中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

「伝源経基館跡」と箕田源氏(旧中山道を歩く 46)

2005年07月05日 08時22分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65
(クレムリン 2005.May.18.撮影)



(鴻巣宿4)
鴻巣はまた中世武士団の発生に縁の深い場所でもあるようです。

鴻神社を出ると、道路を挟んで向かい側に古い感じが良く出ている旧家がある。
この辺りには、土蔵つくりの民家・商家が
数件残されており今も営業を続けている。

(古い家並み)

(昔ながらの看板)

中山道を進む。次の信号、小室クリーニングの看板を左折、
高崎線を越えていくと、県立鴻巣高校の正面に出る。
校門前を左折し、学校のグラウンドの金網に沿って歩く。
校舎から見ればグラウンドの南端にヒノキ林がある。

(伝源経基館跡)

グラウンドの金網の端に「伝源経基館跡」の標識がある。
埼玉県指定史跡になっているところである。
ヒノキ林に入って見ると、中央は平らになっており、
周りは土塁を積み上げたように高く、土塁には外堀があった形跡がある。
いかにも往時には館があったと思われる場所であった。
ただ、館にしては、ずいぶん敷地面積が小さく感じられた。

(外堀と思われるくぼ地、左側の土塁の内側に館があった)

往時は水があったと思われる外堀様の場所に、
今は沢山の落ち葉が重なり、足を踏み入れるとふかふかして、
足が沈みこんだ。
ボクのような物好き以外は訪ねる人も無く、街の人たちにも
忘れられた場所のようである。

経基は清和天皇第六皇子の長子で、のちに武蔵守となり、
清和源氏の祖とされた。源頼朝に始まる鎌倉幕府、
次の足利氏の室町幕府、さらに徳川氏による江戸幕府は、
いずれも清和源氏の流れを汲むものとされている。

中山道に戻り進むと、道路はY字路となり、中山道は左へ行く。
高崎線の踏切を渡り、かなり歩くと右手に箕田(みだ)観音堂があり、
さらに進むと箕田氷川八幡神社がある。

(箕田観音堂の全景)

(箕田観音堂)

(箕田氷川八幡神社)

箕田観音堂は源頼光の四天王の一人渡辺綱の守り本尊と
伝えられる。渡辺綱(わたなべのつな)は、
羅生門で妖怪女の腕を切り落とした剛の者として有名である。

源経基の孫が源頼光である。

頼光の四天王と言っても、知らない人も多いだろうが、

♪足柄山の山奥で、熊にまたがりお馬の稽古
ハイシドウドウ ハイドウドウ ・・・♪

と言う童謡に出てくる、足柄山の金太郎(坂田金時)も
同じ四天王の一人である。

さて、箕田氷川八幡神社には、箕田源氏の由来を書いた
「箕田碑」が建っている。
「箕田碑」によれば、箕田源氏は清和源氏でなく、
嵯峨天皇の皇子源融から出て、孫に当たる嵯峨源氏の
仕(つかう)がここ箕田に住み着いて箕田源氏を名乗ったという。
渡辺綱は源仕(みなもとのつかう)の孫に当たり、
三代に渡ってこの地を拠点に活動した、という。
(鴻巣市教育委員会)
この裏手にある宝持寺は渡辺綱が開いた寺といわれ、
彼が所持した刀と位牌が伝えられる。

(宝持寺の山門)

(宝持寺の本堂)