中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

一里塚のケヤキ(旧中山道を歩く 51)

2005年07月27日 08時50分00秒 | 2.武州(埼玉県)の旧中山道を歩く(27~65


(一里塚のケヤキ)

(熊谷宿3)

八木橋デパートを右に見て左折すると、すぐY字路になるので
右側の道をとる。旧中山道である。途中旧街道らしく古びた
神社を右に見て、17号に合流する。


(古びた神社 八坂神社 謂れがありそうだが素通りする)

しばらく17号と平行に歩く。石原一丁目交差点に新しく
歩道橋が出来ている。歩道橋を渡り終えて前を見ると、
公園らしきものが見えるので進む。
公園に入ったところに、
「秩父道しるべ」
「秩父観音巡礼道」
「寶登山道」
など三点が建っている。
室町時代に始まった秩父観音信仰は、
江戸時代に入ると盛んになり。順路としてこの地
石原村で中山道から別れるので「道しるべ」が出来た。

以前は信号の左下にあったが、歩道橋新設により、
この公園内に移設された。

(三つの道しるべ)


(ちちぶ道)


(観音巡礼道と宝登山道)

建設世話人の中に血洗島 渋沢宗助なる名前があるが、
明治になって西欧の株式会社の仕組みを取り入れた
渋沢栄一の縁者と思われる。

中山道を17号に沿って進むと、道は二手に分かれる。
左の道をとると、すぐ右側に高さ12メートル、樹齢
300年に及ぶと言うケヤキの木がある。

ここは一里塚跡で慶長9年(1604)五街道が設置された時、
日本橋から一里(4キロ)ごとに設けたもの。
宝暦6年6年(1756)の道中絵図には、榎木二本ずつとあるが、
現存する大木は不思議なことにケヤキの木である。
考えるにケヤキと榎木は葉の形も似ており、
植えたときに職人が間違えて植えたのではなかろうか・・・
(表題の写真がその大木)

すぐ左側に「忍領石碑」が建っている。安永9年(1780)
忍城主が他藩との境界争いを避けるために、領地の境界を示そうと
建てた石碑「ここより南 忍領」の文字が見える。


(忍領の石碑)

しばらく進むとまた17号と交差する。土手に上るような感じで
17号線を渡ると、中山道はすぐまた右に分かれる。
中山道をどんどん進むと、左に深谷幡羅郵便局、その右側に
石作りの鳥居があり熊野神社に出る。奥まったところにある
この神社の参道はよく整備されており、美しい。

もう深谷である。


(熊野神社の二の鳥居)

(熊野神社の三の鳥居と本殿)