中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

女郎買い地蔵(旧中山道を歩く 41)

2005年06月15日 22時13分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65

(女郎買い地蔵)
中山道を進むと、左手に龍谷山大雲寺がある。
ここは桶川の府川本陣の代々のお墓など
歴史的なものが多いらしいが、お墓の中に
それらしいものを見つけることが出来なかった。
(大雲寺)

本堂左手に、三体の地蔵さんがあるが、
向かって右側の地蔵さんは、台座に正徳3年
(1713)の銘がある。
「女郎買い地蔵」と呼ばれるもので、夜な夜な
女郎買いに出かけるので、住職が背中に
「かすがい」を打ち込み、鎖で縛ったと言う。
その「かすがい」の跡は今も残っている。
(三体の地蔵さん、右側の地蔵が女郎買い地蔵)
(背中に打ち込まれた「かすがい」)

その地蔵の先にお墓が見えるので覗いてみたが、
府川本陣家のお墓らしきものは見当たらなかった。
お墓の先を右折して元の中山道へ出ると、
歩道橋があり、その下に一里塚の標柱がある。

(一里塚の標柱)

道を進み、大きな交差点の手前の右側、
木戸を想わせる古い建物の前に、
「旧跡木戸址」の石碑が見える。
上(南)の木戸跡で、桶川宿の終わりである。

(日本橋から歩いたので、桶川宿の終わりと書いたが、
往時は京都から下ったので、桶川宿の入り口になった
木戸跡である)

また、その先の信号の右手には「中山道 桶川宿」の
石碑もある。
(木戸跡の石碑)
(桶川宿の石碑)

この信号を左折し、立体交差の途中左に学校があり、
校庭に松山道 道しるべがある。
「松山 いなり道 本小田原町」と書かれており
魚の字が図案化されている。
(校庭内にある道しるべ「道」の字の下に図案化された魚があるが写真の撮り方が悪く見えない)

本小田原町とは、日本橋北のたもとに魚市場があった
所を指し、市場の人たちがいなり講を組織して、
神社参拝の道しるべとしたものである。
(桶川市教育委員会)







コメント (4)
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