ufo君の不健康日記

病気がちのおっさんの怠惰な日々、ほんの少しの努力。

入院日記4日目

2007-03-11 19:12:45 | Weblog
 手術後二日経ちましたね。昨日は注射をせずに座薬だけでぐっすり眠れました。本当はこれも断ろうかと思ったのですが、用意されていたようで、消灯時刻の少し前に入れてもらいました。これが効いたのかすごくぐっすり眠れ、朝は珍しく7時過ぎまで寝ていました。身体が仕事のリズムを覚えてるんでしょうかね。不思議な感覚でした。別に疲れることをしたわけでもないのにね。

 いつものMacが使えないので古いMacを持参しています。2階へ降りれば椅子もテーブルも有り携帯を使えるところがありますので、一日一度ぐらいは行っています。まあ、身体に障らない程度ですがね。ネットはPHSの専用端末を使ってISDNより早いぐらいでは出来ます。もう少し早いサービスもあるみたいですが、最近会社であまり使わないのでそのまま使っています。まあ、出先だけですからそう不便は感じませんね。


 病状としましてはあまり変わりはありませんね。寝てれば楽なんですが、腰が痛くなります。椅子にかける感じで座ると、ペニスに管が入っているせいか会陰部といいますか御尻との間が痛いですね。今日も日曜日だというのに先生の回診がありました。「一応明日管を抜く予定ですが」といいながら尿の溜まったビニール袋をじろっと見てゆきました。敵もさるもの、芸が細かいですね。
 朝方は昨夜大汗をかいて寝ていたせいか尿が少なかったんですよね。色も悪かったし、自分でも心配になりましたね。3時頃に妻が来ました。今日は実家に行き、その後教会に行き、帰り道姉の病院によって来てくれたようです。まあ、ちょっといさかいになりそうなこともありましたが、まあ、彼女も忙しすぎることですし、病人の身勝手と思い飲み込みました。
 妻が粉茶を持ってきてくれました。まあ、抹茶に近いような感じの御茶で、葉っぱの粉ごと飲めますので体にも良いのかなと思って頼みました。これがまた美味しくて、医者にも水分をとるように言われましたので、ぐいぐいと飲みました。まともな御茶は久しぶりだったのでね。お陰で午後からは尿がじゃんじゃんと出だして、あっという間に普通の分量が貯まりました。御金もこれくらい貯まればよいんでしょうけどね。ははは

 今日は元気だったのでネットをチェックしたついでに1レースだけ買おうと思いましたが、このMacに入っているエクスプローラーではエラーが出て駄目でしたね。前、一度家でチェックしたらオーケーだったのですがね。JRAではMacではNetscapeじゃないと駄目ですと言ってますがね。もう一台のMacは全部入っているので良いのですがね。まさか友人に競馬がやりたいからMacを直してくれなんて頼めませんからね(大笑)あ、予想は馬単で頭が当たっただけでした。とほほ。

 それより、明日の回診で管を抜いてくれるかどうかのほうが大勝負ですね。まあ、急ぐつもりはありません。出来れば予定より一週間ぐらい入れておいて欲しいんですがね。それも悪い症状なしにね。押しが太いかな?ではお休みなさい。
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入院日記手術後2日

2007-03-11 11:12:26 | Weblog
手術後2日目
3月10日(土曜日)
 昨日の手術は2時前に呼ばれました。麻酔の針がなかなか良いところに入らず、30分以上たって始まりました。この病院はサービスがよく、すきなCDを持ってきて下されば手術中に御かけします、とのことでした。カーペンターズが見つからなかったようでイーグルスとホイットニー ヒューストンを妻が持ってきてくれたので、ホテルカリフォルニアじゃああんまし何かと思ってホイットニーのにしました。面白いことに終わるまでエンドレスで掛けてくれました。
下半身の半身麻酔で頭ははっきりしているし、医長もモニターを見ていたら、というので眼鏡をかけ直してもらいました。まあ、手術に関しては痛みは何も感じませんでした。ただ、ポリープの数が非常に多く時間は本当に3時間もかかりました。次の人に申し訳なかったです。
 まあ、本当にイソギンチャクのような形をしたポリープや、海ほうずきの様な、イカの卵のような気持ちの悪い形をしていました。まさに新生物と言いたいような形をしていました。まあ、悪性でないことだけを祈りますけどね。隠れクマノミのニモは流石に泳いでいませんでしたね。
 昔見た、ミクロの決死圏なんてSF映画を思い出して笑いだしそうでした。

 手術後執刀医のレクチャーを受けました。数が非常に多かったので、時間がかかりましたが、全部取ったつもりです。幸い、根の深いものはありませんでした。あとは病理検査の結果次第ですね。とのことでした。ひとまずすぐに膀胱を取られる危険はさったようですね(笑)

その後妻も呼ばれてゆきましたが、取ったメモには同じことが書いてありました。ベッドに移され病室へ戻りました。個に日は絶食になりました。結局三食抜いたことになります。

 ベッドの上では完全に安静でした。小水は管を入れてポリ袋に取ります。便はまあ、三食食べてないので楽でしたが必死にこらえて寝ました。ベッドの上でするのだけは勘弁して欲しかったものでね。

 ペニスに管を通されている違和感と痛みに苦しみましたが、最初座薬、寝る前に注射を打ってもらいなんとか休みました。ここまでが昨日のことでした。


 2日目となると、膀胱内の洗浄をしていた生理食塩水の点滴が終り、普通の点滴も大きいのは1本だけになり、朝晩抗生剤の小さなパックが二つということになりました。もう歩くことも解禁、というよりも歩いたほうが良いのでどんどんやって下さいとのことでした。尿の袋をぶる下げているし、そう何処へでも行ける格好じゃあないですけどね。

 今日は妻が二度来てくれ、新聞を買ってきてくれましたので、ずっと競馬放送を見ていました。買う気にならないのでイメージはわきませんが、まあ楽しかったです。予想?してはみましたけどやはり身が入りませんね。当たらないですね。


 夜、妻が来てくれて向かい合っていると隣のベッドの話が聞くともなく聞こえてきます。となりのSさんは歳は私と同じくらいでしょうか、若いんだか年寄りなんだか分からないような感じの人です。泌尿器科の患者なんですが、ほとんど要介護と言った感じで歩けません。トイレも大小ともおむつのようです。今朝も食事のすぐあとにその処理が有り、いささか参りました。まあ、これも神の与えて下さった経験でしょう。ずっと布団をかぶって寝ていましたが。
 御世話をしているのは奥さんではないようです。どこか介護関係の仕事で働いている方のようです。話では60歳になったと言っていました。所謂、内縁関係というのでしょうかね。ッさんはもう2年もこの暮らしが続いていて、最近の法律なのかどうかは分かりませんが、2,3ヶ月毎に病院を転々としているようです。この病院はとてもよくしてくれるのでもっといたいようですが、もう少し出でなければいけないようです。そのこともあり、色々気がめいっているようです。
 私が入院した日に御兄さんという方が見舞いに来ていました。こんな暮らしですから、もう御金なんぞはなく、生活保護を受けているんでしょうね。それで、まあ、生活保護を受けるには兄弟、親族からの援助が期待できないのが前提ですから御兄さんも援助は出来ず、実質的にも何も出来ないようです。
 御墓のことまで話は進んでゆき、結局実家の墓には入れそうもないということでした。それでそのおばさんが私の墓に入ればよいと言っているんですね。親も面倒見たし、あんたも私が面倒見るからと言ってるのですが、しまいにSさんは泣き出してしまいました。私はベッドで休んでいたいのですが、いたたまれずに妻を促してロビーに行くことにしました。こっちまで悲しくなってしまいました。何も出来ませんしね、わたくしには。でもまあ、Sさんは今では廻りの方に感謝して日々を送っているようです。まあ、どうなるんでしょうかね、他人事ながら。

 ロビーに行くと友人のO君がエレベーターから出てきました。ロビーで30分ぐらい話をして別れました。仕事はかなり順調だそうで、ただ二週間ごとに家を開けるのが結構辛そうでしたね。でもまあ、忙しいのは幸せなことですよね。

 今日で大きな点滴は終わりました。あとは明日は30分ほどで終わる抗生剤の点滴が2本で終りになりそうです。局所の痛みも随分と楽になりました。今日は座薬だけで休めそうです。
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