「AKB 年間シングルTOP5を独占」
上からマリコに下からサシコ。右からムーディー、後ろから前から畑中葉子。
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北野武の「全思考」を読んだ。<第二章>は教育の問題に関して書かれていた。最初は「たけしくん、ハイ!」で見たことのある、北野武と父親の関係について。父親なんて子供に煙たがられて怖いくらいがちょうど良いという意見だった。同意である。古い考えなのかもしれないが、父親の威厳は大切だと思う。自分より強い人間がいるんだと教える必要があると思っている。
「子供とは友達のような関係でいたい」。最近この言葉を聞かないが、すでにそれが当たり前になっているのだろうか。馬鹿馬鹿しいと思う。親が子供と友達になったら、誰が親をやるのかと心底思う。子供に嫌われることなんて恐れちゃいけない。しつけのためならビシビシ叩くのも必要だ。
その後、本の中では日本人の子供全体に関して書かれていたけど、それはジェネレーションギャップを感じずに入られなかった。所謂、昔は物がなくって大変で、今の子は色々あって恵まれていてという論調だ。
幸福感は低きから高きに上った時に多く得られるものだと思う。金がなかったけど、頑張って働いて大金を得た。彼女がやっとできた。課長に昇格した。などなど。中には変わらないことが幸せという人もいると思うが、前者のほうが多いかと思う。
そう考えると満たされない生活を子供の頃に過ごした戦後まもなくの人って幸せなんだと思う。もちろん日本があの当時と変わらず貧しかったら話は違うけど、現実は金や物を手に入れている。しかも自分たちが頑張って日本を成長させたという自尊心ももっているだろう。
その点、いまの子供たちはすべてを手に入れていて、恐らくそれは大人になっても大して変わらない。しかも景気は上がりそうな気がしない。そんなのが満たされた状態とはとても思えない。物質的な充足は幸福感の大きさとはなかなか比例しない。かといって、今ある生活を捨てられはしないから、八方ふさがりだよね。
あと気になったのは日本人がインターネットと携帯電話の奴隷になっているという話。論旨としては、最近はもうこのふたつがないと生活できないように感じになっちゃってるよね。本当はそんなことないのに。という感じ。あとは効率良く金を刈り取る仕組みだよねということが書かれていた。
前者に関してはまぁ同意なんだけど、この二つのほかに銀行なんかも加えてほしい。いまや銀行に口座を持たずにサラリーマンをやることなんて不可能ではなかろうか。他にも公共料金の引き落としや、購入した商品の振込みなどにも使われる。テレビやコンビニなんかもある意味で同じようなものだろう。
これらに共通するのは、人間に会わなくて用事を済ませられるという点だ。インターネットや携帯電話はその極みで、しかもここ10年で急激に変化したので目に付きやすいだけの話。テレビは、本来なら素晴らしい才能の持ち主は、実際に会わないと本当のすごさは分からないと思うのだが、それをお気軽にしてしまった。
コンビニは店員に会っているように感じるが、多くの人はコンビニの店員の名前を知らないし、ましてどんな人か考えもしない(除くかわいい子)。にもかかわらず商品を買えてしまう。その空虚さ。
じゃあこれらのサービスを止めるのか。そういう話ではない。それらのすべてに人間が関わっていることを意識して利用するとか、そのサービスの利用を目的としないとか。インターネットで会話することを目的とせずに実際に会ってみるとか、テレビを見て何かに興味を持ったら自分の足で調べたり、食べに行ったり、見に行ったり。そういうことが大事なのだと僕は思う。
つづく、自分の整理のために。
上からマリコに下からサシコ。右からムーディー、後ろから前から畑中葉子。
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北野武の「全思考」を読んだ。<第二章>は教育の問題に関して書かれていた。最初は「たけしくん、ハイ!」で見たことのある、北野武と父親の関係について。父親なんて子供に煙たがられて怖いくらいがちょうど良いという意見だった。同意である。古い考えなのかもしれないが、父親の威厳は大切だと思う。自分より強い人間がいるんだと教える必要があると思っている。
「子供とは友達のような関係でいたい」。最近この言葉を聞かないが、すでにそれが当たり前になっているのだろうか。馬鹿馬鹿しいと思う。親が子供と友達になったら、誰が親をやるのかと心底思う。子供に嫌われることなんて恐れちゃいけない。しつけのためならビシビシ叩くのも必要だ。
その後、本の中では日本人の子供全体に関して書かれていたけど、それはジェネレーションギャップを感じずに入られなかった。所謂、昔は物がなくって大変で、今の子は色々あって恵まれていてという論調だ。
幸福感は低きから高きに上った時に多く得られるものだと思う。金がなかったけど、頑張って働いて大金を得た。彼女がやっとできた。課長に昇格した。などなど。中には変わらないことが幸せという人もいると思うが、前者のほうが多いかと思う。
そう考えると満たされない生活を子供の頃に過ごした戦後まもなくの人って幸せなんだと思う。もちろん日本があの当時と変わらず貧しかったら話は違うけど、現実は金や物を手に入れている。しかも自分たちが頑張って日本を成長させたという自尊心ももっているだろう。
その点、いまの子供たちはすべてを手に入れていて、恐らくそれは大人になっても大して変わらない。しかも景気は上がりそうな気がしない。そんなのが満たされた状態とはとても思えない。物質的な充足は幸福感の大きさとはなかなか比例しない。かといって、今ある生活を捨てられはしないから、八方ふさがりだよね。
あと気になったのは日本人がインターネットと携帯電話の奴隷になっているという話。論旨としては、最近はもうこのふたつがないと生活できないように感じになっちゃってるよね。本当はそんなことないのに。という感じ。あとは効率良く金を刈り取る仕組みだよねということが書かれていた。
前者に関してはまぁ同意なんだけど、この二つのほかに銀行なんかも加えてほしい。いまや銀行に口座を持たずにサラリーマンをやることなんて不可能ではなかろうか。他にも公共料金の引き落としや、購入した商品の振込みなどにも使われる。テレビやコンビニなんかもある意味で同じようなものだろう。
これらに共通するのは、人間に会わなくて用事を済ませられるという点だ。インターネットや携帯電話はその極みで、しかもここ10年で急激に変化したので目に付きやすいだけの話。テレビは、本来なら素晴らしい才能の持ち主は、実際に会わないと本当のすごさは分からないと思うのだが、それをお気軽にしてしまった。
コンビニは店員に会っているように感じるが、多くの人はコンビニの店員の名前を知らないし、ましてどんな人か考えもしない(除くかわいい子)。にもかかわらず商品を買えてしまう。その空虚さ。
じゃあこれらのサービスを止めるのか。そういう話ではない。それらのすべてに人間が関わっていることを意識して利用するとか、そのサービスの利用を目的としないとか。インターネットで会話することを目的とせずに実際に会ってみるとか、テレビを見て何かに興味を持ったら自分の足で調べたり、食べに行ったり、見に行ったり。そういうことが大事なのだと僕は思う。
つづく、自分の整理のために。
たけしくん、ハイ! (新潮文庫) | |
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