uparupapapa 日記

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母にあげた「何でも券」、10数年後に息子の元へ 意外な使い道に涙する人続出 バスケ大会前に一筆添えて

2016-06-19 05:20:39 | 日記
高校のバスケットボール大会を前に、母から渡されたポチ袋。

開会式の前にこっそり開けると、

中には、むかし自分が母の誕生日にあげた「何でも券」が入っていて、

「最後までしっかり動けますように」と書かれていました。

10年以上も大事にとっておいた母が、

お手伝いや肩もみといった自分のためではなく、

それを渡してくれた息子のために使ったのです。

どんな思いで、このメッセージを書いたのか? 母と息子に話を聞きました。




つぶやきに「いいね」4万超

 
北海道清水町で働いている井上翔太さん(18)。

昨年まで帯広大谷高校で、バスケに打ち込む日々を過ごしていました。
 
そんな彼が今月、ツイッターにこんな投稿をしました。
 
「幼稚園ぐらいでしょうか。母親の誕生日に『なんでもけん』をあげました。

洗濯物干してとか茶碗洗っといてとか、

パシリ系に使うのかとずっと思っていた『なんでもけん』。

でも、バスケ高体連の全道出発前に渡されました。

お陰様で、歴史を変えました」

 
このつぶやきに対し、「いい話すぎる」「泣きそうになった」

と多くの反響が寄せられ、「いいね」は4万を超えました。
.

ちょうど1年ほど前に

 
この話は、今からちょうど1年ほど前にあった出来事です。

 
全道大会の開催地へ向かう朝、

学校まで見送りに来た母の裕子さん(51)からポチ袋を手渡されました。

翔太さんは中身を尋ねることなく受け取り、バスに乗り込みました。

 
会場に到着し、開会式前にこっそり中を開くと、

10数年前に自分があげた「なんでもけん」が入っていました。


そこに書かれていた文字は

「最後までしっかり動けますように」。

息子がしっかりとプレーできるようにとの願いが込められていました。

 
「最初はお金でも入っているのかなと思いました。

『なんでもけん』を自分が書いたのは覚えていたけど、

こんな使い方をするとは、びっくりしました」

 
このおかげもあってか、帯広大谷はベスト8入り。

フォワードとして出場した翔太さんは、いつもなら足がつって、

そのまま退場することが多かったのですが、

この大会では足がつってもプレーを続けることができたそうです。


母と息子の思いは

 
裕子さんはどんな気持ちで、「なんでもけん」を使ったのか?

 
「いつか使おうと思っていたんですが、機会がなくて神棚に置いてあったんです」


翔太さんがケガ続きで最後まで走りきれず、

コート内で悔しそうな表情を見せていたのを何度か見かけていた裕子さん。

最後の大会で思う存分走ってほしいという思いを込めて、

「神様に届けばいいな」という思いで書いたそうです。

 
本人に渡すかどうか迷ったそうですが、

「たぶん見ないだろう」と思って渡すことにしました。

 
渡された「なんでもけん」を翔太さんが大事に持っていたことも、

ツイッターでそれを公開したことも、今回の取材で初めて知ったという裕子さん。

 
「ちゃんと届いていたんだ、大事にしてくれてたんだ、

って知ることができて嬉しいです。

だって、『見たよ』とか『ありがとう』とか一言もなかったんですよ」

と涙声で話します。



一方の翔太さんは、取材で母への思いを聞かれ、

こう答えていました。

 
「ここまでバスケやってこれたのはお母さんのおかげ。

『ありがとう』って思ってます。

でも、『なんでもけん』は他にも数枚あると思うので、

次はどんな使われ方をするのか、ちょっと心配です」



-withnews 6月18日(土)7時0分配信-







こんな風に有効な使い方をされた「何でも券」。

きっと券冥利に尽きただろう。


幼い頃、母の日のプレゼントに贈った思い出がある人は多いハズ。

「肩たたき券」、「お手伝い券」、「茶碗洗い券」、「お掃除券」etc,・・・。

私にも遠過ぎる昔の記憶の中に、

そうした券の乱発をして、失敗した苦い思い出がある。



期限と回数を区切っていなかったばかりに、

贈った母に同じ券を何度も使われたり、

遊びたい盛りの時、まさにこれから遊びに行こうとする時に

わざと行使されたり。



母の日が近づく度、毎年そんな券をあてにし、

私に発行を要求する母。

発行しても、何とか不履行、不渡りに持ち込もうとする少年時代の私。

私にとって「母の日」とは、母とのそうした攻防戦が繰り広げられる日だった。



いつの間にやら、そうしたプレゼントも

お金で簡単に買える物に変化していった。


今思い起こすと、母にとって一番嬉しかったプレゼントは

そんなお金で買える花や服やお食事券などではなく、

幼い頃私が乱発した「券」だったような気がする。


私からもらった時と、行使するときの

母の少々いたずらっぽく、

且つ嬉しそうな顔が、今でも思い出される。




私の母は最大限有効に行使したが、

今日の記事の母は何年も大切に神棚にしまっておいた券を

息子のここぞ!!という時に行使した。


ずっと神様の前にお供えし、息子の無事と幸せを祈っていたであろう母の気持ち。

試合前に受け取った息子にも、母のそうした願いが通じたのだろう。

思う存分頑張り、素晴らしい結果を残すことができた。





『ありがとう』の感謝の気持ちを述べながら、最後に

「でも、『なんでもけん』は他にも数枚あると思うので、

次はどんな使われ方をするのか、ちょっと心配です」

とのことだが、大丈夫。


そんな母のことだから、次もあなたの一世一代のここぞ!!という時に

母の応援と祈りを込めて行使するでしょう。

結婚を決めるとき?

子供が生まれるとき?

大病を患ったとき?


いつになるかわからないけど、

母とはいつもそうしたものだと思う。



私の母とは全く違った使い方に、

そしてそれに答えた息子。

この記事を見て感動したオヤジが一句。




使われる  不安を持つのは  皆同じ





お粗末。