モー吉の悠悠パース留学絵日記

この日記では、パースでの留学生活での出来事を中心に、心象風景を交えて、写真とエッセイにより、絵日記風に綴っています。

オージーの驚くべき生態

2012-05-27 11:46:01 | エッセイ
オージーの驚くべき生態 5月23日(水)

 18日の飛行機で日本への一時帰国の途に着いたが、まだ書き残した記事が数編あるので、しばらくは滞在記として、それを記すこととする。
 それにしても、二ヶ月ぶりに日本の土を踏み、その空気を吸い、空を眺めて、パースとの違いをあらためて実感することとなった。日本の空気は残念ながら、あまりにも汚れていて、その空はベールがかかったようで、パースのような透明感は全くない。我々の子供の頃には、まだ、パースのような空気と空があったような気がする。あの「風の谷のナウシカ」では、腐海の汚染された空気とその深部の浄化された世界が対比されて描かれているが、日本の現状も誇張すれば、このような汚染された世界ではないのか。北半球の近代都市をかかえる国々はどこも同じような道を歩んでおり、その未来がナウシカで描かれているようにならないように、祈るばかりだ。


 ところで、久しぶりに日本で観たDVDの「恋するモンテカルロ」の中で、オーストラリアン(オージー)の青年の生態が的確に描かれていたので、オーストラリアで実際に接して感じたオージーの驚くべき生態について書きとめてみた。
 オージーの基本的なスタイルは、短パンにTシャツ、足元はビーチサンダルだ。中には裸足の人もいる。これはビーチでの姿ではなく、シティーの街中での話だ。上はスーツやドレス風のオシャレ着であっても、足元はビーチサンダル風を良く見かけるものだ。






 
 ほとんどの女性は胸をおおいに曝け出して、アピールしており、男性には嬉しい限りだ。それも、この楽園には、アダムとイブの時代のDNAが解放される魅力が隠されている故のことだろうか。






 オージーの性格はいたって温厚であり、フレンドリーだ。日本のように、あくせくしたり、せかせかした行動とは正反対だ。無料バスキャッツのタイムテーブルは無きに等しく、時間どおり来ることはめずらしく、それでもオージーは文句は言わない。客の少ない時は、途中で勝手に運行を止めてしまうこともあるし、コースを変更してしまうこともある。その代わりというわけではないが、希望する場所で降ろしてくれることもある、いたって気ままな運転スタイルだ。
 それでは、歩行者はどうかというと、これもまた自由気ままなスタイルだ。横断歩道以外で道路を渡るのはいたって日常的な光景で、信号を守ることの方がめずらしい。
 要は彼らには、規則は無いに等しい。自由気ままに生きるのが彼らの生活スタイルだ。
 彼らの給料は週単位で決められており、その給与水準は非常に高い。景気がよいことと、労働党政権の故のことだろう。従って、彼らの生活費は少し働けば十分賄えるので、あくせく働く必要がないのである。午後三時を過ぎると、あちこちのバブでビールを飲んで団らんしている光景をよく見かけるものだ。
 しかし、シティの街の店は、平日は早くに閉まってしまうため、家で過ごすことが多い。ノースブリッジの飲食街だけは別で、深夜過ぎまでやっている店が多いので、どうしても遊びたい連中は、ノースブリッジにくりだすことになる。
 そのかわり、金曜日はフィーバする日で、オージーたちは、もう朝から浮き浮きしている。昼過ぎからはシティの広場ではバーベキューの準備が始まり、三時頃にはもう楽しい宴が始まっている。日本でのかつての花金フィーバーを連想するが、それ以上に楽しげだ。金曜日だけはシティの街も夜遅くまで騒がしい。
 
 オージーたちは、ミュージック、アート好きで、シティの街中には、いつも、ストリートミュージシャン、絵描き、パフォーマンス集団が繰り出して、その技を披露しているので、それをみるのもとても楽しみだ。











 オージーは、移民やその末裔が多いので、他人と仲良くなろうと意識がとても強く、挨拶や声を掛け合うことが多く、すれ違うときには、お互いに「Excuuse me」「Sorry」といった言葉をよく掛け合うものだ。
 オージーの生態をみてくると、日本人の良さもよく解ってくるものだ。几帳面さ、勤勉性、規則遵守、清潔さなどは、はるかに日本人の方が勝っているように思える。あらためて日本人の良さを認識するものだ。
 オージーは悪く言えば、いい加減で、だらしなく、無秩序であるが、その温厚さ、他人を思いやる心、自由さ、フレンドリーな心が、それらを十分カバーしていると言える。
 そう言えば、DVD「恋するモンテカルロ」では、傷ついたアメリカ娘が、オージーの青年に心を癒され、恋に落ちると言う展開になっていた。最後には、その恋人たちは、旅に出て、あの古代の避難都市マチュピチュを訪れ、その頂から天に向かって叫びを上げ、癒されるというストーリーで終わっていた。
 彼らの叫びは、あの神と呼ばれた「存在」に届き、3600年の時の彼方から、再びこの地球にやってくるのだろうか。
 




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