日々是好日

今日も晴天なり。
どんな日でも、毎日は新鮮で最高にいい日だと思うことにしてます。
ご一緒に如何ですか?

昨日から今日の出来事

2017-12-20 18:51:05 | シニアライフ

昨日は地区民生委員が主催している「独居高齢者の集い」の

昼食弁当作りボランティア活動に家内と一緒に参加しました。

「まじわーる会会食」。隔月行われてます。

弁当作りは地元ヘルスメイト(食生活改善推進委員)が担ってます。

黄色いエプロンがヘルスメイトのトレードマークです。

弁当のメイン料理はタンドリーチキンです。

何処の国の料理だろう。

チームのリーダー格に尋ねたら、インド料理とか。

この料理作りを担当しました。

鶏モモ肉をフォークで穴をあけ、塩、こしょうをし、食べやすい大きさにそぎ切りにして

カレー粉等の調味料を合わせ、暫らく漬け込み。その後フライパンに油を引いて、焼きます。

総数100人分の弁当作りです。

何時もの事ですが、定時に完成します。

それは、見事な手際よさです。

お客様への配膳が住んでから、ヘルスメイトの仲間と一緒に

自分たちの作った弁当を食べます。

仲間と食べる弁当の味は、格別に美味しく感じます。

そして、今日のことです。

もう直ぐ、クリスマスです。

孫たちへのクリスマスプレゼントを目指して出掛けました。

孫たちのお気に入りの「オラウータン」の縫ぐるみです。

それは、多摩動物園の売店お土産コーナーにある商品です。

家内が、電車の乗り継ぎ行程を丁寧に作ってくれました。

最初は順調にその行程通りでしたが、乗換駅を

間違えて途中下車してから

ペースが乱れてしまいました。

やっとの思いで、目的地の「多摩動物園駅」に到着しました。

否に駅構内が閑散としてます。

そして駅改札口を出て、目に入ったのは「本日は休演日です」の告知です。

これには、まいりました。

夫婦揃って、その事には気が付きませんでした。

また、明日。今度は間違いありません。

折角の機会ですので、近所にある「高幡不動尊金剛寺」を参拝しました。

境内を散策しました。

新選組副長士方歳三像があります。

ここは、士方歳三ゆかりの寺のようです

 

 


花畑?

2017-12-19 08:20:31 | シニアライフ

自然が作り出した「美」です。

想像力を膨らませて見てください。

これは落ち葉だよ、と言ってしまってはお終いです。

樹々に新芽が芽吹きだし、地面は花畑と思いませんか?

晩秋の趣ですが、そんな連想も時には良いのではないでしょうか。

幼い孫たちにこの写真をラインで送付しました。

「ウワー!おじいちゃんの芝生に花が一杯咲いてる!」

孫たちのその一言が聞きたかったのです。

この公園、年3回春・夏・秋に町内会で清掃美化活動をしております。

この箇所の芝の管理を私が一人で引き受けております。

孫たちが我が家を訪れ、公園に遊びに来るたびに自慢してます。

夏、そして早秋にかけて孫たちが見ている風景です。

自然が作り出す一瞬の美しさは、ややもすると見過ごされがちです。

ラインって便利なものが普及してます。

今感じた事、寸時に伝える事が出来るのです。

晩秋の趣を孫たちと共に共感したお礼に。

もう直ぐ、クリスマス。

孫たちへのクリスマスプレゼント、躊躇することなく決めました。

「おらうーたんだ」

孫たちが付けた呼び名です。

孫たちが奪い合いしないように、姉妹にします。

孫たちのお気に入りの縫ぐるみです。

 


他山の石

2017-12-18 07:07:06 | シニアライフ

今日の表題に「他山の石」を掲げました。

中国の詩経の「他山の石を以て玉を攻むべし」による。

意味するところは

「よその出来事が自分の知恵をみがく助けとなるという事」

岩波の国語辞典を紐解いてます。

我が人生行路で、幾たびもこの言葉に遭遇した事だろう。

数え切れないほど、お世話になった言葉です。

そして、今も事あるごとに,その言葉を噛み締めております。

わが市で悲しい出来事がありました。

スマートフォンを操作しながら、自転車に乗っていた女子大学生が

歩行者に衝突し、死亡させてしまった事故です。

歩きながら、自転車に乗りながら、等々「ながらの」の

スマートフォンの操作の危険性が批判されている中での

最悪の事態を招いてしまった。

加害者は取り返しのつかぬ事故に後悔している事だろう。

被害者はその怒りで途方に暮れている事でしょう。

どちらにしても、悲惨な出来事です。

「ながら族」には人の迷惑も考えない人間が多いと断言したら

語弊を招きかねません。

いろんな場面でその光景を見受けられます。

信号待ちの自動車の車窓から、

横断歩道を渡る人の中に、このながら族が必ずと言っていいほど

見受けられます。

そして、駅のホームで歩きながらのスマートフォンの操作。

危険極まりありません。

こんな事、並べれば切りがありません。

あの事故の事、ニュース報道で知った方も多いと思う。

どれだけの人が、それを「他山の石」として教訓にしたか?

他人事として聞き流して、相変わらずに「ながら」を続けている。

何が、こんなに夢中にさせるものを秘めているのだろう、不思議な世の中です。

古希の世代には分からない世相です。

せめて、孫だけには「絶対やるなよ!」と言い聞かせておきます。

その孫が、スマートフォンを携帯する日はまだ遠いが・・・

 

 

 

 

 

 


世話人

2017-12-17 15:15:54 | シニアライフ

「シニアライフを生き生きと歩む会」の中興の祖ともいう人が

体調を崩して、世話人を急遽退任することになりました。

前世話人が顧問で、いろいろ相談を受ける立場にあります。

余り急な出来事で、即応できる人がおりません。

やむを得ず、当分の間世話人を引き継ぐことにしました。

早速、会員名簿に記載されている会員情報をパソコンに入力してます。

毎月欠かさずに実施する各種イベントの情報伝達と会員の出欠席の確認に

欠かすことの出来ないものです。

パソコンから各会員のメールアドレスに一括送信を試みているのですが

不慣れな事と、環境整備が出来てない事に気が付きました。

情報の一括送信する仕組みは理解した者の、受信する側の体制が整っておりません。

情報時代の先端を行っている人、何とかそれを追っかけている人、

そして、その流れに乗り遅れてしまった人、様々です。

会員名簿に携帯番号が記されております。

携帯を保持しているのだから、メールアドレス?

その回答が、メールをやり取りをしたことがありませんとの事。

携帯電話を持ち合わせてない人に、FAX番号を尋ねると

ただの電話だけという返事です。

シニア世代、便利な情報機器を使いこなさなくても、生活が成り立ってます。

そして、折角会員名簿に登録していただいた携帯のメールアドレス

パソコンからの送信が受信されません。

殆どの方が受信拒否設定をされてます。

「あの、携帯の受信拒否設定を解除して頂きたいんだけど?」

「それって、どうするの?」

お願いした方も、頼まれた方も、その操作が出来ません。

シニアライフを生き生きと歩む会のメンバーは殆ど、そんな感じの人の集まりです。

慌てずにゆっくりと、情報機器を使いこなせるようにしなければなりません。

会員の中には、諦めている方も見かけますが、

見捨てることなく面倒を見ようと皆に働きかけをします。

手元にある会員のメールアドレスをパソコンに書き込みながら

現世話人の苦労が良く分かりました。

これから、会員各位にメール送信テストを行い、問題個所の対応を検討しなければなりません。

メールアドレスの無い人への連絡係も必要です。

気心の知り合った仲間からそのリーダーをお願いしたいと思います。

この会は、しっかりと地元に浸透し、大変好評を博しています。

あっちの老人会より、こっちが良いという長老もおります。

こんな会の世話人です。

あっちの老人会の会長にもノミネートされています。

こっちだけに留めておきたいと思ってます。

 

 


全国の鈴木さん,こんにちは。

2017-12-16 12:44:37 | シニアライフ

苗字で「鈴木」姓が順位上位にランク付けされてます。

紀州熊野神社の神官が全国にその信仰を広めたに出掛け、それぞれの地に定着した苗字だそうです。

中野長者物語を訪ねました。

中野坂上の成願寺と十二社熊野神社エリアを散策しました。

中野長者物語の主人公は「鈴木九郎」さんです。

この鈴木さんの親戚本家筋は、紀州藤代にあるそうです。

代々熊野神社の神官を務める家柄です。

成願寺と十二社熊野神社の建創に、膨大な資金を寄贈したことで知られております。

成願寺の境内です。

十二社熊野神社境内です。

「中野長者のお話」を成願寺の老住職が詳しく解説してくれました。

中野長者と呼ばれた紀州出身の商人・鈴木九郎が財を成して

建立されたものと、思い込んで聞いていました。

ところが、老住職の解説は意外な事を言い出したのです。

私以外の仲間達は、その事にはあまり関心を示しません。

この鈴木九郎の出身地は、出羽の国・稲庭です。

稲庭うどんで名高い里のようです。

これには、あまりにも偶然な事で、驚きを感じました。

私の郷里、山を一つ隔てたところの村落です。

老住職が嘘を付くわけがりません。

いろいろと寺に伝わる古文書を解読して、辿り着いた解説だと思います。

今から800年前の昔の事です。

興味が沸いて来て、自宅のパソコンで検索してみました。

ありました。鈴木九郎の先祖に繋がる事です。

源平合戦の折、源義経の家臣として熊野水軍を率いて

矢島・壇之浦の戦いに参加し、平家を追討し武勲をたてた「鈴木三郎重家」がおります。

鈴木三郎重家は源義経に従ったため、奥州平泉を頼って都落ちをするが、

藤原一門の裏切り、襲撃によって義経戦死。

鈴木三郎重家は、落ち武者となり出羽山形から出羽秋田に入り、湯沢から山田をへて伊沢に辿り着いた。

そして伊沢の地に土着帰農し、後に従者を分家して、土地を開拓し、伊沢を飯沢に変えたと言われております。

ここが源義経の重臣・鈴木三郎重家の安住の地です。

その屋敷跡に建つ建物が、国指定重要文化財として保存されております。

東北鈴木姓の発祥の地として、平成10年に「第1回全国鈴木サミット」がこの地で開催されたそうです。

稲庭の里は湯沢を挟んで一直線上の街道に存在する集落です。

落ち武者の敗走の折、その地に土着帰農した親戚筋がいたことでしょう。

それから、200年のち、この地から中野長者になる主人公が郷里を捨てて、

旅立ったのです。

それは、あくまでも想像の領域です。

確かな事は、まだ「稲庭うどん」はこの世に誕生しておりません。

「稲庭うどん」の歴史は江戸時代から300年です。

さて、もう一つ解読しなけらばならない事があります。

中野長者・鈴木九郎の財を成した商売は「馬喰」です。

牛や馬の中買商人です。

何処でその知識を身に付けたのだろう?

馬喰の商売は産地の農家から牛馬を買い取り、

それを広く売りさばいたり、交換したりするものです。

農家は農耕馬として飼育するだけでなく、利殖の目的で飼育しております。

郷里の民家は曲り家が多く存在しておりました。

母屋と馬屋が一体となったL字型住宅です。

家畜も家族同様の存在です。

この地に土着帰農した鈴木家は何らかの形で、

牛馬の中買人の商売をしていたのではないだろうか?

「鈴木九郎」。武士の名前ではありません。

兄弟が多い家庭のように想像されます。

稲庭の里は決して小作地は広くありません。

兄弟たちに田畑を分割して与える余裕は何処にもありません。

否応なしに、家督相続人の長男を除いて、次男・三男坊たちは

何らかの形で村落を離れなければならい事情があった事でしょう。

由緒のある本家筋の子息の旅立ちには、しっかりものの補佐役もお供している事でしょう。

もしかしたら、そのお供の方が馬喰商売の知識を持ち合わせていたのかもしれません。

いろいろと、思い巡らせるております。

「ぶらっと東京街歩き」は毎月開催されてます。

小グループが集まっての、東京街歩きをしております。

行った先々で、その地の歴史探訪があります。

そして素敵な交流会は昼食懇親会です。

第123回ぶらっと東京街歩きの昼食懇親会風景です。

郷里の古を導き出してもらった、楽しい散策でした。

自分たちの少グループメンバーに、遠隔地農場で収穫した

丹波黒大豆をお土産に持ち帰って頂きました。

それは大好評でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中野長者」のお話を、成願寺の老住職が解説してくらました。