苗字で「鈴木」姓が順位上位にランク付けされてます。
紀州熊野神社の神官が全国にその信仰を広めたに出掛け、それぞれの地に定着した苗字だそうです。
中野長者物語を訪ねました。
中野坂上の成願寺と十二社熊野神社エリアを散策しました。
中野長者物語の主人公は「鈴木九郎」さんです。
この鈴木さんの親戚本家筋は、紀州藤代にあるそうです。
代々熊野神社の神官を務める家柄です。
成願寺と十二社熊野神社の建創に、膨大な資金を寄贈したことで知られております。
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成願寺の境内です。
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十二社熊野神社境内です。
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「中野長者のお話」を成願寺の老住職が詳しく解説してくれました。
中野長者と呼ばれた紀州出身の商人・鈴木九郎が財を成して
建立されたものと、思い込んで聞いていました。
ところが、老住職の解説は意外な事を言い出したのです。
私以外の仲間達は、その事にはあまり関心を示しません。
この鈴木九郎の出身地は、出羽の国・稲庭です。
稲庭うどんで名高い里のようです。
これには、あまりにも偶然な事で、驚きを感じました。
私の郷里、山を一つ隔てたところの村落です。
老住職が嘘を付くわけがりません。
いろいろと寺に伝わる古文書を解読して、辿り着いた解説だと思います。
今から800年前の昔の事です。
興味が沸いて来て、自宅のパソコンで検索してみました。
ありました。鈴木九郎の先祖に繋がる事です。
源平合戦の折、源義経の家臣として熊野水軍を率いて
矢島・壇之浦の戦いに参加し、平家を追討し武勲をたてた「鈴木三郎重家」がおります。
鈴木三郎重家は源義経に従ったため、奥州平泉を頼って都落ちをするが、
藤原一門の裏切り、襲撃によって義経戦死。
鈴木三郎重家は、落ち武者となり出羽山形から出羽秋田に入り、湯沢から山田をへて伊沢に辿り着いた。
そして伊沢の地に土着帰農し、後に従者を分家して、土地を開拓し、伊沢を飯沢に変えたと言われております。
ここが源義経の重臣・鈴木三郎重家の安住の地です。
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その屋敷跡に建つ建物が、国指定重要文化財として保存されております。
東北鈴木姓の発祥の地として、平成10年に「第1回全国鈴木サミット」がこの地で開催されたそうです。
稲庭の里は湯沢を挟んで一直線上の街道に存在する集落です。
落ち武者の敗走の折、その地に土着帰農した親戚筋がいたことでしょう。
それから、200年のち、この地から中野長者になる主人公が郷里を捨てて、
旅立ったのです。
それは、あくまでも想像の領域です。
確かな事は、まだ「稲庭うどん」はこの世に誕生しておりません。
「稲庭うどん」の歴史は江戸時代から300年です。
さて、もう一つ解読しなけらばならない事があります。
中野長者・鈴木九郎の財を成した商売は「馬喰」です。
牛や馬の中買商人です。
何処でその知識を身に付けたのだろう?
馬喰の商売は産地の農家から牛馬を買い取り、
それを広く売りさばいたり、交換したりするものです。
農家は農耕馬として飼育するだけでなく、利殖の目的で飼育しております。
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郷里の民家は曲り家が多く存在しておりました。
母屋と馬屋が一体となったL字型住宅です。
家畜も家族同様の存在です。
この地に土着帰農した鈴木家は何らかの形で、
牛馬の中買人の商売をしていたのではないだろうか?
「鈴木九郎」。武士の名前ではありません。
兄弟が多い家庭のように想像されます。
稲庭の里は決して小作地は広くありません。
兄弟たちに田畑を分割して与える余裕は何処にもありません。
否応なしに、家督相続人の長男を除いて、次男・三男坊たちは
何らかの形で村落を離れなければならい事情があった事でしょう。
由緒のある本家筋の子息の旅立ちには、しっかりものの補佐役もお供している事でしょう。
もしかしたら、そのお供の方が馬喰商売の知識を持ち合わせていたのかもしれません。
いろいろと、思い巡らせるております。
「ぶらっと東京街歩き」は毎月開催されてます。
小グループが集まっての、東京街歩きをしております。
行った先々で、その地の歴史探訪があります。
そして素敵な交流会は昼食懇親会です。
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第123回ぶらっと東京街歩きの昼食懇親会風景です。
郷里の古を導き出してもらった、楽しい散策でした。
自分たちの少グループメンバーに、遠隔地農場で収穫した
丹波黒大豆をお土産に持ち帰って頂きました。
それは大好評でした。
「中野長者」のお話を、成願寺の老住職が解説してくらました。