チーママの庭とウサギたち

チーちゃんのママことチーママです。植物とウサギと戯れ、マイペースでハンドメイドをしています。

紫竹ガーデン

2009-02-04 23:14:54 | 植物
ママちんが昨日買ってきた本。
久しぶりにBIsesだったり薔薇の本だったり、そして大好きな紫竹ガーデンの本(紫竹おばーちゃんの幸福の庭)がありました。

世の人々の中には「日本のターシャ・チューダ」とか「日本のターシャの庭」という向きもあるようですが、それはちょっといかがなものかと思うかーさんです。
かーさんもターシャは好きではありますが、紫竹昭葉さんは昭葉さんであって、決してターシャの二番煎じでも真似をしたわけでもなく、もちろんレプリカでもありません。
紫竹さんの心の中で、幼い頃からひそかに眠っていた種が、63歳になってむくむくと芽を出して花開いたのですから。立派なオリジナルであり、唯一無二のものだと思っています。
ですから「日本の~」などと冠するのは、大変失礼な事ではないかと思っているのですが、まぁこの辺りはかーさんの「大きなお世話」ではありますね(^^;;

さて庭作りには、その人の人柄とか人格が現れます。
ええ、もう性格だったり、品格だったりというものです。
恐ろしいですねぇ。
人によって「気が付いたら庭造りをしていた」「場所が出来てあれこれ勉強して始めた」「忘れられない庭に出会って、自分も作り始めた」等々、無意識派、勉強派、まねっこ派といろいろあるでしょうが、結局年数がたつほどにその人自身の鏡となっているのが、庭の面白さでもあり怖さでもあるのです(^^;;

そうしてみると、「植物と自然に限りない愛情を傾けている」という点では、ターシャも紫竹さんも同じなのですが、くしくも環境条件が似ているにもかかわらず、出来上がった庭は似ているようでいて、やっぱりそこに芽生えた「庭の心」は違うものなのです。

そして振り返ってわが庭を見れば・・・・

片づけ下手が 丸分かり!! (^^;;

先日とある本で、きれいな庭を造るのはガーデナーで、植物好きで収集するプランツハンターの庭は案外ごちゃごちゃ・・・
まさに「プランツハンター」で「思いっきり片付け下手」
器用貧乏で「何でもやる」けど「一流にはならない」と言う性格そのまま。
「大雑把な性格」そのまんま。
ガーデナーは「ダメになりそうなら捨てる」「シーズンが過ぎれば処分する」事が出来る人です。
どんな時に良く咲くか、どんなところが好きなのか、几帳面でなければ栽培は上達しません。
とても「ま いいかー♪」のちゃらんぽらんなかーさんには出来ません。

それにかーさんは、「命となれば、何でも生かそうとする」から、あれもこれも命の気配がある限り抜いて処分なんて出来ない。
その上、なまじ花の種類が頭に入ってくるし、それぞれの良さが目に留まるから、結局増える一方なのね。
だからきれいな庭など出来るわけもなく・・・・・・(;;)
本当に、庭を見れば人柄が分かってしまうんです(--)

それでもって、かーさんの娘であるママちんはまったくそっくりな部分があって、プランツハンターの気質はかーさん以上で・・・
かーさんとママちんの欲求が満足するには、まさに紫竹ガーデンくらいの広さが必要なようです。
ヤレヤレ・・・


「読み終わったら、久しぶりにほっとしたやさしい気分になったよ。」
と言っていたママちん。
それは言葉の力なのです。
こうして人から見れば大きな事をなさった方というのは、えてして押し付けない穏やかな言葉を使われます。
こういう方はたった一人の人間の力なんてよく知っていて、大部分は周囲の人の理解と助力があったからこそという事を知っていて、感謝の気持ちが根強くあるからだと思うのです。
特に自然を相手にしていると、それがたった一株のタンポポであってすら、人の思うままになどなるわけもなく、自分もその中の一部である雄大な自然というものの力を心底実感し、自然と頭が垂れるものなのだと思います。
だから人は謙虚になる。
謙虚になって、人に優しくなる。
その優しさが、周囲の人を和ませるんです。
そうして、そうした人が作った庭は、自然とその人柄が息づいて、見る人を和ませる。

こうした気持ちだけは、かーさんに通じます。
まだまだ修行が足りませんが、「生かされている」と言う感覚はあって。
周囲の人に感謝。
植物にも、庭を訪れる鳥さんたちにも感謝。
ウサウサずに感謝。
お日様にもお月様にも、流れる雲も、すべての自然に感謝。
感謝する気持ちだけは、これからも持ち続けて生きたいと思っていますよ。


もうすぐ この子達にも会えるんですね♪


(2007 8月12日の写真より)


コメント
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