Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

ここにきて『過保護のカホコ』が一番面白いかもしれない

2017年07月31日 23時05分27秒 | ドラマ


タイトルの通りである。
まさかだったけど、ここにきて『過保護のカホコ』が一番面白いかもしれない、
と思い始めたのだ。
特に前回の第3話、この流れが大きかった。


個人的には、ドラマの面白さは「変化の過程」にあるように思う。
主人公の成長だったり、喜劇で始まったものが悲劇に変わるといった空気の変化だったり。
(これはドラマに限らず、映画やRPGなどあらゆる物語に言えるかも)

それでいうとカホコはその変化が誰が見てもわかりやすい。
母親に依存してなにひとつ自分で決められなかった彼女が、
竹内涼真との交流を通じて自主性を身につけて行くからだ。
1話ごとに彼女は母親の束縛を断ち切り、
自ら選択する意思を手に入れて行く。
このわかりやすい成長は見ている方にも、
「次どうなるのか」という期待を持たせてくれる。

そしてこのドラマは、
第1話の時点でイラつくところが多かったのもポイントだと思う(笑)
カホコの自分で決められない性格、
自分の考えを娘に押し付ける母親、
何も言えない父親、
なにかとすぐ集まる親戚たち。
見ただけで「この家庭環境は無理w」と思ったけれど、
このイライラポイントがどう変わっていくのかも楽しみになる。

第3話でカホコがついに母親にプッツンし、
予告を見ると、あさっての第4話では父親が声を荒げている
(これはお決まりの父の妄想シーンかもしれないけどw)。
これまで続いてきた環境が徐々に変化してきているのだ。
カホコの生きるスタンスが変わることによって、まわりにも影響が出始めている。

さらにこの先どう展開していくのかがいい意味で読みづらい。
だから、このドラマは最終回までその著しい変化の連続を楽しめるところが素敵な気がしている。

同様に先の展開がわからない『愛してたって、秘密はある』も面白いし、
もう日テレドラマ最高だと思う(笑)

『東京喰種トーキョーグール』

2017年07月31日 00時20分27秒 | 映画


ったより面白かった!
人間と喰種の狭間にいる主人公の苦悩や葛藤と、
がっつりしたアクションが見応えあり!

コミックは読んでないけど、
食事のシーンがグチャグチャしてて、
全体的にだいぶダークな感じ(笑)

窪田正孝や蒼井優の演技がよかったんだけど、
何よりも大泉洋がよすぎた!
あんなコミカルなイメージなのに、闇感すごい。
あと窪田正孝と佐々木希が並ぶと
『THE LAST COP/ラストコップ』を思い出す(笑)

CGはややわざとらしさを感じたものの、
個人的にはアクションがしっかりしてたので満足!!
さらに決戦前にトレーニングシーンがあったのも
努力の過程が見られてよかった。
案外そういうシーンすっ飛ばして、
いきなり戦いが始まることもあるから
違和感を感じたりする(笑)

でも全体的に『寄生獣』に似ているなと思った(笑)

『君の膵臓をたべたい』

2017年07月31日 00時17分18秒 | 映画


涙腺崩壊の大号泣。。。
に、なると思っていたのだけど(笑)
なぜか涙は一粒もこぼれず(笑)

原作読んでないけど、いい話ではあった。
『セカチュー』のような2000年代の純愛ブームの映画のようで。
ゆえに先の展開は読みやすい(笑)

でも他人に興味がない身としては、主人公のスタンスは共感できる。
だからこそ、ヒロインのような存在を尊敬できる気持ちもわかる(笑)

膵臓ってシビレなんだね。
シビレおいしいよね。
でも俺はタンやハラミの方が食べたいである。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』

2017年07月27日 22時40分58秒 | 映画


「午前十時の映画祭8」にて。
この前、ようやく名作と言われる映画を観れた。
今までこのタイトルからずっと狩猟の話かと思ってたんだよ、マジで。
だから、いきなり数式出てきてびっくりしたわ(笑)

類稀なる、本当にうらやましいほどの天才的な頭脳を持ちながらも、
幼い頃の家庭環境から他人に心を開かなくなったウィル(マット・デイモン)。
そして、最愛の妻に先立たれた悲しみを抱えた
カウンセラーのショーン(ロビン・ウィリアムズ)。
この対極ともいえる2人が徐々に打ち解け、変わっていく過程が心に響いた。

個人的には、ウィルの頭のよさが素直にうらやましいと思った(笑)
あんなパパッと数学の問題解いちゃうのとか、ちょっと憧れる(笑)
でも、ショーンが
「キミの言っていることはすべて本に書いてある。キミの話ならちゃんと聞こう」
と言うシーンがあって、
頭のよさよりも人間らしさに焦点を当てているところが印象的だった。

恵まれた才能を持ちながらも、将来の展望がなく、
やりたいことが何もなかったウィルのような人は、
現実の世界にもいる気がする。
「できるのに、やらない人」というか、もったいないという人。
さすがにあんなチートレベルの頭のよさじゃなくてもね(笑)

チャッキー(ベン・アフレック)も
「おまえは当たりくじを持っている。ここにいてはいけないんだ」
とウィルをあるべき道へ行かせようとしていて、
その友情にも感動した。

てかね、若すぎ。
マット・デイモンもベン・アフレックも。
しかもこの映画の脚本、この2人が書いてるんだね。
もともとマット・デイモンもハーバード大学に行くほどの頭のよさだしな(笑)

『心が叫びたがってるんだ。』

2017年07月27日 22時27分26秒 | 映画


原作見てないけど、思ったより面白かった。
言葉によって苦い過去を背負った若者たちの青春。
言葉の大切さを改めて再認識できた気がする。
おしゃべりはイクナイ(・A・)

出し物についても、最初はミュージカル反対派が多数だったのに、
数秒で賛成派が増えたのは「はやっ!」と思ったけど、
人は心が動いたときにしか行動しないんだなというのを垣間見た瞬間でした。
メインキャスト3人の、成瀬順(芳根京子)の一生懸命さに惹かれた、
という本音がクラスのみんなの心を動かした。

この映画そのものよりも、劇中のミュージカルの方が面白そう(笑)
有名なクラシックが使われてて曲が好きだったなあ。
小中高と学芸会で演劇やったことあるけど、あれ楽しいよね。
セリフ覚えて、歌や踊りを練習して、
本番も適度な緊張の中、自分のシーンで観客から笑いが起きるとうれしいし。
みんなで夜な夜な練習するのも楽しかったなあ。
もう一度ぐらいやってみたい気も(笑)

というか、成瀬順!
本番当日に完全なる自己都合でバックれるとか、
実際にされたらクッソ迷惑だわ!
失恋ぐらいなんだよ、こんちくしょうー!(笑)

やっぱり中島健人クンは王子顔だね(笑)
ピアノのシーンは本人かな?
うまくてびっくりしたけども。
寛一郎は泣きそうなときの顔が父親の佐藤浩市を彷彿とさせる(笑)
そして芳根京子はたまに深津絵里に声が似ている気がする(笑)

『ぼくらの勇気 未満都市2017』

2017年07月22日 01時10分25秒 | ドラマ
懐かしさから始まったこのドラマ。
みんな成長してて最初はコレジャナイ感もあったけど、
やっぱり未満都市だった(笑)

あの頃、子供で失うものが何もなかったみんなも大人になった今、
突きつけられた現実とどう向き合うのか。
そんなときに現れた新たな未満チルドレン!
まさかの展開!

松潤と相葉クンは成長しすぎで、小原クンはやや老けたけど今の方がかっこよかった(笑)

ラストは、剛も光一もまさかの、、、まさかのあの名セリフ!!
どこぞのじっちゃんだよ、どこぞの二重人格者だよ!

これ昔のドラマ見てないと訳わかんないかもな(笑)
ドラマとしてよかったというより、
キンキ20周年のための盛大なプロモーションとしてよかった(笑)
ド世代だった人からしたら、たまらない(笑)

そのあとは『LOVE LOVE あいしてる 16年ぶりの復活SP』。
篠原ともえが今でもあのテンションができてすごいと思った。
でも完全に内輪ノリで、ゲストのゲスト感ゼロ(笑)

まあとりあえず、Kinki Kids、20周年おめでとう!!

http://www.ntv.co.jp/mimancity/

『カンナさーん ! 』:第1話

2017年07月21日 01時59分25秒 | ドラマ


肉厚なドラマ(笑)
とりあえず第1話だけだと、
不倫夫を追い出し、育児に奮闘する渡辺直美ってことしかわからない(笑)

想像よりは真っ当なホームコメディな気がした。
だから、これは渡辺直美じゃなくてもいいのだろうけど、
逆に真っ当なホームコメディだからこそ、
渡辺直美じゃないと務まらないのかもと思った。

他の人だったら多分これ普通すぎてつまらない。
彼女だからこそ、見応えが出ている気がする。

『僕たちがやりました』:第1話

2017年07月21日 01時57分15秒 | ドラマ


おおう、久々に荒れた高校見たわ!
怖い、不良怖い!
今日もいつボコられるのかソワソワしながら見てた(笑)

最後のデカイ爆発も、おいこれやべーなと。
来週からどうなっていくのか楽しみ。
なんだかんだで高校生は楽しそうでいいな(笑)

新田真剣佑は怖い役だけど、
目がクリッとしてるから、あまり恐怖は感じず(笑)
葉山奨之は髪型がキノコ過ぎて、
最初見たとき誰だかわかんなかったわ(笑)

窪田正孝はピンチになったら、
デスノートに書くか喰種として戦えばいいのにと思ってしまう(笑)

自分のこと:今後どうするか

2017年07月19日 00時36分28秒 | Weblog
特に何かを決めるために書いてきたわけではないけど、
一応、これまでのことをまとめておく。

・小さい頃から映画やドラマ、RPGが好きだった。
・自分でも作りたいと思い、ちょっとアクションは起こしてきたけど、
 結局めんどくさくて最後まで作り切ったことはない。
・作るよりは見たり遊んだりしている方が楽しいし、
 そっちを優先してしまう。

別に作る方が偉いとか、そういうことではない。
これはもう得手不得手というか、好き嫌いの問題もあるから、
単に自分は作り手よりも、お客さんでいることを望んでいる、
少なくともそっちの方が楽だし、優先してしまうというのはある。

前のエントリーで、めんどくさがりと言ったが、
この文章だって、前々から書こうと思ってて、
ずっと書いていなかったけど、
いざ書き始めたら、ここまで書いてしまった。

他人に興味ないとは言うけれど、普段生活している上で、
「なぜこの人はそういう判断をするのか」
「その判断をする価値基準は何がきっかけで形成されたのか」
ってのは割と興味がある。

例えば友達にヤリチンがいたとして、
なぜキミはそこまでヤリたいのか、
オナニーじゃダメなのか、
他のことに時間を使おうと思わないのか、
なぜそこまでして女性を求めるのか、
そうなってしまったきっかけは何かあるのか、
ここらへんは聞いてみたいと思う。
まあ、気恥ずかしくて聞けないけど(笑)

昨年、『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』
というドラマの予告を見て、久しぶりにこれは面白そうだと思った。
それ以来、毎クール9~10本のドラマを見ている。

映画も週に2~3本は新作映画を観ていて、
今年は100本観るのが目標である。

これらは単に趣味。好きでやっていること。
「自分で作りたいと思わないか」と聞かれたら、
今は見ているだけで充分と答えてしまう。

本当に作りたいと思ったら、作るだろう。
僕の性格上、そうすると思う。
しないということは、興味がないか、特にやりたいと思っていないこと。

完全にもう自分で作りませんと断言はしないけど、
お客さんとしての道を究めるのもいいかなと思っている。

これがね、まだ10代とかだったら作る方も考えるのだろうけど、
32歳にもなると、躊躇するよね。何かを始めるのも、諦めるのも。

「大人になると保守的になっていく」
昔はこの言葉が好きではなかった。
いつでも前向きに新しいことに挑戦したいと思っていた。

でもその意思を貫き通せるのは、
常に新しいことにチャレンジし続けている人だけで、
そうじゃない人は、歳と共にそんな気持ちは薄れていく。

自分のやりたいこと、やれること、やってきたこと、
この3つのバランスが変わってくるからだ。
常にチャレンジし続けている人は、この3つが均等に大きくなっていくから、
いつでも何でもできる。

でも、僕のようにあまりチャレンジをしてこないと、
やってきたことばかりが大きくなり、
やれることに偏りが出て、やりたいことへのチャンスがなくなる。
でも、やってきたこととやれることを守るために、
やりたいことへの興味も薄れていく気がする。

もちろん、人間何かを始めるときに遅すぎるということはない、
というのは、この前80代でアプリを作ったおばあちゃんなんかを見ていると思うし、
それもまた真実なんだろう。
少なくとも、今の自分がそこまでできるかはわからない。

結局、自分自身も怖いのだ。
自分が特別でないこと、何もできないことを認めるのが。
いや、こうやって文字にしている時点で、認めてしまった方がいい。
(認めたからって、じゃあどうすうするってのもないけれど)

うちの家系は普通の人だ。
遺伝的に何かが優れているわけではない。
強いていうなら健康寿命が長そうだというだけで、
仕事ができたり、芸術方面に才能があったりと、
何か事を成したり、金を稼ぐことに繋がるようなものは何もない。

かといって、何かスキルを今から身に付ける気があるかというと、それもない。
今日の窪田正孝じゃないけど、「そこそこでいい」とさえ思ってしまう。

みんながみんなそうではないだろうけど、
コンプレックスをバネにできる人は伸びるというが、
僕はコンプレックスがあってもそれをバネにはできないタイプだ。
とりあえず凹む。凹んで忘れる。
だから、「ああなりたい」という願望や執念がない。
好きなものに囲まれていればそれでいいと思っているし、
今それがある程度叶っているから、現状満足してしまっているのだ。
もちろん、それが悪いこととは思わないが、
ただ、その程度の人間にしかならないというのは理解している。

昔からそんなに高みを目指すタイプではなかったので、
別にこれはこれでいいと思っている。
これは家庭環境(親はのほほんとした放任主義者)や
性格の遺伝的な要素もあるだろう。

本当にこれでいいのかってちょっと前までは思ってた。
でも今は、これでもいいやっていう半ば諦めの気持ちも出てしまっている。

小池一夫さんの言葉で、
--------------------------------------------------
10代で頑張れなかったら、20代で頑張ればいい。
20代で頑張れなければ、30代で頑張ればいい。
何十代から頑張ってもいいのだ。
そうすれば、行きたかった場所には行けないかもしれないが、
行くべきところにはたどり着けるだろう。
--------------------------------------------------
というのがあるけど、これはなるようになるってことだと思い、
一瞬安心しそうになるけど、
最後の、「行きたかった場所には行けないかもしれないが」
っていうところがどうも引っかかるんよね。

これで自分に行きたかった場所がどこなのか明確ならいいんだけど。
僕は、うまくいかなかったときの保険を考えているせいか、
あまり物事をはっきり決めないところがあって、
結果、「行くべきところにはたどり着く」人生になっているものの、
なんか、こう、負けた感がして、ちょっとなんか、嫌。

ずっと決めずに生きてきたせいで、今さら決めるのは難しい。
アリとキリギリスが、短期的目標と長期的目標の話で、
どっちが悪いという話ではない、っていうなんかのブログじゃないけど、
僕自身も長期的な目標を決めるのは得意ではないから、
とりあえずは目の前にあることを全力でひとつずつやっていくしかないよね。
って、これ何年か前も同じ結論にして、同じ悩みを抱えているから、
このやり方だとまた同じ悩みにぶち当たるのか。
まあでもとりあえず、好きなことは究め続けていきたい。

あと、もし子供ができたらの話だけど、忘れないうちに書いておく。

人間は歳と共に硬くなっていくゴムの入れ物みたいなものだと思っていて。
若い頃は柔らかいからいくらでも伸ばすことができる。
知識欲とか好奇心とかでどんどん中身が増えるし、
それに伴いどんどん入れ物も伸び広がる。
だから、ある程度は無理矢理にでも詰め込むことは大事だと思う。

そうしてビヨンビヨンに伸ばしておけば、
歳とってから学ぶ姿勢が衰えて伸びなくなっても、
再び何かをたくさん入れることもできるし、
そもそもの中身のストックも多い。

そうじゃないと、入れ物が小さいまま、
ゴムが硬質化してきて伸びないから入る限界が小さくなってしまう。
小さい頃から、いろんなことに触れさせてあげたいとは思う。

そうすれば、こういう悩みにはぶち当たらないかもしれないから。

自分のこと:ようやくやりたかったことが見つかったように思えた

2017年07月19日 00時08分07秒 | Weblog
さて、ゲームというかRPGを作るならプランナーかなと思っていたという話はした。

社会人2年目ぐらいのとき。
小・中の同級生であるIくんの大学時代の同期が
スクウェア・エニックスで働いているという。
興味があるなら話を聞いてみないか、ということで、
3人ぐらい連れてきてもらい、飲んだことがあった。

うち2人はエンジニアだったので、あまり話の参考にはならなかった。
ただ、ゲームを作りたいならRPGツクールとかで自分で作ってみたら、
どういうことが必要かわかるかもよ、と言われた。

実は、高校生のとき、一度チャレンジしたことがあった。
ざっくりと物語を作って、魔法を作って、モンスターも作って、、、
でもマップを作るのがめんどくさくて、途中でやめてしまった。
もう完全にダメなのだけど(笑)

でもそのとき一番楽しかったのはセリフを考えたり、
物語を決めたりするシナリオに関わる部分だったので、
プランナーならそういうことができると思っていた。

そして、その飲み会にいて、その後も関係が続くSくんが
まさに『FFXI』のプランナーをしているというから、
具体的にどんなことをしているのかと聞いたら、
バトルに関するプランニングをしていると言っていた。

「?」

正直、僕は拍子抜けだった。
ゲームのアイディアを出すのがプランナーだと思っていた。
それは、こんな世界観のRPGで、こんなキャラがいて、こんなセリフをしゃべって、
というようなことを考えることだと思っていた。
バトルとか別に興味ない、、、そのときは心の中でそう思っていた。

登場人物が何を考え、どう行動するのかを考える。
これはプランナーではなく、むしろシナリオライターではないかと思った。

家に帰って、シナリオライターについていろいろ調べた。
つまり、脚本家だ。
これは映画やドラマの物語も考える職種である。
どうやら、書き方を教えてくれるらしい。
青山にシナリオセンターというところがある。
月謝もそんなに高くない。
行ってみよう。

気づいたら、青山のシナリオセンターで、
ドラマの脚本の勉強をしていた。

RPGを作りたいと思っていたはずだけど、
よくよく考えてみたら、もともとは映画やドラマの延長でのことだったので、
物語が作れればなんでもよかったのかもしれない。

毎週土曜日に行って、講義を受け、課題をもらい、
それを次の週までに書いて持っていく。
最初は4月病的なものもあり、毎週律儀にこなしていた。
このペースで行けば2年もあれば基礎講座→本科→研修科と進み卒業できた。

これまでの人生、
最後まで何かを作ったことがない中で、これもそれなりの苦行ではあった。
でも自分の書いた作品に対して、講評をもらえるのはうれしかったし、
何よりも書くのは楽しかった。そう、本科までは。

途中からやっぱり辛くなってしまった。
まず、ネタがなかなか思いつかない。
思いついても何かのパクリみたいになってしまう。
そして、出来上がったものを見てみると、
最初に頭に思い浮かべたものと違うものになっている。

もっと読みやすくて面白いものが作りたいと思ったが、
なかなかそれを生み出すのは難しかった。
本科をクリアし、研修科に進んでちょっとしてから、
通う頻度がだんだん減っていった。

基礎講座のときは毎週だったが、本科から研修科へと進むうち、
隔週になり、月1になり、3ヶ月に1度になった。
でも卒業だけはしたかったので、最後まで何とかやり通して、
結局5年かけて卒業した。

ここに来る前は、シナリオセンターで勉強して脚本家になるきっかけを作ろうと思っていた。
でも現実はそう簡単ではなかった。
そもそも、よい作品が書けないのだ。
これは致命的だ。

原因はいくつか考えられるが、
まず僕自身が読書をまったくしないため、
文章を書く能力が圧倒的に劣っていたのがある。
さらに、シナリオセンターに通っていた2009年~2014年、
僕はかつてあんなに見まくっていたテレビをほとんど見ずに、
ゲームばかりをやっていたため、ドラマというものからだいぶ離れ、
感覚をつかみきれていなかった。

もちろん努力で補える部分もあったと思う。
でも結局は「めんどくさい」という言葉でその努力を実行しなかった。
やっぱり僕は作ることには向いていなかったのだと思う。

研修科を卒業した後、「そのうち気が向いたら書こう」と思って、
2017年7月現在、あれから一文たりとも脚本は書いていない。
めんどくさいというのもあるかもしれないが、
書きたいというものがないのだ。
世の中に伝えたいことがない。
そして、そもそも他人に興味がないから、
物語を紡ぐ上で一番大事な「キャラクター」が書けない。

別に脚本を書くことを完全に諦めたわけではない。
けれど、『重版出来!』というドラマでのムロツヨシの役どころが、
ものすごく自分と重なるところがあって共感してしまった。

彼は漫画家を目指し、新人賞を獲得するも、そのあとはうまくいかず、
かといって漫画業界を離れる覚悟もできず、万年アシスタントでいて、
後から入ってきた若手の永山絢斗に追い抜かれるハメになってしまう。

そのとき彼は泣きながら「自分が特別でないことを認めるのが怖かった」

と言っていた。
僕自身も自分を特別だと思ったことはないけれど、
何か面白いものを書き上げてしまうんじゃないかという変な自信はあった。
でもそんなものは今は昔。
結局、書き上げる覚悟もないのであれば、
このまま自分で物語を作ることなど夢見ずに、
ただのお客さんでいた方がいいのかもしれない。

今後どうしたいかは、次のエントリーで書く。

自分のこと:自分で何かを作ろうとしたか

2017年07月18日 20時49分11秒 | Weblog
自分で何かを作ることは好きだったのか。

母親いわく、好きだったとのこと。
特に絵を描いたり、何かを塗ったりということが好きで、
オリジナルのものもたくさん描いていたそうだ。
確かに小さい頃は何かと絵を描き、壁に貼っていた。

ここでも文章ではなく、やっぱり目にイメージとして飛び込んでくる絵なのか、と。
まあでも子供の頃ってみんな絵を描くのが好きだから、
これも特別自分がどうというよりは、一般の子供の行動のひとつとして、ということだろう。

オリジナルではないが、レゴでもよく遊んでいた。
当時あった「街シリーズ」というものを買い集めては、
自分で街を作っていたと思う。
積み木でも遊んだし、ガンプラやミニ四駆などもやった。
一通り、手を動かして作ることはやったと思う。

ただ、先のエントリーでも書いた、
映画やドラマ、RPGに関係することを何かしていたかというと、
これはほとんどやっていない。
単純に、自分で遊ぶ方を優先していたからだ。
遊ぶ方が楽しかった。
それでいうと先のレゴやガンプラだって、
作ることが楽しかったというよりは、
遊ぶために作っていたというだけだ。
オリジナルで何かを作りたいという願望はなく、
ただただ、お客さんとして遊ぶことが好きだった。

小5ぐらいから将来はゲームクリエイターになりたいと考えていた。
映画やドラマも好きで見ていたが、
やっぱりスクウェアのRPGが一番面白かったので、
将来は自分の好きなことを仕事にしたいと考えたのだろう。
その想いはその後もずっと続いた。

しかし、どんなゲームを作りたいのか、
自分はゲーム作りの中でどういう役割を担いたいのか、
そんなことは一切考えていなかった。
ただ『ファイナルファンタジー』や『クロノ・トリガー』を作りたいと思っていた。
今思えば、それを作りたいのであって、
新しくオリジナルで何かを作りたいわけではなかったのかもしれない。
現に自分の中にオリジナルのアイディアはなかった。
頭にいるのはティナであり、クロノであった。

中1のときに教育実習生に来ていた先生(実は小5のときも来ていた人)に
「ゲームクリエイターになりたいなら数学ができなきゃダメだよ」
と言われてショックを受けたことを覚えている。
昔から算数や数学がまったくできなかったからだ。

でもそれはプログラマーになる場合であって、
自分は絵も描けないからデザイナーにもなれず、
やるならどんなゲームを作るかを企画するプランナーかなと
なんとなく思うようにはなっていた。

中3のときの卒業研究でCGを研究テーマにし、
学校で買ってもらった「アニメーションマスター」というCG作成ソフトを
同級生のIくんといっしょになっていじっていたが、
もともと絵も描けず、ワイヤーフレームも理解できず、
さらに誰も教えてくれる人もいなかったので、
とりあえず解説書を読みながら何か月かいじっていたけれど、
球体がひとつ作れるか作れないかぐらいで、
FFのようなCGには到底たどり着くことは無理だと思った。
当時は『FFⅧ』の圧倒的な美麗CGが世の度肝を抜いており、
そういうのを作りたいという願望もあったにはあったが、
そこにたどり着くまでの膨大な労力を考えてすぐに断念してしまった。

このことからも、プログラマーやデザイナーなどの手に職系ではなく、
やっぱり企画を出すプランナーしかないなと思っていた。

また、当時はテレビ東京で『D's Garage21』という
ゲームやCGの企画や作品を募集する番組もやっており、
CG作成の参考にもしてみたが、レベルが高すぎて無理だった。

ゲームの企画書はいくつか考えたものの、
最後まで行きつくことができず、結局出しはしなかった。
しかし、そのとき自分が思いついたものとまったく同じものが番組に出され、
確か製品化までしたのかな、、、ということもあり、
出したもん勝ちであるということも同時に学んだりもした。

高校生になってもゲームクリエイターになりたいとは思っており、
2年生のとき、ヒューマンアカデミーのゲームクリエイター体験講座にも参加した。
キャラクターを描いたり、シナリオを書いたりといったことを学び、
これはこれで楽しかったのだが、
いっしょにいた人がいわゆるオタク系の人だったということもあり、
こういう人種しか同級生にいないとなると、ちょっとキツイなと感じたのも事実。

将来、ゲームクリエイター以外の道を考えたとき、
専門学校だと選択肢が狭まることを危惧し、
また、小・中が国立でみんな頭よかったというのもあって、
結局、進路を決めるときには、潰しが効く普通の四年制大学を選んだ。
いわゆる安定志向でしかなかったのかもしれない。

一年の浪人期間を経て、大学入学が決まったとき、
Iくんと何か作ろうという話になり、アイディアを持ち寄ったりもした。
簡単に世界観の設定をいくつか作ったけれど、実現はしなかったし、
多分僕もIくんも本気で実現させようとは思っていなかったと思う。

思えば小1ぐらいのときに当時流行っていた
『天才えりちゃん金魚を食べた』という本の作者が自分と同い年ぐらいと聞いて、
当時1歳だった妹をモチーフに丸パクリした本を書こうとしたけど、
何ページか書いてすぐに飽きてしまった。
先の展開がまったく思いつかなかったのだ。

また、中2のとき、『FFⅧ』のエロ小説、、、
というより何行かエロい文章を書いたことがあったけど、
それもあとの展開が思いつかず、すぐにやめてしまった。

結局、何かに触発されて、作ろうとしたことはあったのだ。
過去何回も。
ただ、最後まで行ったことが一度もなかった。
当然、僕の頭がよくないため、展開が思いつかなかったというのもあるだろう。
でも一番のダメポイントは、そういう壁にぶつかったときに、
すぐにめんどくさくなってやめてしまう性格がある。
母親いわく、昔はいろいろ絵を描いたりしていたのに、
中学生ぐらいから「めんどくさい」と言ってやらなくなってしまったとのこと。
当時、何があったのかは覚えていないけれど、
おそらくもっといろいろ簡単にできるんだと思っていたのだ。
でも、実際はそうではなかった。
それなりの苦労が必要だとわかったのだ。

僕が憧れていたのは出来上がったものであり、
実のところ、その過程には興味がなかったのだろう。
本当に作りたいと思う人、または今作っている人たちは、
そういう困難も乗り越えて、必死になってやっているけれど、
僕にはそこまでの気力も覚悟もなかった。
もっと簡単にできると思っていたのだから。

坂口博信さんや堀井雄二さんにも憧れたが、
画面やインタビュー越しに見る彼らへの憧れであって、
必死に作っているその姿ではなかったと思う。
(まあそんな姿は見たことないんだけどw)

本気度が足りないと言えばそこまで。
ただ、興味がないことに本気になれるかというとそれもある。
自分が本当は何に興味があるのか、まだ見定めることができていなかった。
作ることにはそこまで興味がなかったのかもしれない。
ただ、それを認めたくないんだと思った。
好きだったからこそ、作りたいと思って当然だという先入観があり、
それ以外を認めたくなかったのかもしれない。

そして本当に興味があることが何なのか、
割と後になってから判明したので、
それは次のエントリーで書くことにする。

自分のこと:物語との出会い

2017年07月18日 20時25分21秒 | Weblog
たまには自分のことでも書いてみようかと思う。
別に書いたからってどうするってわけではない。
特に答えはないけど、頭の中にあることを整理する意味でも書いてみる。

ブログに自分に考えを書くのは10年ぶりぐらいだろうか。
大学生の頃はよく書いていたけど、
途中からmixiやらfacebookやらのSNSに移行したから、
こっちはほとんど放置してた。

で。

僕は映画が好きだ。ドラマも好きだ。
ゲーム、、、というよりRPGも好きだ。

いつからだろう。

映画やドラマは両親の影響もあってか、
幼稚園の頃から何かしら見ていたように思う。

とにかくテレビを見ることが好きだったから、
アニメもよく見たし、特撮ヒーローも見ていた。
近所のレンタルビデオ店に行っては、
ディズニーやドラゴンボールなどのアニメを中心に、
いろいろ借りていたように思う。

これはもうなぜ好きかと聞かれても理由が答えられないぐらい、
小さい頃から当たり前のようにやっていたことだ。
今でも友達の幼い子どもなんかは、やっぱりテレビを見るというから、
僕自身が特にそうだというよりは、一般的な子供の行動として見ていたと思う。

あえて言うなら、物語が好きだったのかもしれない。
キャラクターがいて、ストーリーがあって、夢のような世界があって、
それを追いかけることで、ここではないどこかにいることに、
心地よさを感じていたのだと思う。

ゲームは、幼稚園の頃、近所に住んでいた方から、
ファミコンとソフトを何本か譲っていただき、
遊び始めたのがそもそものスタートだ。

当時もらったソフトは、
『ドラゴンクエストⅢ』
『スーパーマリオブラザース3』
『テトリス』
の3本だったと記憶している。

当時ハマったのはマリオだ。
誰からも遊び方を教わったわけではないが、
気づいたら遊べるようになっていた。
むしろ、幼稚園の子供が何も見ずに遊べるようになるように
誰でも遊べるように作られたマリオがすごいと思うが。

テトリスもそこそこやった。

一番苦手だったのがドラクエである。
もう、本当に何をするべきなのかまったくわからなかった。
アリアハンの外に出たらモンスターに遭遇し、
気づいたら白地だったテキストがオレンジに変わり、赤になり、
やがてゲームオーバーに。
ずっとその繰り返しで、何が面白いのか理解できなかった。
このせいで、僕はRPGというものが嫌いになり、
もっぱらアクションゲームばかりをプレイするようになった。

やがてゲームボーイを買ってもらい、スーパーファミコンを買ってもらい、
ハードは徐々に増えていったものの、ジャンルはアクションがメイン。

転機が訪れたのは小学校4年生の頃。
当時仲の良かったEくんが、クラスメイトのKくんと楽しそうにゲームの話をしている。
僕はそのゲームを持っていなかったので話題に入れず、悔しい思いをした。
なので、Eくんともっと仲良くなるために買ったのが
『ファイナルファンタジーⅥ』である。

実は、それまでもFFの存在は知っていた。
仲良しのMちゃんの家に遊びに行くと、
必ず『FFⅤ』や『ロマサガ2』で遊んでいたからだ。
僕はRPGができないと思っていたのでいつも横から見ていただけだったが、
何をするべきかはなんとなくわかっていた。

そこで『FFⅥ』をプレイしたら、面白いのなんのって。
当時、絵がキレイだったから見るのも楽しかったし、
ドラクエと違い、バトル画面でも味方キャラクターが映っていたので、
今ピンチなのかどうかが一目瞭然だった。
ストーリーも面白く、生まれて初めて親との「1日1時間」という約束を破ったゲームだった。

それ以降、僕はスクウェアのRPG作品にのめり込んでいき、
ゲームと言えばそれしかやらなかった。
これもキャラがいて、ストーリーを追っていくという行為が好きで、
あくまでも映画やドラマの延長だったと、今振り返って思う。

そして、自分でも不思議なのだが、昔から本はほとんど読まなかった。
小さい頃、母親に絵本を読んでもらうのは大好きだったのに。
どうも自分で活字を読むという行為が好きではなかったようだ。
映像として、目に飛び込んでくるものが好きだった。
(そのせいで文章の読解力や執筆力が低いのだがwww)

漫画はそれなりに読んでいたけど、多分一般人レベル。
そんなにたくさんは読んでいない。
やっぱり、映画、ドラマ、RPGだったのだ。

ここまで好きなら、当然ある考えが浮かんで来る。
「自分で作ろうと思わなかったのか」、だ。

長くなりそうなので、
それは、次のエントリーにしようと思う。

『コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命- THE THIRD SEASON』

2017年07月18日 00時08分33秒 | ドラマ


過去シリーズ見てないけど、しょっぱなから面白かった!
現場へ出動しっぱなしで、今んとこ今期一番緊迫感ある。

人が生きるか死ぬかという日常と非日常のギリギリのラインを渡り歩くから
医療ドラマは安定した面白さがあるのかもしれない。

にしても、新木優子も成田凌もこれまで割と自信ある若者の役を見てきたけど、
ここに来て2人とも急に新人でオドオドした役だから新鮮だ(笑)

来週も楽しみ!

『パワーレンジャー』

2017年07月17日 17時53分29秒 | 映画


さすが120億円かけただけはある。。。
アクションとCGは日本の戦隊モノが
「ごっこ」に見えてしまうぐらいにはすごかった。

が、しかし、毎週日曜日の朝に30分で終わるものが2時間以上になっているので、
好きじゃなきゃ観られないかも(笑)
さらに「刑事」とか「魔法」とかモチーフとなるものがないから、
日本の子供にもハマらなそう(笑)
設定は6500万年前から存在していたということで、
メカは恐竜がモチーフだったけど。

話の中身はいつもの戦隊といっしょ。
ひょんなことから5人の若者がスーパーパワーを手に入れて悪と戦うというもの。
5人がだいぶ都合よく集まったけど(笑)
でも、日本の戦隊モノはしょっぱなからみんな戦えるけど、
今回はきちんとイチからトレーニング積むシーンがあって親切だなと思った(笑)
合体ロボも出てきたけど、みんなが大好きな合体シーンがなくて残念である。。。

でもこの映画のポイントは、
女性キャラのナオミ・スコットとベッキー・Gが
日本人には出せないエロかわいさがあったということである。
特にナオミ・スコットは実写版『アラジン』でジャスミン役をやるそうなので、
まさにピッタリである。

『おとなの恋の測り方』

2017年07月17日 17時46分29秒 | 映画


オトコの価値は、何で決まる?」
と挑戦的なキャッチコピーの映画。
おチビさん、というより、何かと“規格外”な人は
観ると共感できそうな映画で面白かった!

逆身長差カップルの話。
男女問わずすれ違ったら振り返るほどスタイルのいい175cmのディアーヌ(ヴィルジニー・エフィラ)。
対するはリッチな建築家である136cmのアレクサンドラ(ジャン・デュジャルダン)。
イメージとしては、目の前におっぱいがあるぐらいの差です(笑)

アレクサンドラがディアーヌのスマホを拾ったのが出会いのきっかけなんだけど、
彼はすごく話が面白く、デートも出会ったその日にスカイダイビングから始まり、
港の闇営業のレストラン、ダンスパーティーなど、
非日常への誘いや気配りができるナイスガイ。

2人が恋に落ちるのにそう時間はかからなかったし、
身長の差も2人でいるときは障害にはならないものの、
外に出るとまわりからチラチラ見られるし、
ディアーヌ自身も
「あたしだって女の子だから背の高い白馬の王子様が理想ではあった」
と職場の秘書に本音を吐露。

そんなことから、2人の関係も危うくなるものの、
結局は愛がその苦難に勝り、ハッピーエンドでした、と。

“違い”をいかにして受け入れるか、
というのが今作のテーマだと思うんだけど、
現実にはその“違い”を受け入れるのはなかなか難しいと思う。
当人が気にしなくても、まわりからの目のせいで、
傷つき、悩み、苦しむことは多々ある。
そうなるといくら個性を叫んだところで
「みんなと同じ」ってのが安心するし。

それに小さい頃から埋め込まれた
「先入観」というのがさらに判断を鈍らせる。
「男はこうである」というね。

それは今作の2人もずっと悩んでて、
最終的には「まわりなんてどうでもいいから、いっしょにいたい」
となるんだけど、まあオチはそうなるしかないよねって感じではある(笑)

結局、“違い”を意識してしまうのは、心の問題もあると思うけど。
仮にアレクサンドラがまったく自分の身長にコンプレックスがなくても、
ディアーヌがそれを哀れだと感じるなら、
それはディアーヌが「低身長=問題である」
という認識があるからで、
逆にディアーヌの心に問題があると捉えられなくもない。

まあ努力や金で変えられるコンプレックスならいいけどね(笑)
背が低いことをコンプレックスに感じない男はいないから(笑)

ちなみにジャン・デュジャルダンの身長は182cmで
今作ではCGを駆使して小男になったとのこと(笑)