まったく同じではない。
同じではないが、
小林雄次という脚本家の生い立ちを読んで、
僕自身と重ね合わせることができる部分を数多く発見した。
そして、この本を読んで僕自身も
「ちょっとやってみよう」
そう思うきっかけとなった。
もともと本はあまり読まない方だ。
世の中に数多く存在する本の中で、
たまたま一冊手にとって、
そこに書いてある小林さんの生い立ちを読み、
自分と似ている部分があるというのは、
誠に勝手ながら、運命的なものを感じた。
趣味、性格、そして誰のために脚本を書くのか、
大きく分けてこの3つに、僕は大いに共感することになる。
小林さんはこの本を通じて、
自身の幼少期から学生時代の生活や自分の性格を
細かくつづっている。
それは、作品の冒頭で触れられていたように
「脚本家とはどういう生き方をしているのか」
という疑問を小林さん自身も持っていたからであろう。
「脚本家」としての答えを出すのではなく、
「結果として脚本家になった小林雄次」として
脚本家になるというゴールに至るまでの一つの生き方が、
この本には記録されている。
そう、まるで過去の自分の疑問や不安に答えるかのように。
小林さんの趣味は、文章を書くことと映画を見ること。
それ自体を趣味にしている人はたくさんいるし、
もちろん僕もその一人である。
そして小林さん自身は、それを仕事にしたいと思っていた。
今、僕は24歳。一浪しているので、社会人2年目だ。
僕は今、まったく違う分野で働いている。
小林さんと同じ趣味を持ち、それを仕事にしたいと思いながら、
違う道に来てしまった。
その理由は後ほど書くことにするが、
本を読んだ限り、小林さんとは共通点が多いせいか、
あまり他人という感じがしなかった。
陸上部の話を読んで、僕自身も部活時代のことを思い出した。
高校生のとき、僕は水泳部に所属していた。
(今思うと)教育ママだった母親のしつけの一環で、
幼いころから習い事はいくつかやっていたが、
その中で僕自身がもっとも熱中し、もっとも楽しかったのが
この水泳である。
小・中では地元のスイミングスクールに通っていたが、
高校では水泳部に入り、毎日練習をしていた。
部内の人間関係があまり良好ではなく、
大好きだった水泳を離れるのは非常に残念だったけれど、
高校2年の夏に退部した。
それからは受験に向けて勉強を始めた。
行きたい大学はあったが、
将来何をやりたいのかという観点から決めたのではなく、
有名だし、楽しそうだし、という多くの学生と同じ気持ちだった。
でもやりたいことがないわけではなかった。
小さい頃から映像に触れる機会が多かった。
映画好きの父親の影響で、
映画はよく見ていたし、
小・中学生の頃は暇さえあればテレビドラマばかり見ていた。
(90年代のトレンディドラマは最高だ!)
しかし僕が最も影響を受けたのは、映像は映像でもテレビゲームであった。
中でも『ファイナルファンタジーⅥ』という作品には衝撃を受けた。
こんなに感動するストーリーがあるのか!!
当時、小学4年生だった僕は、あまりにも感動しすぎて、
将来はゲームクリエイターになると文集に書いたぐらいだ。
「いつしか、自分のつくった作品で世の中の人々を感動させたい」
そんな思いが当時10歳の僕に生まれた。
その想いは今でも強くある。
けれど、その夢に向けて進むことはなかった。
僕は安定した道を選んでしまったのだ。
儲かるかわからない、日の目を浴びないかもしれない、
それなら普通のサラリーマンの方がいいのかもしれない。
そう思いつつも、やはり映像関係の仕事に就きたいという思いで、
就職活動のときはテレビ局や広告代理店ばかり受けていたが、
すべて落ちてしまい、
今はIT関係の仕事に落ち着いている。
「僕は本当にクリエイターになりたいのかな、本気度が足りないのかな」
今でもそう思う。
本当にやりたいなら、その道に進んでいるはずなのに、
今はまったく違うところにいる。
それなのに、ゲームや映画に触れては、
自分なりのアイディアを膨らませている毎日。
そんな中途半端な日々が続いている。
安定した道を選んでしまった理由は、
おそらく小林さんと性格の部分で似ているところがあったからかもしれない。
つまり、「競争が苦手」なのだ。
小学生の頃、漫画『スラム・ダンク』にあこがれて
バスケットボール同好会に入部した。
いろんなクラスの人が集まるから、
当然話したこともない人も多く、
最初はぎこちない感じがあったけれど、
練習を通じて、仲はよくなっていった。
けれど、試合のときミスをすると必ず責められる。
自分がよかれと思ってやったプレーに非難がくる。
それをはねのけられるぐらいの強さがあればいい。
でも僕にはそれがなかった。
バスケ自体は楽しかったかったから、
卒業するまで続けたけれど、
人に非難されるのが嫌で、
練習でも試合でもなるべくボールに触れないところにいた。
わざと敵にマークされたりもした。
単純に気が弱いのだ。
川を飛び越えることができずに突っ立っていた小林さんに
そんな自分を重ねたりした。
しかし1歳の頃から水泳だけはずっとやっていた。
個人競技だから、ミスをして怒られることがない。
自分の泳ぎを非難されることもない。
だから楽だった。
遅いも速いも自分の責任。
笛の合図でスタート台に立ち、
銃声が鳴り響くと共にプールに飛び込む。
地面から足が離れた瞬間、すべては自分との闘いになる。
確かに競泳だから隣を見れば他の選手がいるが、
基本的に下を向いて泳いでいるので、
あまり人がいようがいまいが関係ないのも
僕が水泳を続けられた理由なのかもしれない。
そんな個人競技の水泳は今でも続けている。
妄想だけを膨らませる毎日。
といっても具体的な案はなく、
本当にぼんやりしたものばかり。
こんなキャラクターがいて、こんなポーズとってて。
そんな僕がひょんなことから映像制作に携わることになった。
大学三年でゼミに所属した。
毎年1月にOB会なるものがあり、
歴史の長いうちのゼミは毎年200人あまりのOBが集まる。
その会の仕切りは三年生が行うのだが、
必ず何かコンテンツをつくらねばならない。
ここ二年、映像をつくるという流れがあると先輩から伺った。
テーマは自由。
最初僕はまったくやる気がなかった。
でも他にやることもなかったから、
とりあえず映像制作班に入った。
いろいろ話し合っていくうちに、
ゼミの先生へビデオレターをつくろうという結果にまとまった。
うちの先生は当時50代半ば。
でも趣味のウィンドサーフィンをやったり、
ゼミの合宿を海外で行ったりと、
いろんなことに挑戦し続けている。
そんな先生のもとで学んでいたOBの方たちは
これまでどんなことに挑戦したのか。
それがテーマとなった。
幸いビデオも編集機材もすべて学校で貸し出してくれた。
撮影に参加してくれるOBを募り、
ビデオを片手にインタビューを行った。
特に誰がやると決まっていたわけではないものの、
僕が編集をすることになった。
これも本当にその場の流れでそうなったのだ。
でもこれが楽しかった。
誰も教えてくれる人がいなかったので、完全に手探り状態ではあったが、
アドビープレミアというソフトを使って、
いらない部分は削り、必要なところはくっつけた。
そんな作業がなぜだかとても楽しかった。
おそらく、昔からゲームや映画などの映像作品に触れていたこと、
もともとものづくりが好きだったこと。
この2つが大きな要因だろう。
BGMをつけ、特殊効果をつけ、オープニングとエンディングをつけ、
まさに映画そのものをつくっているかのような感じになった。
編集室は朝の9時から夜の10時まで使えたけれど、
OB会本番までの2週間、
就職活動真っ只中だったにも関わらず、
毎日通いつめ、飯も食わず、トイレも行かず、
ずっと編集を続けた。
これを見て、OBの方たちが喜んでくれればいい。
ただそれだけを考えていた。
おかげで体調を崩し、OB会当日は39度の熱があったものの、
OBからの評判は高く、ものすごい達成感を得ることができた。
それから卒業までの間、
僕はゼミでの出来事をビデオに納めては編集し、
みんなに見せるようになった。
これなら一生の仕事にできると思った。
ここまで思えるのは、誰のためでもない自分のためだからだ。
プロデューサーや監督や視聴者のために作品をつくるのはもちろんだが、
真実はそこではなく、あくまでも自分を救うため。
そう小林さんは言っていたが、
僕も自分のためである。
ただ単純にこれを見てくれる人を感動させたい。
そういう想いもあるけれども、
映像作品をつくることが、自分の生きた証のような気もするし、
自分の存在価値をアピールする手段だからこそ、
また現実を生きようという気にもなった。
でも僕のつくっているものはあくまでも内輪ネタ。
外部の人がみても何も面白くないし、認められることはないと思い、
テレビ局と広告代理店がすべて落ちた時点で、
映像業界への夢を捨ててしまった。
小林さんは自分の今の仕事に未練があったといっていた。
でも僕はそれは未練ではなく、執念だと思う。
かつて『北斗の拳』という漫画で
主人公のケンシロウが恋人のユリアを助けるために宿敵シンを倒したとき、
「執念」があったからここまできたと言っていた。
「執念」があったからこそ、ケンシロウはユリアに再び会うことができた。
(実際は死んでしまっていたけれども)
小林さんも自分のやりたいことを求め続け、
その環境に身を置くことで結果として脚本家になることができた。
むしろ、未練があるのは僕の方だ。
何をどうすればいいのかわからないまま、
どこまで本気なのかがわからないまま、
日々過ごしている。
一歩を踏み出す勇気がない。
何かをやるには、何かを続けるには、
執念が必要であると、この本を読んで改めて思った。
ここまで書いてきたことが読書感想文といえるのか、
もはやわからなくなってしまった。
しかし、ただ単に面白かった、つまらなかったということではなく、
この本を読むことで自分の考えや想いを改めて整理できたことに
とても感謝している。
僕も偏りはあるけれど、文章を書くことは好きです。
これからも小林雄次さんの作品を楽しみにしています。
身体に気をつけて、がんばってください。
同じではないが、
小林雄次という脚本家の生い立ちを読んで、
僕自身と重ね合わせることができる部分を数多く発見した。
そして、この本を読んで僕自身も
「ちょっとやってみよう」
そう思うきっかけとなった。
もともと本はあまり読まない方だ。
世の中に数多く存在する本の中で、
たまたま一冊手にとって、
そこに書いてある小林さんの生い立ちを読み、
自分と似ている部分があるというのは、
誠に勝手ながら、運命的なものを感じた。
趣味、性格、そして誰のために脚本を書くのか、
大きく分けてこの3つに、僕は大いに共感することになる。
小林さんはこの本を通じて、
自身の幼少期から学生時代の生活や自分の性格を
細かくつづっている。
それは、作品の冒頭で触れられていたように
「脚本家とはどういう生き方をしているのか」
という疑問を小林さん自身も持っていたからであろう。
「脚本家」としての答えを出すのではなく、
「結果として脚本家になった小林雄次」として
脚本家になるというゴールに至るまでの一つの生き方が、
この本には記録されている。
そう、まるで過去の自分の疑問や不安に答えるかのように。
小林さんの趣味は、文章を書くことと映画を見ること。
それ自体を趣味にしている人はたくさんいるし、
もちろん僕もその一人である。
そして小林さん自身は、それを仕事にしたいと思っていた。
今、僕は24歳。一浪しているので、社会人2年目だ。
僕は今、まったく違う分野で働いている。
小林さんと同じ趣味を持ち、それを仕事にしたいと思いながら、
違う道に来てしまった。
その理由は後ほど書くことにするが、
本を読んだ限り、小林さんとは共通点が多いせいか、
あまり他人という感じがしなかった。
陸上部の話を読んで、僕自身も部活時代のことを思い出した。
高校生のとき、僕は水泳部に所属していた。
(今思うと)教育ママだった母親のしつけの一環で、
幼いころから習い事はいくつかやっていたが、
その中で僕自身がもっとも熱中し、もっとも楽しかったのが
この水泳である。
小・中では地元のスイミングスクールに通っていたが、
高校では水泳部に入り、毎日練習をしていた。
部内の人間関係があまり良好ではなく、
大好きだった水泳を離れるのは非常に残念だったけれど、
高校2年の夏に退部した。
それからは受験に向けて勉強を始めた。
行きたい大学はあったが、
将来何をやりたいのかという観点から決めたのではなく、
有名だし、楽しそうだし、という多くの学生と同じ気持ちだった。
でもやりたいことがないわけではなかった。
小さい頃から映像に触れる機会が多かった。
映画好きの父親の影響で、
映画はよく見ていたし、
小・中学生の頃は暇さえあればテレビドラマばかり見ていた。
(90年代のトレンディドラマは最高だ!)
しかし僕が最も影響を受けたのは、映像は映像でもテレビゲームであった。
中でも『ファイナルファンタジーⅥ』という作品には衝撃を受けた。
こんなに感動するストーリーがあるのか!!
当時、小学4年生だった僕は、あまりにも感動しすぎて、
将来はゲームクリエイターになると文集に書いたぐらいだ。
「いつしか、自分のつくった作品で世の中の人々を感動させたい」
そんな思いが当時10歳の僕に生まれた。
その想いは今でも強くある。
けれど、その夢に向けて進むことはなかった。
僕は安定した道を選んでしまったのだ。
儲かるかわからない、日の目を浴びないかもしれない、
それなら普通のサラリーマンの方がいいのかもしれない。
そう思いつつも、やはり映像関係の仕事に就きたいという思いで、
就職活動のときはテレビ局や広告代理店ばかり受けていたが、
すべて落ちてしまい、
今はIT関係の仕事に落ち着いている。
「僕は本当にクリエイターになりたいのかな、本気度が足りないのかな」
今でもそう思う。
本当にやりたいなら、その道に進んでいるはずなのに、
今はまったく違うところにいる。
それなのに、ゲームや映画に触れては、
自分なりのアイディアを膨らませている毎日。
そんな中途半端な日々が続いている。
安定した道を選んでしまった理由は、
おそらく小林さんと性格の部分で似ているところがあったからかもしれない。
つまり、「競争が苦手」なのだ。
小学生の頃、漫画『スラム・ダンク』にあこがれて
バスケットボール同好会に入部した。
いろんなクラスの人が集まるから、
当然話したこともない人も多く、
最初はぎこちない感じがあったけれど、
練習を通じて、仲はよくなっていった。
けれど、試合のときミスをすると必ず責められる。
自分がよかれと思ってやったプレーに非難がくる。
それをはねのけられるぐらいの強さがあればいい。
でも僕にはそれがなかった。
バスケ自体は楽しかったかったから、
卒業するまで続けたけれど、
人に非難されるのが嫌で、
練習でも試合でもなるべくボールに触れないところにいた。
わざと敵にマークされたりもした。
単純に気が弱いのだ。
川を飛び越えることができずに突っ立っていた小林さんに
そんな自分を重ねたりした。
しかし1歳の頃から水泳だけはずっとやっていた。
個人競技だから、ミスをして怒られることがない。
自分の泳ぎを非難されることもない。
だから楽だった。
遅いも速いも自分の責任。
笛の合図でスタート台に立ち、
銃声が鳴り響くと共にプールに飛び込む。
地面から足が離れた瞬間、すべては自分との闘いになる。
確かに競泳だから隣を見れば他の選手がいるが、
基本的に下を向いて泳いでいるので、
あまり人がいようがいまいが関係ないのも
僕が水泳を続けられた理由なのかもしれない。
そんな個人競技の水泳は今でも続けている。
妄想だけを膨らませる毎日。
といっても具体的な案はなく、
本当にぼんやりしたものばかり。
こんなキャラクターがいて、こんなポーズとってて。
そんな僕がひょんなことから映像制作に携わることになった。
大学三年でゼミに所属した。
毎年1月にOB会なるものがあり、
歴史の長いうちのゼミは毎年200人あまりのOBが集まる。
その会の仕切りは三年生が行うのだが、
必ず何かコンテンツをつくらねばならない。
ここ二年、映像をつくるという流れがあると先輩から伺った。
テーマは自由。
最初僕はまったくやる気がなかった。
でも他にやることもなかったから、
とりあえず映像制作班に入った。
いろいろ話し合っていくうちに、
ゼミの先生へビデオレターをつくろうという結果にまとまった。
うちの先生は当時50代半ば。
でも趣味のウィンドサーフィンをやったり、
ゼミの合宿を海外で行ったりと、
いろんなことに挑戦し続けている。
そんな先生のもとで学んでいたOBの方たちは
これまでどんなことに挑戦したのか。
それがテーマとなった。
幸いビデオも編集機材もすべて学校で貸し出してくれた。
撮影に参加してくれるOBを募り、
ビデオを片手にインタビューを行った。
特に誰がやると決まっていたわけではないものの、
僕が編集をすることになった。
これも本当にその場の流れでそうなったのだ。
でもこれが楽しかった。
誰も教えてくれる人がいなかったので、完全に手探り状態ではあったが、
アドビープレミアというソフトを使って、
いらない部分は削り、必要なところはくっつけた。
そんな作業がなぜだかとても楽しかった。
おそらく、昔からゲームや映画などの映像作品に触れていたこと、
もともとものづくりが好きだったこと。
この2つが大きな要因だろう。
BGMをつけ、特殊効果をつけ、オープニングとエンディングをつけ、
まさに映画そのものをつくっているかのような感じになった。
編集室は朝の9時から夜の10時まで使えたけれど、
OB会本番までの2週間、
就職活動真っ只中だったにも関わらず、
毎日通いつめ、飯も食わず、トイレも行かず、
ずっと編集を続けた。
これを見て、OBの方たちが喜んでくれればいい。
ただそれだけを考えていた。
おかげで体調を崩し、OB会当日は39度の熱があったものの、
OBからの評判は高く、ものすごい達成感を得ることができた。
それから卒業までの間、
僕はゼミでの出来事をビデオに納めては編集し、
みんなに見せるようになった。
これなら一生の仕事にできると思った。
ここまで思えるのは、誰のためでもない自分のためだからだ。
プロデューサーや監督や視聴者のために作品をつくるのはもちろんだが、
真実はそこではなく、あくまでも自分を救うため。
そう小林さんは言っていたが、
僕も自分のためである。
ただ単純にこれを見てくれる人を感動させたい。
そういう想いもあるけれども、
映像作品をつくることが、自分の生きた証のような気もするし、
自分の存在価値をアピールする手段だからこそ、
また現実を生きようという気にもなった。
でも僕のつくっているものはあくまでも内輪ネタ。
外部の人がみても何も面白くないし、認められることはないと思い、
テレビ局と広告代理店がすべて落ちた時点で、
映像業界への夢を捨ててしまった。
小林さんは自分の今の仕事に未練があったといっていた。
でも僕はそれは未練ではなく、執念だと思う。
かつて『北斗の拳』という漫画で
主人公のケンシロウが恋人のユリアを助けるために宿敵シンを倒したとき、
「執念」があったからここまできたと言っていた。
「執念」があったからこそ、ケンシロウはユリアに再び会うことができた。
(実際は死んでしまっていたけれども)
小林さんも自分のやりたいことを求め続け、
その環境に身を置くことで結果として脚本家になることができた。
むしろ、未練があるのは僕の方だ。
何をどうすればいいのかわからないまま、
どこまで本気なのかがわからないまま、
日々過ごしている。
一歩を踏み出す勇気がない。
何かをやるには、何かを続けるには、
執念が必要であると、この本を読んで改めて思った。
ここまで書いてきたことが読書感想文といえるのか、
もはやわからなくなってしまった。
しかし、ただ単に面白かった、つまらなかったということではなく、
この本を読むことで自分の考えや想いを改めて整理できたことに
とても感謝している。
僕も偏りはあるけれど、文章を書くことは好きです。
これからも小林雄次さんの作品を楽しみにしています。
身体に気をつけて、がんばってください。