(女郎買い地蔵)
中山道を進むと、左手に龍谷山大雲寺がある。
ここは桶川の府川本陣の代々のお墓など
歴史的なものが多いらしいが、お墓の中に
それらしいものを見つけることが出来なかった。
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(大雲寺)
本堂左手に、三体の地蔵さんがあるが、
向かって右側の地蔵さんは、台座に正徳3年
(1713)の銘がある。
「女郎買い地蔵」と呼ばれるもので、夜な夜な
女郎買いに出かけるので、住職が背中に
「かすがい」を打ち込み、鎖で縛ったと言う。
その「かすがい」の跡は今も残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/fc/e733f08a696a197122a0498cc49aa18c.jpg)
(三体の地蔵さん、右側の地蔵が女郎買い地蔵)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/39/f41dda8a4be5aae4f726727965486b72.jpg)
(背中に打ち込まれた「かすがい」)
その地蔵の先にお墓が見えるので覗いてみたが、
府川本陣家のお墓らしきものは見当たらなかった。
お墓の先を右折して元の中山道へ出ると、
歩道橋があり、その下に一里塚の標柱がある。
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道を進み、大きな交差点の手前の右側、
木戸を想わせる古い建物の前に、
「旧跡木戸址」の石碑が見える。
上(南)の木戸跡で、桶川宿の終わりである。
(日本橋から歩いたので、桶川宿の終わりと書いたが、
往時は京都から下ったので、桶川宿の入り口になった
木戸跡である)
また、その先の信号の右手には「中山道 桶川宿」の
石碑もある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/7a/3e68fe78d9e588633a69a5ce8043290c.jpg)
(木戸跡の石碑)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/65/237e9255d1dd627bfe78c36275538c74.jpg)
(桶川宿の石碑)
この信号を左折し、立体交差の途中左に学校があり、
校庭に松山道 道しるべがある。
「松山 いなり道 本小田原町」と書かれており
魚の字が図案化されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/b5/790316ec5d0fd9a6312bce7d904125f7.jpg)
(校庭内にある道しるべ「道」の字の下に図案化された魚があるが写真の撮り方が悪く見えない)
本小田原町とは、日本橋北のたもとに魚市場があった
所を指し、市場の人たちがいなり講を組織して、
神社参拝の道しるべとしたものである。
(桶川市教育委員会)