京阪鴨東線「丸太町(まるたまち)」駅。
正直なところ、この駅で乗り降りした記憶はない。ただ10月19日の中之島線開業に併せて、五条(→清水五条)駅、四条(→祇園四条)駅とともに改称(→神宮丸太町)されるもうひとつの駅として、取り上げてみた。
今回の改称、恐らく地元関西、特に京都をよく知る人にとっては、あまり歓迎していないのではないかと、私は思う。
確かに丸太町も四条も五条も、京都の市街地を東西に走る通り名、つまり道路の名称である。故に例えば「四条」とひと言で言っても東西に長すぎて、一地点に特定することは困難。しかし一方、同じく南北に走る通りにも勿論名前がある。例えば東大路(東山)とか河原町とか大宮とか……。この東西、南北それぞれの道路の交差する地点を表すことによって、場所の詳細が特定され、またそれが地名の役割を兼ねることにもなる。(よって京都の市街地には、元来の住所表示と通り名での住所表示の、二つの住所が存在している所も多々あり、その辺が少々難解な部分ではあるが……。)まあ、言わばそれが京都の土地感覚。
私の知る限りでは、北海道の札幌や帯広の市街地なども同じような表示の仕方をしている。ただその場合は、「北1条西2丁目」とか、「西5条南7丁目」といった具合に、数字でのみ通り名を表しており、京都で言う「丸太町通」や「御池通」といった固有名詞はないようである。
ちなみに大阪で言えば「堺筋本町」という表現がそれに相当するが……。
なお且つ京都には、「三条京阪」とか「四条京阪前」というバス停がある。いずれもターミナル規模の拠点となるバス停ではあるが、それは地名の呼称にも等しい。
これは恐らく、京阪電車がかつて鴨川沿いの地上を走っていた、その影響や名残ともとれるように、私は想像する。京都の観光名所として有名な鴨川。その東岸の桜並木の下を走る京阪電車は、風景に溶け込んでいた。80年代に地下化され、路線の跡は北からの川端通が延伸された形になってはいるが、未だに「四条川端」とか「五条川端」といった呼称は、浸透していないようにも思う。
つまり「三条京阪」呼び方は、「河原町三条」と同じように、「京阪」という路線が、他の「三条」「四条」という通り名とほぼ同格に、地元の人々に慣れ親しまれてきた呼称なのである。
なのに、今回の駅名改称……。
明かに観光客目線、いや観光客目当てと言ってもいいような改称である。しかしながら、丸太町駅から平安神宮までは徒歩で約15分。四条駅から祇園までは、やや近いもののそれでも徒歩約10分。五条駅から清水寺方面へは、なんと徒歩だと30分程かかってしまう。どれもそれぞれの新しい駅名が示すその観光名所までは、意外と離れているのだ。
京都には、景観を守るための、特有の厳しい条例が存在するが、駅名の改称については、多分何の規制もないであろう。
今回、京阪電車が駅名を改称するにあたって、果たして市や商工会議所などの機関とは、何らかの議論はあったのだろうか? その辺りに疑問が残る、改称ではある。
嗚呼……、小難しい論文みたいになってしまった。いや、失敬失敬!
正直なところ、この駅で乗り降りした記憶はない。ただ10月19日の中之島線開業に併せて、五条(→清水五条)駅、四条(→祇園四条)駅とともに改称(→神宮丸太町)されるもうひとつの駅として、取り上げてみた。
今回の改称、恐らく地元関西、特に京都をよく知る人にとっては、あまり歓迎していないのではないかと、私は思う。
確かに丸太町も四条も五条も、京都の市街地を東西に走る通り名、つまり道路の名称である。故に例えば「四条」とひと言で言っても東西に長すぎて、一地点に特定することは困難。しかし一方、同じく南北に走る通りにも勿論名前がある。例えば東大路(東山)とか河原町とか大宮とか……。この東西、南北それぞれの道路の交差する地点を表すことによって、場所の詳細が特定され、またそれが地名の役割を兼ねることにもなる。(よって京都の市街地には、元来の住所表示と通り名での住所表示の、二つの住所が存在している所も多々あり、その辺が少々難解な部分ではあるが……。)まあ、言わばそれが京都の土地感覚。
私の知る限りでは、北海道の札幌や帯広の市街地なども同じような表示の仕方をしている。ただその場合は、「北1条西2丁目」とか、「西5条南7丁目」といった具合に、数字でのみ通り名を表しており、京都で言う「丸太町通」や「御池通」といった固有名詞はないようである。
ちなみに大阪で言えば「堺筋本町」という表現がそれに相当するが……。
なお且つ京都には、「三条京阪」とか「四条京阪前」というバス停がある。いずれもターミナル規模の拠点となるバス停ではあるが、それは地名の呼称にも等しい。
これは恐らく、京阪電車がかつて鴨川沿いの地上を走っていた、その影響や名残ともとれるように、私は想像する。京都の観光名所として有名な鴨川。その東岸の桜並木の下を走る京阪電車は、風景に溶け込んでいた。80年代に地下化され、路線の跡は北からの川端通が延伸された形になってはいるが、未だに「四条川端」とか「五条川端」といった呼称は、浸透していないようにも思う。
つまり「三条京阪」呼び方は、「河原町三条」と同じように、「京阪」という路線が、他の「三条」「四条」という通り名とほぼ同格に、地元の人々に慣れ親しまれてきた呼称なのである。
なのに、今回の駅名改称……。
明かに観光客目線、いや観光客目当てと言ってもいいような改称である。しかしながら、丸太町駅から平安神宮までは徒歩で約15分。四条駅から祇園までは、やや近いもののそれでも徒歩約10分。五条駅から清水寺方面へは、なんと徒歩だと30分程かかってしまう。どれもそれぞれの新しい駅名が示すその観光名所までは、意外と離れているのだ。
京都には、景観を守るための、特有の厳しい条例が存在するが、駅名の改称については、多分何の規制もないであろう。
今回、京阪電車が駅名を改称するにあたって、果たして市や商工会議所などの機関とは、何らかの議論はあったのだろうか? その辺りに疑問が残る、改称ではある。
嗚呼……、小難しい論文みたいになってしまった。いや、失敬失敬!