ぶらつくらずべりい

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詩「完璧な世界の言葉」

2010-11-26 07:15:37 | 
私の父に言葉はなかった。

父の言葉は拳で私を叩く、足で私を蹴る激しい痛みだった。

家中の物が砕け散る、耳をつんざく痛みだった。

言葉とは常に痛みだった。

言葉とはただの破壊だった。

ほんの少しの光りも射さない闇だった。

そして私は言葉に絶望したまま大人になった。

私は言葉にまったく価値を見出だせなかった。

けれどだからこそ言葉を愛していた。

愛しているが怖い。

怖いけれど言葉が欲しい。

そんな矛盾で破裂しそうになりながら生きてきた私に光りが射した。

私の前に三十一音で完結する完璧な言葉の世界が現れたからだ。

私の世界が君の言葉だけで完結した。

私の世界が私の言葉だけで完結したのだ。

その世界でなら私は闘えたし愛せたし信じられた。

三十一音の言葉を交換しよう。

完璧な世界の言葉を。

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4 コメント

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おはようございます。 (足知@通勤中)
2010-11-27 06:06:23
そうなんですか!目から鱗です。どうしても意味を探ってしまうのは悪い癖ですね。スッキリしました。笑 調べ、実は苦手なんです。生来の音痴が影響しているのでしょうか。57577でしっかり句切るとある程度の調べになる(?)から、僕にとって短歌は安心なのかも知れません。苦笑
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叙景、でよいのでは (矢嶋博士)
2010-11-27 04:56:07
ないでしょうか。
3句までの光景があるのみである。

4句5句は意味などなく口から出てきた「詠嘆」の符=オン=調べにすぎない。31オンをガチガチに論理で固めることもないでせう。

うたは、あるいは、この無意味の、断定以前ののまま、調べのみを置けばよい、か。結句は締め括らなくてもよい。

なりにけるかも

7オンを置いておくだけで、もっとも上質のものに近づく。と。か。
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こんばんは。 (足知@就寝前)
2010-11-26 21:27:58
折口信夫の長歌は分かるのですが、反歌はいかなる意味でしょう。

反歌
春早き辛夷の愁ひ咲きみちて、ただに ひと木は すべなきものを

愁い(もの悲しさ)は早春に咲いたからでしょう。「すべなきものを」の意味としては、そうやって咲いたのは「ひと木」の力ではどうしょうもなかったという意味なのでしょうか?僕には残念ながら、読めないです。うまく言えませんが。決してこの反歌を否定する訳ではありません。自身の読解力不足を歎きます。
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折口信夫。の (矢嶋博士)
2010-11-26 07:42:29
わが父にわれは厭イトはえ、
我が母は我を愛メグまず。
兄 姉と 心を別サきて
いとけなき我を 育オウしぬ。

昭和12年1月作。長歌というか、詩。反歌あり。

反歌
春早き辛夷の愁ひ咲きみちて、ただに ひと木は すべなきものを
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