中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く)

旧中山道に沿って忠実に歩いたつもりです。

・芭蕉の道を歩く
・旧日光街道を歩く

謡坂(うとうざか)の石畳(旧中山道を歩く 233)

2011年03月13日 10時29分00秒 | 6.美濃(岐阜県)の旧中山道を歩く(210~2



(紅葉の下り道)


(竹薮を抜けて)

(御嵩宿)
ここから道路は下り道となる。
美しい紅葉や竹薮をみて、
「唄清水」の前を通る。
清らかな水が年中湧き出る「唄清水」は中山道を上下する旅人の疲れを癒した
であろうと想像される。

・馬子唄の 響きに浪たつ 清水かな (五歩)

と詠われた句碑が嘉永七年(1854)傍らに立っている。
(五歩とは、千村征重のことで、
久々利九人衆の一人・千村助右衛門重次の分家に当り、
日吉(瑞浪市)の南垣外(みなみがいと)
に住んでいました。)(御嵩町教育委員会)



(唄清水)


(広い通り、左手奥が「一呑の清水」)


(一呑の清水)

道路は下って広い舗装道路に出るが、
この左側に「一呑の清水」がある。
(清水は二つに仕切られ、中山道の旅人用が上に、
牛馬用が下に仕切られています。
文久元年(1861)皇女和宮が降下する際、
この清水を賞味され大変気に入ったといわれ、
後に多治見市の永保寺に滞在の際、
わざわざこの水を取り寄せて点茶されたと言います。)(御嵩町教育委員会)

広い道を、すこし下ると右手に「十本木立場跡」がある。
(宝暦五年(1756)刊の「木曽路安見絵図」にも記載あるこの十本木立場は、
もともと人夫が杖を立て、
駕籠や荷物を下ろして休憩した所から次第に茶屋などが設けられ、
発展したそうです。――後略)
この広い道を二十メートルもいくと左の脇道に入る道路が旧中山道で、
脇道に入ると紅葉が美しく見られる。


(十本木立場跡)


(美しい紅葉、この先に一里塚)


(謡坂の一里塚、南塚が林の中に見える)



(広重画 木曽海道69次之内「御嵩」)


(広重のモデルとなった木賃宿?)

道路は右に曲がっているが、その先に塚がある。
「謡坂の一里塚跡」である。
跡と書いたのは、この一里塚は復元されたものであるからだ。
その先に元旅籠と思われる家が建っている。
安藤広重は「木曽海道69次之内 御嶽」をここで描いたといわれている。

この先は道路が下りの石畳となり、
当時の馬子が鼻歌を歌って下る気楽な道になるので、
これを「謡坂(うとうさか)」といった。

また、別の解釈では、
(この坂の登りは急なため、
旅人たちが自ら歌を歌い苦しさを紛らわしたことから、
「うたうさか」と呼ばれ、
それが転じて「うとうざか=謡坂」になったのだとも言われる。
険しく続く山道、道の上を覆うような沢山の木々、
足元に生える草花など、
謡坂の風景は今も当時の中山道の風情を
色濃く残しています。)(御嶽町)

今でも石畳は残っており、

枯葉がその石畳を覆いつくしている。

(謡坂の石畳)