中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

紅花商人と力石(旧中山道を歩く 40)

2005年06月11日 22時10分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65

(紅花商人と力石)
島村家の三階建ての土蔵より中山道を少し戻り、
JR桶川入り口交差点の手前左側に、
浄念寺山門が見えるので寄ってみよう。
中山道から見えるこの門の鐘は、
桶川宿の「時の鐘」であったと伝えられます。
(浄念寺の山門)

浄念寺のご詠歌に

浄念寺 鐘の響きや法の音 子安の誓い深き桶川

と詠まれているように、その美しい音色は、
人々に時を知らせるために桶川宿の隅々にまで、
鳴り響いたといわれます。
残念ながらこの梵鐘は第二次世界大戦のおり、
求めに応じて供出され現存しておりません。
現在、仁王門にかかっている梵鐘は、
昭和40年(1965)に鋳造されたものです。
(桶川教育委員会)

中山道に戻り、しばらくすると、
右手に江戸時代に面影を残す蔵作りの商家、矢部家がある。
道を挟んでこれも古い家作りの旧旅館の小林家がある。
(蔵造りの矢部家)
(旧旅館の小林家)

そして右手に、木の門が見えてくる。中に入ると
さらに門があり手前に「明治天皇桶川行在所」の石塔がある。
門の中が、桶川の府川本陣跡である。

個人のお宅で現在も生活されているので中は拝見できない。
埼玉県内に残る唯一の本陣遺構として
埼玉県指定文化財となっている。
(朽ちかけた高札場跡と本陣跡を思わせる木の門)
(左側の木の葉の間に明治天皇安在所の石碑が見える)

本陣内部の現在残る上段の間・湯殿・便所などは、
皇女和宮の宿泊所とされたため修築されているという。

すこし進み、左手に中山道桶川宿場館「武州桶川宿」の名で、
桶川市が資料館を開いているので寄ってみよう。
係りの女性が親切に説明してくださったことを感謝します。
(桶川宿観光案内)

左手に中山道桶川宿の石碑がある小公園を見て、次の信号を
右折すると稲荷通りとなり、さらに右に進むと稲荷神社に出る。
(道路沿いの中山道桶川宿の石碑のある小公園)
(稲荷神社)

この神社は、本殿前に紅花商人が奉納した一対の石灯篭で知られる。
紅花の栽培は、今では山形県の特産物として知られているが、
以前は、ここ桶川地区の特産物でもあった。
気候の関係で山形より早く収穫されることから重宝され、
桶川・上尾で産業として大きく成長した。

その紅花の商人24人が納めた石灯篭には、名前が刻み込まれている。
木嶋屋、穀屋、騎西屋、伊勢屋、亀屋、舛屋、栗屋、宮田屋、
清水屋、綿屋、上田屋、紙屋、鷲屋、野川屋、藤屋、千代間屋、
大阪屋などなど。
石に刻んだ文字が薄く、とても24人まで書き込めなかった。
(紅花商人が奉納した石灯篭)

同じ境内右側に、力石と呼ばれる大きな石がある。
石を持ち上げる行事は、早くから娯楽化されていた。
この石には、大磐石と記入され、

次のように記されている。
昔、祭りや縁日に若者が力比べに使った石。
重量160貫、約610キログラム。
嘉永五年三宮卯之助 之を持つ
石主大阪屋清右衛門
(桶川地域文化研究会)
(稲荷神社の力石)

ボクの故郷、尾張の加藤清正の生誕地では、お祭の行事の一環として、
地面に置いた米俵を肩まで担ぎ上げるコンテストが行われていた。
近在の力持ちが果敢に挑戦して、やっと持ち上げる人が出ると
「やんやの喝采」を浴びて褒賞を貰っていた。
半世紀も前の、遠い昔のことで今も行われているかは不明である。