元ライターの小説家への道

僕もまだ本気を出していません。

北野武の「全思考」を読んだ。<第四章>

2011年12月23日 22時39分32秒 | アレコレ鑑賞
「8×6=48 ←まちがい! 正解は6×8=48」

 タイトルに偽りなしだった。読み進めて言いたいことは理解できたけど、子供に理解できるのか?理解させる必要があるのか疑問。

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 北野武の「全思考」を読んだ。<第四章>は作法の話。しかし作法ってなんだろうね。学校で習うものではないし、なんとなく身につけるか誰かの弟子になってビシビシ教えられるかしかないよな。という僕の状況なので、とりあえずこの章の大半はフムフムそういうものかの読んでいた。まぁ作法のことはあまり書いていなかったけど。

 携帯電話とインターネットの出現により、日本人の馬鹿が加速しているということが書かれており興味を持った。確かにそうだなと思った。文明の進歩は人間を馬鹿にする。うなりながら紙に計算式を書いていた時代の人と、計算機でポポポイと計算してしまう時代の人では、人間個人としてみれば前者の方が計算力はあるだろう。便利なのは後者だろう。

 著書にも書いてあったが実際の問題として、会話の大半がメールという人だと、それは遠くの人とも話ができて便利かもしれないけど、表現力としてはメールで書くレベルしかみにつかない。しかも本人はそれに気がつけない。これらの現象は日本特有なのだろうか。インターネットや携帯電話の発達は世界的なものだ。僕は世界共通的ではあると思うが日本は顕著だと思っている。

 オーストラリアで生活をしていた時だが、僕がホームステイしていた家の人はテレビのことを「馬鹿になる箱」と呼んでいた。そのためテレビはあったが、ほとんど見ていなかった。それはテレビを見続けることの無意味さを理解しており、一線引いていたのではなかろうかと思う。携帯電話とインターネットに対しても同様の線引きをしているかは分からないが、日本人とは違った感覚で利用している気がする。あくまでそんな気がしているだけだけどね。

 けどそういった文明を否定するという気はなかなか起こらない。恐らくこのまま文明は進化し人間は馬鹿になっていく。けど、コンピュータがない生活に魅力を感じない。電気水道が満足に供給されていない生活と、インターネットを使える生活では後者のほうが魅力的だ。前者の生活はノスタルジーに浸りたいときにあれば良い。

 つづく。次がラスト。
コメント
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