Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

ブログの更新を別のところで行います

2022年04月01日 01時38分48秒 | Weblog
あんまり見られていないと思うので、
特にお知らせしなくてもいいのかなと思いましたが、
いつもコメントいただける方もいるので念のため。

ドラマや映画の感想を別のところで書くことにします。
というより、今までも書いてました。
ここは、もし他のところがサービスクローズになったときのための、
保管場所みたいな位置づけでした。

ですが、他のところをメインにした方がやりやすいなってのもあり、
ここでの更新は一旦ストップします。

映画とドラマの感想は主にインスタに上げます。
(本ブログの記事はインスタの文章のコピペでした)

なお、映画に関してのみ、
noteにもっとちゃんとした感想を上げています。

何かの参考になれば幸いです。

文通がやや無理矢理感あるけど総じてよかった『ラストレター』

2020年01月25日 09時08分42秒 | Weblog


鑑賞した2020年日本公開映画ランキング:9/12
感動😭:★★★☆☆
哀愁😢:★★★☆☆
笑い😂:★★☆☆☆

いい話だったけど、僕としてはほぼキャストでもったような映画だったかな。

だって、マシャにトヨエツにミポリンだぜ?
平成初期のトレンディドラマを彩った人たち。
今の30代40代の人なら、このメンツでごはん5杯はいけちゃうんじゃなかろうか。
(あの頃の彼ら、まさに今の広瀬すずや新田真剣佑、横浜流星ぐらいの年齢だねw)

で、話としては、ひょんなことから始まった文通をきっかけに、
ふたつの世代にまたがる男女の恋愛を描いたラブストーリーです。

裕里(松たか子)の姉が亡くなったところから物語はスタート。
たまたま、その姉宛に来ていた同窓会のお知らせを元に、
彼女は姉の死を知らせに行くのだけど、会場に着いたら姉と間違われてしまい、
あれよあれよと言う間に姉として留まることに(笑)
しかし、自身の初恋の人だった鏡史郎(福山雅治)と再会し、
文通を始めることになる。

その手紙を裕里の姪(亡くなった姉の娘)である鮎美(広瀬すず)が読むことで、
25年前の姉妹と鏡史郎の恋模様を辿るようになるって流れです。

実にロマンチックで感動的だった。
昔も手紙を書いていて、今も手紙のやり取りを元に
過去の甘酸っぱくも懐かしい恋愛を思い出して、
当時の想いが今なお色褪せることなく残っているってのが心に染みる。

もうあの頃には戻れないけれど、
あの青春の日々は確かにそこにあったし、
それらがあったから今の自分があるっていう、
誰でも一度は感じるであろう哀愁みたいなのも、
この歳になると響くな。

手紙をフックに物語が進んでいって、
それぞれの気持ちのありようや、
姉の死の真相などが明かされていくのは、
スマホ全盛期の今からすると、ある意味新鮮に感じる。

ただ、手紙にこだわる理由がやや無理矢理かなって感じた。
普通、スマホに戻るでしょって。

そして、配役がちょっとわかりづらい。
現代では松たか子の娘が森七菜、亡くなった姉の娘が広瀬すずなんだけど、
その松たか子の若い頃を森七菜、亡くなった姉の若い頃を広瀬すずがやってるから、
同じキャストが現代ではいとこ、過去では姉妹って関係で、途中かなり混乱するわ(笑)

あと、不思議に思ったのは、一時期松たか子からも、広瀬すずからも
福山雅治に手紙いってるはずなんだけど、
福山雅治はなんかおかしいと思わなかったのかな。。。
話の内容や筆跡で変だなと思いそうだけど。。。

そういった、ちょっとわかりづらい部分もあったけど、総じていい話だと思った。
謎に『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野秀明監督も役者として出てたし(笑)

なお、この映画、岩井俊二監督が1995年に作った
『Love Letter』のアンサー映画らしく、確かに少し似ていると思った。

そっちも手紙の行き違いから始まるラブストーリーで、
トヨエツとミポリンが出ている上に、
酒井美紀と柏原崇がまだ未成年で映画初出演っていうね(笑)

公式サイト

オリジナル版を観た人でも楽しめる『THE UPSIDE/最強のふたり』

2019年12月29日 17時43分44秒 | Weblog


2019年公開映画218本中80位。

2011年公開のフランス映画『最強のふたり』のリメイクです。

事故により首から下が麻痺した大富豪フィリップ(ブライアン・クランストン)と、
失業中の黒人デル(ケヴィン・ハート)の友情を描いた実話ベースの話。

穏やかで知的なフィリップと強引でガサツなデルという凸凹コンビが、
お互いに影響を与え合って変化していくヒューマンドラマ。

基本的な流れは同じだけれど、オリジナル版との違いもけっこうあって、
前の作品を観た人でも充分楽しめると思う。

オリジナルは、メイン2人は終始仲良かったけど、
今回はあることがきっかけで仲違いしてしまう展開があって、
より惹き込まれる作りになっているなーと感じました。

他にも、秘書の人物背景やデルの家族構成などが変わっていて、
それによって物語の構成も変化しているから、
オリジナル版が好きなら楽しめると思う!

ただ、僕はケヴィン・ハートよりもオマール・シーの方がよかったかな~。
オマール・シーって身長190cmもあってかなりデカいから、
強引さという点でこの役に合ってるんだよね。

ケヴィン・ハートは163cmと小柄なため、
お笑いキャラに徹していてよかったけど、
オリジナル版を観た身からすると、
オマール・シーの方がよりマッチしていた気がする。

「かるまる」に行ったら、裸のおっさん4人で密室に閉じ込められた挙句、 まぐろになった

2019年12月03日 23時54分18秒 | Weblog
2020年12月3日11時30分にグランドオープンした
男性専用施設「かるまる」に早速行ってきました!

公式サイト


場所はいいし、中も想像以上に広くて綺麗で、
木のよい香りも感じられるので、
施設自体はすごくよかったんだけれど、
全体的には「思ったより、、、」という印象でした。
とはいえ、初日だから仕方ない部分が大きいけどw

ちなみに、僕は都内の他のサウナ施設に行ったことがなく、
地方に旅行したときに温泉に入ったことあるぐらいの身なので悪しからず。

いい部分はSNSに溢れているので、
ここではちょっと気になった点を3つほど。

1. 風呂もサウナもぬるい。
2. 移動がエレベーターのみ。
3. ロッカー番号忘れる。


【1. 風呂もサウナもぬるい】

好みもあるかもしれないけど、僕は熱いのが好きなんです。
それこそ、『ファイナルファンタジーⅥ』で、
オルトロスが「あっちっちー、ゆでだこ!?ゆでだこ!?」
って言うぐらいの。

そこから水風呂に浸かって、
それでまた熱い風呂やサウナに入って、
っていうのを繰り返したかったんだけど、、、
5種類あるお風呂は最高でも42度。
これ、いつも家で入ってるのと変わらないんだよね。
他は30度台でぬるすぎ。

サウナは4種類あるうち、
今稼働してるのは3つなんだけど、
それぞれ40度の蒸しサウナ、
60度のケロサウナ、
80度の岩サウナ。

しかし、オープン初日で人が多いから、
60度のケロサウナと80度の岩サウナは
ドアの開け閉めが多く、まったく熱がこもらない。。。

一番熱いと感じたのは40度の蒸しサウナなんだけど、
これはサイズが小さくて、
定員4名のスタンディングスタイルなんだよね。

だから、狭く暗いスペースに、
裸のおっさん4人で向き合って立つというシュールすぎる画に(笑)
しかも、蒸気が出るところに左腕がずっと当たっていたため、
普通に火傷しましたwww

で、水風呂も一番楽しみにしていた水温一桁の「サンダートルネード」は
人がたくさん入ったせいか13度まで上昇。

結果、サウナと水風呂の往復による"整い"がまったくできず。
サウナはぬるい上に、今日はオープン初日で混んでいたこともあり、
けっこう外で並ぶんです。
その間に体も少し冷えてきて、
水風呂に入るモチベーションも下がってきて。。。
期待していた「サウナでゆでだこ→水風呂」の流れが叶わず(泣)

仕方ないので、リフレッシュのために人生初のあかすりやって来ました。
なんとなーくおじさんかおばさんにやってもらうんだろうなと思っていたら、
自分より年下の若めのお姉さんだったので、やや緊張するという(童貞感w)。

ほぼ履いてるのが意味なさげな紙パンツを履いて、
完全にまぐろになってきました。


【2.移動はエレベーターのみ】

ここ、階段がないんです。
なので、すべての移動がエレベーターなので
ちょっと時間かかって不便。
階段でサクッと移動したい。。。


【3.ロッカー番号忘れる】

下駄箱のロッカーキーで更衣室のロッカーも開けるのだけど、
下駄箱のロッカーナンバーと更衣室のロッカーナンバーが連携していないんだよね。。。
更衣室のロッカーは好きなところを使えるのだけど、
それが手首につける下駄箱のナンバーと違うので、
普通に忘れます。。。
一応、キーをかざすと番号が表示される端末はあるけどね。

今はまだいろいろ試運転中とのことなので、今後に期待かなー。
せめてお風呂とサウナの温度は上げて欲しい。。。
でも、リピートは普通にしたいと思うレベルです!

ヒンディー流受験戦争『ヒンディー・ミディアム』

2019年10月03日 23時59分25秒 | Weblog


2019年公開映画159本中45位。

これは面白い。
ヒンディー流受験戦争を描いた教育エンターテインメント。
前にやってた深田恭子と阿部サダヲの『下克上受験』みたい!

娘を私立小学校に入れたいバトラ夫妻が、
受験コンサル指導の下、いくつか受験するもすべて不合格。

そこで目をつけたのが、“RTE”と呼ばれる法律。
どの学校も25%は低所得者用の枠を持つことが義務付けられているのだ。

元々、下町で衣料品店を営んでいたこともあってバトラ家は裕福なので、
自分たちは低所得であると嘘の願書を出すことに。

しかし、インドでは富裕層によるそういった詐欺が横行しており、
入学希望先の学校では家庭訪問をして真偽を確かめる、と。

「こりゃえーらいこっちゃ!」ということで、
急遽貧困街へ引っ越し、貧乏生活を始めるも、
そこで大切なことに気づかされる、、、というストーリー。

この映画の面白いところは、
やはり嘘を嘘と思わせないために、
わざわざ貧困街へ引っ越すという親の行動力だろう。

インドの小学校受験は、私立だと両親も面接があり、
さらに両親の学歴も重視されるという徹底ぶり。

子供には少しでもいい人生を歩ませたいと
母親はヒステリックなぐらい娘の身を案じるのに、
父親は割と適当という温度差もウケるポイント(笑)

ここまでだと日本にも当てはまるところがあってすごく共感できるのだけど、
その先がインドならではなのかなと思った。

階級社会かつ貧富の差も激しい。
だから、子供をいい学校に入れたいと思う親の想いは
日本のそれとは比較にならないほど強いと想像できる。
そうじゃなかったら、わざわざ貧乏のフリをすることもないだろうし。

でも、貧困街に暮らす人たちはお金がないなりに、
お互いに助け合い、たくましく生きていく姿が描かれており、
最初は距離を置いていたバトラ夫妻も、
隣人の優しさに触れていくうちに、
人として大切なことは何なのかに気づいていく過程がとても感動的でした。

ラスト、あれだけ私立の小学校に入れたがっていた
バトラ夫妻の心境の変化を表すシーンに号泣必至です。

後半が抽象的すぎてわかりづらかった『海獣の子供』

2019年06月09日 18時29分34秒 | Weblog


2019年公開映画84本中66位。

ハンドボール部に所属するヒロインと、
ジュゴンに育てられた2人の少年が触れ合うファンタジー系映画。
ジュゴンに育てられたって、
海中版『ジャングル・ブック』みたいだけども。

原作漫画は読んでないけど、
正直かなりわかりづらい。
不思議な少年と出会うまではよかったのだけれど、
その後がかなり観念的・抽象的な話になり、
映像も精神世界みたいなところに入り込んで行くので、
わからない人は完全に置いてけぼりになりそう。

人間の存在や生命の誕生を宇宙や海と結びつけていて、
ラスト30分なんか、
みんなどこにいるのかまったく謎すぎるので、
これは好き嫌い分かれるだろうな。

舞台のモデルとなったのは江ノ島だけど、
海の綺麗さは沖縄でした。
なので、とてつもなく綺麗な海に行きたくなる。
ある意味、これからの季節にはピッタリなシチュエーション。

ただ、僕は絵がちょっと苦手(笑)
目頭切開されすぎなのと、
デデが『AKIRA』に出てきそうなデザインで。

あと、ジムの声が田中泯なんだけど、
見た目からしてまんまだなと思った(笑)

平成ジャンプ

2019年04月30日 00時10分59秒 | Weblog
いつもの映画やドラマとはまったく関係ないけれど、
自分の備忘録として。

平成が終わるまで、24時間を切りました。
1989年1月8日から始まったので、幼稚園年長ですか。
当時のことを振り返ると、
ドラマを見て、映画を見て、ゲームをして、泳いでました。

それから30年。
ドラマを見て、映画を見て、ゲームをして、泳いでます。
むしろ加速しているような気さえします(笑)

三つ子の魂百までというか、
よくもまあ30年、まったく飽きずに、
ずっと好きでいられたなと思うのだけれど、
それには理由があるんじゃないかと考えました。

「死ぬその直前まで生きててよかったと思える人生を送りたい」
と就活のときにぼんやり考えていて、
そのためには、「自分の好きなものに囲まれて生きていきたい」と思ったから、
好きなものがどんどん加速していくんだと思います。
きっとそれが根底にある。

そして環境の変化。
自分の世代はいろいろ過渡期じゃないかなとよく思います。
一括りにはできないかもしれないけれど、例えば仕事だと、
「とにかく働け!」な時代を生きてきた上の世代と、
ワークライフバランスが当たり前になってきている下の世代の間にいたり。
例えばライフスタイルだと、
結婚が当たり前という考えと、
別にしなくてもいいんじゃないっていう考えの間にいたり。
インターネットやSNSの普及で、
いろんな人の考えや置かれている状況もわかるようになって、
すごい時代にいるなと思いつつ、
ちょいちょい自分の生き方を自問自答してました。

さらに、この平成の間に祖父母が全員亡くなりましたが、
亡くなっても、何事もなかったかのように地球はまわり、
日々の日常も続いていくわけです。
いや、ホント、びっくりするぐらいの何もなかった感。
僕からしたら、子孫として授かった自分の命と、
いっしょに過ごした思い出は残りますが、
死んだ本人からしたら、何もなかったことと同じじゃないのか、、、
とさえ思ったもんです。

そうしたときに、時代が流れ環境が変わっても、
大切な人がいなくなっても、
ずっと変わらず好きでい続けられる拠り所みたいなものを、
無意識のうちに求めていたんじゃないかなと考えています。

レベルも規模もまだまだだけれど、
「好きなことに囲まれる」という点においては、
趣味も仕事もある程度実現できているんじゃなかろうか。
いわゆる「引き寄せの法則」じゃないけれど、
強く想ったものは向こうからやってきている気もするし、
何だかんだで遊んだりメシ食ったりしてくれる友達がいるからこそ、
実現できているとも思うので、身のまわりの人たちには感謝です。

明日から新しい元号になって、あと70年ぐらいは生きていく上で、
PRINCESS PRINCESSの歌にあるように、
「何にも知らない子供に戻ってやり直したい夜もたまにある」かもしれませんが、
槇原敬之の歌にあるように
「好きなものは好き!と言えるきもち抱きしめてたい」です。


そんなわけで平成ジャンプします。

ブログのお引越し

2019年01月08日 00時51分02秒 | Weblog
2019年よりライブドアでブログ書こうと思います。
http://waterboy4716.blog.jp/

別にこのままでもよかったのだけれど、
今や書くのは映画やドラマの感想だけで、
こっちだと大学生時代の恥ずかしい日記もあるので、
純粋に映画やドラマの感想だけのブログが欲しくて(笑)

過去の記事もいずれライブドアの方に移したいと思いますー。
(とはいえ、使いづらかったら戻すかもだけどw)

なお、もしSNS以外で日記めいたことを書くことがあれば、
そのときはこちらに書くと思います。

色恋と金は大昔から不変であると改めて思った『近松物語』

2018年10月29日 00時13分20秒 | Weblog


「午前十時の映画祭9」にて。
1954年の日本映画『近松物語』。

今風に言うと、絵巻物屋の社長夫人が実家からお金の工面を頼まれ、
信頼できる部長経由で相談したものの、
社長がそれに取り合わず、嫌気がさして、
社長夫人と部長が逃避行しながら恋に落ちるというもの。
人間ドラマがしっかりしてて面白かった。

原作は江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎作家の近松門左衛門。
彼の作品のいくつかを合わせたものがこの映画になっているんだけど、
もろもろの背景には男女関係のもつれなどもあったりして、
江戸時代から現代に至るまで、
お金と色恋は変わらないんだなと思った。
むしろ当時からそれをしっかり作品にしている近松門左衛門がすごいと思った。

ヒロイン役の香川京子が大きな目に高い鼻ですごく綺麗だなと思ったのだけど、
まさかこの人が、この前のTBSドラマ『この世界の片隅に』で
現代の北條節子役を演じたおばあちゃんの
当時23歳の姿だっとは思わなんだ。

イケメンは今と昔でちょっと変わったけど、
美人ってのはあんまり変わってない気がするな。
今おばあちゃんな女優の若い頃とか今見ても美しいし、
人によっては現代の女優の誰かに似ている人もいる。

ちなみに、同時期の日テレドラマ『高嶺の花』に出ていた
峯田和伸の母親役だった十朱幸代の父である
十朱久雄が出ていたのも感慨深い。

自分のもやもやについて整理したい

2017年08月04日 00時54分32秒 | Weblog
こんばんは。

タイトルの通りなんだけど、とりあえず思うところはいろいろとある。
人生において。

もう何から書いていいのかわからないからざっくばらんに。
10年後の俺へ。
きっと今と変わらないスタンスで生きていると思う。
そして、10年前の自分を思い返して後悔するかもしれない。
でも、今の俺はこんなことを考えていた。
その備忘録として。

まず、タイトルの通り、何をもってもやもやしているのか。
これは、大きくまとめてしまうと、
「人生、このままでいいのか」っていうこと。
多分、こんなこと多くの人が思ってる。

俺の場合、自分のやりたかったこと、
そして、自分の近しい人たちの近況を鑑みて、
自分の在り方を少し俯瞰して見て、そう思っている。

まず、自分の在り方について。
就活のとき、仕事について考える前に、
とりあえず教科書的に、
「自分がどんな人生を歩みたいか」を考えた。
結果、「死ぬその直前まで"いい人生だった"と思える」こと。
そんな人生を送りたいと思った。
そのためにはどうしたらいいか。

好きなことに囲まれて生きること。

それが答えだった。
自分の好きなことを常に身近に感じていたいと思った。
映画、ドラマ、ゲーム、飲み会、友達、、、
具体的にあげるとそんなものだった。

だから就活のときは、テレビ局、広告代理店、ゲーム会社などを受けたが、
どれも引っかからずwww
唯一救われた今のIT会社に籍を置く。
インターネットを通じれば、好きなことに関われるだろうと思ったからだ。
まあ結果として、今は好きなゲームの仕事をさせていただいているからよしとする。

次に仕事についてだが、、、
今、この時点で俺の仕事に対する想いは下記の通り。

・生活するためのお賃金をいただくためにやること
・好きではないことを嫌々やること
・好きでもない人のためにお伺いを立てること

ざっとこんな感じ。
ほとんどの価値基準を自分が興味あるかないか、好きか嫌いかに置いている自分としては、
本当にこんなものでしかなく、
これまで仕事を通じてうれしかったこと、楽しかったことなど一度もない。

そもそも会社の売上などどうでもいい。
その企画や施策において、いくら売り上げるなんかどうでもいい。
面白かったらいいんじゃない?
っていうふうな想いが根底にはある。
もちろん、そんなんじゃダメだということは理解できている。
経済活動を営む企業に属している以上は、
自ら行う活動に対しての対価や影響力などが大事である。
しかし、それが自分の幸せにつながるかどうかは別だと思っている。

そう考えると、自己中心的かと思われるかもしれないが、
俺は自分が好きで、自分の好きなものを大切にしたくて、
自分の納得いく人生を送りたいという想いが強いのだと思う。

そんな中で友達は、
昇進したり、メディアで取り上げられたり、その対価として高い報酬をもらったり、
あとは結婚したり、子供が生まれたり、家や車を買ったりできている。

そこに対して何も思わないわけではない。
もともとは俺だって、人と比較したときに優位にいたいと考える人間である。
ただ自分が弱すぎてその比較において劣勢にいることが常だったので、
勝つことを諦め、あまり他人との比較を考えないようにしていただけで。

でも年々、人は人、自分は自分という開き直り感が強くなっているため、
SNS等でそういった話を聞いても、あまり何かを感じることはなくなっていったが。

ただ、社会的に見たときに、この歳でこんな状況の自分は、
もしかしたらよくないというか、情けないのかなと思ったりもするわけで、
だからといって、それを是正するために何かをしたいと思うわけでもなくて、
結果、自分クソだなと思い、もやもやとする日々が続いているというだけである。

最初の方にも書いたが、自分は好きなものにとことん尽くしたいと思う性格である。
同時に、それに合わないものは基本どうでもいいと思ってはいるものの、
じゃあ好きなことに対して何ができるのかというと特に何もなく、
中途半端さ全開で、まわりからも痛々しいと思われているのだろうなと思っている。

人に嫌われるのが嫌だ、失敗してバカにされるのが嫌だ、
そういう心理が強く働ていているのかもしれないが、
その結果、何かをするにも"めんどくさい"と感じてしまうようになり、
何か新しいことにチャレンジすることを放棄してしまっているのは事実である。

とにかく、何かするにもめんどくさいか否かという意識が最初に来る。
親曰く、中学生にあがった頃からその言葉を口にして、
創作行為をやめてしまったとのことだが、
当時何があったのかは俺自身にもわからない。

酔っているし眠いので、ここまでにしておくけれど、
この前のエントリーにもあったように、
自分のやりたかったこと、できること、してきたことにおける乖離に加えて、
同世代の活躍もあって、もやもやすることがあるのだろう。

つまり、ゲームクリエイターもしくは脚本家などの物語を紡ぐ人になりたかったものの、
そんな経験をすることもなく、ひたすらお客さんとして既存のサービスを享受することを優先し、
「本当は作りたかったんだけどなー」と思いつつも、そのような覚悟や努力もなく、
今は、好きなものや気の合う仲間に囲まれて現状満足している中で、
まわりはリスクをとって活躍する人たちが多いゆえに、
自分のイージーな生き方に対して疑問を持っている、ということだろうな。

でもそれを変えるつもりはなく、それに安住している今。
それが悪いことではないと思うものの、
このまま人生が終わっていいのかなという気もしている。

でも就活のときに思った「自分の人生感」は達成できてしまっているので、
このままでもいいのではという現状満足の自分がいる。


現状満足と、コンプレックスをバネにできない自分の弱さが原因か。





前提として、俺が今から11年前の就活しているとき、

自分のこと:今後どうするか

2017年07月19日 00時36分28秒 | Weblog
特に何かを決めるために書いてきたわけではないけど、
一応、これまでのことをまとめておく。

・小さい頃から映画やドラマ、RPGが好きだった。
・自分でも作りたいと思い、ちょっとアクションは起こしてきたけど、
 結局めんどくさくて最後まで作り切ったことはない。
・作るよりは見たり遊んだりしている方が楽しいし、
 そっちを優先してしまう。

別に作る方が偉いとか、そういうことではない。
これはもう得手不得手というか、好き嫌いの問題もあるから、
単に自分は作り手よりも、お客さんでいることを望んでいる、
少なくともそっちの方が楽だし、優先してしまうというのはある。

前のエントリーで、めんどくさがりと言ったが、
この文章だって、前々から書こうと思ってて、
ずっと書いていなかったけど、
いざ書き始めたら、ここまで書いてしまった。

他人に興味ないとは言うけれど、普段生活している上で、
「なぜこの人はそういう判断をするのか」
「その判断をする価値基準は何がきっかけで形成されたのか」
ってのは割と興味がある。

例えば友達にヤリチンがいたとして、
なぜキミはそこまでヤリたいのか、
オナニーじゃダメなのか、
他のことに時間を使おうと思わないのか、
なぜそこまでして女性を求めるのか、
そうなってしまったきっかけは何かあるのか、
ここらへんは聞いてみたいと思う。
まあ、気恥ずかしくて聞けないけど(笑)

昨年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
というドラマの予告を見て、久しぶりにこれは面白そうだと思った。
それ以来、毎クール9~10本のドラマを見ている。

映画も週に2~3本は新作映画を観ていて、
今年は100本観るのが目標である。

これらは単に趣味。好きでやっていること。
「自分で作りたいと思わないか」と聞かれたら、
今は見ているだけで充分と答えてしまう。

本当に作りたいと思ったら、作るだろう。
僕の性格上、そうすると思う。
しないということは、興味がないか、特にやりたいと思っていないこと。

完全にもう自分で作りませんと断言はしないけど、
お客さんとしての道を究めるのもいいかなと思っている。

これがね、まだ10代とかだったら作る方も考えるのだろうけど、
32歳にもなると、躊躇するよね。何かを始めるのも、諦めるのも。

「大人になると保守的になっていく」
昔はこの言葉が好きではなかった。
いつでも前向きに新しいことに挑戦したいと思っていた。

でもその意思を貫き通せるのは、
常に新しいことにチャレンジし続けている人だけで、
そうじゃない人は、歳と共にそんな気持ちは薄れていく。

自分のやりたいこと、やれること、やってきたこと、
この3つのバランスが変わってくるからだ。
常にチャレンジし続けている人は、この3つが均等に大きくなっていくから、
いつでも何でもできる。

でも、僕のようにあまりチャレンジをしてこないと、
やってきたことばかりが大きくなり、
やれることに偏りが出て、やりたいことへのチャンスがなくなる。
でも、やってきたこととやれることを守るために、
やりたいことへの興味も薄れていく気がする。

もちろん、人間何かを始めるときに遅すぎるということはない、
というのは、この前80代でアプリを作ったおばあちゃんなんかを見ていると思うし、
それもまた真実なんだろう。
少なくとも、今の自分がそこまでできるかはわからない。

結局、自分自身も怖いのだ。
自分が特別でないこと、何もできないことを認めるのが。
いや、こうやって文字にしている時点で、認めてしまった方がいい。
(認めたからって、じゃあどうすうするってのもないけれど)

うちの家系は普通の人だ。
遺伝的に何かが優れているわけではない。
強いていうなら健康寿命が長そうだというだけで、
仕事ができたり、芸術方面に才能があったりと、
何か事を成したり、金を稼ぐことに繋がるようなものは何もない。

かといって、何かスキルを今から身に付ける気があるかというと、それもない。
今日の窪田正孝じゃないけど、「そこそこでいい」とさえ思ってしまう。

みんながみんなそうではないだろうけど、
コンプレックスをバネにできる人は伸びるというが、
僕はコンプレックスがあってもそれをバネにはできないタイプだ。
とりあえず凹む。凹んで忘れる。
だから、「ああなりたい」という願望や執念がない。
好きなものに囲まれていればそれでいいと思っているし、
今それがある程度叶っているから、現状満足してしまっているのだ。
もちろん、それが悪いこととは思わないが、
ただ、その程度の人間にしかならないというのは理解している。

昔からそんなに高みを目指すタイプではなかったので、
別にこれはこれでいいと思っている。
これは家庭環境(親はのほほんとした放任主義者)や
性格の遺伝的な要素もあるだろう。

本当にこれでいいのかってちょっと前までは思ってた。
でも今は、これでもいいやっていう半ば諦めの気持ちも出てしまっている。

小池一夫さんの言葉で、
--------------------------------------------------
10代で頑張れなかったら、20代で頑張ればいい。
20代で頑張れなければ、30代で頑張ればいい。
何十代から頑張ってもいいのだ。
そうすれば、行きたかった場所には行けないかもしれないが、
行くべきところにはたどり着けるだろう。
--------------------------------------------------
というのがあるけど、これはなるようになるってことだと思い、
一瞬安心しそうになるけど、
最後の、「行きたかった場所には行けないかもしれないが」
っていうところがどうも引っかかるんよね。

これで自分に行きたかった場所がどこなのか明確ならいいんだけど。
僕は、うまくいかなかったときの保険を考えているせいか、
あまり物事をはっきり決めないところがあって、
結果、「行くべきところにはたどり着く」人生になっているものの、
なんか、こう、負けた感がして、ちょっとなんか、嫌。

ずっと決めずに生きてきたせいで、今さら決めるのは難しい。
アリとキリギリスが、短期的目標と長期的目標の話で、
どっちが悪いという話ではない、っていうなんかのブログじゃないけど、
僕自身も長期的な目標を決めるのは得意ではないから、
とりあえずは目の前にあることを全力でひとつずつやっていくしかないよね。
って、これ何年か前も同じ結論にして、同じ悩みを抱えているから、
このやり方だとまた同じ悩みにぶち当たるのか。
まあでもとりあえず、好きなことは究め続けていきたい。

あと、もし子供ができたらの話だけど、忘れないうちに書いておく。

人間は歳と共に硬くなっていくゴムの入れ物みたいなものだと思っていて。
若い頃は柔らかいからいくらでも伸ばすことができる。
知識欲とか好奇心とかでどんどん中身が増えるし、
それに伴いどんどん入れ物も伸び広がる。
だから、ある程度は無理矢理にでも詰め込むことは大事だと思う。

そうしてビヨンビヨンに伸ばしておけば、
歳とってから学ぶ姿勢が衰えて伸びなくなっても、
再び何かをたくさん入れることもできるし、
そもそもの中身のストックも多い。

そうじゃないと、入れ物が小さいまま、
ゴムが硬質化してきて伸びないから入る限界が小さくなってしまう。
小さい頃から、いろんなことに触れさせてあげたいとは思う。

そうすれば、こういう悩みにはぶち当たらないかもしれないから。

自分のこと:ようやくやりたかったことが見つかったように思えた

2017年07月19日 00時08分07秒 | Weblog
さて、ゲームというかRPGを作るならプランナーかなと思っていたという話はした。

社会人2年目ぐらいのとき。
小・中の同級生であるIくんの大学時代の同期が
スクウェア・エニックスで働いているという。
興味があるなら話を聞いてみないか、ということで、
3人ぐらい連れてきてもらい、飲んだことがあった。

うち2人はエンジニアだったので、あまり話の参考にはならなかった。
ただ、ゲームを作りたいならRPGツクールとかで自分で作ってみたら、
どういうことが必要かわかるかもよ、と言われた。

実は、高校生のとき、一度チャレンジしたことがあった。
ざっくりと物語を作って、魔法を作って、モンスターも作って、、、
でもマップを作るのがめんどくさくて、途中でやめてしまった。
もう完全にダメなのだけど(笑)

でもそのとき一番楽しかったのはセリフを考えたり、
物語を決めたりするシナリオに関わる部分だったので、
プランナーならそういうことができると思っていた。

そして、その飲み会にいて、その後も関係が続くSくんが
まさに『FFXI』のプランナーをしているというから、
具体的にどんなことをしているのかと聞いたら、
バトルに関するプランニングをしていると言っていた。

「?」

正直、僕は拍子抜けだった。
ゲームのアイディアを出すのがプランナーだと思っていた。
それは、こんな世界観のRPGで、こんなキャラがいて、こんなセリフをしゃべって、
というようなことを考えることだと思っていた。
バトルとか別に興味ない、、、そのときは心の中でそう思っていた。

登場人物が何を考え、どう行動するのかを考える。
これはプランナーではなく、むしろシナリオライターではないかと思った。

家に帰って、シナリオライターについていろいろ調べた。
つまり、脚本家だ。
これは映画やドラマの物語も考える職種である。
どうやら、書き方を教えてくれるらしい。
青山にシナリオセンターというところがある。
月謝もそんなに高くない。
行ってみよう。

気づいたら、青山のシナリオセンターで、
ドラマの脚本の勉強をしていた。

RPGを作りたいと思っていたはずだけど、
よくよく考えてみたら、もともとは映画やドラマの延長でのことだったので、
物語が作れればなんでもよかったのかもしれない。

毎週土曜日に行って、講義を受け、課題をもらい、
それを次の週までに書いて持っていく。
最初は4月病的なものもあり、毎週律儀にこなしていた。
このペースで行けば2年もあれば基礎講座→本科→研修科と進み卒業できた。

これまでの人生、
最後まで何かを作ったことがない中で、これもそれなりの苦行ではあった。
でも自分の書いた作品に対して、講評をもらえるのはうれしかったし、
何よりも書くのは楽しかった。そう、本科までは。

途中からやっぱり辛くなってしまった。
まず、ネタがなかなか思いつかない。
思いついても何かのパクリみたいになってしまう。
そして、出来上がったものを見てみると、
最初に頭に思い浮かべたものと違うものになっている。

もっと読みやすくて面白いものが作りたいと思ったが、
なかなかそれを生み出すのは難しかった。
本科をクリアし、研修科に進んでちょっとしてから、
通う頻度がだんだん減っていった。

基礎講座のときは毎週だったが、本科から研修科へと進むうち、
隔週になり、月1になり、3ヶ月に1度になった。
でも卒業だけはしたかったので、最後まで何とかやり通して、
結局5年かけて卒業した。

ここに来る前は、シナリオセンターで勉強して脚本家になるきっかけを作ろうと思っていた。
でも現実はそう簡単ではなかった。
そもそも、よい作品が書けないのだ。
これは致命的だ。

原因はいくつか考えられるが、
まず僕自身が読書をまったくしないため、
文章を書く能力が圧倒的に劣っていたのがある。
さらに、シナリオセンターに通っていた2009年~2014年、
僕はかつてあんなに見まくっていたテレビをほとんど見ずに、
ゲームばかりをやっていたため、ドラマというものからだいぶ離れ、
感覚をつかみきれていなかった。

もちろん努力で補える部分もあったと思う。
でも結局は「めんどくさい」という言葉でその努力を実行しなかった。
やっぱり僕は作ることには向いていなかったのだと思う。

研修科を卒業した後、「そのうち気が向いたら書こう」と思って、
2017年7月現在、あれから一文たりとも脚本は書いていない。
めんどくさいというのもあるかもしれないが、
書きたいというものがないのだ。
世の中に伝えたいことがない。
そして、そもそも他人に興味がないから、
物語を紡ぐ上で一番大事な「キャラクター」が書けない。

別に脚本を書くことを完全に諦めたわけではない。
けれど、『重版出来!』というドラマでのムロツヨシの役どころが、
ものすごく自分と重なるところがあって共感してしまった。

彼は漫画家を目指し、新人賞を獲得するも、そのあとはうまくいかず、
かといって漫画業界を離れる覚悟もできず、万年アシスタントでいて、
後から入ってきた若手の永山絢斗に追い抜かれるハメになってしまう。

そのとき彼は泣きながら「自分が特別でないことを認めるのが怖かった」

と言っていた。
僕自身も自分を特別だと思ったことはないけれど、
何か面白いものを書き上げてしまうんじゃないかという変な自信はあった。
でもそんなものは今は昔。
結局、書き上げる覚悟もないのであれば、
このまま自分で物語を作ることなど夢見ずに、
ただのお客さんでいた方がいいのかもしれない。

今後どうしたいかは、次のエントリーで書く。

自分のこと:自分で何かを作ろうとしたか

2017年07月18日 20時49分11秒 | Weblog
自分で何かを作ることは好きだったのか。

母親いわく、好きだったとのこと。
特に絵を描いたり、何かを塗ったりということが好きで、
オリジナルのものもたくさん描いていたそうだ。
確かに小さい頃は何かと絵を描き、壁に貼っていた。

ここでも文章ではなく、やっぱり目にイメージとして飛び込んでくる絵なのか、と。
まあでも子供の頃ってみんな絵を描くのが好きだから、
これも特別自分がどうというよりは、一般の子供の行動のひとつとして、ということだろう。

オリジナルではないが、レゴでもよく遊んでいた。
当時あった「街シリーズ」というものを買い集めては、
自分で街を作っていたと思う。
積み木でも遊んだし、ガンプラやミニ四駆などもやった。
一通り、手を動かして作ることはやったと思う。

ただ、先のエントリーでも書いた、
映画やドラマ、RPGに関係することを何かしていたかというと、
これはほとんどやっていない。
単純に、自分で遊ぶ方を優先していたからだ。
遊ぶ方が楽しかった。
それでいうと先のレゴやガンプラだって、
作ることが楽しかったというよりは、
遊ぶために作っていたというだけだ。
オリジナルで何かを作りたいという願望はなく、
ただただ、お客さんとして遊ぶことが好きだった。

小5ぐらいから将来はゲームクリエイターになりたいと考えていた。
映画やドラマも好きで見ていたが、
やっぱりスクウェアのRPGが一番面白かったので、
将来は自分の好きなことを仕事にしたいと考えたのだろう。
その想いはその後もずっと続いた。

しかし、どんなゲームを作りたいのか、
自分はゲーム作りの中でどういう役割を担いたいのか、
そんなことは一切考えていなかった。
ただ『ファイナルファンタジー』や『クロノ・トリガー』を作りたいと思っていた。
今思えば、それを作りたいのであって、
新しくオリジナルで何かを作りたいわけではなかったのかもしれない。
現に自分の中にオリジナルのアイディアはなかった。
頭にいるのはティナであり、クロノであった。

中1のときに教育実習生に来ていた先生(実は小5のときも来ていた人)に
「ゲームクリエイターになりたいなら数学ができなきゃダメだよ」
と言われてショックを受けたことを覚えている。
昔から算数や数学がまったくできなかったからだ。

でもそれはプログラマーになる場合であって、
自分は絵も描けないからデザイナーにもなれず、
やるならどんなゲームを作るかを企画するプランナーかなと
なんとなく思うようにはなっていた。

中3のときの卒業研究でCGを研究テーマにし、
学校で買ってもらった「アニメーションマスター」というCG作成ソフトを
同級生のIくんといっしょになっていじっていたが、
もともと絵も描けず、ワイヤーフレームも理解できず、
さらに誰も教えてくれる人もいなかったので、
とりあえず解説書を読みながら何か月かいじっていたけれど、
球体がひとつ作れるか作れないかぐらいで、
FFのようなCGには到底たどり着くことは無理だと思った。
当時は『FFⅧ』の圧倒的な美麗CGが世の度肝を抜いており、
そういうのを作りたいという願望もあったにはあったが、
そこにたどり着くまでの膨大な労力を考えてすぐに断念してしまった。

このことからも、プログラマーやデザイナーなどの手に職系ではなく、
やっぱり企画を出すプランナーしかないなと思っていた。

また、当時はテレビ東京で『D's Garage21』という
ゲームやCGの企画や作品を募集する番組もやっており、
CG作成の参考にもしてみたが、レベルが高すぎて無理だった。

ゲームの企画書はいくつか考えたものの、
最後まで行きつくことができず、結局出しはしなかった。
しかし、そのとき自分が思いついたものとまったく同じものが番組に出され、
確か製品化までしたのかな、、、ということもあり、
出したもん勝ちであるということも同時に学んだりもした。

高校生になってもゲームクリエイターになりたいとは思っており、
2年生のとき、ヒューマンアカデミーのゲームクリエイター体験講座にも参加した。
キャラクターを描いたり、シナリオを書いたりといったことを学び、
これはこれで楽しかったのだが、
いっしょにいた人がいわゆるオタク系の人だったということもあり、
こういう人種しか同級生にいないとなると、ちょっとキツイなと感じたのも事実。

将来、ゲームクリエイター以外の道を考えたとき、
専門学校だと選択肢が狭まることを危惧し、
また、小・中が国立でみんな頭よかったというのもあって、
結局、進路を決めるときには、潰しが効く普通の四年制大学を選んだ。
いわゆる安定志向でしかなかったのかもしれない。

一年の浪人期間を経て、大学入学が決まったとき、
Iくんと何か作ろうという話になり、アイディアを持ち寄ったりもした。
簡単に世界観の設定をいくつか作ったけれど、実現はしなかったし、
多分僕もIくんも本気で実現させようとは思っていなかったと思う。

思えば小1ぐらいのときに当時流行っていた
『天才えりちゃん金魚を食べた』という本の作者が自分と同い年ぐらいと聞いて、
当時1歳だった妹をモチーフに丸パクリした本を書こうとしたけど、
何ページか書いてすぐに飽きてしまった。
先の展開がまったく思いつかなかったのだ。

また、中2のとき、『FFⅧ』のエロ小説、、、
というより何行かエロい文章を書いたことがあったけど、
それもあとの展開が思いつかず、すぐにやめてしまった。

結局、何かに触発されて、作ろうとしたことはあったのだ。
過去何回も。
ただ、最後まで行ったことが一度もなかった。
当然、僕の頭がよくないため、展開が思いつかなかったというのもあるだろう。
でも一番のダメポイントは、そういう壁にぶつかったときに、
すぐにめんどくさくなってやめてしまう性格がある。
母親いわく、昔はいろいろ絵を描いたりしていたのに、
中学生ぐらいから「めんどくさい」と言ってやらなくなってしまったとのこと。
当時、何があったのかは覚えていないけれど、
おそらくもっといろいろ簡単にできるんだと思っていたのだ。
でも、実際はそうではなかった。
それなりの苦労が必要だとわかったのだ。

僕が憧れていたのは出来上がったものであり、
実のところ、その過程には興味がなかったのだろう。
本当に作りたいと思う人、または今作っている人たちは、
そういう困難も乗り越えて、必死になってやっているけれど、
僕にはそこまでの気力も覚悟もなかった。
もっと簡単にできると思っていたのだから。

坂口博信さんや堀井雄二さんにも憧れたが、
画面やインタビュー越しに見る彼らへの憧れであって、
必死に作っているその姿ではなかったと思う。
(まあそんな姿は見たことないんだけどw)

本気度が足りないと言えばそこまで。
ただ、興味がないことに本気になれるかというとそれもある。
自分が本当は何に興味があるのか、まだ見定めることができていなかった。
作ることにはそこまで興味がなかったのかもしれない。
ただ、それを認めたくないんだと思った。
好きだったからこそ、作りたいと思って当然だという先入観があり、
それ以外を認めたくなかったのかもしれない。

そして本当に興味があることが何なのか、
割と後になってから判明したので、
それは次のエントリーで書くことにする。

自分のこと:物語との出会い

2017年07月18日 20時25分21秒 | Weblog
たまには自分のことでも書いてみようかと思う。
別に書いたからってどうするってわけではない。
特に答えはないけど、頭の中にあることを整理する意味でも書いてみる。

ブログに自分に考えを書くのは10年ぶりぐらいだろうか。
大学生の頃はよく書いていたけど、
途中からmixiやらfacebookやらのSNSに移行したから、
こっちはほとんど放置してた。

で。

僕は映画が好きだ。ドラマも好きだ。
ゲーム、、、というよりRPGも好きだ。

いつからだろう。

映画やドラマは両親の影響もあってか、
幼稚園の頃から何かしら見ていたように思う。

とにかくテレビを見ることが好きだったから、
アニメもよく見たし、特撮ヒーローも見ていた。
近所のレンタルビデオ店に行っては、
ディズニーやドラゴンボールなどのアニメを中心に、
いろいろ借りていたように思う。

これはもうなぜ好きかと聞かれても理由が答えられないぐらい、
小さい頃から当たり前のようにやっていたことだ。
今でも友達の幼い子どもなんかは、やっぱりテレビを見るというから、
僕自身が特にそうだというよりは、一般的な子供の行動として見ていたと思う。

あえて言うなら、物語が好きだったのかもしれない。
キャラクターがいて、ストーリーがあって、夢のような世界があって、
それを追いかけることで、ここではないどこかにいることに、
心地よさを感じていたのだと思う。

ゲームは、幼稚園の頃、近所に住んでいた方から、
ファミコンとソフトを何本か譲っていただき、
遊び始めたのがそもそものスタートだ。

当時もらったソフトは、
『ドラゴンクエストⅢ』
『スーパーマリオブラザース3』
『テトリス』
の3本だったと記憶している。

当時ハマったのはマリオだ。
誰からも遊び方を教わったわけではないが、
気づいたら遊べるようになっていた。
むしろ、幼稚園の子供が何も見ずに遊べるようになるように
誰でも遊べるように作られたマリオがすごいと思うが。

テトリスもそこそこやった。

一番苦手だったのがドラクエである。
もう、本当に何をするべきなのかまったくわからなかった。
アリアハンの外に出たらモンスターに遭遇し、
気づいたら白地だったテキストがオレンジに変わり、赤になり、
やがてゲームオーバーに。
ずっとその繰り返しで、何が面白いのか理解できなかった。
このせいで、僕はRPGというものが嫌いになり、
もっぱらアクションゲームばかりをプレイするようになった。

やがてゲームボーイを買ってもらい、スーパーファミコンを買ってもらい、
ハードは徐々に増えていったものの、ジャンルはアクションがメイン。

転機が訪れたのは小学校4年生の頃。
当時仲の良かったEくんが、クラスメイトのKくんと楽しそうにゲームの話をしている。
僕はそのゲームを持っていなかったので話題に入れず、悔しい思いをした。
なので、Eくんともっと仲良くなるために買ったのが
『ファイナルファンタジーⅥ』である。

実は、それまでもFFの存在は知っていた。
仲良しのMちゃんの家に遊びに行くと、
必ず『FFⅤ』や『ロマサガ2』で遊んでいたからだ。
僕はRPGができないと思っていたのでいつも横から見ていただけだったが、
何をするべきかはなんとなくわかっていた。

そこで『FFⅥ』をプレイしたら、面白いのなんのって。
当時、絵がキレイだったから見るのも楽しかったし、
ドラクエと違い、バトル画面でも味方キャラクターが映っていたので、
今ピンチなのかどうかが一目瞭然だった。
ストーリーも面白く、生まれて初めて親との「1日1時間」という約束を破ったゲームだった。

それ以降、僕はスクウェアのRPG作品にのめり込んでいき、
ゲームと言えばそれしかやらなかった。
これもキャラがいて、ストーリーを追っていくという行為が好きで、
あくまでも映画やドラマの延長だったと、今振り返って思う。

そして、自分でも不思議なのだが、昔から本はほとんど読まなかった。
小さい頃、母親に絵本を読んでもらうのは大好きだったのに。
どうも自分で活字を読むという行為が好きではなかったようだ。
映像として、目に飛び込んでくるものが好きだった。
(そのせいで文章の読解力や執筆力が低いのだがwww)

漫画はそれなりに読んでいたけど、多分一般人レベル。
そんなにたくさんは読んでいない。
やっぱり、映画、ドラマ、RPGだったのだ。

ここまで好きなら、当然ある考えが浮かんで来る。
「自分で作ろうと思わなかったのか」、だ。

長くなりそうなので、
それは、次のエントリーにしようと思う。

約6年ぶり

2015年06月24日 13時50分58秒 | Weblog
たまたま、自分のYahoo!JAPAN IDを検索窓に入れてみたら、
過去のこのブログが出てきて、、、恥ずかしいですね。

mixiやfacebookへと移行し、このブログは6年間ずっと放置。
IDとパスワードは奇跡的に覚えていましたが、
改めて中を見てみると、、、くだらない支離滅裂な内容で。。。

クッソ恥ずかしい。。。