田舎暮らしの日々是好日

山羊とともにのんびりと農家生活をしながら日頃の憂さ晴らしをつぶやきます。

何故私がアルコール依存症になったかを・・・。

2015-10-19 05:06:34 | 日記
 
 イッキ飲みを流行らせたのはは与論献奉だと思われる。
 完全断酒してから3年経ったので
 断酒記録をときどき載せてみようと思った。

 まず初めに
 広報与論に載せてもらった原稿から・・・。

 


与論献奉進化論

「飽くまで食うな 酔うまで飲むな」と
祖父が自分を戒めるために食卓で語っていた事を想い出しながら
なぜ私がアルコール依存になったかを
話してみたいと思ったので書いている。

小学生までは三世代同居する10名の大家族であった。
家長の祖父の儒教の教えと先祖崇拝を基本にして
「明るく 清く 正しく」を床の間に掲げて
男二人女二人の長男として厳格に育てられた、
と思っているがいつの間にかの体たらくで
世間様のやっかいになって
現在を生きている。



 昭和52年、Uターンしたての頃は与論献奉に
反対を唱えていたが
青年団活動に加わり、飲酒の大切さを説かれ
職場では接遇の基本的なマナーだと覚えさせられ
何時しか献奉を擁護し、ついには推進をするに至った。
あの「口上」が気に入ったのである。



 私が依存症気味であると自覚したのは
平成13年の頃のこと。
「兄(やか)やーい 手(てぃ)ぷるーとぅんちゃー あらんぬい」と
言われてからの事である。
起案用紙に文面を書いているの見ていた同僚に言われ
震えを隠そうとすればするほど緊張し
尚震えが気になる。
もともと字を書くことが苦手だったので
それを機会にパソコンの練習を始めることになったが、
次の人事異動の場所が戸籍係、窓口業務。
ちょっとつらかった。
環境係を希望してゴミ処理の計画書の見直しと
ストックヤードの完成をみて
これ以上の飲酒が継続すると健康を害すること、
事故が起こる前に、首になる前に、自ら申し出て
早期退職したほうがましだと判断した。
やりたいこともあった。


 
依存症で辞めたと言われたくないため
半年の断酒に成功した。
意思のちからで依存症は治せるものだと思い
退職後も1年近くは飲酒と断酒の繰り返しで
気ままな農作業と夢追い酒で日々是好日の楽しい暮らしが
二年ほどは続いていた。
暑い昼間はマンゴーの手入れをしながら木陰で一杯。
4年目ごろになると朝から片手にビールで
農作業を楽しむ。
私は極楽の日々を過ごすが
妻の心中は穏やかではない。
私の趣味の農業では生活ができないので
妻のアルバイトで何とか年金暮らしをあてにして過ごした。
内心はその後ろめたさに
妻に隠れて飲む。
この隠れて飲むことの快感!
依存症の醍醐味である。
 後は世間様のご存知の通りの
隠せることの出来ないほどの行動をとることになる。
シミャーの近くに
「ふまいよう」という墓所があるがここにお供えしてあった一升瓶から
おこぼれをいただいたこともあります。



「岸本墓は先祖のお墓。
ここの二合瓶も頂いて帰って倉庫に隠して飲んだ。
妻の財布の厄介にもなった。
事故に会わなかったのはホントに幸いだった。
 依存症に共通することは
自分が病気であることを認めないことだという。
そして自分で治せると思ってること、
意思が弱いから意思をしっかり持てば
治せると思ってることだという。
私も自分の意思の力を何度も試して、
3か月、2か月、1か月と飲酒と断酒のくりかえしをしてきた。
しまいには会合のある1日しか持たなくなって
とうとう入院ををすることになった。
このことについては
いつかの機会にゆずることにしよう。



 現在完全断酒(一生飲まない)を誓って8ケ月が過ぎた。
毎日の朝の務めは古い井戸端で今日も飲まないの誓をする。
毎日飲まない日の新記達成を祝う。
私を断酒に導いて下さったのは
パナウル診療所の古川先生です。
毎月一回血圧の薬を処方してくださいます。
先生に会って新記録が続いていること、
先生に会う喜びが今の私の生きがいのひとつになっています。
断酒は一人では難しいです。
まず家族の協力と理解
そして相談できる、
頼りになり励まし守ってくれる仲間が必要です。
一旦アルコール依存症になった人は
決して病気は治らないのです。
たったコップ一杯、一滴でも飲んだら
元の状態にもどり、なお
元の状態より悪くなるのです。
最近私は飲酒の会合でも
割と平気で最後まで付き合うことができますが、
もう治ったみたいだから「一杯ぐらいはどうだい・・・。」
とよく言われます。
断酒しているのを知っていて
無理に勧める方は誰々と覚えていて
憎くなることもあり
これが私の本性だとイヤな思いをすることもしばしばです。
私は不思議な運命を持っているみたいで
父の時も母の時も依存症の治療中で旅先にいました。
そんな大変な時すべて妻や兄弟親戚のお世話になって
無事にそして盛大に両親の葬儀を終えることができました。
母の告別式で誓いましたが
依存症に効く一番の薬は
人の役に立つことを探すことだそうです。
この新記録が続き1年間断酒に成功できれば
病院に入院するきっかけなどについても
世間様に語ってみたいと思っております。



 自分が依存症だと認めること、
依存症は病気だと家族と相談して
禁断症状から抜け出ること
禁断症状から脱却する手段は入院が一番楽です。
入院したら命の大切がわかりました。



 皆さん依存症の治療中の人には
アルコールを勧めないでください。
与論献奉は与論の文化です。
品格が大切です。
儀式を進化させましょう。



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5 コメント

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Unknown (グライセン)
2015-10-19 05:55:59
頑張ってくださいね!
私は楽しいお酒を飲みたいなぁ~って思う。
飲もう・・・と言う時ってきまって嫌なことがあったとき。
そんなに飲めないのですが・・・350ぐらいがやっと。
これって飲める人にはなめてる・・・ってだけかな?
ワイン(白)が一番好きです。
ビールは苦手・・・
最近日本酒って良いかな~と少し思う。
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口上 (ゆがぷう)
2015-10-19 12:39:17
泡盛やか、こんにちは。

私も与論献奉の口上が好きです。
泡盛やかの口上はさぞ面白かったことでしょう。聞きたかった。
回す回数を制限するなどのルールを作り、二日酔いや依存症のない与論献奉になるといいと思います。酒呑みには、難しいのかしら?笑
返信する
苦しかったでしょう。 (日々是口実)
2015-10-19 14:50:57
私はその苦労と苦しいと苦労は分かりませんが大変な状況だったのですね。私もほどほどに楽しみます。ビール500を週一回が適量です。ワインや焼酎の美味しさが未だに理解できません。ワインは値段の差さえも理解できません。
偶然かしら?口実と好日。似てますね。
返信する
口上 (泡盛)
2015-10-20 02:03:25
 コメントありがとうございました。

 与論献奉が悪いということを言いたいのではなくて、勧め方に問題が多くあるように思いました。
私が役場に入った頃は、強制的に飲まされました。
無理強いされるのがイヤでした。
今はもうありませんね。
パワハラと訴えられることでしょう。
お酒はほどほどに、たしなむ程度で楽しく飲みたいものです。
この時期になると日本酒が恋しくなります。
焼酎は嫌いですが、ウイスキーやワインが大好きでした。
3年続けたので、このままの気持ちを忘れないためにと思って 書き込んでみました。
まわるが励ましてくれるのが嬉しくもあり続ける意欲と成っています。
日々口実と好日・日々向上と口上
 お目出度い人間ですね。
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「お茶飲んでいます。」 (あおの)
2015-10-20 11:29:19
コメント失礼いたします。

ぼくも20代の頃に、タバコを止めて、
毎日おいしい与論島の空気を吸っています。

盛窪やかもツイッターで折々
「お茶飲んでいます」と呟かれています様に
おいしいお茶、お水を飲んでこれからもがんばって下さい。
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