中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

鴨乃巣(こうのす)の一里塚と見晴台(旧中山道を歩く 232)

2011年03月08日 10時24分08秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2



(曲がりくねった土の道)


(土の道)


(秋葉坂の三尊石窟)

(細久手宿 2)
枯葉がかぶった土の道は、
すぐ登りになり、左へ右へカーブしていく。
曲がり終えた途端、右手の一段高い所に観音様がある。
秋葉坂の三尊石屈である。

一体一体が横穴の奥にあり、
右の石窟には三面六臂の馬頭観音立像、
中央に一面六臂の観音座像、
左には風化の進んだ石造が安置され、
石窟の右端に残る石灯籠の棹には、
天保十一年(1840)の銘があります。
なおここは石窟の上に秋庭様が祀られている事から、
秋葉坂とも呼ばれています。


(三面六臂の観音立像)


(一面六臂の観音坐像)


(風化した石造)


(石灯篭)

石畳なのかごろ土なのか分からない道路を曲がりくねって行くと、
左に「鴨乃巣(こうのす)道の馬頭文字塚」があり、
林の中にそれと思われる石造物が、
さらに離れた先の左側に「鴨乃巣(こうのす)辻の道祖神」と
「右 鎌倉街道」の石標がある。

やがて右側に「鴨乃巣(こうのす)の一里塚」が見える。
この一里塚は地形の関係なのだろうか、
北塚と南塚の間が十六メートルほど離れている。
江戸から91番目の一里塚である。
ここから道路は下り坂になる。


(馬頭文字塚が林の中にうっすら見える)


(鎌倉街道の道標と後ろの馬頭観音)


(北側の鴨乃巣(こうのす)の一里塚)


(南側の一里塚、手前に見えるのが北塚)


(山内嘉助の屋敷跡)

くだりに下ってその途中、石垣脇に山内嘉助屋敷跡の石碑がある。
江戸時代造り酒屋を営み、諸大名の休憩場所とした山内嘉助の屋敷跡。
城壁のような石垣が残っている。
今から想像するに、それ相応の屋敷であったに違いない。

その先で中山道の石標を過ぎ、
民家の庭先を抜けるようにして出ると、
急に町の中に出てきたように感ずる。
家が沢山並んで、道路も土道でなく、アスファルトで進む。
昔は大いに役立ったであろう常夜灯も、
畑の中にポツンとあり、
今では役立たないで置物のように建っている。


(中山道の石碑と民家の庭先の中山道)


(民家の庭先の中山道)


(畑の中の常夜灯)

やや広い道路を横切り、坂を下って別の道路に流入する。
道路は曲がりくねって、津橋の公民館前に出るが、
その先にある「歴史の道 中山道」の案内に沿って進む。
次の変則五叉路を右から二番目の道を進むと、
右側に竹薮がありこの中に観音堂があるとの事であるが、
なるほど高い場所に向う階段があり、
疲れた足では登ることもままならず、
ここはパスして前に進む。


(広い通りを横切って車の左側の道を行く)


(坂を下って別の道に合流)


(津橋の公民館前)


(バス停前の変則五叉路右から二本目を行く)


(この上の竹薮の中の観音堂があるらしいが)

道路は登り坂で、右側に人が住んでいるのかどうか判らない破れ家を見て、
なお道路を登っていく。
さらにぐんぐん登っていくと、右側に馬の水のみ場がある。
説明によれば、
(ここは物見峠といって、
道路の両側に五軒の茶屋があり、
十三峠の前後の地であれば、
往来の馬もさぞ喉が渇いたであろう。
存分に飲みなさいと、
北側の三箇所に水飲み場があった。)とされる。
確かに馬がのどを潤したであろう大きな穴が二箇所開いていた。


(人が住んでいるかいないかの破れ家)


(馬の水飲み場の穴)


(馬頭観音像)

ここが諸の木峠で、右手その先に階段があり、
その上り口に馬頭観音像がひっそりと佇んでいる。

登った所が「御殿場」で格好の見晴台になっており、、
ここからは天気がよければ、
御嶽山もアルプスも見えるとのことだが、
生憎の曇り空で見ることができなかった。
皇女和宮が江戸へ御下向の時、休憩された場所であるが、
京都の方角を見やったとされます。

ここから道路はくだり坂になる。
ここはもう御嵩宿である。


(階段を登る)


(御殿場)


(生憎の曇りで山も見えない)


(道路は下る)