楽園都市パース 3月25日(日) 快晴 16℃~27℃
日本人向け現地情報誌「パースエクスプレス」には、パースについて「世界で最も美しい街、世界で最も孤立した街、そして世界で最も暮らしやすい街として知られ、自然と文明が上手に融合した理想郷「パース」。人口約170万人のパースは、1827年にイギリス人による開拓が始まってから、金や天然ガス、鉄鉱石などの天然資源の発掘により大きく発展してきたオーストラリア最大の州、西オーストラリアの州都。中心部は、近代的なビル群がそびえ立ち、パースの人々のライフスタイルを表すかのようにゆっくりと流れるスワン川を望む。オーストラリアで最も晴天日が多い街と言われ、地中海性の温暖な気候により、1年を通して過ごしやすい。抜けるような真っ青な空に映える美しい街並、蒼く輝くインド洋と真っ白な砂浜、そして地平線から昇り水平線に沈む太陽。まさにパースは「楽園都市」。」と記している。
この記述は、ここパースで2週間余りを過ごしたモー吉からしても、あながちオーバーすぎる表現とは感じられない。それ程ここパースは魅力のある楽園都市なのだ。
しかし、ここパースにも地球温暖化の兆候は、忍び寄っているようだ。この夏の異常気象による40℃を超える高温化と、東オーストラリアの洪水、オゾンホールの拡大などなど。
旧約聖書のアダムとイブがエデンの園から追放され、エデンの園も消滅したように、現代のアダムとイブたちも、この楽園から追放され、この楽園も消滅するのだろうか。
この地球温暖化、世界的な異常気象が、人間の社会活動によるものであれば、あの先人(星の王子さま)たちの警告に耳を傾けることによって、楽園の消滅をくい止めることができるだろう。しかし、この原因が、太陽活動の活発化によるものであれば、ちっぽけな人間にとっては、楽園の消滅は、避けることのできない運命だろう。
そんなことを考えながら、今、私は、西オーストラリア博物館の大展示ホールに立っている。
そんなことを考えながら、今、私は、西オーストラリア博物館の大展示ホールに立っている。
今、このホールでは、西オーストラリアとパースの歴史についての展示が行われている。
大英帝国の宗教に反感をもつプロテスタントたちは、新大陸アメリカを目指して新しい国を建設したが、自国で改革を目指した人たちは政治犯として、このオーストラリア大陸へも送られ、その彼らが、この国の建設に寄与することとなった。彼らが建設した建物が、現在このパースにも沢山残っている。あのシンデレラの鐘の音を聞いた時計塔(市公会堂)もその一つだ。
今私がいるこの大展示ホールも、囚人たちが入れられた刑務所を再利用した建物だ。
荒涼とした大地の中、スワン川のほとりにワイルドフラワーが咲き乱れる地があった。その地が、パース誕生の始まりとなった。
この国も、先住民アボリジニを征服し建国された国で、当初は、白豪主義と言われる白人優先の人種差別が行われていた。アボリジニと白人の混血も黒人といわれ、差別がひどかった。
その辺りの現実は、映画「オーストラリア」で描かれている。オーストラリア人女優ニコールキッドマンが、オーストラリア版「風とともに去りぬ」の主人公英国人貴婦人を演じている。
現在は、この白豪主義も改められ、政府が先住民アボリジニへの謝罪を正式に宣言し、移民を積極的に受け入れる政策に転換されている。そのため、このパースにも様々な人種のたくさんの人々が集まり、人種差別もなく、フレンドリーに暮らしている。
私は、この大ホールの展示を観ながら、荒涼とした大地であったパースの地が、先人たちの汗と涙と血によって、楽園都市に生まれ変わった時の結晶を感じながら、この楽園がいつまでも続いてほしいと、願っていた。
現在は、この白豪主義も改められ、政府が先住民アボリジニへの謝罪を正式に宣言し、移民を積極的に受け入れる政策に転換されている。そのため、このパースにも様々な人種のたくさんの人々が集まり、人種差別もなく、フレンドリーに暮らしている。
私は、この大ホールの展示を観ながら、荒涼とした大地であったパースの地が、先人たちの汗と涙と血によって、楽園都市に生まれ変わった時の結晶を感じながら、この楽園がいつまでも続いてほしいと、願っていた。
ミュージアムの外に出ると、透き通った青空の下、様々な人種の人々が、フレンドリーに交流する姿が目に入り、とても幸せな気持ちになり、永遠にこの時間が続いてほしいと、先人たちに感謝をしながら、想ったものです。
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