(鴻巣宿)
左手に東間浅間神社がある。
由来に
(この神社の祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやのひめのみこと)
で皇室の始祖大御母と仰ぎ奉る大神なり
今日の日本の基礎を
築き給いし功徳は日本女性の範と敬仰し奉る。)
とある。立派な神社であった。
(東間 浅間社)
人形の町鴻巣らしい街並みになる。
人形町の先が鴻巣宿になり、鴻巣公園信号手前を
左に入る。右側に武蔵野銀行があり、左を覗くと
奥に栴檀林「勝願寺」の山門が見える。
(栴檀林「勝願寺」)
(勝願寺の山門)
(三つ葉葵の紋)
格式が判る古式蒼然としたお寺の山門に三つ葉葵の紋所がある。
水戸黄門様にしては、場所が違う。
よく見ると屋根瓦にも「三つ葉葵」の紋が入っている。
本堂左脇にお墓が四つ並び、それぞれに立て札がおかれている。
なるほど、徳川家ゆかりの寺も寺、家康の養女となった小松姫の
墓所がある。その立て札の
その一。
真田小松姫の墓
小松姫は本田忠勝の娘で家康の養女となり、真田信之
(幸村の兄で信州松代藩の祖)に嫁し元和6年(1620)
に没す。生前当山中興二世の貫主円誉上人に深く帰依した。
その縁で当山に分骨造塔した。本廟は長野県上田市の
芳泉寺にある。
(家康の養女小松姫の墓)
その二。
真田信重の墓
信重の室の墓
信重は真田信之(松代藩の祖)の三男。母小松姫の
縁で当山に葬る。またその室は鳥居左京亮野第六女。
夫妻の御霊屋は長野県松代町の西楽寺にある。
(右側 真田信重、左側 信重の室の墓)
その三。
仙石秀久の墓
秀久は信州小諸の城主。初め 羽柴筑前守秀吉の家臣で、
淡路の国須本城主であったが、天正18年(1590)
小田原征伐の武功により小諸を賜る。後に家康に仕え
慶長19年(1614)出府して帰途病に倒れ、当地で没す。
小諸の歓喜院に葬るも、遺命により当山に分骨建墓。
本廟は、長野県上田市の芳泉寺にある。
(仙石秀久の墓)
本堂と鐘楼の間に「権八地蔵」がある。
また人形の街らしく本堂の前に「人形塚」もある。
(権八地蔵)
(人形塚)