目出度い日にしようと
4月8日 末広がりの日に 始める(セブンーイレブン財団・環境市民活動助成)ことにしたが、
軽トラックの始動がおかしくなってしまった。
どうやらバッテリーが不足してしまったらしい。
自分の体力と一緒かもしれないと、今 考えている。
夕方 とうとう家の前で止まってしまった。
朝の思いとは別の作業に切り替えて、
懸案事項の場所の庭いじりを楽しむことができた。
始めよう」とはいったものの、
数年前から思い付きのまま手掛けてきているので、
本格的に意識して始めようとおもっただけのことではあるが、
現況写真を撮っておくことにした。
前日の夕方、
海岸に砂取りにきたところ不穏な動きがあったのは、
氏子の集団が清掃にきていたことが判明した。
船倉浜宿り跡の遺跡周辺が手入れされていたからである。
旧暦3月3日の 浜下りの行事の下準備
これで
私が手を付けてはいけない範囲が分かった。
賽銭箱が置かれてあったので、
シャコガイの代用賽銭用具がいらなくなったが、
私の面白がって作った賽銭容器があとで生きてくるであろう。
投げ入れる行為に 私の運試しをしていたのである。
これからは
五円玉と一円玉だけを選んで投げ入れて運試しをしようと思う。
百円と五百円玉は誰かの泡代に変わったと思われる。
神にささげたものだからそれもよしとしたい。
去年の今日あたりは 新しい出会いと再会を果たした運命の日が待っていたことになる。
人の幸不幸は あざなえる縄のごとし 一瞬先はわからない。
今はなくても 夢を持って歩み続けていれば いつか出逢えるかもしれない。
目標があれば 目標を定めることができれば 一歩が踏み出せる。
セブンイレブン記念財団が 私の一歩に勇気を与えてくれた。
もちろん活動資金も大切だけれど、
やっていることへの評価と励ましが次なる挑戦への 大きなエナジーである。
私が自然保護の活動(ボランティア)を通してやろうとしていることには
これまでの自然保護の思想と違うやり方を提案したいこともあって
やらせてもらっている。
寄付行為をしてくれるのは目立たない人たちであることもある。
目立ちたくない人への恩返しもあっていいのであはなかろうか。
自然とは」 そういう人たちによって守られれ来たと言える。
里山・里海の考え方を与論方式と言われる形にボランティア活動が広がっていければと思う。
与論孝行通学路の緑のおばさんが亡くなったあとを嫁さんが続けている。
与論高校が出来たおかげで
私たちは離島のハンディを大きく乗り越えることができた。
飛行場の建設もしかりである。
足元を見つめながら学んだ者たちは、
島の将来を見つめて育ったと思う。
だから」帰りたくなるのだ。
俺だったら、私だったら もっと良くして見せる。
創意と工夫 総意 相違 粒ぞろいはいらない 住みわけが いつか 合意を形成し
ベクトルとなって動き出す。
むらおさとは ベストと居るを 作り出す人物であってほしい。
シニグ祭りの原点にそれを見つけたい。