西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

北校舎 22

2006年02月08日 16時42分00秒 | 小説
 ひと通り掃除を終えて、教室の後ろの隅にある、細長く背の高い用具入れのロッカーに箒を仕舞おうとしていた時、「あ、栗栖や」という声が聞こえた。自分の名前を聞いて、はて何のことだろうかとロッカーの扉を閉めて振り返ると、教室の一角に十人ぐらいの輪ができていた。輪の中心には、鶴見健治(つるみけんじ)がいた。鶴見は陸上部のスプリンター。二学期に入って引退したばかりで、スポーツ刈りの髪の毛はまだ伸びきっていない。格好のいいスポーツマンタイプではないが、三枚目の面白さを持った、さわやかな奴である。ちなみに鶴見は、呼び捨て派であった。
 浩人がその輪に近寄ると、鶴見を取り巻いていた何人かの女子が、どことなく気まずい笑みを浮かべながら、浩人に道をあけた。鶴見の手には、卒業アルバムがあった。鮮やかな青い表紙に、金色の「75」の文字が光る。今年のものだ。だれかが兄姉(きょうだい)か先輩から、借りてきたものらしかった。
「ほれ、ここに栗栖載ってるわ……」
 鶴見は、浩人にアルバムを差し向けた。覗き込んで見たページには、集合写真があった。真ん中最前列にどっかと座る大黒先生の大きな体が、やけに目立つ。三年八組の写真だった。そして鶴見は、大黒先生と並んで写っている、生徒達の最後列のなお上の、背景に見える講堂の壁の右隅にポツンと浮かぶ、風船のような丸いものを指さした。その丸の中に浩人がいた。この写真がいつ撮られたのか、浩人は知らなかった。浩人の知らない間にこの写真は撮られ、浩人の顔は知らない内に風船の中で浮かんでいた。長く長く欠席していたのだから、知らされていなくても仕方がないだろう。でも浩人には、それがなぜかショックだった。
「……ふ~ん」
 それしか言葉は出てこなかった。そして次の瞬間、急に胸が締め付けられるように苦しくなった。その胸の苦しみは、去年悩まされた原因不明のあの胸の苦しみと、全く同じ苦しみであった。不明だった原因が、やっとその時、判ったような気がした。
 家に帰った浩人は、改めて過去と訣別できたことを喜んだ。もう苦しくはない。そしてこの同じ頃、父長保も退院した。浩人の周辺とその前途は急激に明るさを増し、晴れ晴れした気分であった。

(続く)


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