を舐めてやり、排便の世話までする。
そんな様子をほほえましく見ながらも、私は途方に暮れていた。これからどうするのかと。全ては不妊処置をしない自分のせいなのだが。妊娠できる牝猫が仔を産むのは当然だ。でも、まだこの頃は「野良猫に何万円も出せるか」という気持ちが残っていた。
飼ってた猫(親のほう)はおとなしい猫でほとんど鳴かなかったが、仔猫たちは良く鳴いた。赤ちゃんだから当然だろうが、私はそんなことすら想像していなかった。これでは部屋を閉め切っていてもバレてしまう。仔猫の声が少しでも聞こえないようにダンボール箱に入れて押入れに放り込んだ。親は外へ引き出そうとしたが、外へ出すと私がすぐ箱の中に戻した。そんな攻防をしているうちに、親猫は私が仔猫を嫌っていると思ったのだろう、あるいは虐待してるように見えたのかもしれない。私が眠っている間に子供たちをくわえて外へ連れて行った。それからは外で仔育てをして、私の部屋には食事にくるだけになった。
だが、これで正直いってホッとした。元々は風邪で一時的に保護しただけの野良猫だった。とてもじゃないが数匹の仔猫までまとめて飼うことなどできっこない。親1匹だけでも大変なのに。しばらくは仔猫の姿も見かけたが、やがて1匹ずつ姿を消して行った。死んでしまったのかもしれないし、前述のように親と縄張りを変えたのかもしれない。親は相変わらず食事時には部屋へ来ていたが、仔猫たちがいなくなってしばらくすると、そのまま部屋に居ついた。さも「ここは自分の部屋」というように。胸にこみ上げるものがあった。実際に涙が流れた。一番安心できると思っていたこの部屋で出産したにもかかわらず、大切な自分の子供たちを無碍に追い払われて、外で苦労して仔育てを強いられて、何も助けてくれなかった人間を、この猫はまだ信頼して帰ってきてくれた。
その時に誓った。何があっても、この猫だけは一生面倒をみよう。あるいは生後1年も経たずに死んでしまったかもしれない子供たちの分も、この猫だけは長生きさせてやろう。
そして不妊手術をして室内飼いにして面倒を見てきた。
そうしてからのエピソードも限りなくあるが、今日はここまでにする。
前述のように猫嫌いからも、愛護家からも、どちらからも言いたいことがありすぎる内容に思える。
しかし死んでしまった愛猫のために本当のことを隠さず書きたかった。
自分は決して猫のために尽くしただけの優等生な飼い主ではなかったと。
汚い部分、負の部分もありすぎる人間であることを。
しかし愛猫はそんな私を愛してくれ、信頼してくれて最期まで一緒に暮らしてくれた。
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また逢えるなら何でもするけど

2015年01月28日 17時30分00秒 | その他
今でも隣の部屋から愛猫がちょこちょことやって来るような気がしてならない。
部屋の真ん中にいることは殆んどなく、四隅やベッドの下等に隠れるようにして居るのが多かったので、探せば見つかるような気がして見回してしまう。
愛猫は眠っている時以外は、ほとんど私を見ていたようで「何してるかな?」と見ると大抵、目が合った。
そんなに好きでいてくれたのか? あるいは部屋の中で動く物が私だけだから仕方なく見ていたのかw
ベランダがある二階に住んでいたときは、そこから下を眺めるのが好きだった。特にスズメなどの鳥を見るのが好きだったようだ。
猫は好きじゃないようで、下を野良猫が通ると唸って追い払っていた。

愛猫の思い出で悪いことはひとつもない。悪いことをされた覚えがひとつもない。部屋の中で吐いたこともあったが、それは具合が悪いのだから仕方がない。むしろ私のブラッシングに問題があった。最初はホテルで持ち帰れるプラスチックの櫛と100円ショップのブラシで毛づくろいしてやっていた。のちに近所の愛猫家から教えられた専用ブラシを使ったら取れる量が全然ちがった。吐いてた原因が毛玉だったので、猫が悪いのではなく、むしろ苦しい思いをさせた私が悪い。
柱で爪磨ぎして退去の際に大金を支払わせられたが、これも習性だ。最初に柱で磨ごうとした時にカバーをしくけばよかった。
いっぽう、私は本当に色々と悪いことをした。トイレが汚れているのを知っていながら掃除をサボったことが何度もあった。その間にネコがトイレを使い、汚れた足を健気に舐めて綺麗にしてる姿を見て、なんとも申し訳ないと思った。
寒いかなと思いながら電気代をケチって暖房を弱めたこともある。後で知ったが腎臓に寒さは大敵だそうだ。あるいは、そんなちっぽけな節約が腎臓を悪化させてしまっていたなら取り返しがつかないことをした。とにかく、なんでもっとちゃんとしなかったのかと後悔ばかり湧く。
「孝行をしたい時に親はなし」という有名な川柳があるが、優しくしてやりたいと思うのに、もう猫はいない。
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未だに隣の部屋から鳴きながらくる気がしますw

2015年01月23日 16時30分00秒 | その他
愛猫の遺品整理が一段落しました。
(1)保管するもの。
・遺骨(気持ちの整理がつけば霊園に入れるかも。それとも「自分の遺骨と混ぜて散骨してくれ」と遺言しようか?半ばマジw)
・抜けた犬歯(ずいぶん前に抜けた際に大切な物入れに保管したまま)
・食器(フード用&水用。仔猫で飼い始めた頃から死ぬまで使い続けた物。安物のプラスチックだが捨てられない)
(2)他人に譲渡。
・キャットフード、おやつ、スクラッチボード、猫砂。(未使用品。猫飼ってる知り合い数名へ形見分け)
・グルーミングブラシ(使用済品ですが6千円しましたw以前から欲しがってた方がいたので使用済でも良いか確認して形見分け)
・紙オムツ、給尿パッド、身体拭き(←これは知り合いにあげたら、さも「病気になったときに」と取られ逆に嫌がられると思ったので動物病院に寄付)。
(3)捨てた。
・おもちゃ類(ねこじゃらしなど)
・トイレ
・キャリーバッグ--どれも思い出が詰まってるがいつまでも悲しみが尾を引きそうなので思い切ってダンシャリw

ただし猫の物でない物にも思い出がいっぱいあって大変です。以前書いたコタツなどはその最たるものです。
他にも自分のための品物Aですが、「これを買った日に、猫のためのBも買ったっけ」なんて思い出が……w
逆に捨ててしまったもので後悔しているのが「毛」ですw
グルーミング後、ずっと「燃やせるゴミ」として捨てていました。多い日には一回で丸めるとピンポン玉くらいの大きさになっていたので19年分を取っていれば猫くらいの大きさの抱き枕くらい作れたかもしれません。捨てて後悔しています。ゴミ袋にでも入れて保管しとくべきだったと悔やまれますw
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愛猫が逝って十日目

2015年01月13日 13時30分00秒 | その他
ねこが死んだ日以降、ねこが寝た切りになっていた部屋の掃除をしていません。
悲しくてできないのではありません。
ねこの匂いがまだするので掃除をしないでいます。
「匂い」とは「生きていた気配」の比喩ではなく、実際に嗅覚で感じる匂いです。
愛猫は抱きしめて近くに寄ると、とても良い匂いがしました。
皆様にも良く解る例えを挙げれば、醤油煎餅を焼いてる時のような香ばしい香りです。
匂いの源は主に唾液と体毛の匂いだったようで、ねこが毛づくろいしたあとは特によく匂いました。

寝た切りになってからは毛づくろいなどしませんでしたが、口から涎をたらしてることが多く、ティッシュでよく拭いてあげていました。
鼻だけでなく口からも呼吸しようとしているように見えましたが、かつて読んで本によると猫は人間のように口で息できないと書いてた記憶があります。
老齢になって歯が殆んど抜けてしまい(犬歯は3本抜けて1本しか残っていませんでした)口がきちんと閉じなかったのかもしれません。
そう言えば歯が殆んど抜けたあとは舌を口の外へ出してることも多く、「このねこ、あかんべえしてる」と言われたことがありました。

匂いの話に戻ると、普段は殆んど感じませんが、ねこがずっと中で寝てた炬燵に電気を通すと、やがて醤油煎餅の香りが漂ってきます。
遺体そのものは火葬してしまって無臭なので、炬燵から漂うねこの匂いがなんとも愛おしくてたまらなくなります。
ならば炬燵だけそのままにして他の場所を掃除すればいいと思われるでしょうが、へたにいじって匂いがしなくなってしまうと寂しいので、ねこの部屋は全く掃除していません。
こちらは寒冷地なので4月頃まで炬燵を出しておくのも普通(ゴールデンウイーク中の寒い日に炬燵に入った記憶がw)、しばらくはねこの匂いと共に暮らせそうです。
炬燵をしまう季節までに気持ちが切り替えられればいいですね。
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愛猫が逝って九日目

2015年01月12日 00時00分00秒 | その他
飼い始めた時から「自分より猫が先に逝く」覚悟はしていた。
でも、それは「今日」ではなく、「明日以降」と、ずっと思っていた。
齢を重ね、どんどん老猫になっていっても。
そして病で寝たきりになっても、なお……

愛するペットを亡くした経験がある人に聞くと「ペットの命日は一生、忘れない」という。
確かに、そうだろう。
でも、わが愛猫の命日、1月3日は更に様々な事に関連付けてしまう日付で困る。
例えば気分を紛らわせようと、年末年始に録画したパラエティー番組でも見ようかとする。
でも見てると「この番組が放送された時は、まだ生きてたんだよな……」と考えてしまう。
お笑い番組なのに全然笑えない。
恐らく、来年も、再来年も、大晦日は「あと3日で命日」、元旦は「命日まであと2日」という意味合いの日になってしまいそうな予感がする。
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愛猫が逝って六日目

2015年01月09日 07時00分00秒 | その他
やはり周囲にも落ち込んでる様子が如実に伝わるのでしょう。
会う人会う人が「元気だして」と慰めてくれる。
「一生懸命に面倒みた立派な飼い主だったよ」と言ってくれる。
15歳あたりからは、ちょくちょく具合が悪くなり頻繁に動物病院へ連れて行く姿を目撃してたからだと思う。
でも自分自身が思い出すのは失敗したこと、至らなかったことの思い出しかない。
例えば牛乳を飲んだとき…。
あれは愛猫が生後4か月くらいの時期だった。
母親と共に近所で野良生活してた時代。
何日か前に牛乳1リットルパックを買ってたことを思い出した。
しばらく飲むつもりがないので猫にあげようと思った。
皿に入れて差し出すと喜んで勢い良く飲みはじめた。
ところが、すぐにゲーゲー吐きはじめた。
びっくりして牛乳パックを調べると、なんと賞味期限が4日も前に切れていた。
この事件以降、愛猫は決して牛乳を飲まなくなった。
……思い出すのはこんな出来事ばかり。
時間を巻き戻せたら、もっと上手く、もっと優しくしてあげられるのに。
絶対に実現しない願いだと100パーセント解っていながら、毎日、そんなことばかり考えている。
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愛猫が逝って三日目

2015年01月06日 10時22分22秒 | その他
何をしていればいいか解らない毎日になりました。
「悲しみで」というよりは、「猫がいるのが当然になってしまっていたので」が、一番大きな理由です。
19年半という月日は、猫がいなかった頃の生活など思い出せないほど長い。
飼い主が30歳に飼い始めたら49歳に、40歳で飼い始めたら59歳になるんです。
人間ならば赤ん坊が高校を卒業して大学生や社会人になっている期間です。

死ぬ直前は、ほぼ寝たきりでした。
時折、横になっている炬燵の中を覗き込んで生死確認する程度の触れ合いでした。
でも、その際に何度か頭を撫でてあげた1分にも満たない時間がなくなったのが、とても寂しい。
頭を撫でると目を細めました。ただの反射かもしれませんが、人間は「笑顔になった」と解釈するもんですね。
最期の瞬間までカワイイ猫でした。

生前、午前中は結構忙しかった。
動物病院が徒歩8分程度の場所にあったのが幸運でした。
今回に限らず、具合が悪くなると直ぐに診てもらえました。
しかし動物病院の数が少なく、というより御長寿ペットが増えているようで、いつも混んでいました。
ペットの世界も人間同様に高齢化が進んでいるようです。人間の病院も長時間、待たされるのが珍しくありませんよね。
ペットの高齢化が進んでいるのはペットフードを見ると明らかです。
20年くらい前は、高齢猫用フードは「7歳以上」となっていました。それが10年ほど前から「11歳以上用」を見かけるようになり、今では各メーカーから「15歳以上用」が発売されています。メーカーとて商売ですから赤字になる商品は出さないはず。15歳以上の猫がそれだけいて売れるから発売しているのでしょう。
話が逸れましたが、その動物病院の診察開始が午前9時。1時間前の午前8時から診察券受付が開始されます。遠くからクルマで来る方などは8時半頃にペットと一緒にやってきますが、徒歩8分程度の距離にある私は、まず8時に飼い主だけで行って診察券を出し、ペットは9時に間に合うように家に迎えに帰りました。1時間キャリーケースに入れたまま待合室にいたら余計に容体が悪くなりそうでしたから。キャリーケースには使い捨てカイロを吸水シーツの下に敷きましたが、それでも往き返りは気を遣いました。
動物病院については、もうひとつ言いたいことがあります。
暇と寂しさを紛らわすために、ネットで「飼猫に死なれた人」が書いたあれこれを読んでいました。
傾向として「後悔して自分を責めてる方」と「周囲に怒りを感じてる方」に大別される印象を受けました。
自分を責める気持ちはとても良く解ります。私にもいろいろとあり過ぎます。「なぜあの時に、こうしなかったのか」なんて数限りなく思い出されます。ただ救いは、19歳まで生きてくれたことでしょうか。他の猫があまり生きられない年齢まで生かしてやれたことが、後悔の念を薄めてくれます。長生きしてくれた愛猫に感謝します。本当に飼い主孝行な猫でした。
怒りの矛先で一番多いのは獣医さんでした。獣医が悪かったせいで死んだ…というもの。
「後悔」と「怒り」は、中に出るか外に発せられるかの違いで、要するに「悲しみから目を逸らすカタルシス」じゃないかと思います。所詮、素人の飼い主にとっては間違った治療法にしか見えなくても、実際はそれしか方法がなかったのかもしれません。
でも色々と読んでいると、やっぱり問題ある獣医師や動物病院がないとは言えない印象でした。
その点、愛猫が掛かった病院は本当に良いところでした。感謝こそあれ、恨みなど全くありません。

にしても、まだ午前中なんですね。
生きていたら動物病院に行ってた時間です。
遺体があったうちは、それでも撫でてやれる物がありましたが、つつがなく火葬も済ませたために、それも無くなってしまいました。
死体を撫でるというと猟奇的に聞こえるかもしれません。
確かに肉体は死後硬直でカチカチに冷たく固まってしまっていましたが、毛はふさふさしたままでした。
死ねば毛の質感も変わるのではないかと想像していましたが、体温を感じなくなっただけで毛の手触りは同じでした。
ぬいぐるみを撫でてる感じをイメージしてもらうと適当です。
まさか骨を撫でることはできず(それは猟奇的ですw)またひとつ寂しくなってしまいました。
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愛猫の思い出1

2015年01月04日 04時30分00秒 | その他
今夜は眠れないだろうと思っていたが、案の定、眠れない。
しかも周囲がだんだん寝静まり、暗闇と静寂が広がるのに合わせて寂しさが込み上げてきた。
昨年末頃から、愛猫は寝たきりになっていた。特にペットとして何かしてくれていたわけではない。
しかし、炬燵布団を捲り上げて、そこに寝顔を見ただけで幸福だった。
暖かい室内よりも屋外のほうが遺体が腐敗しないだろうと、遺体は玄関脇に出してある。
火葬業者を見つけたので、明日(正確には今日)、連絡してみるつもりだ。しかし正月で且つ日曜日。
営業開始は月曜日になるのかもしれない。

周囲は良い飼い主だったと慰めてくれる。
確かに秋頃から毎週、動物病院へ連れて行き、12月中旬からは1日置きになった。正直、時間だけでなく費用もかかった。良心的価格の病院だったが。(でなけりゃ3か月も持たなかったw)
起きられなくなってからは、水・食事・そして下のほうの世話まで、人間の介護のように行った。
だが……。
それは飼い主のエゴではなかったか?という思いも痛切に感じてる。
こんなに老猫をがんばらせる必要があったのだろうか?
猫は、もっと早く楽になりたかったのではないだろうか?
ただ「死んだら寂しい」という飼い主のエゴがそうさせていたのではないか?

……やっぱり精神的に少し変になってきてるのかな?
あるいは「楽になった」と逆に死から自分の目を逸らさせているのかもしれない。
とにかくひとつだけ確かに言えることは、愛猫は懸命に頑張ってくれたということ。
比喩でも冗談でもなく、本心から「尊敬」する。

思い出すのはかわいい表情や仕草だけ。
自信を持って言えるのは、愛猫は心から自分を信頼して愛してくれていた。これは絶対に確かだ。
それは自分の生命すら預けてくれるような愛だった。
これほどまで絶対的な愛情は、親子や恋人からも感じたことはない。
だんだん心が病んできているかな?

生きてる時に戻りたいと言っても、去年や一昨年は望まない。
いろいろと体調が悪い時期が増えて、愛猫は苦しむだけの時期だから。
もっと前の10年くらい前の時間に戻りたい。
たとえ、その10年間で自分が得た物を全て失っても構わない……。
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愛猫死亡のお報せ

2015年01月03日 19時35分00秒 | その他
寒中お見舞い申し上げます。
皆様におかれましては日頃よりのご厚情に心から感謝しております。

私事ではありますが、去る1月3日、19年半に渡って共に暮らしてきた愛猫が天国へ旅立ちました。
昨年10月頃から食欲がなくなり、動物病院で検査したところ腎臓が弱っていると診断されました。腎臓については数年前の検査でも要注意の結果が出たために食事療法を進められましたが、療養食を嫌がってどうしても食べなかったため中止した経緯がありました。今となっては悔やまれます。
人間の場合は人工透析で機能を改善する医療法がありますが、動物にそのような医療行為はないということで、食欲減退の治療と併せて皮下に栄養剤を注射して尿を大量に出すことで腎臓浄化を行う治療を続けてきました。
しかし体重が2.7kgから毎週40g、60g…という感じで減り続けて他界時には1.7kgまで痩せてしまっていました。
12月中旬からは四足での歩行も困難になり、紙おむつをつけ水は寝てる所で飲ませるという人間の介護と同じような状態を続けました。
それでも猫自身からは「まだ生きたい」という意志が随所に感じられたので、苦痛を伴う治療ですが死亡するまで続けました。
年末・年始は休みを取る動物病院も、1日置きに時間を割いて頂き、治療を受けられました。
1月2日が治療の日で、死亡翌日の4日も治療予約が入っていました。
午後6時におむつの交換と流動食を口からスポイトで流し込むために寝ていたこたつから出したところ、いつもなら口にスポイトを入れられるのを抵抗するのに覇気がなくぐったりしているので具合が悪いのかとあちこち調べていたところ、急に「くぅ、くぅ」と二声鳴き、息が途絶えました。
別れの時期がそう遠くない事は覚悟していましたが、まさか今日それが訪れるとは全く予想もしていなかったので、とても困惑・混乱しています。
どんな重病人でも、残された家族にとって、最期は「突然訪れる」ものなのですね。
新年のおめでたい時期に、このような文章を送るのはどうかと思いましたが、時間が経つにつれ、このような話はとかく美化されていくので、現在の包み隠さない心境をそのまま綴りました。さらに言えば、このような文章でも書いて時間を消費しなければ一人の部屋で心が壊れてしまいそうな不安があります。
今夜は長そうです。インターネットでペット葬儀をあれこれ調べてみます。
明朝は動物病院へ報告へ行きます。
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