2012年10月13日(土)
今日は、先日のエッセイサークルで合評されたエッセイです。(文中、仮名)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「謙遜の方向」
日曜日の午後、埼玉県に住む娘から電話があった。孫娘のゆ~が、又、熱を出したので
世話をしに来てというヘルプ要請だ。この夏三度目だが、仕事をしている娘を助けたいと、
私は着替えを詰めたバッグを抱えてかけつけた。夜、娘夫婦の家に着くと、婿さんが、
「お世話をかけてすみません」と挨拶をしてくれる。額に「冷えピタ」を貼ったゆ~が
その肩にしがみついていた。早く熱が治まってくれれば良いのだが。
翌朝、二人が出勤すると、私は食欲の無いゆ~に、りんごジュースを飲ませたり、
ぶどうを食べさせたりした。しばらくすると、婿さんのお父さんがいらした。ゆ~と私を
病院まで車で送ってくださるそうで、後部座席にはチャイルドシートも着けられていた。
車中、私は、「今朝も微熱があって、食欲も無くて」と話し、お父さんは、
「保育園に行くといろいろ病気を貰ってきますねえ」と、答えた。話が途切れたとき、
お父さんが、
「ムスメちゃんは、なんでも出来て、本当に良い娘ですよね」
と言い出した。お父さんが、ムスメのことをそんなふうに思って下さっているなんてと、
思わず口元がほころび、
「そうなんです。あの娘は、私と違って料理も上手だし、本当に良い娘なんですよ」
という言葉が胸を駆け巡る。但し、もう一つの言葉も鳴り響く。
「喜んでるのがばれちゃいけない、ここは、謙遜しなくちゃ」
子供の頃から「誉められたら謙遜する」は、ごく当たり前の行為だった。私が誉められる
ようなことがあると、母は「私の出来ない事」、例えば、お手伝いとか、優しく弟の面倒を
見る、といったことをその場に広げ、上げたり下げたりされた私は、もじもじと落ち着かず
にやり過ごしていた。やがて私が子育てするようになると、私も母のように、子供たちを
誉められたら、急いで謙遜していた。
「お兄ちゃん.、サッカー上手なのね」「いえいえ、勉強のほうは、さっぱりで」
誉められて嬉しいし、内心、「うん、うん」と頷いていても、アメリカ人のように、
「イエス。自慢の息子なの」などと口にすると想像するだけで、背中がむずむずするような
居心地の悪さを感じてしまう。
その習慣が顔をだして、私は、
「あら、まあ、まあ……。でも、ムスメも、最近、……ずいぶん中年になってきました」
と、返事をした。これは、夏休みに娘に会った長男の、
「あいつも、ずいぶんおばさんっぽくなっていて、びっくりしたよ」
という言葉が頭を掠めたからなのだが、娘のお舅さんは、
「おやおや、これは。そんなことは無いですよ」
と、大らかに笑った。その声に、私の言いたかったことは、これじゃないんだと、
「ムスメは、おっかさんっていうか、家の中で、どんとした感じになってきました」
と、言い直し、二人で笑いあった。
病院でゆ~の診察を受けると、お医者さんに、
「検査の結果、溶連菌が出ました」と、言われた。溶連菌感染症は、今は良い抗生物質が
あること、後遺症が出ないよう、その薬をしっかり飲むこと、治るまで登園禁止であること
を説明された。迎えに来てくださったお父さんに病名を告げ、
「夏風邪じゃないし、今回は、長引きますかねえ」と、話しながら娘の家に戻った。
ムスメには、昼休みを見計らって、診察の結果をメールで送った。
夕方、ムスメが帰ってくると、薬を飲んで元気が出てきたゆ~は、早速、抱っこをせがんで
いた。ゆ~に取りあえずうどんを食べさせながら、ムスメは、夕飯作り前の一口と、
買ってきた大福を勧めてくれた。甘い物を一緒に食べながら、今日のゆ~の様子を話し、
ついでに、今朝のお父さんとの話もした。
「ムスメちゃんは、なんでも出来て、本当に良い娘ですよね」
と言われたと聞いて、身を乗り出したムスメは、私の中年発言にちょっと引いた。
「でも、謙遜しなくちゃって思ったのよ」
私が言い足すと、ムスメは、
「それね、謙遜の方向が違うでしょう。謙遜するなら、『私に似ておおざっぱで』とか
言うのよ」
と、反論した。ごもっとも。次回誉められたら、すかさずそう謙遜します。的確な指南に
やっぱり、ムスメはすっかりおっかさんになったと、私は、大福をぱくりと食べる
ムスメを眺めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生の評は、
「こういうときは、まず、”ありがとうございます”、と、言うんです。
それから、”そんなふうに言っていただいて、娘も幸せです”と言うんですよ」と。
ああ、そうか、まずは、「ありがとうございます」ですね。
深く、肯けるお言葉をいただきました。
次の機会には、きっと・・・。(^^)
今日は、先日のエッセイサークルで合評されたエッセイです。(文中、仮名)
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「謙遜の方向」
日曜日の午後、埼玉県に住む娘から電話があった。孫娘のゆ~が、又、熱を出したので
世話をしに来てというヘルプ要請だ。この夏三度目だが、仕事をしている娘を助けたいと、
私は着替えを詰めたバッグを抱えてかけつけた。夜、娘夫婦の家に着くと、婿さんが、
「お世話をかけてすみません」と挨拶をしてくれる。額に「冷えピタ」を貼ったゆ~が
その肩にしがみついていた。早く熱が治まってくれれば良いのだが。
翌朝、二人が出勤すると、私は食欲の無いゆ~に、りんごジュースを飲ませたり、
ぶどうを食べさせたりした。しばらくすると、婿さんのお父さんがいらした。ゆ~と私を
病院まで車で送ってくださるそうで、後部座席にはチャイルドシートも着けられていた。
車中、私は、「今朝も微熱があって、食欲も無くて」と話し、お父さんは、
「保育園に行くといろいろ病気を貰ってきますねえ」と、答えた。話が途切れたとき、
お父さんが、
「ムスメちゃんは、なんでも出来て、本当に良い娘ですよね」
と言い出した。お父さんが、ムスメのことをそんなふうに思って下さっているなんてと、
思わず口元がほころび、
「そうなんです。あの娘は、私と違って料理も上手だし、本当に良い娘なんですよ」
という言葉が胸を駆け巡る。但し、もう一つの言葉も鳴り響く。
「喜んでるのがばれちゃいけない、ここは、謙遜しなくちゃ」
子供の頃から「誉められたら謙遜する」は、ごく当たり前の行為だった。私が誉められる
ようなことがあると、母は「私の出来ない事」、例えば、お手伝いとか、優しく弟の面倒を
見る、といったことをその場に広げ、上げたり下げたりされた私は、もじもじと落ち着かず
にやり過ごしていた。やがて私が子育てするようになると、私も母のように、子供たちを
誉められたら、急いで謙遜していた。
「お兄ちゃん.、サッカー上手なのね」「いえいえ、勉強のほうは、さっぱりで」
誉められて嬉しいし、内心、「うん、うん」と頷いていても、アメリカ人のように、
「イエス。自慢の息子なの」などと口にすると想像するだけで、背中がむずむずするような
居心地の悪さを感じてしまう。
その習慣が顔をだして、私は、
「あら、まあ、まあ……。でも、ムスメも、最近、……ずいぶん中年になってきました」
と、返事をした。これは、夏休みに娘に会った長男の、
「あいつも、ずいぶんおばさんっぽくなっていて、びっくりしたよ」
という言葉が頭を掠めたからなのだが、娘のお舅さんは、
「おやおや、これは。そんなことは無いですよ」
と、大らかに笑った。その声に、私の言いたかったことは、これじゃないんだと、
「ムスメは、おっかさんっていうか、家の中で、どんとした感じになってきました」
と、言い直し、二人で笑いあった。
病院でゆ~の診察を受けると、お医者さんに、
「検査の結果、溶連菌が出ました」と、言われた。溶連菌感染症は、今は良い抗生物質が
あること、後遺症が出ないよう、その薬をしっかり飲むこと、治るまで登園禁止であること
を説明された。迎えに来てくださったお父さんに病名を告げ、
「夏風邪じゃないし、今回は、長引きますかねえ」と、話しながら娘の家に戻った。
ムスメには、昼休みを見計らって、診察の結果をメールで送った。
夕方、ムスメが帰ってくると、薬を飲んで元気が出てきたゆ~は、早速、抱っこをせがんで
いた。ゆ~に取りあえずうどんを食べさせながら、ムスメは、夕飯作り前の一口と、
買ってきた大福を勧めてくれた。甘い物を一緒に食べながら、今日のゆ~の様子を話し、
ついでに、今朝のお父さんとの話もした。
「ムスメちゃんは、なんでも出来て、本当に良い娘ですよね」
と言われたと聞いて、身を乗り出したムスメは、私の中年発言にちょっと引いた。
「でも、謙遜しなくちゃって思ったのよ」
私が言い足すと、ムスメは、
「それね、謙遜の方向が違うでしょう。謙遜するなら、『私に似ておおざっぱで』とか
言うのよ」
と、反論した。ごもっとも。次回誉められたら、すかさずそう謙遜します。的確な指南に
やっぱり、ムスメはすっかりおっかさんになったと、私は、大福をぱくりと食べる
ムスメを眺めた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生の評は、
「こういうときは、まず、”ありがとうございます”、と、言うんです。
それから、”そんなふうに言っていただいて、娘も幸せです”と言うんですよ」と。
ああ、そうか、まずは、「ありがとうございます」ですね。
深く、肯けるお言葉をいただきました。
次の機会には、きっと・・・。(^^)