西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

森と野鳥に古代をおもふ

2008年06月11日 19時26分00秒 | 関西ですねん!
 先日、大阪府南河内郡河南町にある「大阪府立近つ飛鳥(ちかつあすか)博物館」へ行った。

 実は10年ぐらい前にも一度行ったことはあったのだが、橋下知事による府政改革の一環として見直される箱物のひとつとして、最近話題になっていたこともあり、今回は妻を案内する形で、改めて訪問してみた。

 近つ飛鳥博物館は、一言で言うと古代史博物館。「日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐる」をメインテーマに、地元の一須賀古墳群を始め、南大阪地域の古墳や遺跡からの出土品等が展示されている。

 建物は、建築家の安藤忠雄氏の設計。見るからに個性豊かなこの建物は、日本芸術大賞も受賞しているとか。コンクリートの壁に囲まれた通路では、「鳴き龍」と呼ばれる残響音も、耳に心地よい。
 大阪芸大OBの私としては、大学の学舎にも似た雰囲気があり、親しみを感じる。

 最寄りのバス停「阪南ネオポリス」から、森の中の遊歩道を歩いていると、様々な野鳥の声がする。

 ホ~~~、ホケキョ! ケキョケキョケキョケキョ……、ホ~ホケキョ!

 あんなリアルなウグイスの声を、私はかつて効果音CDか江戸家猫八師匠でしか聞いたことがない。

 10年程前に来た時に比べて、周りの自然にも溶け込んでいて、森林浴や野鳥の声を楽しみがてら、古(いにしえ)の世に想いを馳せるのに相応しい場所になっている。お陰で私も、落ち着いたいい一日を過ごせた。

 取り敢えずは、維持存続が決まった「大阪府立近つ飛鳥博物館」。
 大阪へお越しの方は、是非この癒しスポットで、一息つかれることをお勧めしたい。


 以上、一大阪府民からのPRとお願いでした。

近鉄河内松原駅

2008年06月11日 00時03分00秒 | ステンショから
 近鉄南大阪線「河内松原(かわちまつばら)」駅。

 初めてこの駅を利用したのは、1980(昭和55)年の5月だったと思う。大学の友人の下宿する、アパートを訪ねたのがきっかけ。
 アパートはその名を「いずみ荘」といい、駅から北へ1kmばかり歩いた所。海泉池という溜池の畔にあった。

 いずみ荘には、同じ大学同じ学科で同じクラブの友人が2人。その他にも同じ大学の学生が4人住んでいた。

 私がいずみ荘を訪れて、2度目だったか3度目だったか……? 4号室にいた学生が、早々と引っ越して出ていったという。そこで友人にも勧められて、私がその4号室に入居することになる。丁度、河内長野の下宿が不便で、適当な下宿先を探していた私にとっては、渡りに舟の話であった。

 そして6月初めから、このいずみ荘4号室に入居。

 風邪で寝込んでいたら、連日先輩たちが数人でやってきて、料理を作ってくれたり、深夜までカラオケに興じたりしたこともあった。
 恋愛話で、ハッキリしない発言をした私に、友人が突然激昂。落ち込んだこともあった。数日後、私の部屋にその友人からの手紙が入っていた。友人の詫びと激励の文面に、涙が止まらなかった、などという思い出もある。
 初めて出来た彼女を招待した(連れ込んだ?)のもここ。
 何度か飲み会もしたなあ……。

 しかし、さすがはボロアパート。やがて2階からの排水が、土砂降りの雨のように漏り、私の部屋は何度も水浸し。管理人さんに直してもらったものの、日当たりの悪い部屋は、なかなか匂いが取れず。おまけに私が所属していた放送研究会の会長を、翌年度から務めなければならくなり、そういったことが引き金となって、より大学に近い富田林の喜志へ引っ越すことになったのが、その年の12月。

 松原市に住んでいたのは、結局、半年間であった。

 何年か前に、この思い出多き松原を、探索したことがる。
 駅は1993(平成5)年に橋上駅舎化され、駅前には大きな商業施設も出来ていて、昔とは随分景色も変わってしまっていた。


 勿論の如く、思い出がたくさん詰まった、あのアパートいずみ荘も、今ではその跡形も残ってはいない……。