今年2月に産経新聞河内版に掲載された、大阪芸術大学映像学科長の大森一樹教授の紙上講義を紹介した。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/9fcab78e6ba134511242daed72f0624e
そしてつい先日の22日、同新聞の紙上講義第31回として、同大学映像学科の西岡琢也教授の紙上講義が掲載されていたので、またこのブログに書き写し、紹介することにする。
大阪芸大発 著名人教員の紙上講義▸▸▸31 映像学科教授 西岡琢也さん
父親が脚本家で息子がどうして同じ道を選ぶのか。
父親に「文才がない」と指摘される部分と、父親が銀賞だったコンクールに優勝して、「やっぱりおれの息子だ」と褒めるシーンだけで、あとは主人公である息子の恋愛話が続くね。親子の確執を描く割に、父と息子のシーンが2つしかないのは物足りない。
人物造形が弱い。父親はどういう作品を書くの? 次までに考えてきて。母親は図書館の司書か。父親が調べ物をしに来て知り合った。それはありだね。
細かいことだが、父親がロミオとジュリエットを喜劇仕立てにして入賞し、息子も同じテーマで金賞を取ることはあり得ない。主催者は盗作を警戒して過去の作品を必ず調べるから。
映画やドラマのリアリティーというのは、本当のことを書くのではなく、本当にありそうなことを書くんだ。うそでもいいから、こういう人いるよね、こういうことあるよね、と見た人に思わせることが大事だ。
≪2年生を対象とした「シナリオⅠ」の授業では、200字詰めで50枚のシナリオが課題となる。この日は、途中まで書かれたシナリオを一人ずつ指導していく。その中で優れた作品の何本かは、3年次に映像化される。西岡さんは「映像にすると文章が具体化され欠点もよくわかる」という≫
小説家と違って、2代続けて脚本家ってあまりいない。うちの子も選んでいないし。
父親は昔、脚本家を目指したが挫折して、今は別の仕事をしていて、息子が脚本の道を選ぶってのはどうだい。だめか。
君は将来、働きながら脚本の勉強をしたいのか。シナリオ講座には、そんな二足のわらじをはいている人がたくさんいるけれど、10年かかって芽が出なかったらあきらめた方がいい。早く世に出られないのは、求められていないと思った方がいい。
≪西岡さんは、映画やテレビドラマは不特定多数に向けて送り出すもの。社会に向かってモノをいうのだから、知らない人にも共感を持ってもらうような題材、表現方法を選ばなければならないという。
だが、今の学生は社会への興味が足りないと指摘する。「興味は自分の周りのことばかり。同窓会ネタが多い。新しい世界との出会いがない。出てくる主人公は引っ込み思案。コンビニでアルバイトをして、父親は普通の会社員、母親はスーパーでパートとすべて紋切り型。これではドラマにならない。」
また芸術に接する機会も少ないので、もっと学外へ出て演劇や映画、コンサートなどに触れないとだめだと呼びかけた。
さらに、シナリオがうまくなるのに近道はない。書き方や形は教えられても、自分の内面を豊かにして、あとは本数をかくしかないと強調した≫
脚本家の「脚」は足のことだといわれます。シナリオを書いている時間より、情報や資料を集める仕込みの時間が楽しいし大切です。舞台となる場所に行ったり人に会ったりして、その場の空気を感じてほしい。頭の中に映像を持つことが重要です。
スタッフや俳優をその気にさせる舞台や雰囲気をつくり、映像が浮かぶシナリオが優れたシナリオなのです。
(構成・慶田久幸)
正直に言わせてもらえば、実は私も、普通の会社員や普通のお父さんの役をもらっても、あまり嬉しくないし、ホントはやりたくない。
http://blog.goo.ne.jp/uma8097/e/9fcab78e6ba134511242daed72f0624e
そしてつい先日の22日、同新聞の紙上講義第31回として、同大学映像学科の西岡琢也教授の紙上講義が掲載されていたので、またこのブログに書き写し、紹介することにする。
大阪芸大発 著名人教員の紙上講義▸▸▸31 映像学科教授 西岡琢也さん
父親が脚本家で息子がどうして同じ道を選ぶのか。
父親に「文才がない」と指摘される部分と、父親が銀賞だったコンクールに優勝して、「やっぱりおれの息子だ」と褒めるシーンだけで、あとは主人公である息子の恋愛話が続くね。親子の確執を描く割に、父と息子のシーンが2つしかないのは物足りない。
人物造形が弱い。父親はどういう作品を書くの? 次までに考えてきて。母親は図書館の司書か。父親が調べ物をしに来て知り合った。それはありだね。
細かいことだが、父親がロミオとジュリエットを喜劇仕立てにして入賞し、息子も同じテーマで金賞を取ることはあり得ない。主催者は盗作を警戒して過去の作品を必ず調べるから。
映画やドラマのリアリティーというのは、本当のことを書くのではなく、本当にありそうなことを書くんだ。うそでもいいから、こういう人いるよね、こういうことあるよね、と見た人に思わせることが大事だ。
≪2年生を対象とした「シナリオⅠ」の授業では、200字詰めで50枚のシナリオが課題となる。この日は、途中まで書かれたシナリオを一人ずつ指導していく。その中で優れた作品の何本かは、3年次に映像化される。西岡さんは「映像にすると文章が具体化され欠点もよくわかる」という≫
小説家と違って、2代続けて脚本家ってあまりいない。うちの子も選んでいないし。
父親は昔、脚本家を目指したが挫折して、今は別の仕事をしていて、息子が脚本の道を選ぶってのはどうだい。だめか。
君は将来、働きながら脚本の勉強をしたいのか。シナリオ講座には、そんな二足のわらじをはいている人がたくさんいるけれど、10年かかって芽が出なかったらあきらめた方がいい。早く世に出られないのは、求められていないと思った方がいい。
≪西岡さんは、映画やテレビドラマは不特定多数に向けて送り出すもの。社会に向かってモノをいうのだから、知らない人にも共感を持ってもらうような題材、表現方法を選ばなければならないという。
だが、今の学生は社会への興味が足りないと指摘する。「興味は自分の周りのことばかり。同窓会ネタが多い。新しい世界との出会いがない。出てくる主人公は引っ込み思案。コンビニでアルバイトをして、父親は普通の会社員、母親はスーパーでパートとすべて紋切り型。これではドラマにならない。」
また芸術に接する機会も少ないので、もっと学外へ出て演劇や映画、コンサートなどに触れないとだめだと呼びかけた。
さらに、シナリオがうまくなるのに近道はない。書き方や形は教えられても、自分の内面を豊かにして、あとは本数をかくしかないと強調した≫
脚本家の「脚」は足のことだといわれます。シナリオを書いている時間より、情報や資料を集める仕込みの時間が楽しいし大切です。舞台となる場所に行ったり人に会ったりして、その場の空気を感じてほしい。頭の中に映像を持つことが重要です。
スタッフや俳優をその気にさせる舞台や雰囲気をつくり、映像が浮かぶシナリオが優れたシナリオなのです。
(構成・慶田久幸)
正直に言わせてもらえば、実は私も、普通の会社員や普通のお父さんの役をもらっても、あまり嬉しくないし、ホントはやりたくない。